演出家   作:光り輝くダンディー

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第6話 ウォッカの悪夢

 

 

その夜、ウォッカは組織から命じられた取引を終え、帰路についていた。

 

取引そのものは滞りなく終了した。

 

余計な問題も起きず、受け取るものも渡すものも予定通り。あとは報告を済ませて、次の命令を待つだけだった。

 

「ふう……ようやく終わったぜ」

 

ウォッカは小さく息を吐く。

 

隣にはジンはいない。今回はウォッカ一人で済ませるよう命じられていた仕事だった。

 

周囲に人影はない。

 

静かな夜道を進んでいた、その時だった。

 

「こんばんは」

 

不意に、背後から声がした。

 

ウォッカは足を止める。

 

振り返った先にいたのは、一人の少女だった。

 

年齢は若く見える。華奢な身体つきで、どこにでもいそうな普通の少女。

 

暗い場所でなければ、夜道で出会っても特に気に留めなかっただろう。

 

「……誰だ、お前」

 

少女はにこりと微笑んだ。

 

「一ノ瀬美月と申します。もっとも、あなたに名前を覚えていただく必要はありませんけれど」

 

その名前を聞いても、ウォッカには心当たりがなかった。

 

だが、次の言葉で表情が変わる。

 

「先ほどの取引、無事に終わったようですね」

 

「!」

 

「組織からの命令だったのでしょう? 受け渡しの内容も、あなたが何を運んでいたのかも、だいたい把握していますよ」

 

ウォッカの目が細くなる。

 

「てめえ……何者だ?」

 

「ただの見物人です」

 

美月は穏やかに答えた。

 

「以前から、あなた方の組織には興味がありました。特に、幹部として活動している方々が、実際にはどの程度の力を持っているのか」

 

「ふざけやがって……!」

 

ウォッカが警戒を強める。

 

目の前の少女からは、殺気らしいものが感じられない。

 

それがかえって不気味だった。

 

「今日は、あなたに少しお付き合いいただきたいんです」

 

「断る!」

 

ウォッカが動いた。

 

次の瞬間、夜の静寂が破れる。

 

しかし、美月はそこにいなかった。

 

「なっ……!?」

 

ウォッカが目を見開く。

 

少女は、先ほどまで立っていた場所から姿を消していた。

 

少し離れた場所に、彼女はいた。

 

「なるほど」

 

まるで感想を述べるような声だった。

 

「反応は悪くありませんね」

 

ウォッカはすぐに構え直す。

 

相手は少女の姿をしている。だが、普通の人間ではない。

 

そのことだけは理解できた。

 

「くそっ!」

 

再び攻撃を仕掛ける。

 

美月はそれを軽々とかわした。

 

その表情には焦りも緊張もない。

 

むしろ、どこか楽しそうですらあった。

 

「今のは少し惜しかったですね」

 

「黙れ!」

 

ウォッカは周囲に目を配りながら、距離を取ろうとする。

 

だが、美月はゆっくりと歩いてくる。

 

走っているわけでもない。

 

急いでいる様子もない。

 

それなのに、気づけば距離が縮まっていた。

 

「……何なんだ、てめえは」

 

「質問が多いですね」

 

美月が小首を傾げる。

 

「せっかくですから、もう少し楽しませてください」

 

その言葉と同時に、ウォッカは再び攻撃を仕掛けた。

 

今度こそ捉えた。

 

そう思った瞬間、彼女の姿が視界から外れる。

 

そして、手にしていた銃が弾かれた。

 

乾いた音が響き、地面に転がる。

 

「な……」

 

美月の手には、いつの間にか拾われた鉄パイプがあった。

 

彼女はそれを軽く持ち上げる。

 

「これ、使いやすそうですね」

 

「化け物かよ……!」

 

ウォッカの額から冷たい汗が伝う。だが、彼は組織の幹部だ。ただ怯えて終わる男ではない。

 

ウォッカは素早く懐から愛銃のブローニング・ハイパワーを抜き放った。銃口が美月を捉えた刹那、迷わず引き金を引く。

 

ドン、ドン、と夜の闇を切り裂く乾いた銃声。

並の人間なら一瞬で肉塊に変わる至近距離。しかし――銃弾が貫いたのは、美月の残像だけだった。

 

「――っ!?」

 

凄まじい風切り音。

次の瞬間、ウォッカの視界の端から、凄まじい速度で迫る鉄パイプの影が見えた。

 

「くっ!」

 

ウォッカは巨体に似合わぬ敏捷さで上体を逸らし、それを避ける。

直後、彼の耳元を通り抜けた鉄パイプが、背後にあった鉄製のゴミ集積所を直撃した。

 

ズガァァァン!!

 

鼓膜を震わせる爆音が響く。頑丈な亜鉛メッキのボックスが、まるで紙屑のようにひしゃげ、火花を散らして吹き飛んだ。少女の腕力とは到底信じられない、戦車のような破壊力。

 

「(冗談じゃねえ、掠っただけで骨が粉々になるぞ……!)」

 

本能的な恐怖がウォッカの脳裏を支配する。

 

ウォッカは体勢を立て直しながら、牽制のために残りの弾丸を連射した。火線が夜の路地を照らす。美月はそれを、まるで降り注ぐ雨を避けるかのような軽やかなステップで、すべて紙一重でかわしていく。

 

美月の足が地面を蹴るたび、アスファルトにクレーターのようなひび割れが刻まれた。

 

「今度は私からいきますね」

 

鈴を転がすような声が鼓膜に届いた瞬間、美月の姿が消えた。

いや、速すぎて視覚が追いつかない。

 

ガッ!!

 

気づいた時には、ウォッカの腹部に凄まじい衝撃が走っていた。

 

美月の放った痛烈な前蹴りだ。防弾ベスト越しですら、内臓が押し潰されるような激痛。巨漢のウォッカの身体が、信じられないことに数メートルも宙を舞い、地面を激しく転がった。

 

「がはっ……!」

 

口から苦い液が溢れる。

 

受身を取って辛うじて立ち上がったウォッカの目に飛び込んできたのは、追撃のために容赦なく振り下ろされる鉄パイプの質量だった。

 

危ういところで横に転がって避ける。

 

ドガァァァン!!!

 

鉄パイプが叩きつけられたコンクリートの地面が派手に爆ぜ、瓦礫の破片がウォッカの頬をかすめて血を滲ませた。

 

金でも情報でもない。この少女は、ただ純粋な「暴力」と「好奇心」を楽しんでいる。

 

「お、おい……待て!」

 

ウォッカはなりふり構わず、背を向けて全力で走り出した。背後から、楽しげな鈴の音が響く。

 

「あら、もうお帰りですか?」

 

死に物狂いで角を曲がり、入り組んだ路地へと逃げ込む。心臓が早鐘のように鳴り響き、肺が焼けるように熱い。

 

誰もいない行き止まりの通路。壁際で足を止め、荒い呼吸を整えようとした、その時だった。

 

「……はぁ、はぁ……助かった、のか?」

 

静寂が戻ったかと思った空間に、場違いな電子音が不気味に響く。

 

『私、メリーさん』

 

ウォッカの全身の血の気が引く。

 

声はウォッカの端末からではない。コンクリートの壁一枚を隔てた真後ろ――美月が自分のスマホのスピーカー音量を最大にして、わざわざ怪談のセリフを再生し、響かせていたのだ。

 

『今、あなたの後ろにいるの』

 

「――っ!?」

 

直後、鼓膜を破壊せんばかりの轟音が炸裂した。

 

バリィィィン!!!

 

爆薬でも仕掛けられていたかのように、厚いコンクリートの壁が内側から派手に爆破され、無数の尖った瓦礫が散弾銃のように通路へ降り注ぐ。

 

舞い上がる濃い煙と粉塵。その自らが引き起こした破壊の嵐の真ん中から、スカートをなびかせ、一歩、また一歩と優雅に歩み出てくる影があった。

 

「こんばんは」

 

煙の向こう側から現れた美月は、衣服に一切の汚れすらつけず、いつもの柔らかな笑顔を浮かべている。

 

「またお会いしましたね」

 

「う、うわあああっ!!」

 

ウォッカの悲鳴が夜に響いた。

 

「どうして……どうしてそこにいるんだよ!」

 

「どうして、と言われましても」

 

美月は少し困ったように微笑む。

 

「こちらの方が早かったので」

 

ウォッカには意味が分からなかった。

 

壁を壊してまで追いかけてきたというのか。

 

しかも、あの軽い口調で。

 

「さて、続きといきましょうか」

 

「ふざけんなあああっ!!」

 

ウォッカは再び逃げた。

 

それからも、何度も追い詰められた。

 

曲がり角の先に彼女が立っていた時。

 

崩れた壁の向こうから声がした時。

 

背後から、耳元に届くほど近い距離で名前を呼ばれた時。

 

そのたびにウォッカは心臓が止まるような思いをした。

 

美月は決して急いでいるようには見えなかった。

 

むしろ、ウォッカが必死に逃げる様子を眺めているようだった。

 

「ずいぶん足が速いんですね」

 

「うるせえ!」

 

「でも、先ほどより呼吸が乱れていますよ」

 

「黙れっ!」

 

「ふふ。頑張ってください」

 

何が頑張れだ。

 

誰のせいでこうなっていると思っている。

 

ウォッカは心の中で悪態をつきながら、ただ逃げ続けた。

 

そして、ようやく彼女の姿が見えなくなった。

 

今度こそ。

 

今度こそ、本当に逃げ切った。

 

ウォッカは身を隠し、しばらく動けなかった。

 

何度も周囲を確認する。

 

どこにも少女はいない。

 

やがて、遠くから車の音が聞こえた。

 

その音を聞いた時、ようやくウォッカは自分が生きていることを実感した。

 

「……冗談じゃねえ」

 

声がかすれていた。

 

「何なんだ、あの女は……」

 

その後、ウォッカは何とか組織のもとへ戻った。

 

ジンに事情を話すことはできなかった。

 

いや、正確には話したくなかった。

 

壁を壊して現れた少女。

 

鉄パイプを手にしたまま微笑む少女。

 

そして、あの声。

 

『私、メリーさん。今、あなたの後ろにいるの』

 

思い出すだけで、背筋が寒くなる。

 

「おい、ウォッカ」

 

ジンの声に、ウォッカはびくりと肩を跳ねさせた。

 

「な、何ですか、兄貴」

 

「何を怯えている」

 

「べ、別に何でもありません!」

 

ジンは疑わしげにウォッカを見たが、それ以上追及しなかった。

 

ウォッカも詳しく話すつもりはなかった。

 

あんなものを説明して、信じてもらえるとは思えない。

 

それから数日後。

 

ウォッカは、ある癖を身につけていた。

 

壁際を歩く時、無意識にその向こう側を気にする。

 

狭い通路では、何度も後ろを振り返る。

 

壁の向こうから物音がすれば、思わず身体が強張る。

 

そして、誰かが背後に立つだけで、必要以上に驚くようになった。

 

ある日、組織の施設内で壁の向こうから大きな物音がした。

 

「ひっ!?」

 

ウォッカは思わず声を上げた。

 

近くにいた構成員が不思議そうに振り返る。

 

「……どうしたんですか?」

 

「な、何でもねえ!」

 

ウォッカは咳払いをした。

 

しかし、壁からはまだ音が聞こえている。

 

どうしても、あの日の光景が頭から離れなかった。

 

一方、その頃。

 

美月は自宅で、先日の出来事を思い返していた。

 

「……ふふ」

 

小さく笑う。

 

組織の人間。

 

その中でも、ある程度の立場にいるウォッカ。

 

彼がどの程度の実力を持っているのか。

 

実際に確かめてみたかっただけだった。

 

結果は、なかなか興味深いものだった。

 

「思っていたよりも、ずっと素直な反応をしてくれましたね」

 

美月は端末を手に取る。

 

画面には、何事もなかったかのように普段通りの時間が流れている。

 

明るく優しい配信者、一ノ瀬美月。

 

そして、正体不明の国際指名手配犯、演出家。

 

その二つの顔に、矛盾はない。

 

「さて……次は、どなたに興味を持ちましょうか」

 

美月は穏やかに微笑んだ。

 

その頃、ウォッカはまだ知らない。

 

あの夜の出来事が、美月にとってはほんの少し興味を満たしただけの、何でもない遊びだったということを。

 

 





続けるか悩む。普通の配信者にすれば良かった…

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