ポケットの中にはビスケットが18,446,744,073,709,551,615枚 作:宇後筍
——この世界はインクリメンタル系のゲームだ、と気付いたのは2日目のことだった。
◾️
最初、俺は古めかしい洋風の一室で目を覚ました。殺風景な部屋の中には机とベッド、窓がひとつ。床も壁も家具も、すべてが木製のその部屋のど真ん中で俺はどうやら横たわっていたらしかった。
「いてて……なんで床で寝てんだ俺」
最後の記憶は動画を見ながら放置ゲームをぼんやり眺めているところで途切れている。作業のお供に酒を飲んでいたから、酔っ払って妙なことでもしたんだろうか。
「……というかここどこよ」
全く見覚えのない場所だ。家具にも壁にもろくな装飾はない。木の温もり感じるログハウスといった風情の部屋。
反射的にポケットを探り、スマホを取り出す。こういうときはマップアプリで確認するに限る。たまに外で酒を飲むと変なところに迷い込むからな、俺は慣れてるんだ。
全く自慢にならないことで内心胸を張りながら俺は滑らかにマップアプリを起動する。
「えーっと……圏外か……」
最近は衛星から見える範囲ならどこでも繋がるなんて時代になったらしいけど、このタイミングで圏外になるなんて運が悪すぎる。
一度電源を落としてみたり、通信状態をリセットしてみたりしたが効果はない。何度見ても表示は圏外のまま、外部との通信は行うことができない。
「いやー……スマホが使えねえと急に不安になるなあ……」
とりあえず役に立たないスマホはポケットにしまって、窓から外を眺めてみる。
「間違いなく俺の住んでる街じゃないな……というか、日本じゃない……わけないよな?」
眼下には人々の往来が賑わっているが、明らかに人種が日本人ではない。その上猫耳をぴこぴこ動かした少女や、竜と象の間みたいな見た目をしたへんてこな生き物が荷車を引いている。
「なんだこれ?ただでさえ状況わかんなくて外に出にくいのに」
青果らしきものを店先に並べた女が声を張っているが、そこに置かれた品々にしても見たことも聞いたこともない。ハロウィンの仮装行列にしては手の込んだ催しだ。
「なんかのイベントかぁ?」
往来の人々は掌から水の塊を出して洗い物をしたり、何やら指先をちょいちょいと動かして洗濯物を取り込んだりしている。
「いや、映画の撮影とかの現場……?」
ふと影がさす。窓を開けて首を出すと、遥か遠くにドラゴンとしか言いようのないデカいトカゲみたいな生き物が翼をはためかせて飛んでいる。口から漏れ出た炎がぼふっと音を立てて破裂し、花火の残滓のように火の粉になって降り注ぐ。
「CG……なわけないよなあ」
「あー、えー……と……もしかしてぇ……ファンタジーな世界に迷い込んじゃった、とか?」
当然、誰も不正解とは言ってくれない。ふざけた現実逃避だと思っている。けれど、何度見ても、いつまで眺めていてもその珍妙な光景は変わらない。夢を疑ってベッドに入って寝てみても、夕方になるだけだ。
「いやいや……二度寝しよ」
夜になる。
「あーもう長すぎだろこの夢!!」
朝になる。
「『現実』ってコト!!??」
結局分かったのは、連休のど真ん中でひたすらゲームしていたインドア社会人が何故だかおかしな場所へと入り込んでしまったらしい、ということのみだった。
往来はガヤガヤと騒がしいが、そのどれもが日本語だ。ときおり固有名詞らしきものだけが理解不能な単語として発せられている。
「…………まー、急に来たんだから急に帰れるだろ、多分」
そんな一言で済ませてしまっていいのか分からないが、別に大して充実した人生でもない。仕事は面接に最初に受かった会社に惰性で勤めていたし、友人家族や恋人もいない。休載しがちな漫画の続きや、来年発売予定のゲームが出来ないことくらいしか心残りはない。
「切り替えていくべ」
俺の長所はとにかく切り替えが早いことだ。翌日以降も悩みを引きずるようなことにはなったことがない。短所は物事に興味を持てなさすぎること。
言葉も分かるとなれば話す相手もいるだろう。この健康な体と空っぽな脳みそさえあれば何とかなる。そんな風に考えると急に気が楽になってきた。
改めて机の上を眺めると、2枚のビスケットが置かれている。
「お、食べちゃお」
1枚取ってかじりながらぼうっと考える。いきなりこんなところにいるのはいいが、俺はどうすればいいんだろうか。
こういう話のときは大体何かの啓示があったり、連れてこられた人間が『これは、俺の知ってる〇〇の物語の世界だ!』とかやるものじゃないのか?
「うーん……窓から見た感じは見覚えないと思うけどなあ……こういう西洋ファンタジーみたいなのって食傷になるくらいコスられてるからなあ……わからん……」
ビスケットをもう1枚取って齧る。素朴な味で意外とクセになるな。そして閃く。
「とりあえずこういう異世界モノのお約束やっとくか……ステータスオープン!」
アニメなんかでよく見る、虚空に青っぽい半透明ウインドウがブンって出てくるやつだ。RPGみたいな世界観で能力値が書かれてるタイプの話で登場する謎の板。
「……」
「…………」
「………………」
「メニュー!ポーズ!インベントリ!ボックス!ポータル!セーブ!ロード!ログアウト!」
「…………………………」
残念ながらそういうのではないらしい。
なんとかかんとかのスキルを使ってチートとハーレムのあはんうふんの世界じゃないのか。
「まあ、俺もアラサーにもなって命懸けの冒険とかしたいわけじゃないしなあ」
まあ普通に考えたら一般人なんだし超強い剣の才能とか貰っても困るよな。どうせなら安全な場所から生産活動に興じたいね。そんなことを考えながらビスケットをまた
「うーん……この部屋を出て誰かに話を聞いてみるかあ……?」
結局、この部屋の中で分かることなんてたかが知れている。この場所における自分の立場が分からない以上あまりやりたくはないが、外に出てみるしかないだろう。
意を決してドアノブを捻ると木製の扉はぎぎ、と音を立てる。
俺はそのとき、足を止めていた。当然だ、ここがどこかも分からなかったし、このドアの向こうに何があるのかを知りたかった。だからドアを開けるときも腕だけを動かして扉を押し開けた。
それが幸いした。
はじめ、俺は何かの間違いだと思った。錯覚、錯視、幻覚の類だろうと思おうとした。
「…………?」
一度ドアを閉じる。室内を見回して先ほどと同じ景色であることを確認してからもう一度ドアを開ける。
そしてその向こうがどうなっているか、そっと覗き込むと——
殺風景であることの比喩じゃない。本当に何もない。床も壁もない、ただの暗黒が向こう側に広がっている。
「……はい?」
虚無。
ブラックホールを目視できたらこんな風だろうと想像できるような真っ黒な暗黒がうなりを上げて渦巻いている。前後も左右も上下もない。黒々とした大きな渦がぐるぐるとうねっている。
その渦の真ん中には何があるのか。目を凝らして見ようとすると、なぜたか吸い込まれるような不思議な感覚がする。気付いてはいけないものがそこにあるような気がする。万一『観て』しまったら——俺は、俺は…………。
「ふっ、ふっ、ふっ」
なぜだか、息が荒くなる。
生物的な本能が告げている。俺はここに入ったら死ぬ。
突然の恐怖体験に遅れて冷や汗がどっと出る。
閉める。閉めたらいいだけだ。体を大慌てで戻して、俺はドアを勢いよく閉める。
「ぶわああああ!なんじゃありゃ!こっわ!!」
急なホラー要素の登場に驚き慄いていると、ポケットの中のスマホが振動する。
「お?」
通信が復活したのかと思って取り出すと、1件の通知が表示されている。
「『The magic pocket』?なんだこのアプリ?」
【ようこそ不思議なポケットへ】
【あなたがこの世界でやることはひとつ】
【ただひたすらに、ビスケットを増やしてください】
知らないうちに連れてこられた部屋、窓の外の見知らぬ世界。扉の先の虚空と、謎のアプリ。怒涛のようにやってくる謎の連続に驚くのも面倒になっている俺の後ろで、すでに食べたはずのビスケットが2つ、机の上に転がっていた。
エタってる他の続きを書けよと思われるかも知れませんがリハビリがてら書いてるので許してくれめんす
興が乗ったら続きを書きます