「それでね、赤い車が急に走り出したんだよ!」
喫茶店の一角で、吉田歩美が身振りを交えながら話していた。
向かいに座る小嶋元太と円谷光彦も、興奮した様子でその話に加わっている。
「オレたち、スケボーで追いかけたんだぜ!」
「でも、途中で車を見失ってしまったんです。工場の前までは確かに追いかけていたのに……」
「それで、しばらくしたらまた出てきたんだよね!」
三人の話を聞いているのは、江戸川コナン。
そして、その隣には一人の女性が座っていた。
一ノ瀬美月。
コナンとは以前から何度か顔を合わせているが、少年探偵団の三人とは今日が初対面だった。
「そうだったんですね。大変でしたね」
美月は歩美に優しく微笑んだ。
「うん。でも、歩美はもう大丈夫だよ!」
「それはよかったです」
「ところで、お姉さんはコナン君のお友達なの?」
歩美が尋ねると、美月は少しだけ目を丸くした。
「ええ。何度かお会いしたことがあるんですよ」
「そうなんだ!」
「初めまして。一ノ瀬美月です」
「吉田歩美です!」
「小嶋元太だ!」
「円谷光彦です!」
三人が順番に自己紹介する。
「よろしくお願いしますね」
美月は穏やかな笑顔で応じた。
「美月さんって、何をしている人なの?」
光彦の質問に、美月は少し考えるようにしてから答えた。
「普段は You Tube で配信をしているんですよ」
「配信?」
「はい。ゲームをしたり、歌を歌ったり、イラストを描いたり。いろいろなことをしています」
「ええっ! お姉さん、You Tube に出てるの!?」
歩美が目を輝かせる。
「そうですよ」
「すげー! ゲームもやるのか?」
元太も身を乗り出した。
「ええ。ゲーム配信もしています」
「どんなゲームをするんですか?」
「いろいろですね。最近は対戦ゲームをすることも多いです」
「へえー!」
三人が楽しそうに質問を続ける。
その一方で、コナンは少し意外そうに美月を見ていた。
(へえ……美月さん、配信者だったんだ)
何度か会っているが、そんな話を聞いたことはなかった。
「コナン君は知らなかったんですか?」
美月がコナンに視線を向ける。
「あ、うん。初めて聞いたよ」
「そうでしたか」
美月はいつも通り、柔らかく微笑んだ。
その後も、少年探偵団は配信について楽しそうに尋ねていた。
けれど、話題はやがて先ほどの出来事へと戻っていく。
「そういえば、コナン君。あの工場で起きた事件はどうなったの?」
歩美が尋ねた。
「工場で起きた事件?」
美月が不思議そうに聞き返す。
「ああ。実は、あの工場で社長さんが殺されていたんだ」
コナンが説明した。
「えっ……?」
美月は少し驚いたように目を見開く。
「赤い車がいなくなった、あの工場でですか?」
「うん。車を見失った場所のすぐ近くだよ」
「そうだったんですね……」
美月は静かに頷いた。
「それで、警察も調べているんだけど、犯人にはアリバイがあるらしいんだ」
コナンが続ける。
「アリバイ?」
「そう。事件が起きた時間、犯人は車を運転していたことになっているんだ。だから、工場で犯行を行う時間はなかったってね」
その話を聞いた美月は、先ほどの少年探偵団の話を思い返した。
「……なるほど」
彼女は紅茶のカップを置いた。
「それにしても、あの赤い車、変だったよな」
元太が腕を組んだ。
「そうですね。あれだけ追いかけていたのに、突然見えなくなってしまったんですから」
光彦も頷く。
「でも、そのあとまた同じ車が出てきたんだよ!」
歩美が言った。
「ナンバープレートも同じだったよね?」
「うん。新宿33、な、33-96だったよ!」
「それで、最後には交番に向かっていったんだよね」
コナンが話を補う。
美月は三人の話を聞きながら、静かに紅茶のカップを置いた。
「少し、聞いてもいいですか?」
「え? なあに?」
歩美が顔を上げる。
「その車を見失ったのは、どのくらいの時間でしたか?」
「えっと……そんなに長くはなかったよ」
「数分程度だったと思います」
光彦が答えた。
「その間、車がどこに行ったのかは分からなかったんですね?」
「うん。工場の前で見えなくなっちゃったんだ」
「その後、同じ車が戻ってきたんですね」
「そうだぜ。だから、ずっと追いかけてたんだ!」
美月は三人の話を聞き終えると、少しだけ視線を落とした。
「……なるほど」
その声は、先ほどまでの柔らかな調子と変わらない。
けれど彼女の脳内では、持ち込まれた『データ』の分析がハイスピードで完了していた。
(面白い。人を追跡させることで、自分の不在(アリバイ)を証明する。それも、見たものをそのまま信じて疑わない『子供』という一番ノイズの少ない観測者を選んだわけですか)
普段、あらゆる犯罪を「人間行動の観察と実験」として楽しんでいる美月にとって、この犯人のアプローチは興味深いサンプルだった。
(だけど、検証が甘いですね。一度見失わせるというバグ(不確定要素)を作った時点で、同じ『器(クルマ)』をすり替えたという仮説は容易に導き出せる。私なら、追跡させている車そのものの外装をリアルタイムで変質させるか、観測者の認知を狂わせる実験を試すところですが……)
美月は心の中で、名も知らぬ犯人の浅いシミュレーションに、少しだけ退屈さを覚えていた。条件設定が雑すぎて、実験としてのクオリティが低い。
「美月さん?」
光彦が不思議そうに声をかける。
美月は顔を上げた。
「いえ。少し気になったことがありまして」
「気になったこと?」
コナンが尋ねる。
「ええ。皆さんが追いかけていた車と、その後に現れた車。本当に同じ車だったのでしょうか?」
「え?」
三人が同時に声を上げた。
コナンの表情も変わる。
「どういうこと?」
「ナンバープレートも、車の色も同じだったんですよね?」
「うん!」
歩美が頷く。
「でも、それだけでは同じ車だとは限りません。外見がそっくりな車を二台用意していたとしたら?」
美月は落ち着いた声で続けた。
「最初の車で皆さんを引きつけ、追跡されている間に別の場所へ移動する。そして、もう一台の車に乗り換えて、何事もなかったように戻ってくる」
「!」
コナンの目がわずかに見開かれた。
「そうすれば、皆さんは犯人がずっと車を運転していたと思いますよね。工場で事件を起こす時間などなかった、と」
美月はカップに手を添えた。
「つまり、皆さんが追跡していたことそのものが、犯人のアリバイ作りに利用されていたのではないでしょうか」
短い沈黙が流れた。
「そ、そんな……!」
光彦が驚きの声を上げる。
「じゃあ、オレたちが追いかけてたのも、犯人の計画だったってことか!?」
元太が声を大きくした。
「そういうことになりますね」
美月は静かに答えた。
コナンは考え込むように俯いていた。
(車が二台……。そうか、最初から同じ車だと思い込んでいたんだ!)
一度見失った車が再び現れた。
それを同じ車だと考えたからこそ、犯人にはアリバイがあるように見えていた。
しかし、もし二台あったのなら。
「美月さん、ちょっと確認したいことがあるんだけど」
コナンが顔を上げる。
「はい?」
「その二台の車、どこかに隠してあったってこと?」
「そう考えるのが自然でしょうね。皆さんが見失った場所の近くに、車を置ける場所があったのではないでしょうか」
「……!」
コナンは椅子から立ち上がった。
「お、おい、コナン!」
元太が驚く。
「ちょっと確認してくる!」
そう言うと、コナンは店を飛び出していった。
「コナン君、どうしたのかな?」
歩美が首を傾げる。
「きっと、何か思いついたんだと思いますよ」
美月は微笑んだ。
けれど、その目はどこか楽しそうだった。
───
しばらくして、事件に進展があった。
コナンが警察とともに工場周辺を調べたところ、隠されていたもう一台の赤いスポーツカーが発見されたのだ。
そして、その車から見つかったのは、少年探偵団のバッジだった。
歩美がはねられた際、車に残されていたものだった。
それが決め手となり、宍戸健一のアリバイ工作は崩れた。
二台の車を使い分け、少年探偵団に追跡させることで、自分が犯行を行う時間はなかったように見せかけていた。
しかし、その計画はコナンたちによって見破られ、事件は解決へと向かった。
───
事件の後。
少年探偵団と美月、そしてコナンは、再び顔を合わせていた。
「すごいね、美月さん!」
歩美が目を輝かせる。
「コナン君より先に分かっちゃったんだもん!」
「いやあ、まさか二台あるとは思わなかったぜ!」
元太も感心した様子だった。
「お話を聞いていただけなのに、あんなことまで分かるなんて……。本当にすごいです!」
光彦も感嘆の声を上げる。
「そんなに褒められると、少し困ってしまいますね」
美月は困ったように微笑んだ。
「でも、コナン君もすぐに気づいてくれましたよ」
「ううん。最初に気づいたのは美月さんだよ」
歩美が言う。
「そうだよ。美月さんの方が一歩早かったよ」
コナンは素直に認めた。
その言葉に、美月は少しだけ目を細めた。
「ふふ。謎が解けると、すっきりしますね」
「美月さんって、いつもあんなふうに推理するの?」
コナンが尋ねる。
「いつも、というわけではありませんよ。ただ、気になることがあると、つい考えてしまうんです」
「へえ……」
コナンは美月を見つめた。
彼女は普段、穏やかで柔らかい雰囲気をまとっている。
けれど、先ほど事件について話していた時の彼女は違った。
限られた情報から、誰も疑っていなかった前提を疑い、犯人の仕掛けを見抜いた。
しかも、それを特別なことのように誇る様子もない。
(美月さんって、思っていた以上に頭が切れるんだな……)
コナンがそんなことを考えていると、美月がこちらを見た。
「コナン君?」
「えっ?」
「どうかしましたか?」
「あ、いや。何でもないよ!」
美月は小さく笑った。
「そうですか」
そして、歩美たちに向き直る。
「今日はお会いできて楽しかったです。また機会があれば、配信も見に来てくださいね」
「うん! 絶対見る!」
「ぼくも見てみたいです!」
「オレも!」
三人は嬉しそうに答えた。
美月はそんな子どもたちに手を振り、その場を後にした。
その背中を、コナンはしばらく見送っていた。
(配信者で、あれだけの推理力もある……か)
彼女について、まだ知らないことは多い。
それが少し気になった。
一方、美月は歩きながら、先ほどの事件を思い返していた。
彼女の口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
(子供を観測者にするというアプローチだけは、良いデータになりました)
あの程度のトリック、彼女が普段行っている『実験』の規模や精度に比べれば、おままごとのようなものだ。
そして何より。
(江戸川コナン君……。こちらが提示した仮説(ノイズ)に、あの場ですぐに食いついて実証に移った)
あの少年は、やはり最高の『観察対象』だ。ただの子供にしては、異常なほど発達した思考回路と行動力を持っている。
美月は楽しそうに目を細めた。
(ふふ……。次に会った時は、どんな反応を見せてくれるのでしょうね)
目の前に現れた興味深い観察対象。せっかく出会えたのだから、もう少し様子を見てみたい。
そう考えながら、彼女は人混みの中へと、まるで最初から存在しなかったかのように綺麗に溶け込んでいった。
基本配信回と交互です。次は格ゲー世界大会の予定。