その日の夜。
一ノ瀬美月のチャンネルでは、いつもより少し早い時間から配信の告知が出されていた。
『本日、二十時から歌配信をします!』
普段のゲーム配信や雑談配信とは違う内容に、告知を見た視聴者たちはさっそく反応を寄せていた。
『歌配信!?』
『美月ちゃんの歌、楽しみ!』
『前に少しだけ歌ってたことあったよね』
『今日はどんな曲を歌うんだろう』
そして、二十時。
配信画面が切り替わり、見慣れた少女の姿が映し出された。
「こんばんは。来てくださってありがとうございます!」
いつもと変わらない、明るく柔らかな声。
美月はカメラに向かって小さく手を振った。
「今日は予告していた通り、歌配信です。普段はゲームや雑談が多いので、こういう配信は少し久しぶりですね」
『待ってました!』
『楽しみにしてた!』
『何曲くらい歌う予定?』
「そうですね……何曲か用意してきました。ジャンルも色々なので、最後まで楽しんでもらえたら嬉しいです」
そう言って、美月はマイクの位置を少し調整した。
最初に選んだのは、明るく軽快なポップソングだった。
伴奏が流れ始める。
そして、美月が歌い出した瞬間。
『えっ』
コメント欄の流れが、一瞬だけ止まった。
普段の話し声とは違う、澄んだ伸びやかな歌声。
高音も無理なく響き、軽やかなメロディーに合わせて声が弾む。明るく可愛らしい雰囲気はそのままに、歌としての完成度が驚くほど高かった。
曲が終わると、止まっていたコメント欄が一気に動き出す。
『うっま!!』
『え、想像以上なんだけど!?』
『声めちゃくちゃ綺麗!』
『普通に歌手みたい!』
「ありがとうございます。最初は明るい曲にしてみました」
美月は嬉しそうに微笑む。
「では、次は少し雰囲気を変えてみますね」
次に流れたのは、静かなバラード。
先ほどまでの弾むような声とは違い、今度は柔らかく、包み込むような歌声だった。
一音一音を丁寧に紡ぐような歌い方。高音には透明感があり、静かな部分では息遣いまで表現の一部になっている。
画面の向こうで、視聴者たちは再び驚いていた。
『同じ人の声!?』
『さっきと全然違う!』
『優しい声だなあ……』
『聴き入っちゃった』
曲が終わる。
美月は少しだけ目を伏せ、それからカメラに視線を戻した。
「この曲は、歌詞もメロディーも好きなんです。静かな曲は、歌っていると自然と気持ちが落ち着きますね」
『分かる』
『声が曲に合いすぎてる』
『もう一曲バラード聴きたい!』
「ふふ。では、また後半で歌いますね」
その後も、配信は順調に進んでいった。
三曲目は、低音を生かした落ち着いた曲。
普段の美月からは想像しにくい、少し大人びた声だった。
声の響きが変わるだけで、曲全体の印象まで変わる。
『待って、低音も出るの!?』
『さっきまで可愛い声だったのに!』
『声帯どうなってんの???何人住んでる??』
『ギャップで無事死亡いたしました 推すわ』
『 低音の響き方、骨格からコントロールしてない? プロの犯行だろこれ』
『声紋分析したら別の人間って判定されそうなレベル。凄いですね。』
続く曲では、今度は力強いロック調の歌声を披露した。
伸びやかな高音に、芯のある声。曲の盛り上がりに合わせて歌声にも勢いが増していく。
普段の柔らかな雰囲気からは想像もつかないほど、堂々とした歌い方だった。
『かっこよすぎる!!』
『声量どうなってるの!?』
『この曲まで歌えるの!?』
『本当に何でもできるな……』
さらに、少しハスキーな声で切ない曲を歌ったかと思えば、中性的でクールな声に切り替えて別の曲を歌う。
曲が変わるたびに、声の印象も変わっていく。
それでも、どの歌声にも不自然さはなかった。
単に声色を変えているだけではない。曲に合わせて表情や歌い方まで変化しているのだ。
配信を見ている視聴者たちは、次第に驚きを通り越して感心し始めていた。
『七色の美声ってこういうことか』
『何種類の声を持ってるんだろう』
『どの声も好きすぎる』
『一曲ごとに別の人が歌ってるみたい』
『美月ちゃんの歌枠、定期的にやってほしい!』
「そんなに褒めてもらえると、少し照れますね」
美月は頬に手を添え、困ったように笑った。
「でも、歌うことは本当に好きなので、また機会があればやりたいと思います」
『絶対やって!』
『待ってる!』
『次回も楽しみにしてる!』
「ありがとうございます。では、最後の曲にしましょうか」
最後に選んだのは、穏やかな雰囲気のバラードだった。
今まで披露してきた様々な声とは少し違う。
柔らかく、優しく、どこか懐かしさを感じさせる歌声。
派手な技巧を見せるわけでも、力強く歌い上げるわけでもない。
ただ、自然体で歌うその声は、聴いている人の心に静かに残るようだった。
曲が終わる。
数秒の沈黙の後、コメント欄に感想が流れ始めた。
『最高だった』
『最後の曲、すごく好き』
『ずっと聴いていたい声』
『今日の配信、来てよかった』
『ありがとう、美月ちゃん』
美月は画面を見ながら、穏やかに微笑んだ。
「こちらこそ、最後まで聴いてくださってありがとうございました。皆さんに楽しんでもらえたなら、私も嬉しいです」
少し雑談をした後、美月は配信の終了を告げた。
「それでは、今日はこの辺で。皆さん、ゆっくり休んでくださいね。おやすみなさい」
手を振り、配信画面が暗くなる。
配信終了。
画面から笑顔が消えた。
美月はマイクを置き、椅子の背もたれに身体を預ける。
「声ひとつで、受け取られ方も変わるものですね」
骨格を意識し、呼気の量を微調整し、声帯の震わせ方を変える。
一般人にとっては至難の業とされるそれも、彼女にとっては「呼吸」と同じくらい容易な、単なる技術(ポーカーフェイス)に過ぎない。
警察の尋問を煙に巻くのも、ターゲットを声だけで騙し討ちにするのも、この配信も、地続きの作業だった。
美月は端末を伏せる。
「さて……次は何をしましょうか」
静かな部屋に、独り言だけが落ちた。
その表情には、配信中に見せていた親しみやすい笑顔はない。
けれど、特別に不機嫌というわけでもなかった。
ただ、いつも通りの美月がそこにいる。
そして翌日も、彼女のチャンネルには、昨夜の歌配信を絶賛するコメントが増え続けていた。
こっちが気持ちが楽だな♪