新世紀GPXサイバーフォーミュラ RED RAVEN ―名もなき翼― 作:天羽々斬
朝の光が、フロントガラスの端を白く染めていた。
セナ・フェルスタッペンは赤信号で車を止め、メーター脇の時計を見た。帰庫するには、ちょうどいい時間だった。
昨夜からの売上を頭の中で計算する。悪くはない。ただ、今月はニーナの学校に払う金がある。
あと一件。
信号が変わる。駅前へ車を向けると、タクシー乗り場の先頭に、濃い色のジャケットを着た男が立っていた。片手に旅行鞄を持ち、もう片方の手で端末を耳に当てている。
セナが車を寄せると、男は通話を切って後部座席に乗り込んだ。
「空港まで。出発ロビーにお願いしたい」
「かしこまりました」
ドアが閉まるのを確認し、車を出す。
「どちらのターミナルですか」
男が航空会社と便名を告げる。セナはナビに行き先を入力した。
到着予測を見た男が、小さく息を吐いた。
「……参ったな」
「お時間、厳しいですか」
「電車が止まってしまってね。この時刻では、手続きに間に合わない」
セナは時計を確認した。
「別の道を使います。予測よりは早く着けると思いますが、お約束はできません」
「ああ。頼むよ」
男は座席に背を預け、端末で航空券を開いた。
今日見る予定のドライバーは二人。そのために取った便だった。
速い者はいた。経験のある者も、条件次第で移籍に応じる者もいた。しかし、新チームの最初の一台を託すと考えると、契約書を出すまでには至らなかった。
そのうえ、今度は飛行機にも乗り遅れる。
男は端末を伏せ、窓の外へ目を向けた。
タクシーは、幹線道路へ続く右折車線を通り過ぎた。
「ナビは、右だったようだが」
「あちらは駅からの車が集まります。この時間は、二つ先の交差点まで抜けるのにかかるので」
セナは細い脇道へ入った。
配送車の脇を抜ける。対向車が来ると、わずかに速度を落としてすれ違った。男は何気なく、その横顔を見た。
若い。
乗り込んだときは気づかなかったが、ずいぶん若い運転手だった。
その視線が前へ戻った直後、前方のバンの陰から自転車が出てきた。
タクシーは、すでに減速していた。
急ブレーキではなかった。男の身体は、シートベルトに押さえられることさえなかった。
セナは十分な間隔を空けて自転車を見送り、再びアクセルを踏んだ。
男は伏せていた端末を鞄にしまった。
今度は、運転を見ていた。
信号へ近づくときの減速。曲がり始める位置。ハンドルを戻す速さ。前の車との間隔が縮まる前に行われる、ごく小さな調整。
一つひとつは目立たない。
けれど、しばらく見ていると、操作をやり直す場面がないことに気づいた。
車線変更も同じだった。空いた場所へ急いで入るのではない。周囲の車の速度がそろうところまで待ち、自然に収まる。
「君、運転は誰に習った?」
「父です」
「お父上も、この仕事を?」
「いえ。レースをしていました」
男の目が、ルームミラーへ上がった。
「そうか。君自身は?」
「競技に出たことはありません」
答えながら、セナは合流車線の先を見ていた。
本線を走る大型車。その後ろの乗用車。二台の間隔を確かめ、速度を合わせる。男が次の質問を考える間に、タクシーは本線へ入っていた。
車内に、タイヤの音だけが続いた。
やがてナビの到着予測が変わった。
男は時計を見直し、少し身を起こした。
「間に合いそうだ」
「降車場から先は、少し急いでいただくことになると思います」
セナの口調は、乗ったときから変わらなかった。
空港の案内標識が近づく。指定されたターミナルへ入り、出発階の降車スペースに車を止めた。
料金を告げると、男はすぐに支払いを済ませた。だが、鞄を持って降りる前に、ジャケットの内側から名刺入れを取り出した。
「私はトト・ウィリアムズ。レッドレイブンというチームを立ち上げている」
差し出された名刺を、セナは受け取った。
赤い鳥をかたどったマーク。その下に、名前と連絡先が記されている。
「サイバーフォーミュラだ。今季から参戦する」
「そうですか」
「ドライバーを探している」
そこで初めて、セナが男の顔を見た。
トトは続けた。
「一度、うちの車に乗ってみないか」
セナは名刺へ目を戻した。
「僕は、タクシーの運転手ですが」
「知っている。今、乗せてもらったからね」
トトは笑ったが、セナの表情は変わらなかった。
外では、係員が次の車を誘導している。
「お仕事でしたら、会社を通していただかないと」
「いや、送迎の依頼じゃない。テストだ。報酬は出す。交通費もこちらで持つし、日程は君の都合に合わせる」
セナは少し考えた。
「拘束時間は、どのくらいですか」
トトの口元に笑みが残った。
「まずは半日。詳しい条件を送ろう。見てから決めてくれていい」
「……分かりました」
セナは業務用のものとは別の端末を取り出した。
連絡先を交換すると、トトはようやくドアを開けた。降りてから、もう一度車内をのぞく。
「名前を聞いても?」
「セナです。セナ・フェルスタッペン」
「連絡するよ、セナ」
そう言って、トトは鞄を手に出発ロビーへ駆けていった。
セナは名刺を助手席の小物入れに置き、発進前に後部座席を確認した。忘れ物はない。
端末が短く震えた。
ニーナからだった。
『帰りにパン買える?』
停車したまま、返信を打つ。
『買って帰る。ほかは?』
すぐに返事が来た。
『それだけ。お疲れさま』
セナは端末を置き、空車の表示を消した。
帰り道のパン屋は、もう開いている時間だった。