午後八時。
一ノ瀬美月の配信が始まった。
『こんばんはー! 今日も来てくれてありがとうございます』
画面に映るのは、柔らかな笑顔を浮かべた美月の姿。
明るく、優しい声。少しゆったりとした話し方は、いつもと変わらない。
配信開始から間もなく、コメント欄には視聴者からの挨拶が次々と流れていく。
『こんばんは!』
『待ってたよー!』
『今日もかわいい!』
『今日は何するの?』
「ふふ、ありがとうございます。今日はですね、久しぶりにゲームをしようと思います!」
『ゲーム配信きた!』
『何のゲーム?』
『もしかしてFPS?』
「はい。今日はFPSにしようかなって。最近あまりできていなかったので、ちょっと久しぶりです」
『やった!』
『美月ちゃんのFPS好き』
『久々のガチプレイ?』
「ガチプレイって……そんなに期待されると困っちゃいますよ」
美月は困ったように笑った。
しかし、画面にゲームが映し出されると、その雰囲気は少し変わった。
柔らかな表情はそのままなのに、視線が画面の隅々まで行き届くようになる。
ゲームが始まった。
美月は操作を確認しながら、マップを見渡す。
味方の位置、現在の状況、画面に表示される情報。
そして、ゲーム内に響く小さな音。
数秒後。
美月のキャラクターが、ある方向へと向きを変えた。
『ん?』
『どこ行くの?』
『そっち何もなくない?』
「……あ、こっちかな」
美月は何気ない調子で移動する。
直後、ゲーム内に敵の姿が現れた。
美月は素早く反応し、相手を倒す。
『えっ』
『今の分かったの!?』
『見えてた?』
『反応速すぎない?』
「え? ああ、足音が聞こえたので」
じつは足音だけではない。美月の頭の中には、マップの全容と敵の移動速度が完全に叩き込まれていた。
壁の向こう、鉄板の床を一枚踏みしめたわずかな高音。その一音だけで、美月は敵がどのルートを通り、何秒後に自分の射線へ飛び込んでくるかをミリ秒単位で弾き出していたのだ。
『足音!?』
『今の足音で分かったの?』
『自分、全然聞こえなかったんだけど』
『耳どうなってるのw』
「ふふ。ちょっと音がした気がしたんです」
美月は楽しそうに笑う。
その後も、彼女のプレイは視聴者を驚かせ続けた。
画面の端に映ったわずかな変化を見逃さず、状況に応じて判断を変える。味方の動きにも気を配り、危ない場面では無理をせず、落ち着いて立て直していく。
特に目立ったのは、判断の速さだった。
視聴者が状況を理解するよりも早く、美月は次の行動に移っている。
画面右上に一瞬だけ流れた、味方が敵を倒したという通知。相手の残りの人数と、使われたスキルのクールタイム。
美月はそれらを視界の端で捉えた瞬間、すでに敵の背後を取る最短ルートへ走り出していた。
まるで未来を予知しているかのような、無駄のない洗練されたキャラクターコントロール。
『待って待って、今どういう判断したの!?』
『うますぎる』
『本当に久しぶり?』
『普段のふわふわした美月ちゃんはどこへ……』
『別人みたいで草』
「ええっ、別人じゃないですよ?」
美月は少し頬を膨らませるような仕草をした。
「ちゃんと同じ私です!」
『それはそうw』
『でもギャップがすごい』
『おっとり系だと思ってたのに』
『実はめちゃくちゃ強い』
「そんなことないですよ。まだまだですよ」
そう言いながらも、次の試合でも美月は見事なプレイを見せた。
最後にはチームを勝利へ導き、コメント欄は大いに盛り上がった。
『勝ったあああ!』
『MVPおめでとう!』
『これは強い』
『足音だけで位置分かるの本当にすごい』
『大会出てほしい』
「ありがとうございます。みんなと一緒に遊べて楽しかったです」
美月は笑顔でお礼を言った。
「でも、今日はちょっと調子がよかっただけかもしれません。次はこんなに上手くいかないかも」
謙遜するように小首をかしげる。だが、その瞳の奥は一切揺れていない。
美月にとってゲームとは、限られた情報から最適な選択肢を選び出すだけの、単純な確率論に過ぎなかった。
勝つのは当然。外すはずのない弾を当てただけ。
『いやいや』
『謙遜しすぎ!』
『次も期待してる!』
「ふふ。じゃあ、また今度やりましょうね」
*
ゲーム配信を終えた後、美月は飲み物を手にして椅子に座った。
画面には配信終了の表示。
先ほどまで流れていた賑やかなコメントも、今はもうない。
「……楽しかった」
誰に聞かせるでもなく呟く。
配信中の明るい声とは違い、落ち着いた声だった。
美月は机の上に置いてあった端末を手に取る。
配信の感想を確認しようとしたところで、ニュース記事が目に留まった。
長門家に関する記事だった。
古くから続く名家。
その家にまつわる過去の火災。
そして、現在の家族関係について。
美月は記事を開き、静かに目を通していく。
「長門家、ですか……」
画面をスクロールする。
そこには、長門家の人々についての情報がいくつか記されていた。
美月は一度記事を閉じ、しばらく考えるように視線を落とした。
家族という関係は、時に複雑なものになる。
血の繋がり。
過去の出来事。
失ったものへの思い。
そして、それぞれが抱えている秘密。
同じ家に暮らしていても、見ているものも、考えていることも違う。
人間関係というものは、実に興味深い。
「ふふ……」
美月の口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
今度は、どんな人間模様が見られるのだろう。
彼女は再び端末を手に取り、長門家についての情報を確認し始めた。
画面に映る表情は、配信中の明るい笑顔とは少し違っていた。
穏やかで、静かで、それでいてどこか楽しげな表情。
「さて……」
美月は小さく呟く。
「今回は、どんな結末になるのでしょうね」
その声を聞く者は、誰もいない。
部屋には静かな時間が流れていた。