「こんばんは。今日も配信を始めていきますね」
いつもの柔らかな声とともに、美月の配信が始まった。
画面には、穏やかな笑顔を浮かべる彼女の姿が映っている。
『こんばんはー!』
『待ってました!』
『今日は何するの?』
『また料理? それともお絵描き?』
次々と流れていくコメントを眺めながら、美月は微笑んだ。
「今日は、少し趣向を変えてみようと思います」
そう言って、ゲーム画面へ切り替える。
映し出されたのは、夜の山道を舞台にしたレースゲームだった。
急なカーブが連続する峠道。
街灯の明かりが遠くに見え、コースの両側には木々が生い茂っている。
画面の中央には、ゲームタイトルが表示されていた。
『峠魂 DREAM RACING』
『おおお!』
『レースゲームだ!』
『美月ちゃんがレースゲーム!?』
『意外なジャンルきたw』
『運転できるのかな?』
「レースゲームは、配信ではやったことがありませんね」
美月はコントローラーを手に取る。
「でも、こういうゲームも好きですよ」
『好きなんだw』
『どれくらいやり込んでるんだろう』
『まさか今回も初見?』
「今日は、初めて遊ぶコースもあります」
その言葉に、コメント欄が少しざわついた。
やがて、美月は対戦相手を選択する。
今回のコースは、山頂から麓まで続く長い峠道。
複数のカーブが連続し、一見すると一本道の過酷なダウンヒルだ。
対戦相手は、ランキング上位に名を連ねるプレイヤーだった。
レース開始のカウントダウンが表示される。
『3』
『2』
『1』
『START!』
二台の車が、同時に走り出した。
序盤は相手が先行する。
美月は慌てることなく、その後ろについていった。
『相手速いな!』
『さすがランキング上位』
『美月ちゃん、追いつける?』
最初のカーブ。
相手の車が滑らかに曲がっていく。
その後ろを、美月の車がぴたりと追いかけた。
そして次のカーブに差しかかった瞬間。
美月の車が、相手の車のすぐ横を抜けていく。
『えっ!?』
『今の抜いた!?』
『ウソだろ!?インに飛び込むスペースなんてなかったぞ!?』
『バックミラーから一瞬で消えたと思ったら横にいる!?』
「ここは、少しだけ道幅が広いですね」
美月は何でもないことのように呟く。
そのまま一つ、また一つとカーブを抜けていく。
しかし、相手も簡単には譲らない。
次の直線で速度を上げ、再び美月の前に出た。
『おお、抜き返した!』
『いい勝負だ!』
『相手も上手いな!』
美月は画面を見つめたまま、わずかに首を傾ける。
「なるほど。こちらの道では、少し分が悪いようですね」
その先に現れたのは、急なヘアピンカーブだった。
前を走る相手の車は、教科書通りのアウト・イン・アウトで減速し、曲がっていく。
だが、美月の車は減速しない。
それどころか、イン側のガードレールが途切れた側溝へ、フロントのイン側のタイヤを意図的に落とし込んだ。
ガガガッ!と激しい衝撃音が響く。
ギャギャギャギャギャ! キィィィィィン!
凄まじいスキッド音とスキール音がスピーカーから炸裂する。
『なっ!?!?』
『曲がってんじゃねえ、インのさらにインを回り込んでやがる!!』
『うわあああ!溝にタイヤを引っ掛けたぞ!!』
『遠心力に負けてねえ!バカな、ありえねえ!!』
『何だあの旋回速度は!!』
遠心力を完全に無視したような超高速コーナリング。
美月の車が、ヘアピンの立ち上がりで相手のすぐ前に飛び出した。
『うわあああ!!』
『逆転したぞ!!』
『あんな場所にショートカットというか、ルートがあったのか!?』
『初見コースって言ってなかったか!?』
『お、おれの常識じゃねえ……何なんだあのハチロク(美月の車)は!』
「地図を見たときに、少し気になったので」
美月は穏やかに答えた。
『気になったからってやれる芸当じゃねえ!!』
『判断が早すぎる!ハチロクの奴と同じだ!』
『相手、完全にパニくってライン乱れてるぞこれ!』
しかし、レースはまだ終わらない。
相手の車が再び狂ったように追い上げてくる。
次の区間は、街灯すらまともにない、完全な暗闇の高速セクションだった。
美月の車が滑るようにコーナーを抜ける。
一度、車体が大きく傾き、タイヤが猛烈な白煙を上げた。
ドシュウウウ!ギャギャギャギャ!
『危ない!!』
『今の大丈夫!?』
『ギリギリすぎる!』
『刺さる!壁に刺さるぞ!!』
けれど、車はコースを外れない。
次の瞬間には、何事もなかったかのように走り続けていた。
「ふふ。少し危なかったですね」
『少し!?』
『今のを少しで済ませるの!?』
『プレッシャーの塊が後ろから来てるのに、心臓に毛でも生えてんのかw』
相手も負けじと追いすがる。
二台の車は、ほとんど並んだ状態で次の区間へ入った。
『並んだ!!』
『ここで勝負か!?』
『どっちが先に抜ける!?』
美月は画面の先を見つめる。
そこには、街灯もほとんどない、暗い連続コーナーが待ち受けていた。
「……あら」
美月の指が、コントローラーのボタンに触れる。
「少し、暗くしてみましょうか」
その瞬間、美月がボタンを押した。
画面の中の車のヘッドライトが、不意に消灯する。
完全な闇。
『は????』
『画面バグった!?』
『いや、ライト消えてるぞ!?』
『何をする気だ!?』
美月の車は、暗闇の中へと姿を消した。
相手の視界から消えた美月の車は、相手が戸惑ってインを空けた一瞬を逃さなかった。
闇の中からインへ飛び込み、コーナーを抜けた瞬間、再びライトを点灯させる。
ギャギャギャッ! キィィィィ!
白い煙を上げながら、美月の車は相手の車よりも遥か前に到達していた。
『うわあああああ!!!』
『ブラインドアタックだ!!!』
『消える魔球かよ!!!』
『ゲームでブラインドアタックやる狂人が実在したww』
『あいつ、バックミラーから姿を消して、相手の精神(メンタル)を完全に潰しにいきやがった!!』
『……珍事だぜ』
「あら、思ったよりうまくいきましたね」
『うまくいきましたね、じゃないw』
『今のブラインドアタックだぞ!?』
『相手の視界から消えて抜くとか、発想がヤバい!』
『見つけた本人が一番冷静なの何!?』
『峠の女王っていうか、峠の死神(モンスター)だろ……』
その後も、美月は相手を寄せつけなかった。
相手が速度を上げれば、さらに引き離す。
追い上げてくれば、次のコーナーで再び突き放す。
まるで、コース全体を把握しているかのような走りだった。
やがて、最後の区間に差しかかる。
ゴールはもう目の前だ。
相手の車が最後の直線で追い上げてくる。
『来た来た来た!!』
『まだ分からないぞ!』
『逃げ切れるか!?』
美月は小さく息を吐いた。
「それでは、最後ですね」
車が最後のカーブを抜ける。
そして――。
『FINISH!』
画面に、美月の勝利を示す表示が現れた。
『勝ったあああ!!』
『おめでとう!!』
『最後まで逃げ切った!』
『いや、逃げ切ったというか終始プレッシャーかけ続けてたw』
『あの二回の『ルート(技)』は反則級w』
『峠の女王じゃん!』
「ありがとうございます。楽しかったですね」
美月はいつもの笑顔でコメントを眺める。
「コースの途中に、思ったより色々な道がありました。見つけるのも面白いですね」
『見つけるのが早すぎるんだよなあ』
『普通は気づかないってw』
『相手の人も相当上手かったのに、完全にハチロク(美月の車)の幻影を追わされてたな』
『美月ちゃん、レースゲームも強いのか……』
『何なら苦手なんだろう』
「そんなことありませんよ。まだまだ知らないゲームもたくさんありますから」
そう言って、美月は次のレースの画面を開いた。
『えっ、もう次!?』
『まだやるの!?』
『今のレースだけでお腹いっぱいなんだけどw』
「せっかくですし、もう一戦だけ」
柔らかな声でそう告げる。
その後も美月は、別のコースでレースを続けた。
どのレースでも、相手の動きを瞬時に見極め、最適なルートを選び続ける。
相手が仕掛けてくれば、それを上回る速さで対応する。
隠されたルートを見つければ、迷うことなく利用する。
やがて、対戦相手たちは美月の走りについていくことさえ難しくなっていった。
『もう追いつけないw』
『反応速度どうなってるんだ!?』
『相手も上手いはずなのに、完全に格が違う!』
『これが初見コースの走りなの!?』
『コイツ、このコースのすべてを知り尽くしてやがる……!』
美月はそんなコメントを眺め、いつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
やがて、配信終了の時間が近づく。
「今日はこの辺りにしておきましょうか。見に来てくださって、ありがとうございました」
『こちらこそ楽しかった!』
『またレースゲームやって!』
『次はもっと難しいコースで!』
『峠の女王、また見たい!』
「ふふ。機会があれば、また遊んでみますね」
美月は笑顔で手を振り、配信を終了した。
画面が暗くなる。
先ほどまでの柔らかな笑顔が消え、部屋には静けさが戻った。
美月はコントローラーを机に置く。
「……なるほど」
今日の配信を思い返す。
視聴者たちは、予想外の走りに驚き、興奮し、互いにコメントを交わしていた。
特に、常識外れの走りを見せた瞬間の反応は面白かった。
同じレースを見ていても、注目する場所は人によって違う。
誰かは速度に驚き、誰かはコーナーでの動きに目を奪われ、誰かは相手との駆け引きに興奮する。
「……ふふ」
美月の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
ゲームの中の勝敗も、画面の向こう側の反応も。
彼女にとっては、どちらも興味深い観察対象だった。
「今日も、楽しい配信でしたね」
誰に聞かせるでもなく呟き、美月は配信機材の電源を落とした。
頭文字D(演出家)