ウイカとメルルがラウンジに足を踏み入れると、すでに何人もの少女たちが集まっていた。
不安そうに辺りを見回す者もいれば、ソファに腰掛けている者もいる。誰もが突然の出来事に困惑し、落ち着かない様子だった。
(……みんな、私と同じように突然ここへ連れてこられたのかな)
ウイカは少女たちの顔を一人ずつ確かめるように見渡した。見覚えのある顔はない。
当然だ。ここにいるのは、ウイカにとって誰一人として知らない少女たちなのだから。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
(……早く、帰らないと)
頭の中に浮かぶのは、たった一人の少女の顔。
豊川サキコ。
ウイカにとって、何よりも大切な幼なじみ。
今頃、サキちゃんはどうしているだろう。
突然いなくなった自分を心配しているだろうか。それとも、まだ気づいていないだろうか。
考え始めると、不安はいくらでも湧いてくる。
ここがどこなのかも分からない。どうやって連れてこられたのかも分からない。スマホを使って助けを呼ぶこともできなかった。
それでも、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
(大丈夫。きっと帰れる)
そう自分に言い聞かせ、ウイカは小さく息を吐いた。
今は、目の前の状況を把握することが先だ。
「みんな初対面だと思うから、良かったら自己紹介をしていかないか?」
声を上げたのは、先ほどから少女たちの様子を見ていた中性的な容姿の少女だった。
「先に名乗らせてもらうよ。私の名前は蓮見レイア」
彼女の提案をきっかけに、少女たちは順番に自己紹介を始めた。
特徴的なお嬢様言葉を使うツインテールの少女、遠野ハンナ。
場の空気にそぐわないほど活発で、名探偵を自称する少女、橘シェリー。
そして、桜をモチーフにした衣装に身を包んだ、ボクっ子の少女、桜羽エマ。
エマの姿を見ていたウイカは、ふと彼女の膝に目を留めた。
太ももに食い込むベルトが目を引く衣装だが、その下には血の滲んだ傷がある。
隣にいたメルルも気づいたらしい。自己紹介を終えるなり、慌てた様子でエマのもとへ駆け寄っていった。
ウイカも一瞬遅れて、その後を追う。
「わ、わわ、私の名前は……ひっ、ひっ、ひ……氷上、メルル、です……っ。
そ、それで、エマさん、あ、あの、あのあのあの……っ……けっ、けっ、け……怪我、しちゃってます……っ」
つっかえながらも、どうにか言葉を伝えたメルルは、今にも泣き出しそうな顔でエマの膝に手を当てた。
「えっ、あ……?」
エマが戸惑う間もなく、メルルの手先が淡く光る。
次の瞬間、膝の傷口がみるみるうちに塞がっていった。
(……今の、何?)
手品や医療技術で説明できるような現象ではない。
ウイカは思わずメルルの手を見つめた。
周囲の少女たちも同じだった。驚いた表情を浮かべる者もいれば、何かを確かめるようにメルルを観察している者もいる。
けれど、誰もその力について詳しく説明できるわけではなさそうだった。
「すごいね、メルルちゃん。傷が治っちゃった」
「あっ……い、いえ……そんな……」
メルルは褒められたことに戸惑ったのか、俯いてしまう。
ウイカはそんな彼女の様子を見て、少しだけ表情を緩めた。
さっきから、メルルはずっと不安そうにしている。
自分の言葉が相手に伝わるか心配で、何かするたびに申し訳なさそうな顔をする。
なんだか放っておけない、と思った。
理由はそれだけで十分だった。
「次、キミ、いいかな?」
レイアの視線が、メルルの傍にいたウイカへと向けられる。
「あ……はい」
ウイカは一歩前に出た。
「三角ウイカです……えっと、よろしく」
できるだけ自然に、穏やかな笑みを浮かべる。
口にした名前は、もう何度も名乗ってきたものだった。
それでも、この場で名乗ることには、いつもとは違う緊張があった。
三角ウイカ。
この名前を疑われるわけにはいかない。
ここで何が起きようと、それだけは守らなければならない。
(……大丈夫。いつも通りにしていればいい)
自分に言い聞かせ、ウイカは少女たちの反応を待った。
「……え?」
すると、少女の一人が声を上げた。
猫耳のようなヘッドホンを身につけた少女が、ウイカの顔を凝視している。
「ちょ、ちょっと待って……。今、三角ウイカって言った?」
「……はい?」
「えっ、嘘でしょ!? あのsumimiのウイカ!?」
「……え?」
少女は信じられないものを見たように目を見開き、ウイカの周囲をうろうろし始めた。
「何その格好? アイドル衣装とイメージ違いすぎてウケるんですけどぉ〜! そのせいで全然気づかなかったじゃん!」
「え、ええと……」
ウイカは返答に困った。
まさか、こんな場所で自分のことを知っている人間に出会うとは思っていなかった。
少女の反応につられたのか、周囲からも小さな声が上がる。
言われてみれば見覚えがある。テレビで見たことがある。
そんな会話が耳に入ってきた。
sumimiは、ありがたいことに大勢の人に知られるアイドルユニットになった。
けれど、ウイカ自身はその人気を、自分の力で手に入れたものだとは思っていない。
相方の純田マナがいて、事務所の人たちがいて、豊川会長の後ろ盾があったからこそ、今の自分たちがある。
自分は、その隣に立っているだけだ。
少なくとも、ウイカはそう考えていた。
(……それにしても、どうしてこんなところで)
勝浦社長やマネージャーの末広からは、プライベートでの行動には気をつけるよう何度も言われていた。
今まで、プライベートでファンに気づかれたことはなかった。
そもそも、今の自分はステージ衣装とはまるで違う格好をしている。気づかれないと思っていた。
それなのに、何故——
「ねえねえ、ウイっちさぁ、あてぃしとコラボしない?」
「……こ、コラボ?」
「そう! コラボ! あてぃし配信しててさ、とりあえずコラボして!」
「え、えっと……その……ま、待って! あの、キミは……」
「あー、あてぃし? あてぃしの名前は沢渡ココね」
沢渡ココ。
そう名乗った少女は、こちらの戸惑いなど気にも留めず、勢いよく話を続けている。
ここがどこなのかも分からない。
自分がどうしてここに連れてこられたのかも分からない。
それなのに、いきなりコラボを持ちかけられても困る。
ウイカはどう返事をすべきか考えたが、うまい言葉が見つからなかった。
「……ココくん、少し落ち着いてくれないか?」
見かねたレイアが声を挟んだ。
「まだ自己紹介していない人がいるんだ。ウイカくんへの話は、後にしてくれないか?」
「ちょ、ウゼーなおめえ! だって、sumimiのウイカだぞ!?……ていうかさ、あてぃし、あんたのこともテレビで見たことある気がするんだけど」
「……! あ、ああ! 芸能事務所に所属しているからね。色々活動はしているよ! 舞台が一番多いけど、テレビにもよく出るかな!」
「あ、やっぱし? じゃあレイアっちでもいいからさぁ」
「勿論だとも!!! ……ん゛ん゛っ……今は自己紹介の途中だし、その話は後でまた。キミたち、次いいかな?」
「……なんか、やけに嬉しそうですわね、あの方」
「あはは……」
ウイカは曖昧に微笑むことしかできなかった。
レイアは満更でもなさそうだったが、今はそのことを気にしている余裕もない。
(……どうしよう)
ココの言うコラボがどのようなものなのか、詳しく聞く気にはなれなかった。
そもそも、配信をした経験などない。sumimiの活動でも、配信関係は基本的にスタッフが管理している。
自分が表に立って何かを発信することには、あまり自信がなかった。
それに、今はそんなことよりも優先すべきことがある。
サキちゃんのもとへ帰ること。
そのために必要な情報を集めること。
ウイカにとって、今はそれ以外のことに時間を使っている場合ではなかった。
そうして、今度こそ自己紹介は滞りなく進んでいった。
ギャルっぽい見た目に反して、気の抜けた調子で名乗った佐伯ミリア。
どこか大人びた雰囲気を持ち、妖艶な笑みを浮かべている宝生マーゴ。
黒マスクを付けた不良らしき見た目通り、ぶっきらぼうに名乗った紫藤アリサ。
何か理由があるのか、スケッチブックで筆談する夏目アンアン。
必要最低限の言葉だけで済ませた黒部ナノカ。
同じく、簡潔に挨拶を済ませた二階堂ヒロ。
そして最後まで、まるで輪に加わっていないかのように自由に行動していた、どこか夢見心地な様子の城ケ崎ノア。
それぞれの名前と顔を、ウイカは頭の中で結びつけていく。
ここから出る方法を探すにしても、まずは周囲の人間を知っておいた方がいい。
誰が協力してくれるのか。
誰が危険なのか。
今の段階では判断できないことばかりだった。
「全員の名前が知れて何よりだよ」
「そうだね……」
エマが不安そうに呟いた、そのときだった。
天井の通気口から羽音が聞こえてきた。
少女たちの視線が、一斉に上へ向けられる。
そこにいたのは、先ほどのフクロウだった。
「あっ……人がいっぱい……。えっと、改めまして……この屋敷で管理を任されている可愛いフクロウ、ゴクチョーと申します。定時とかもあるので……さっさと説明をしていきますね」
「……フクロウ?」
「はい。フクロウです」
ウイカは思わず聞き返した。
フクロウが喋っている。
それだけでも十分に異常な光景だったが、ゴクチョーは何事もないように話を続けた。
「すごく申し上げにくいんですが、皆さんは、【魔女】になる因子を持っています」
「……魔女?」
「ボクたちが……?」
少女たちの間に困惑が広がる。
ゴクチョーは淡々と説明を続けた。
「偉い人が決めた話では、【魔女】はこの国に災厄をもたらす存在だそうです。全国検査によって、皆さんはその因子が大きく抽出された。つまり、この国にとって危険だと判断され、この牢屋敷への収容が決まったんですね。いずれ【魔女】になる可能性があるとなると、野放しにはできませんので……」
全国検査。魔女の因子。牢屋敷への収容。
聞き慣れない言葉ばかりだった。
しかし、ウイカには一つだけ理解できたことがある。
自分たちは、ここに閉じ込められている。
それも、何かをしたからではなく、これから危険な存在になるかもしれないという理由で。
「はぁっ!? なんなんお前キモ!! そんな検査やった覚えないんですけどぉ〜?」
「私に文句を言われましても……私はただの可愛いフクロウなので……」
ココが声を上げると、ゴクチョーは面倒そうにため息をついた。
「皆さんにはこの春から囚人として生活してもらいます。救済がなくもないですが……【大魔女】さえ見つかれば皆さんの呪いを……あ、でも期待とか持たせても良くないですよね……忘れてください。シャワーも娯楽室もあるので、ここで余生を楽しく過ごすとか……どうですかね?」
(……余生?)
ウイカは眉を寄せた。
まるで、ここから出られないことが決まっているかのような言い方だった。冗談であってほしい。
けれど、ゴクチョーの口調には、こちらを安心させようという気遣いが感じられない。
むしろ、面倒な仕事を早く終わらせたいとでも言いたげだった。
(そんなこと、認められるわけない)
帰らなければならない。
サキちゃんが待っているかどうかは分からない。それでも、ここで一生を終えるなんて考えられなかった。
「ちなみに、皆さんを監視している看守ですが……あれは、かつてここに収容された者が魔女になった姿で、【なれはて】と呼ばれています。醜悪ですよね」
ゴクチョーが示した先には、黒衣の異形が立っていた。
いつの間にかラウンジの入り口を塞ぐようにして、こちらを見下ろしている。
背丈は人間のものとは思えないほど高く、黒い衣服の奥に顔は見えない。何本もの腕が不気味に蠢き、そのうちの一つには大きな鎌が握られていた。
ウイカは無意識に息を呑んだ。
「多くの魔女になった者は処刑されますが、与しやすい者をマインドコントロールしています。看守は、逆らった囚人を殺すように洗脳してしまったので……ほんとすみません。
逆らったら、死んでください」
「……え?」
あまりにも軽い口調だった。
けれど、言葉の意味は理解できる。
逆らえば殺される。
つまり、この場にいる少女たちは、ここでの生活を強制されるということだ。
それを拒む自由すらない。
(……そんな)
ウイカの胸の奥が、ゆっくりと冷えていく。
帰れない。この場所から出られない。
もし本当にそうなのだとしたら。
(サキちゃんに、もう会えないの?)
嫌だ。
そんなのは嫌だった。
ここで何をさせられるのかも分からない。魔女になるという話も、看守という怪物のことも、まだ何一つ理解できていない。
それでも、サキちゃんに会えなくなることだけは、どうしても受け入れられなかった。
サキちゃん。サキちゃん、サキちゃん。
頭の中が、その名前で埋め尽くされていく。
あの子に会いたい。声が聞きたい。もう一度、隣にいたい。
他のことなんて、今は考えられない。
ここにいる少女たちがどうなるのかも、自分が魔女になるのかどうかも、まだ実感が湧かなかった。
ただ、サキちゃんのいない未来だけは、想像したくなかった。
ウイカは胸元で手を握りしめる。
(帰らなきゃ……)
そのためなら、何だってする。
そう思った。
けれど、その決意を口にするよりも早く、別の声がラウンジに響いた。
「間違いです。私は悪ではない」
ゴクチョーの説明によって静まり返っていたラウンジに、はっきりとした声が通る。
思考の海に沈んでいたウイカは、少し遅れて顔を上げた。
立ち上がり、一歩前に出ていたのは二階堂ヒロだった。
「私は、間違ったことなどしていない」
ヒロは感情的に声を上げている。
どうやら、エマとは知り合いらしい。エマは必死に何かを伝えようとしているが、ヒロはそれを強く拒絶していた。
ウイカには、二人の間に何があったのか分からない。
ただ、ヒロの表情には、周囲の誰にも譲るつもりのない強い意志が浮かんでいた。
「この世界を正すことができるのは、私だけだ」
ゴクチョーが何かを言っている。
しかし、ヒロは聞く耳を持たなかった。
そのまま暖炉の横に置かれていた火かき棒を手に取る。
「悪は貴様だ! 化け物!」
勢いよく走り出した。向かう先には、看守がいる。
「待って……!」
誰かが声を上げた。けれど、もう遅かった。
ヒロは火かき棒を振り上げ、看守へと叩きつけた。
「悪は死ね! 死ね死ね死ね!!」
何度も、何度も。金属が肉を打つ鈍い音が響く。血が飛び散り、ヒロの身体を赤く染めていく。
その光景を、ウイカはただ見つめていた。
(……何をしているの?)
無謀だ。
あれだけ危険だと説明された相手に、どうして立ち向かえるのだろう。
止めなければ。そう思ったところで、ウイカの身体は動かなかった。
そもそも、自分に何ができるというのだろう。
助けに入れば、今度は自分が殺されるかもしれない。
そんな考えが頭をよぎる。
その間にも、ヒロは攻撃を続けていた。
しかし、看守は倒れない。
傷ついているようにも見えない。
やがて、看守の腕が動いた。
ぶん、と空を切る音。
次の瞬間、ヒロの身体が大きく揺れた。
反撃に振るわれた鎌が、彼女の首を刎ねたのだ。
胴体は火かき棒を握りしめたまま、ふらふらと揺れ、その場に崩れ落ちる。
首が床を転がった。
ラウンジから、音が消えた。
誰も動けなかった。誰も声を出せなかった。
つい先ほどまで、自分の正義を疑わずに看守へ立ち向かっていた少女。
その少女が、今はもう動かない。
「キャアアアーッ!!」
誰かの悲鳴が、静寂を破った。
「……ひ、ヒロ……ちゃん……?」
エマの顔が絶望に染まっていた。
一歩、また一歩と近づこうとする。けれど、足がすくんでいるのか、思うように進めない。
「うそ……」
メルルは両手で口を覆った。
「うそ、ですよね……? だって、さっきまで……」
誰一人として、目の前で起きたことを受け止められずにいた。
ウイカも、ただ立ち尽くしていた。
(……人が)
目の前で、人が殺された。
ヒロは、看守に立ち向かった。
それが正しいことだったのか、間違っていたのか、ウイカには分からない。
けれど、彼女が死んだという事実だけは、目の前にある。
(……殺された)
指先が冷たくなる。呼吸が浅くなり、心臓が嫌な音を立てていた。
ついさっきまで、ここから出る方法を考えていた。
どうにかして帰ろうと。
サキちゃんのもとへ戻ろうと。
けれど、目の前の光景が、その考えを根底から揺さぶっていた。
ここでは、本当に人が死ぬ。
脅しでも、冗談でもない。逆らえば、命を奪われる。
それが、この牢屋敷の現実だった。
ウイカは震えそうになる手を、ぎゅっと握りしめた。
(……どうすればいいんだろう)
看守に逆らうことはできない。
かといって、何もせずにここで過ごすわけにもいかない。
ここにいる限り、何が起きるか分からない。
誰かが死ぬかもしれない。次は自分かもしれない。
それでも。
(——サキちゃん)
脳裏に浮かんだのは、やはり大切な幼なじみの姿だった。
会いたい。
声が聞きたい。
もう一度、あの笑顔を見たい。
こんなところで終わるわけにはいかない。
ウイカは、もう一度ラウンジの少女たちを見渡した。
泣いている子。
呆然と立ち尽くしている子。
目の前の惨状から目を逸らしている子。
誰もが、これからどうすればいいのか分からずにいる。
自分だって同じだ。
けれど、ここで一緒になって取り乱していても、何も変わらない。
帰るためには、まず生き残らなければならない。
そのためには、この場所のことを知らなければ。
(……帰らなきゃ)
ウイカは、目の前の惨状から目を逸らさなかった。
(絶対に、サキちゃんのところへ帰るんだ)
たとえ、どんなことがあっても。
たとえ、そのために何かを犠牲にすることになったとしても。
今のウイカには、それ以外に考えられることがなかった。
しかし、彼女たちはまだ知らない。
ここがまだ、奈落の途中だということを。