新世紀GPXサイバーフォーミュラ RED RAVEN ―名もなき翼―   作:天羽々斬

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第5話 眠る前の一周

帰宅すると、玄関にニーナの靴があった。

 

「ただいま」

 

「おかえり!」

 

返事と一緒に、椅子を引く音がした。

 

セナが台所へ入ると、ニーナはテーブルの上の教科書を重ねていた。脇には、まだ半分残ったジュースがある。

 

「どうだった?」

 

「乗れた」

 

「それは分かってる」

 

ニーナは笑い、向かいの椅子を引いた。

 

「速かった?」

 

鞄を置きながら、セナは少し考えた。

 

「タクシーよりは」

 

「比べるもの、ほかにないの?」

 

「ないよ。初めて乗ったんだから」

 

言われてみればそうだったらしく、ニーナは納得した顔で座った。

 

セナも向かいに腰を下ろし、鞄から資料を出した。

 

「正式な条件は、あとで送ってくれる。これは審査の説明」

 

「採用の?」

 

「レースに出る資格の。普通の経歴じゃないから、特例を申請するって」

 

ニーナは紙を受け取り、上から目を通した。

 

「試験があるんだ」

 

「ああ。走るのと、規則の確認」

 

「勉強しないとね」

 

「そうなる」

 

紙をめくる音が続いた。

 

セナは空のカップを自分のほうへ引き寄せたが、立ち上がる前にニーナが顔を上げた。

 

「お兄ちゃんは、やりたいの?」

 

その手が止まった。

 

「条件がよければ」

 

「うん。それも大事だけど」

 

ニーナは資料を置いた。

 

「今日、乗ってみたんでしょ。どうだったのかなって」

 

セナは椅子へ座り直した。

 

身体は、まだ少し重かった。首の付け根と肩に、普段の仕事では感じない疲れが残っている。

 

「思っていたより疲れる」

 

「そっか」

 

「でも、何周かすると慣れた」

 

「怖くはなかった?」

 

「最初は、どのくらい止まるか分からなかったから。そこは確認しながら」

 

ニーナは黙って聞いていた。

 

セナはテーブルの木目へ目を落とした。

 

「一度、車を調整してもらったんだ」

 

「うん」

 

「曲がり始めるところが少し変わった。それで、その次のコーナーにも入りやすくなった」

 

説明しながら、指先がテーブルの上を動いた。

 

短い直線から右へ曲がり、その先で左へ返す。

 

「最初はここで待ってたんだけど、調整したあとは、そのままつながるようになって」

 

そこで、ニーナの目が自分の指を追っていることに気づいた。

 

セナは手を戻した。

 

「……実際に見ないと、分かりにくいな」

 

「ううん。ちょっと分かった」

 

ニーナは笑っていた。

 

「その車、直してもらえたんだね」

 

「ああ。担当の人が、話を聞いてくれた」

 

「どんな人?」

 

「エレナさん。説明が細かい」

 

「お兄ちゃんには合ってそう」

 

セナは否定しなかった。

 

少なくとも、分からないことを分からないままにされる感じはしなかった。

 

ニーナはもう一度、資料へ目を落とした。

 

「私の学校のことは、今すぐ決めなくても大丈夫だからね」

 

「何を?」

 

「進学先。まだ時間あるし、ほかにも――」

 

「今、変える必要はないよ」

 

セナの声に、ニーナが口を閉じた。

 

少し強く言いすぎたかもしれなかった。

 

セナはカップから手を離した。

 

「学校は、行きたいところを考えておいて。俺の仕事は、契約を読んでから決める。それでいいだろ」

 

ニーナはしばらく兄を見て、それからうなずいた。

 

「じゃあ、契約書は一緒に読む」

 

「難しいこと、書いてあると思うけど」

 

「二人で読んだほうが、見落とし減るでしょ」

 

「……そうだな」

 

     *

 

夕食のあと、トトから資料が届いた。

 

報酬の支払い時期。審査準備中の扱い。遠征費と宿泊費。事故や負傷に関する項目。

 

セナは画面を一つずつ送り、気になった箇所を別の紙へ書き出した。

 

ニーナも隣で読み、分からない言葉を調べている。

 

固定給の額が出たところで、二人とも手が止まった。

 

セナは月ごとの収入へ換算し直した。

 

そこから生活費を引く。返済額を引く。ニーナの学費を積み立てても、残る金があった。

 

もう一度、支払い条件へ戻った。

 

「本当に、レースで勝たなくても出るんだ」

 

ニーナが小さく言った。

 

「契約している間は、そうみたいだ」

 

「すごいね」

 

セナはうなずいたが、すぐには返事をしなかった。

 

金額の下にある契約期間を確認する。次に、更新と解除の項目を開いた。

 

ニーナが紙へ目を移す。

 

質問が、また一つ増えた。

 

     *

 

夜が更ける頃、ニーナは先に部屋へ戻った。

 

セナは残った質問をまとめ、トトへ送った。翌日も勤務がある。そろそろ寝たほうがよかった。

 

端末を閉じようとすると、もう一件、通知が表示された。

 

エレナからだった。

 

『今日の走行映像を送ります。外部への共有は禁止。気になったことがあれば、次回教えて』

 

添付された映像を開く。

 

固定カメラの前を、レイブンが通過した。

 

自分では見られなかった角度だった。

 

セナは椅子へ座り直した。

 

映像を少し戻す。

 

二つ目の右。調整前の走行だった。車が向きを変えるまでの短い間が、外からでも分かった。

 

次の映像へ進む。

 

今度は、曲がり始めてから出口までが滑らかにつながっていた。

 

セナは二つを交互に再生した。

 

やがて、机の端に置いた質問用の紙を裏返す。

 

コーナーの形を描き、進入位置へ小さく印をつけた。

 

一つ描いてから、少し横へずらして、もう一つ。

 

どちらがいいのかは、まだ分からなかった。

 

セナは映像を止め、エレナへの返信を開いた。

 

『次の走行でも、この設定から始められますか』

 

送信してから時計を見た。

 

思っていたより、時間が過ぎていた。

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