その日の夜
美月のYou Tube(ユー・チューブ)チャンネルでは、いつもとは少し違った配信が始まろうとしていた。
配信開始時刻になると、画面に大会のロゴが映し出される。
そこに表示されていたのは、世界中の猛者が競い合う格闘ゲームの最高峰。
『路上ファイター9』世界大会(通称:路ファイ9)
そして、その最高峰の舞台に、一ノ瀬美月の名前があった。
普段はゲームや歌、イラストなど、マルチな配信を行っている美月。その中でもゲーム配信は屈指の人気コンテンツだったが、今回はいつもの配信とは違う。
美月自身がカメラに映るのではなく、世界大会の公式ミラー配信として、超満員の会場の熱気と実況席、そして対戦ステージをそのまま画面に映し出しているのだ。
それというのも、美月は事前の国内予選、そして並み居るプロゲーマーたちをなぎ倒した過酷な世界予選を「謎の超新星・MIZUKI」として完全ノーマークから勝ち上がってきたからである。
配信者としての身元を明かしたのは、この本戦決勝トーナメントが決まった直後。その大ニュースに格ゲー界隈は大揺れし、今日の配信は文字通り画面を埋め尽くすほどのコメントが弾幕となって流れ始めていた。
『キタアアアアア!!』
『本当に予選全勝で世界大会の壇上まで来ちゃったよ……』
『最初はガセだと思ってたけど、マジで美月さんだった時の衝撃忘れない』
『プロをボコボコにして勝ち上がってきたの強すぎるて』
『相手、去年の覇者(ウマル)じゃん! 頼むから奇跡を起こしてくれ!』
大会の進行に合わせ、画面には美月の選手紹介が映し出される。
いつもの配信で見せる柔らかな笑顔は一切なく、鋭い眼差しでモニターを凝視する美月。その張り詰めた横顔に、コメント欄のボルテージも一気に跳ね上がった。
『美月さんの目が完全にガチのそれ』
『ガチ恋勢だけど今の真剣な顔は普通にカッコよくて震える』
『緊張でこっちの胃が痛くなってきた』
「ラウンド1、ファイ!」
実況の咆哮とともに、運命のファーストバトルが始まった。
美月が選択したのは、トリッキーな立ち回りが特徴のスピードキャラクター。
序盤から相手のウマルが、代名詞である超攻撃的なラッシュで画面端へと美月を押し込んでいく。
重い打撃の風切り音がスピーカー越しに響くが、美月は落ち着いていた。的確なファジーガードで相手の崩しを拒否し、じりじりと相手のステップの癖、技の硬直を見極めていく。
お互いに一歩も引かない、ミリ単位のドット体力を削り合う攻防。
終盤、美月の体力ゲージは残り1割。相手の放った大技が美月の頭上を襲う。
だが、美月はそれを完璧な「しゃがみ歩き」で潜り抜けた。
『え!? 避けた!?』
『いや今の硬直に差し返すの!?』
『最大コンボ入ったあああああ!!』
『1本目取った! マジかよ!!』
実況席からも、美月のあり得ない反応速度を絶賛する絶叫が響き渡る。
しかし、相手は百戦錬磨の世界王者だ。これで終わるはずがない。
続く2本目。
ウマルは美月のキャラ対策を完全に切り替えてきた。
こちらの牽制技の出始めを潰すような「置き技」を徹底され、美月のステップが次々と潰される。ガードを固めれば容赦ないコマンド投げで体力を吸われ、画面端から脱出できない。
試合開始からわずか20秒。美月は何もさせてもらえないまま、圧倒的なタイムスピードでパーフェクト負けを喫した。
画面に表示される『YOU LOSE』の文字。これで1勝1敗。勝負は泣いても笑っても最終3本目へと持ち込まれた。
『ウマル、修正早すぎだろ……化け物かよ』
『これが世界王者の対応力か』
『一気に流れ持っていかれたな……きついか!?』
『美月さん頼む、耐えてくれ……!』
コメント欄には悲鳴と祈りが入り混じる。
そして、運命の最終ラウンド。
開始直後から、ウマルの猛攻はさらに苛烈さを増していた。美月のすべての選択肢を読んでいるかのように、的確なカウンターが刺さり続ける。
一度距離を取ろうとしても、完璧なラッシュで肉薄され、ガードクラッシュの寸前まで追い詰められる。
画面上の体力ゲージは、ウマルが8割、美月が残り1ドット。
文字通り、あと一発掠っただけで敗北が決まる絶望的な状況。
『あかん、ウマルが強すぎる……』
『ここまで来れただけでも奇跡だったんだ』
『いや、まだだ……まだ美月さんの目は死んでない!』
――誰もが美月の敗北を確信した、その瞬間。
モニターを見つめる美月の脳内は、氷のように冷徹に冴え渡っていた。
(うん、最高の流れですね。ここが一番、みんなが絶望する場面ですね)
誰も知らない。美月にとって、2本目の完敗も、この3本目の圧倒的な劣勢も、すべてはこの瞬間(クライマックス)を最高に美しく魅せるための「演出」に過ぎないということを。
予選の段階で、ウマルの全試合のデータをミリ秒単位で解析し尽くしていた美月にとって、彼の動きはすべてスローモーションのように予測できていた。
あえて攻撃を喰らい、あえて画面端に追い詰められ、極限まで観客の飢餓感を煽る。
すべては、ここから始まる大逆転劇という名の「極上のエンターテインメント」を完成させるための仕込み。
会場の観客も息を呑み、会場全体が不気味なほどの静寂に包まれる。
ウマルが勝利を確信し、ガード不能の超必殺技(クリティカルアーツ)の演出が画面にカットインした。
巨大な炎を纏った拳が、美月のキャラクターに迫る。
その瞬間だった。
ガガガガンッ!!!
激しい金属音が静寂を切り裂いた。
美月のキャラクターが、炎の拳をその場で全て受け流している。
ゲームシステム上、1フレーム(60分の1秒)の猶予しか存在しない伝説の防御技術――『ジャストブロッキング』。それも、多段ヒットする技のすべてを完璧に。
『は??????』
『全段ジャストブロッキング!?!?!?』
『うそでしょ!?!?!?!?』
『神、神、神、神降臨したわ』
驚愕に染まるコメント欄を置き去りに、美月の指先がコントローラーの上を滑る。
技を出し切り、完全に無防備となったウマルのキャラクターに対し、美月は本日最大、一切のミスが許されない超高難度コンボを叩き込んだ。
美月のキャラクターの目が怪しく光り、逆転の超必殺技が炸裂する。
ウマルの体力が、目に見えて消し飛んでいく。
焦ったウマルの苦し紛れの暴れ技を、美月は冷徹なまでの「バックステップ」でスカし、最後の重い一撃を叩き込んだ。
「K.O.!!!」
画面に踊る大文字の勝者表示。
< WINNER ―― MIZUKI ICHINOSE >
一瞬の後、会場が爆発したかのような大歓声に包まれた。実況はマイクが割れるほどの声で「ウソだろーーー!!!」と叫び続けている。
世紀の大逆転。一ノ瀬美月が、世界大会の頂点に君臨した瞬間だった。
『うわあああああああああああああああああああ!!!!』
『鳥肌で皮膚ちぎれるレベル!!!!!』
『鳥肌止まらん!! 涙出てきた!!』
『格ゲー史に残る伝説の逆転劇だろこれ!!!』
『1ドットから捲るとか漫画でもやらねえよ!!!』
『美月さん世界一おめでとう!!! ありがとう!!!』
コメント欄は秒間数千件の祝福と狂乱の言葉で埋め尽くされ、完全に崩壊状態に陥っていた。
画面の向こうでは表彰式が始まり、美月が黄金の優勝トロフィーを掲げている。カメラに向かって少しはにかみながら一礼するその可憐な姿に、再び世界中から万雷の拍手が送られた。
しばらくして、公式映像の配信が終了し、画面がいつもの待機画面へと切り替わる。
暗転した画面を前にしても、リスナーたちの興奮は1ミリも冷めていない。
『まだ心臓バクバクしてる』
『ガチで歴史の目撃者になってしまった』
『本人の感想早く聞きたい……!』
それから数分後。
配信画面が再び切り替わり、美月が画面に映し出された。
先ほどまでの鬼気迫る表情はどこへやら、いつものふわふわとした柔らかな笑顔を浮かべ、カメラに向かってパタパタと手を振っている。
「皆さん、こんばんは。ただいま戻りました」
その声は、いつも通りおっとりとしていて、耳に心地よい穏やかなものだった。
『おかえりいいいいいいい!!!』
『世界王者おかえりなさい!!!』
『神!! マジで感動した!!!』
『あのラストのブロッキング何考えてたの!?』
「ふふ、たくさんのコメント、ありがとうございます」
美月は滝のように流れるコメントを嬉しそうに眺めながら、上品に微笑んだ。
「皆さん、遅い時間まで応援してくださって本当にありがとうございました。皆さんの声援が画面越しに届いたからこそ、最後の最後まで諦めずに戦うことができました」
『こちらこそ家で大絶叫したわ!!』
『ウマルの超必殺技きたとき終わったと思った』
『あの状況でジャスト入力できるメンタルどうなってんの……』
「決勝戦は、本当に強敵でしたね」
美月は少し困ったように頬に手を当てる。
「2本目をあっという間に落とされてしまったときは、頭が真っ白になりそうでした。でも、最後の最後は『格闘ゲームって楽しいな』って思いながら、無心で指を動かしていました。トロフィー、すごく重たいんですよ?」
『格ゲーを楽しんだ結果が世界一かよ、最高だな!』
『無心であのコンボ精度はバケモノ(褒め言葉)』
『本当におめでとう、ゆっくり休んでね!』
「ありがとうございます。今日のこの景色は、きっと一生忘れません。また機会があれば、皆さんと一緒にゲームを楽しみたいですね」
美月はカメラに向かって丁寧に深々と頭を下げた。
その後も、世界中から届くスパチャと祝福の言葉に一つずつ丁寧に応えながら、しばらく穏やかな雑談を続けた。
世界大会優勝という偉業を成し遂げた直後だというのに、彼女はいつもと変わらない、リスナーの隣に寄り添うような配信者であり続けた。
「それでは皆さん、夜も遅いですから、今日はゆっくり休んでくださいね。また次の配信でお会いしましょう。おやすみなさい」
パチン、と配信が終了する。
画面が完全に暗転し、静寂が部屋を支配した。
美月は椅子の背もたれに深く身体を預け、天井を見上げる。
さっきまでカメラに向けていた、聖母のような柔らかな笑顔は、霧のように綺麗に消え去っていた。
「……世界大会、優勝ですか」
冷徹な響きを帯びた声で小さく呟き、テーブルの上のハーブティーを口に含む。
美月は目を細め、先ほどの試合中、そして優勝した瞬間の「画面の向こう側の狂乱」を頭の中で反芻していた。
圧倒的な絶望からの、奇跡的な大逆転。
人間の脳が最も興奮し、感情を爆発させる完璧なシナリオ。
(やはり、人間という生き物は面白いですね)
1ドットまで追い詰められた時の、リスナーたちの「絶望」のコメント。
ジャストブロッキングを成功させた瞬間の、脳髄が痺れるような「驚愕」の叫び。
そして、勝利が決した瞬間の、狂気じみた「歓喜」。
あの瞬間、世界中の何万人、何十万人の人間の感情が、美月の指先一つ、わずか1フレームの操作によって完璧にコントロールされ、激しく揺さぶられていたのだ。
(勝敗の行方が見えなくなった瞬間の、あの空気の歪み……最高のご馳走です)
美月の口元に、妖しく、そして冷酷なまでに美しい笑みが浮かぶ。
世界王者の称号など、彼女にとっては飾りに過ぎない。
彼女が本当に欲していたのは、自分の手によって、大衆の感情が極限まで弄ばれ、爆発するその瞬間を特等席で観察することだった。
「ふふ……」
誰もいない静かな部屋に、美月の愉悦に満ちた笑い声が静かに響く。
やがて彼女はグラスを置き、何事もなかったかのようにPCの画面を見つめ、次の「仕掛け」について考え始めた。
今日もまた、世界中の人々が彼女に熱狂している。
誰もが羨む、世界大会の頂点に立った奇跡の天才配信者として。
その無垢な笑顔の裏にある、歪んだ観察者の顔を知る者は、まだ誰もいない。
ストリップファイターにしたかったけど我慢した…