出産とともに、僕の母親は死んだ。
そして、男手1つで僕を育ててくれた父親も、僕が9歳の頃に亡くなった。原因は、チンピラ同士のくだらない争い事だ。
道端で喧嘩していた連中を仲裁しようとして、逆上した男に刺し殺されたらしい。
......本当に、馬鹿な父親だと思う。見ず知らずの人間同士の喧嘩なんて、放っておけばよかったのに。
おかげで、僕は9歳にして天涯孤独になってしまった。
もちろん、悲しくなかったわけじゃない。
父親は不器用ながらも優しい人だったし、前世の記憶があるとはいえ、この世界で僕を育ててくれた大切な家族だった。
ただ、悲しみに暮れている余裕があったかといえば、それは別の話だ。何しろ、僕はまだ9歳だったんだから。
頼れる親戚もいなければ、生活を支えてくれる人間もいない。
つまり、これから先は自分の力だけで生きていかなければならないということだ。
......いや、9歳の子供に厳しすぎない?
せっかく転生したというのに、どうしてこんな目に遭わなければならないんだろう。
ミカエルさん。もしかして、僕のこと嫌いだったりします?
まあ、今さら空に向かって文句を言ったところで、どうにもならないんだけど。
唯一の救いだったのは、父親が小さな料理屋を営んでいたことだ。
使い込まれた調理器具も、こぢんまりとした店舗も、そのまま僕に残されている。前世で料理人をしていた僕にとって、それは何物にも代えがたい財産だった。
そんなわけで、僕は父親の料理屋を継ぐことにした。
9歳の子供が1人で店を切り盛りするなんて、普通に考えれば無謀だろう。だけど、僕には前世で培った確かな料理の腕がある。
それに、現代から食材や調味料を取り寄せられる『ネットショッピング』まであるのだ。
これだけ条件が揃っているなら、やってやれないことはない。何より、自分の手で稼がなければ明日のパンすら手に入らないのだから。
そして、そんな生活を続けること2年。
僕の店はというと──
「──んっめぇぇぇぇっ!!」
連日、大盛況だった。
「おいおい、なんだよこれ!こんな柔らかくて美味い肉料理、生まれて初めて食ったぞ!肉料理ってだけですごいのによ!」
「こっちのお米っていうのも美味しいわ。パンとは全然違うけど、確かに癖になる味だわ」
「店主、おかわり!大盛りで頼む!」
「はいは〜い!少々お待ちくださ〜い!」
賑やかな客席へ返事をしながら、僕は手際よく鉄鍋を振るう。
立ち昇る湯気と、焦げた醤油の香ばしい匂いが店内を満たしていた。
いやぁ、繁盛、繁盛。
正直、ここまで上手くいくとは思っていなかった。
恐らくだけど『進撃の巨人』の食文化は、前世でいう中世ヨーロッパ圏のものに近いのだろう。
硬いパンや芋、臭みのある肉料理が中心で、日本料理に馴染みのある人間なんて当然いない。
そんな中、僕が提供したのは米を中心とした和食の数々だ。
ふっくらと炊き上げた白米に、湯気の立つ味噌汁。
醤油や生姜を使った肉の照り焼きに、出汁の旨味を存分に活かした煮物。
これがもう、本当に受けに受けまくった。
もちろん、客の好みに合わせて洋食も提供している。
最初は物珍しさや、孤児になった僕の境遇に同情して足を運んでいた客たちも、今ではすっかり店の味に魅了された常連だ。中には、毎日のように通いつめてくる人もいる。
まあ、当然といえば当然なんだけどね。
前世から料理の腕には、それなりの自信があった。
それに加えて『ネットショッピング』のおかげで、この世界では貴族でも手に入らないような新鮮な食材や調味料を惜しみなく使える。
醤油、味噌、みりん、砂糖。
その他にも、各種スパイスや良質な油を好きなだけ購入できるんだ。そんな僕が、料理で負けるはずがない。
......まあ、正直に言えば、まったく同じ条件で勝負しても負ける気はしないけど。
この世界、全体的な食事のレベルが低すぎるんだよね。
「すみませーん!追加注文お願いします!」
「はいは〜い、今伺いますね〜」
さて、そんなわけで、僕の生活は想像以上に順調だった。
店の売り上げも右肩上がり。
生活費を差し引いても十分な利益が出ているし、稼いだお金の9割は『ネットショッピング』の残高にチャージしている。
もちろん、そうやって資金を貯め込んでいるのには明確な理由がある。
来るべき日に備えるためだ。
そう──ウォール・マリア陥落。
『進撃の巨人』の物語が本格的に動き始める、最悪の悲劇である。
ちなみに、今僕が暮らしているのは、ウォール・マリアの西地区に位置する『トロール区』だ。
つまり、いずれ巨人たちの群れに蹂躙されるウォール・マリアの住人ということになる。
......笑えない。
いや、本当に笑えないんだよ。
何しろ、僕はあの大惨事が起こることを結末として知っている。超大型巨人によって壁が破壊され、無数の巨人が壁内へと侵入してくる。
その結果、ウォール・マリアは全面的に放棄され、膨大な数の住民が命と住む場所を失うことになるのだ。
当然、トロール区にいる僕だって安全ではない。
本当なら、今すぐにでも内側のウォール・ローゼかウォール・シーナに引っ越したいところなんだけど──
残念ながら、そう簡単にはいかない事情がある。
......いや、引っ越そうと思えばいつでもできるんだけどね?
というのも、僕の料理は庶民だけでなく、噂を聞きつけた貴族たちの間でも評判になっているらしい。
実際、これまで何度も専属料理人にならないかと勧誘を受けている。しかも、提示される条件がなかなか魅力的なのだ。
安全な屋敷を用意してくれるのはもちろん、今の店で稼ぐ以上の莫大な報酬を約束してくれる貴族までいる。
その誘いに乗れば、最も安全なウォール・シーナで優雅に暮らすことだって夢ではない。
だけど──僕は、その誘いをすべて断っている。
理由は簡単。
この世界の貴族なんて、ろくなものじゃないからだ。
もちろん、全員が悪人だと決めつけるつもりはない。
ただ、権力者に近づくということは、それだけ面倒な派閥争いや陰謀に巻き込まれる可能性が高くなるということでもある。
見栄の張り合いに利用されたり、他の貴族から逆恨みを買ったり。
最悪の場合、口封じや見せしめで殺されることだってあるだろう。
僕の父親が、たかがチンピラ同士の喧嘩に巻き込まれてあっけなく死んだように。
この世界では、人の命なんて驚くほど軽い。
相手が特権階級の権力者となればなおさらだ。
料理の味付け1つで機嫌を損ねて命を狙われる可能性すらあるなんて、冗談じゃない。
......まあ、僕には巨人の力があるから、本当に殺されそうになったら全力で抵抗するつもりだけどね。それに、身体も鍛えてはいるし。
当然ながら、巨人の力はできることなら人前では使いたくない。
巨人になれる人間だなんて知られたら、即座に憲兵団に捕まって実験場行きになるのは分かりきっている。
少し話が逸れたね。せめて、ウォール・マリアが陥落する正確な年だけでも覚えていればなぁ......
その年だけ店を畳んで、ウォール・ローゼかウォール・シーナへ旅行の名目で避難すればいいだけなのに。
残念ながら、僕の原作知識はそこまで詳しくない。
超大型巨人が壁を破壊することは覚えている。
その後、人類が深刻な食料難と混乱に陥ることも知っている。
だけど、肝心の年号がどうしても思い出せないのだ。
前世で『進撃の巨人』を最後まで追いかけていなかったことが、こんな形で響いてくるとは思わなかった。
いや、年号自体は序盤に出ていたはずだけど、漫画を読んでいるときにいちいち気にしていなかった。
くっ、ライト勢だった故の弊害がこんなところで出ている。
......まあ、思い出せないことを悔やんでも仕方ないか。
とりあえず、今はできる限りお金を稼いでおこう。
『ネットショッピング』の残高を増やしておけば、いざというときに食料や生活用品をいつでも確保できる。
それに、いざとなれば巨人の力だってある。どんな事態になっても生き延びられるように、準備だけは万全にしておかないと。
──そして。
その日は、何の前触れもなく訪れた。
ウォール・マリアが、陥落したのだ。
「......いや、知ってたけどさぁ」
知っていた。
確かに、いつかこの日が来ることは頭では分かっていたんだ。
だけど、実際に直面すると想像以上の地獄絵図だった。
南のシガンシナ区で壁が破壊されたという早馬の報せが届いた頃には、トロール区の街もすっかり大混乱に陥っていた。
血相を変えて逃げ惑う人々。
親とはぐれて泣き叫ぶ子供たち。
荷車に家財道具を積み込みながら、我先にと避難船へ殺到する大人たち。
そして、街の至るところから響いてくる怒号と悲鳴。
......ああ、これが『進撃の巨人』の世界なんだな。
今までは、どこか現実味がなかった。
自分が暮らしている場所が、あの絶望的な漫画の世界だということは理解していた。
だけど、毎日厨房に立って料理を作り、美味しいと笑う客たちと言葉を交わす。
そんな穏やかな日常を続けているうちに、ここが巨人に支配された残酷な世界だということを忘れかけていたのかもしれない。
そんな平和ボケしかけていた僕に、現実は容赦がなかった。
......まったく。
本当に、嫌な世界だよ。
だけど、僕は不謹慎ながらこの混乱を待っていた側面もある。
せっかく転生特典として巨人の力をもらったんだから、本格的な危機が迫る前にしっかりとその能力を把握しておかないといけない。
巨人がここまで侵入してきた。
街中の人間がパニックになって避難していくのを尻目に、僕は人気のない路地裏へと移動し、周囲に誰もいないことを確認してから巨人の力を使ってみることにした。
親指の腹を強く噛み切る。
次の瞬間、激しい閃光と熱風が路地裏を吹き抜けた。
そして──
「......んん?」
巨人化した僕は、自分の身体を見下ろして困惑した。
いや、無事に巨人になれたこと自体はいいんだ。
問題は、その姿である。
まず、思っていたよりもずっと身体が大きい。
目線の高さからして、恐らく15mくらいはあると思う。そして、両手には鋼鉄をも引き裂けそうな鋭い爪と、触ればわかる強靭な顎。
ここまではまだいい。問題は、この両腕だ。
......なんか、鳥の羽みたいになってるんだけど?
いや、どういうこと?
多分、僕が引き継いだ能力は『顎の巨人』で間違いないはずだ。
鋭い爪と牙があるし、顎の巨人らしい特徴はしっかりと備わっている。
だけど、どう考えても体格が大きすぎる。
僕の知っている顎の巨人って、もっと小柄で四足歩行に近い姿をしていたはずなんだけどなぁ。それに、腕全体が巨大な翼のように羽毛で覆われている理由も分からない。
こんな姿の顎の巨人、原作に登場していたっけ?
......いや、待てよ。
僕は『進撃の巨人』を途中までしか追いかけていなかった。九つの巨人の名称や寿命のことも、ネットでネタバレしていた連中の書き込みを流し見したから知っている程度のものだ。
もしかしたら、僕が読むのをやめた後の展開で、顎の巨人がこういう姿に進化した可能性もあるんじゃないだろうか。
うん、きっとそうだ。
そういうことにしておこう。
ここで1人で悩んだところで、正解が出るわけでもないしね。
その後、壁内へ侵入してきた数体の巨人と実際に戦ってみると、鋭い爪は巨人のうなじを紙切れのように切り裂けたし、15mの巨体でありながら想像以上に素早く動くことができた。
初めての巨人化だったから戸惑う部分もあったけど、それでも普通の巨人を相手にする分には圧倒的な強さだ。
......というか、思っていた以上に強いな、この身体。
とにかく、これなら万が一のときも巨人に食われる心配はなさそうだ。
もちろん、無敵というわけではないだろうし、油断するつもりもない。
そうして、僕は立ち昇る蒸気に紛れて巨人の姿から元に戻り、避難民の群れに合流してどうにかウォール・ローゼへと逃げ延びることに成功した。
幸いなことに、事前に対策を取っていたおかげで『ネットショッピング』の残高には一生食べるに困らない程度のお金が残っている。
食料や生活用品については、これから先も困ることはないだろう。
と思っていたら、1つだけ計算外の問題があった。
避難後の僕の扱いについてだ。
ウォール・マリアを失ったことで、数十万人規模の避難民がウォール・ローゼへと押し寄せている。
当然、それだけの人間を養えるだけの食料が壁内に備蓄されているわけではない。そこで、避難民の一部を荒れ地の開拓地へ送る決定を下したらしい。
そして、僕もその対象になってしまった。
......いや、11歳の子供を開拓地送りって、どうなの?
普通、孤児ならもう少し保護してくれたりしない?
まあ、天涯孤独の僕には身元を引き受けてくれる親戚もいないし、仕方ないといえば仕方ない。
それに、開拓地送りも悪いことばかりではない。
僕が覚えている原作の展開が正しければ、ウォール・マリア陥落後には、一部の原作キャラたちも開拓地で生活していたはずだ。
ということは──もしかしたら、原作キャラたちと出会えるんじゃないだろうか?あわよくば、アニとかアニとかアニとか。
......まあ、広い壁内のどこに振り分けられるか分からないし、あんまり期待するのはやめておこうか。
壁を破壊したあの日から、私たちはそれぞれが違う開拓地に送られた。
そして、私が送られた開拓地には、1人の有名人がいたらしい。
──ノア・ヴァイス。
『至高の料理人』
『奇跡の調達屋』
誰かに聞くまでもなく、ヒソヒソと話している人たちの会話から聞こえてきた。
なんでも、トロール区で料理屋を営んでいた11歳の孤児で、貴族すら唸らせる絶品料理を作っていたらしい。
さらに、お金を払えば新鮮な高品質の肉でもどんな道具でも用意できることから、そんな称号がついたのだという。
別に、私が知りたくて調べたわけじゃない。
....私がこいつのことを気にしている理由は1つ。
「今日も疲れたね。アニは大丈夫?体調とか崩してない?」
「......別に」
私に話しかけてくるからだ。
1日の過酷な労働が終わり、西の空が茜色に染まる頃。
周囲と群れるのを避けて木陰に1人で座る私のところに、ノアはやってくる。
私がどれだけ冷たい視線を向けても、素っ気ない返事を繰り返しても、こいつは少しも気にした様子を見せない。
「そっか。でも、あんまり無理しちゃ駄目だよ。アニは周りより真面目に働いてるんだから」
「あんたには関係ないでしょ。私は自分の割り当てをこなしてるだけ」
「あはは、相変わらずつれないなぁ」
苦笑しながら、ノアは当然のように私の隣へと腰を下ろした。
断りもなく距離を詰めてくるその姿に、思わず呆れてしまう。
開拓地に送られた避難民は、誰もが飢えと疲労で荒みきっている。
他人を気遣う余裕なんて誰も持っていないのに、ノアは何を要求するわけでもなく、ただ隣に座っては他愛のない話を始めるのだ。
「本当はさ、毎日頑張ってるアニに僕の作った美味しい料理を差し入れしてあげたいところなんだけどね」
膝を抱える私の横で、ノアが申し訳なさそうに肩をすくめた。
「....あんた、有名なんだね。料理人としても、商人としても」
「あー、アニの耳にも入ってるんだ。周りが勝手に言ってるだけだよ。あ、アニも何か僕に手に入れて欲しいものがあるとか?流石に、今はちょっと難しいかな」
トロール区では独自の仕入れ先があったんだろうが、この開拓地で同じことができるはずもない。
「......別に、あんたに何か頼もうなんて思ってない」
「そっか。なら、今は僕がもらってばっかりだね」
「何もあげてないけど」
「この時間をもらってるよ。僕はアニと話してる時間、けっこう好きなんだ」
さらりと言ってのけるノアの横顔を、私は思わず睨みつけた。
どうせ気まぐれに決まっている。こんな無愛想な女と過ごして、楽しいはずがない。
「......なんで、いつも私なんかに構うの」
「うーん、強いて言うなら、一人でいるアニのことがどうしても放っておけないから、かな」
「は?馬鹿じゃないの......意味が分からない」
「ひどい言われようだなぁ。でも、アニは本気で僕を追い払ったりしないでしょ?」
図星を突かれて、私は言葉に詰まった。
突き放すべきだということは、頭では分かっている。実際、ある程度は突き放してもいるつもりだ。
私は、こいつら壁内の人間から──日常を奪った張本人だ。
ノアがトロール区から逃げることになったのも、この開拓地で泥にまみれているのも、元を辿れば私たちが壁を壊したせいに他ならない。
それなのに、どの面を下げてこれ以上冷たく接することができるだろうか。
「ねえ、アニ。いつかここを出て、安全な場所で暮らせるようになったらさ」
黙り込んだ私に、ノアは穏やかな声で続けた。
「そのときは、アニにお腹いっぱい美味しいものを食べさせてあげるよ。甘いお菓子でもお肉でも、何でも作ってあげるからさ」
「......そんな日、来るわけないでしょ」
「来るよ。そう思って生きてた方が、楽しいじゃん」
まっすぐに私を見つめるノアの瞳には、不思議な温かさが宿っていた。
そう言って微笑む姿を見ていると、胸の奥がじんわりと痛む。
アニ
西地区の名前がわからない。原作で出てない気がする。