貞操逆転世界の復讐男 作:曇らせ大好きマン
十年前。
空が裂けて、街が呑まれた日のことを、少年は今でも細部まで覚えている。
十二歳だった。前の人生の記憶を抱えたまま、この世界で十二年を生きた少年は、その日、両親と妹と弟を同時に失った。
化け物と対峙する両親に背を向けて、妹と弟を抱いて走った。どれくらい走ったのだろうか。必死で走ったが手遅れだった。少年の腕の中で妹と弟が侵食で化け物となった。
近くにいた兵士が銃で、妹と弟だったものを撃ち抜き少年を助けてくれた。
少年は泣かなかった。
シェルターの中では自分よりも不幸な人が沢山いたからだ。家族を失っただけではない。手足が無くなり痛みで泣き叫ぶ人、虚な目をした幼子、床に並べられた人たち。
少年は大人だった。
◆
少年が引き取られた先は、TOPSが運営している孤児院だった。
旧都陥落の孤児たちを集めた、白くて清潔な建物。ベッドは固く、食事は薄かったが、最年長の少年は年下の子たちの面倒を見ながら、半年ほどそこで過ごした。
里親が見つかったのは、秋のはじめだった。穏やかな老夫婦で、よく笑う人たちだった。孤児院の先生たちは、良かったわねと目を潤ませて見送ってくれた。
車の窓から、少年は手を振った。
新しい家族ができるのだと、本気で思っていた。
◆
着いた先に、家はなかった。
白い廊下。消毒液の匂い。扉の向こうで、夫婦だったはずの二人は、もう笑っていなかった。
──被験体、確保しました。
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
最初の一週間は、数字を数えていた。針の数。管の数。ベルトが締まる回数。二週間目からは、数えるのをやめた。痛みの種類が多すぎて、数が追いつかなくなったからだ。
投薬。切開。縫合。また投薬。研究員たちは、少年の目を一度も見なかった。見るのは腕、背中、数値の並んだ画面。彼らにとって少年は、人ではなく、番号のついたモルモットだった。
意識の半分を遠くへ飛ばして、頭の中で九九を唱える。そうすれば、壊れずにいられた。
壊れずにいられたことが、のちに彼にとって幸運だったのか不幸だったのか、このときはまだ分からない。
◆
その子たちが来たのは、少年が施設に来て数か月が過ぎた頃だった。
白い部屋の扉が開き、大人に押し込まれるようにして、子どもが七人転がり込んできた。みんな、少年より小さい。そして全員、頭に獣の耳と尻尾があった。シリオンの子どもたちだった。
獅子。狼。熊。猿。鷲。鯱。蛇。
七人は部屋の隅に固まって、少年を睨んだ。毛を逆立てている子もいれば、泣くのをこらえて唇を噛んでいる子もいた。
少年はしゃがんで、目線を合わせた。最初は警戒していた子どもたちだったが、徐々に心の扉を開けていく。年下の面倒を見るのは得意だったのだ。
◆
七人は、驚くほどすぐに少年に懐いた。
夜、実験で身体が痛くて眠れない子がいると、少年はそっと隣に座った。下手な子守唄を小声で歌うが、音程はひどく外れていて、皆んなは毎回それを聞いて肩を震わせて笑いをこらえていた。
食事の時間には、自分のパンを半分ちぎって、いちばん小さい蛇の子に渡した。鷲の子は食べるのが遅くて、いつも最後まで残った。
獅子の子は毎日、少年に勝負を挑んだ。腕相撲。かけっこ。にらめっこ。少年は大人げなく全部勝ち続けたが、ある日、わざと負けた。
胸を張る獅子の子の頭を黙って撫でた。狼の子が、ずるいと言って自分も撫でられに来た。
白い部屋は檻だったが、確かに家族と呼べるものがあった。
◆
実験は、相変わらず続いていた。
呼び出される子どもはいつも一人だった。戻ってくる子は、ぐったりして、泣いたり、吐いたり、何も喋らなかったりした。少年は戻ってきた子の隣に座って何も言わずに抱きしめた。
大人たちの会話を、少年は盗み聞きしていた。「適合率」「定着」「融合」。言葉の意味は分からなかった。ただ、嫌な響きだった。
ある朝。
『被験体、1番。ならびに、0番を実験室へ』
少年は眉をひそめた。これまで、二人同時に呼ばれたことはなかった。
一緒だと無邪気に笑う獅子の子の手を握った。その手は、少し震えていた。
大丈夫だ、と言ってしまってから自分の言葉が空っぽであることに気づいた。
実験室には、手術台が二つ並んでいた。
隣の台に横たわった獅子の子は顔だけこちらに向けて、またあとでねと笑った。
麻酔の匂いが、鼻を刺した。
視界が、白く溶けた。
◆
目を覚ますと、白い部屋だった。
いつもの天井。いつものベッド。身体のどこも痛くなかったことが、逆に恐ろしかった。
鷲と蛇の子が駆け寄ってくる。少年は身体を起こして部屋を見回した。獅子の子がいない。
帰ってきていない、と全員が顔を見合わせた。
その夜、獅子の子は戻らなかった。
誰も口にしなかったけれど、全員が分かっていた。狼の子が空いたベッドの毛布を黙って畳んだ。蛇の子だけが、遅いねと言い続けた。
一週間後。
『被験体、2番。ならびに0番を実験室へ』
少年の背中に冷たいものが走った。狼の子が袖を掴んだ。狼の子は気が強くて、普段は絶対に弱音を吐かなかった。大丈夫だと嘘はつけなかった。少年は膝をついて抱きしめた。
実験室で、狼の子の手を握ったまま、麻酔に落ちた。
目を覚ますと、白い部屋。
そこに狼の子は、いなかった。
◆
同じことが、繰り返された。1番、2番、3番、4番。少年と誰かが呼ばれる。しかし、少年だけが戻ってくる。
鷲の子はいちばん最後に食べ終える子だった。呼ばれる前の日に自分のパンの半分を、少年に渡して笑った。
鯱の子は、泣きながら少年にしがみついて呼ばれていった。歌が大好きであっという間に少年より上手くなった。
誰も、戻らなかった。
最後に残ったのは、蛇の子だった。
白い部屋で二人きり。蛇の子は小さな手で、少年の服の裾を握っていた。
みんなどこにいったの、と聞かれたが少年は何も言えなかった。答えは知っていたが認めたくなかったからだ。
『被験体、7番。ならびに0番を』
こわくないよ、と蛇の子は言ったが、握った手は震えていた。麻酔の前に、蛇の子が小さく囁いた。
──おにいちゃんが、いっしょでよかった。
目を覚ますと、白い部屋は、あまりにも広かった。
少年は、一人になった。
◆
それから何日が過ぎたのか、分からない。
少年は、泣かなかった。叫びもしなかった。ただ、膝を抱えて、七つの空いたベッドを眺めていた。
身体がおかしかった。傷がすぐに塞がる。力が湧いてくる。自分のものではない何かが、身体の奥でざわざわと動いていた。
眠りに落ちたのは、そんな夜だった。
◆
暗い。
何も見えない闇の中に、少年は立っていた。足音がして振り返ると、七つの影が、並んでいた。
獅子。狼。熊。猿。鷲。鯱。蛇。
少年は膝から崩れ落ち、泣いて謝った。
獅子の子が、そっと少年の背に手を回した。小さな腕だった。
狼の子が鼻をすすりながら、生きててよかったと言った。熊が、猿が、鷲が、鯱が、蛇が、順番に少年を抱きしめた。
誰一人として、責めなかった。
それが、少年には何よりも辛かった。
みんなどこへ行ったんだ、と聞いた。
七人は少し悲しそうな顔をした。蛇の子が、少年の胸に指を刺した。
──おにいちゃんの中にいるよ
皆んなの力を使えばここから出られる、と言われたが言葉が詰まった。少年にはもう生きる気が無かったからだ。絶望していた。もう死にたかった。
──まけるな
──がんばれ
──だいじょうぶ
──たのしいよ
──そらはきれい
──またうたって
──いきてほしい
七人は、笑っていた。それでも、その瞳の奥に暗いものがあった。少年にはそれが分かった。身体の奥でざわつくあの感覚。
ホロウへの憎しみ。エーテリアスへの憎しみ。大人たちへの憎しみ。
七人の記憶は、全部、少年の中にあった。
少年は、涙を拭って前を向いた。
それを見た七人は安心したような顔で、闇の中へ消えて行った。
少年は"覚悟"を決めたのだ──
◆
目を開ける。
頭上に、空があった。
白い天井は、なかった。壁も、廊下も、扉も。すべてが砕けて、積み重なって赤色の山になっていた。夜明けの風が、瓦礫の隙間を抜けていく。
そこらじゅうに、かつて研究員だったものが散らばっていた。白衣の切れ端。割れた眼鏡。まだ息をしているモノがいたので踏み潰した。
少年は、瓦礫の頂に立っていた。
自分の手を見る。指先にまだ熱が残っている。何をしたのか記憶は曖昧だった。ただ、身体が覚えていた。皆んなが自分の中で確かに力を貸したことを。
「……ありがとう」
誰にともなく呟いた声は、朝の風に消えた。
白い部屋は、もうどこにもなかった。
少年は瓦礫の山を、一歩ずつ降りていった。
その背中を、七人の小さな温もりが、確かに押していた。
◆
少年が去った後、瓦礫の山に切り裂かれた紙切れが散らばっていた。そこに書かれていたのは──
『讃頌会』
『TOPS』
『実験成功』
『
『ラザル』
◆
おっぱいいっぱい。
「──またか」
「……うぅん」
目が覚めたらおっぱいが、視界いっぱい広がっていた。俺の頭を抱き込むように同じベッドで寝ている、不法侵入者がいる。
この匂い、この柔らかさ、あいつしかいない。こいつまた来やがった。
「起きろ、ジェーン」
「……ん。おはよぉ、ラザル♡」
おはよぉじゃねぇよ。なんだその寝間着は。いわゆるネグリジェという奴ではないか。うっすら、桜色の突起物が見えてるし。けしからん、けしからんぞ。ただでさえ朝はナニが元気なのに、これ以上元気になったらスパーキング(?)しちゃうだろ。これはまずい、早く起こさなくては。
「んー? まだ夜じゃない。二度寝しましょ」
「寝ない。さっさと出ていけ」
「冷たいわねぇ。アタイとあんたの仲じゃない」
「……なら、せめて服はちゃんと着ろ」
「ちゃんと着てるわよ。裸だった時はこっぴどく怒られたから。女の上裸くらいで、あんなに言わなくてもいいじゃない」
そうなのだ。ジェーンはいわゆる裸族だったのだ。たびたび俺の家に不法侵入し風呂を勝手に使い、しまいには裸でうろつく。流石に下は履いていたが、おっぱいは丸出し。その時は思わず叫びそうになったね「おっぱいやめろぉ!!」とな。
この世界の女は裸を見られても動揺しない、とても男らしい(?)。もう勘弁して下さい。
「朝飯食ったら帰れよ。これから用事がある」
「こんな朝から? なにするのよ?」
「ホロウ」
「あんたねぇ…それをアタイの前でよく言えるわね」
こいつが呆れたように見てくるのには理由がある。ジェーンは特務捜査班に所属している治安官、いわゆる警察だ。そして、俺はホロウに違法で侵入し金を稼いでいる犯罪者。自慢ではないが、俺こと『亡霊』はS級賞金首に指定されている、凶悪犯罪者だ。
「──アタイも手伝うわ。ほら包丁貸して」
「邪魔」
「この包丁捌きを見ても、同じことが言えるかしらぁ?」カタカタカタッ
「………」
言えるんだよ。お前が切るたびに、振動でおっぱいがたぷたぷ揺れてるんだわ。見ちゃうだろ。危ないだろ──俺が。ほら見ろ、沸騰した水に指を突っ込んだ。
「〜♪」
ジェーンの鼻歌を聴きながら出会った頃を思い出す。こいつとの出会いはホロウの中だった。いつも通り犯罪者共を血祭りに上げていたら、潜入捜査中のジェーンがいた。その時は事情を知らず槍で貫こうとしたが、おっぱいがぽろりしていたので思わず手を止めてしまったのだ。
その隙に連中の一人が自爆スイッチを押して、アジトが大爆発。咄嗟にジェーンを庇ってしまい、俺は背中が吹き飛んで意識を失った。気がつけばジェーンの隠れ家で寝ていた、というわけだ。
なぜ俺を豚箱に入れなかったと聞いたら、まさかあの『亡霊』が男だと思わなかったし、一応命の恩人だから事情くらいは聞くとかなんとか。
ぼかしつつ事情を話したが、こう見えて正義感が強いジェーンは難色を示した。これはまずいと思った俺は最終手段を使った。
ジェーンをベットに押し倒した。
『頼む。ジェーン。何でもするから見逃してくれ……!』
『な、なんでも……いや、でも……』
『俺には必ず復讐しないといけない相手がいる。その後ならいくらでも罰を受ける。だから頼む、この通りだ』
『……はぁ、わかったわよ。その代わり──』
これには天下の特務捜査班も降参、俺は勝利した。その代償として、俺の家を使うこと、俺の武力を貸すことの二つを約束させられてしまった。また何かあればもみ消してもらおう。渋られたら、何でもすると言ってお願いしたらなんとかなる。
『監視カメラに映った。なんとかしてくれ』
『はぁ? ここアタイでもキツイんだけど?』
『何でもする』
『……貸し一つね』
この女ちょろいぜ。こんな感じで貸しが八個?くらいあるけど全部踏み倒すつもりだ。どうせ俺は十年も生きられないし、借り得だな。
朝飯を食べ終えたし、ホロウに行くか。今日もいっぱい狩るぞ。
「──ご馳走様。じゃあな」
「行ってらっしゃい〜」
「………」
テーブルにおっぱいが乗っている。しかもネグリジェで。俺は何も言わずに出て行った。でも一言だけ言わせてくれ。
おっぱいやめろ。
※
ジェーン視点
ラザルは、別れの言葉を決して言わない。
「──ご馳走様。じゃあな」
「行ってらっしゃい〜」
「………」
返事はない。扉が閉まって、足音が遠ざかっていく。テーブルの向かいには、空になった皿と、少しだけずれた椅子が残っていた。さっきまで彼が座っていた場所だ。
アタイは頬杖をついたまま、それをしばらく眺めていた。
「……また言わなかったわね」
行ってきます、とも。またね、とも。
彼にとっては、ただの挨拶なんだろう。 でも、アタイにはわかる。あれは、帰ってこない可能性を最初から考えている人間の言葉だ。
「困った男だわ、本当に」
軽く笑って、皿を重ねる。いつもの調子で、いつもの声で。そうやって誤魔化すのは得意だ。
正直に言うと、最初は彼が怖かった。
S級賞金首。『亡霊』。数え切れない犯罪歴。どれだけ斬られても塞がる傷。何を考えているのか分からない無表情と、人を殺すのに迷いのない目。何より、自分の命をまるで消耗品みたいに扱う戦い方が、同じ人間とは思えなかった。
一度だけ、こっそり彼の血を調べたことがある。
結果は、笑えるくらい非常識だった。既存のどの血液型にも当てはまらない。DNAは、いくつもの生き物の情報を無理やり混ぜたみたいな、歪な構造をしていた。
調べれば調べるほど、底が見えなくなった。
特務捜査班の権限を使っても、辿り着けなかった。あの体の奥には、踏み込んではいけない深い闇があるのだと思う。
治安官のアタイが、あんな化け物と同じ部屋にいていいのか、と思ったこともある。
それなのに、どうしてだろう。彼を好きになったのは──
アタイが料理を失敗したときは、黙って食べ切った。重い荷物を持っていれば、何も言わずに先に持っていった。口では「邪魔だ」「帰れ」と冷たいくせに、結局は誰かを助けてしまうお人好し。
何でもない優しさ、そういうところを全部覚えている。知ってしまった、深い闇の中に暖かな光があることを。
「……アタイに隠し事なんて、無駄よ?」
誰もいない部屋で、独り言を言ってみる。当然、返事はない。
悔しい、のだと思う。寂しい、のかもしれない。 頼ってほしい。少しくらい弱いところを見せてほしい、一人で全部抱えようとしないでほしい。
それに、あの男はアタシの貸しを踏み倒す気だ。
何でもすると言った貸しが十五個あることも、ちゃんと覚えている。「この女ちょろいな」なんてことを考えているのも、全部お見通しだ。
「……ふざけないでよね」
洗い物の水音に紛れて、声が少し震えた。
貸しは、きっちり返してもらう。返してもらうまでは、絶対に死なせない。
……いえ、返してもらったあとだって、死なせるつもりなんてない。
アタイは治安官で、彼は犯罪者だ。本当なら、見逃していること自体が間違いなのも分かっている。その後ろめたさはある。
でも、それ以上に──彼の隣にいたい。
「……まったく」
濡れた手を拭いて、彼が座っていた椅子を、ほんの少しだけ元の位置に戻した。
いつも通りの朝といつも通りの別れ。でも、それをずっと当たり前だなんて、アタイは思いたくない。近い未来で終わりはやってくる。
「………」
胸の奥ではもう決めていた。
アタイが絶対に死なせない。治安官として、そして、一人の女として。
そして、いつか──
「……行ってきます、って、言わせてあげる」
絶対に逃さないんだから。