神殺しは魔法界でも誰にも従わない   作:ちじさん

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第9話 狩人の死角

第9話 狩人の死角

 

 鬼太郎は左手の炎を、床へ落とした。

 

 油の染みを伝い、細い火が機械室へ走る。廊下へ伏せてくる煙を見ながら、鬼太郎は頭上へ手を向けた。

 

「火を出せば、自分も焼けるぞ」

 

 階段の上で、ニコラが言った。

 

「その前に、少し場所を変えていただきたいのですが」

 

 錆びた足場の端には、金属の留め具があった。支えの一本が腐食し、配管の脇へ斜めに伸びている。

 

「アギ」

 

 火球が留め具へ当たり、赤い炎が包んだ。

 

 鬼太郎が狙う先を見て、ニコラの靴が動いた。

 

「建物ごと落とす気か」

 

「足場だけで結構ですよ」

 

 熱を受けた金属が鳴る。床を伝った火も、その下へ近づいていた。

 

 銃声がした。

 

 鬼太郎は手を引き、床へ伏せた。直前まで左腕のあった場所を弾が通り、配管が鳴る。

 

 伏せたまま、右手の〈シュライク〉を上げた。

 

 赤く照らされた留め具へ、一発。

 

 火花が散り、腐食していた固定具が跳ねて外れた。足場が傾いて配管へぶつかる。

 

 ニコラは崩れきる前に、機械室側へ走った。

 

 鬼太郎は、その足音を聞いた。

 

 次に、階段手前の糸を留める固定具を撃った。糸が跳ね、階段の上で何かが弾けた。

 

 金属片が壁から飛び出す。

 

 鬼太郎は最後の破片が落ちるまで待ち、階段へ走った。

 

 肩を動かすたび、左腕が痛んだ。手を身体へ寄せ、右手の銃だけを前へ向ける。

 

 上まであと少しというところで、煙の向こうが光った。

 

 鬼太郎は脇の踊り場へ身体を投げた。

 

 上着の脇を弾丸が裂き、皮膚へ熱が走った。左肩から床へ落ち、巻いた布の内側で傷が引かれる。

 

 倒れたまま、一発撃った。

 

 金属が鳴った。当たっていない。

 

 鬼太郎は身を低くしたまま階段を下り、発電機の陰へ転がり込んだ。先ほどいた踊り場を、ニコラの弾が叩く。

 

 その直後、頭上で大きな音がした。

 

 片側の支えを失った足場が、重みに耐えられず折れた。板と手すりが落ち、機械室へ錆と埃を降らせた。

 

 向こう側で、短く息をのむ声がした。

 

「生きていますか?」

 

 鬼太郎は、発電機へ背を寄せたまま尋ねた。

 

「確かめに来い」

 

「お元気そうですね」

 

 床近くの隙間から見ると、崩れた足場の下に長銃が挟まっていた。その横で、ニコラが柱につかまって立っている。

 

 右脚から血が流れていた。

 

 それでも、拳銃は鬼太郎が出てくる場所へ向けられている。取れなくなった長銃を見ようともしなかった。

 

「遠くから撃てなくなりましたね」

 

「お前も両手では撃てない」

 

 鬼太郎は左腕の布を見た。血が染み出し、肘へ伝っている。

 

「お互いに、不便になりました」

 

「同じだと思うか」

 

「いいえ」

 

 鬼太郎は、煙の向こうの銃口を見た。

 

「まだ、あなたの方が上手そうです」

 

     ◆

 

 床の油が燃え、煙が機械室へ満ちていた。

 

 鬼太郎は発電機の陰を移る。顔を出したつもりのない場所を、銃弾が削った。

 

 足音だけで読まれている。

 

 自分の歩幅が短い。移動の間隔も一定になりやすい。ニコラは姿を見ずに、次に出る場所を待っている。

 

 鬼太郎は途中で止まり、右手の銃を下ろした。

 

 煙の向こうで、靴底が金属を擦る。続いて、少し遅れた足音。さきほどの崩落で傷めた右脚をかばっているのだ。

 

 音が近づく。

 

 小さな金属片が左へ転がってきた。鬼太郎はそちらへ銃口を動かしかけ、止めた。

 

 音を出したところへ、相手がいるとは限らない。

 

 先ほど自分が試したことを、向こうも知っている。

 

 反対側で煙が揺れる。

 

 鬼太郎は一発撃ち、すぐに引いた。返ってきた弾が発電機を叩く。足音が、一度だけ乱れた。

 

「当たりましたか?」

 

「見に来い」

 

 声にはまだ余裕がある。

 

 鬼太郎は弾数を思い返した。余分に撃てるほど残っていない。左腕を動かせば傷が開き、弾を交換する時間もかかる。

 

 何より、これ以上ここにいれば煙で息ができなくなる。

 

 床の細長い金属片を、靴の先で押した。軽い音が発電機の向こうへ転がっていく。

 

 その音に合わせ、自分は逆へ動く。

 

 煙の薄いところに、ニコラの姿が見えた。

 

 プリンパは、相手の見たいものをこちらが選べる魔法ではない。製材所でも、混乱した男は鬼太郎へ撃ってきた。

 

 だが、ニコラは一度、この力に惑わされている。

 

 次は何を信じるだろう。

 

 鬼太郎は左手を上げた。上腕の傷が引きつれる。

 

「プリンパ」

 

 ニコラの銃口が、鬼太郎を捉える。

 

 すぐには撃たなかった。

 

 目の前の子供が、本当にそこにいるのか疑っている。

 

 金属片が、発電機へ当たった。

 

 乾いた音。

 

 ニコラが反射的に銃を向け、一発撃つ。

 

 その瞬間に、自分の失敗へ気づいたらしい。銃口が戻ってきた。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を上げる。

 

 二つの銃声が、ほとんど重なった。

 

 頬へ、熱。

 

 血が耳の横を流れる。ニコラの弾は、皮膚を浅く削っていた。

 

 向かいでは男の右腕が跳ね、拳銃が床へ落ちる。鬼太郎の弾は前腕へ入っていた。

 

 ニコラは落とした銃を拾わず、左手を腰へ回した。

 

 ナイフが抜かれる。

 

 鬼太郎は後ずさりした。

 

 背中が発電機へ当たった。

 

     ◆

 

 ニコラは声を上げず、右脚を引きずりながら近づいた。

 

 鬼太郎の左腕は使いづらい。右手だけの銃は、長く狙えば揺れる。弾を替える時間も与えなければよい。

 

 相手は、そこまで見ている。

 

 鬼太郎は銃を向けたまま待った。

 

 指を伸ばせば届きそうな距離でも、手を出せば負ける。左腕を上げてナイフを受けることはできず、右手をつかまれれば銃も使えない。

 

 避ける方向を探したが、発電機の角へ肩が当たった。

 

 喉が乾いていた。息を吸うと煙で咳が出そうになり、唇を閉じた。相手の左手が動くのを、視線だけで追い続けた。

 

 ニコラの左手が横へ動き、途中で切っ先が下を向いた。

 

 腹を狙っている。

 

 鬼太郎は横へ逃げなかった。狙いを追って動かせるほど、右腕に余裕はない。

 

 男が確実に届く距離へ来るのを待った。

 

 一歩。

 

 傷ついた右脚が床へつき、身体がわずかに沈む。

 

 そのとき、鬼太郎は銃口を上げた。

 

 ナイフが上着へ触れた。

 

 一発目が、ニコラの胸へ入った。

 

 男の身体が止まる。

 

 鬼太郎は離さず、二発目を撃った。

 

 ニコラが膝をついた。ナイフは、まだ手から落ちなかった。

 

「お前は……何者だ」

 

 血の混じる声で尋ねた。

 

「墓場鬼太郎です」

 

 鬼太郎は銃を向け続けた。

 

「賞金稼ぎをしています」

 

 ニコラの目が、銃から鬼太郎の顔へ動いた。

 

 驚いた様子はなかった。

 

「次は……もっと遠くから撃て」

 

「ええ」

 

 鬼太郎は、銃口を胸へ定め直した。

 

「次に活かします」

 

 最後の銃声が、機械室へ響いた。

 

     ◆

 

 ニコラが倒れても、すぐには近づかなかった。

 

 ナイフは手に残っている。拳銃は離れた床の上にあった。

 

 金属片を脚へ投げても、反応はない。手へ当てても、指は動かなかった。

 

 鬼太郎は身体の周りに糸や針金がないことを確かめ、ナイフを足で遠ざけた。

 

 脈はなかった。

 

 上着を切って右肩を見ると、古い銃創があった。顔も、写真と同じだった。

 

 依頼の相手で間違いない。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を収めようとして、手を止めた。裾が引っかかり、左手で払おうとすると傷が引きつれる。

 

 銃を落とさないように、先に右手で服をずらした。留め具をかけるだけの動作が、出発前とは違うほど長くかかった。

 

 立ち上がろうとして、また左腕が痛んだ。

 

 鬼太郎は息を吐き、発電機へ肩を預けた。頬も脇腹も熱く、布の下では腕が脈打っている。

 

 勝った。

 

 それでも、正面から歩けば撃たれ、罠を避ければ別の道へ誘われた。プリンパを受けた相手が、こちらの足音を待つことも知った。

 

 知らないことを、何度も突きつけられた。

 

 鬼太郎は、倒れたニコラを見た。

 

 口元が、勝手に緩んだ。

 

「久々に、血が滾る戦いでした」

 

 口に出してから、その言葉の違和感に気づいた。

 

 久々。

 

 今世では、これほどの相手と戦ったことはない。

 

 なのに傷の痛みより先に、懐かしい喜びが込み上げている。相手が何をするかを読んで、読み違え、さらにその上を行く一手を探す。勝つためだけではない。まだ見たことのない次の一手が、どうしても見たかった。

 

 赤黒い空がよぎった。

 

 青い装束の人影が、目の前で剣を構えている。

 

 鬼太郎は笑っていた。

 

 景色が変わる。

 

 今度は同じ男が、隣に立っていた。鬼太郎が前へ出れば退路を守り、相手が斬り込めば、その死角を埋める。

 

 敵だった。

 

 共に戦った者でもあった。

 

 名を呼ぼうとした。しかし、思い出せない。

 

 煙の立つ機械室へ、視界が戻る。

 

 鬼太郎は血に濡れた手を見た。

 

 奪われたくないから強くなる。それだけなら、逃げる相手を追わずに済んだはずだ。

 

 それでも鬼太郎は、相手の次の一手を見たいと思う。自分の命が危うくなるほど、目が離せない。

 

「失くしたものは、力だけではないようですね」

 

 鬼太郎はニコラへ、もう一度視線を戻した。

 

「楽しかったですよ」

 

 返事はなかった。

 

     ◆

 

 壁際の消火箱に残っていた砂で、床に広がる火を覆った。炎が弱まったのを確かめ、鬼太郎は機械室を出た。足場の下の長銃は諦めた。砂を運ぶだけでも、左腕の布に血が滲んでいた。

 

 奥の管理室には、もう一人の死体があった。開いた窓へ向かって倒れ、背中を撃たれている。窓の外には縄が下がっていた。

 

 逃げ道に見えたのだろう。

 

 鬼太郎も、入るときには排水口を選んだ。そこを待ち伏せされていれば、今ここに倒れていたのは自分だったかもしれない。

 

 死体には近づかず、来た道を戻った。安全を確かめた場所にだけ、目印を残していく。

 

 石柱の近くで待っていた老人は、鬼太郎の腕を見て銃を下げた。

 

「ペトロフは?」

 

「機械室です。目印のあるところだけ通ってください。罠が残っています」

 

 老人は案内された先で顔と右肩の傷を確かめると、ようやくうなずいた。そのまま鬼太郎を、町の裏通りにある診療所へ連れていった。

 

 医者は傷の理由を聞かなかった。左腕の布を切り、麻酔をして針を通した。

 

「痛くないのか」

 

 動かずにいる鬼太郎へ、医者が尋ねた。

 

「痛いですよ」

 

「だったら、少しくらい顔に出せ」

 

「出せば、早く終わりますか?」

 

「終わらん」

 

「では、そのままお願いします」

 

 糸を結び終えた医者に腕を上げるなと釘を刺され、鬼太郎は右手だけで上着を着た。袖を通すだけで傷が引かれた。

 

     ◆

 

 買い手の事務所では、報酬が用意されていた。

 

 鬼太郎は左腕を吊り、右手だけで金を数えた。約束された額がある。

 

「ペトロフの銃は?」

 

「置いてきました」

 

「売れば金になった」

 

「取り出すために傷を開く方が、高くつきそうでしたので」

 

 買い手は、鬼太郎の腕を見た。

 

 金を鞄へ収めると、扉が開いた。入ってきたイリーナが、こちらを見て足を止める。

 

「何をした」

 

「仕事をしてきました」

 

「それは見れば分かる。その状態で検問を通る気か?」

 

 鬼太郎は頬へ手を触れかけ、やめた。

 

「転んだことにしますか?」

 

「転んで腕を縫う子供がいるか」

 

「崖からでしたら、ありそうですが」

 

「余計な話を増やすな。傷が塞がるまで待つ」

 

 鬼太郎は、素直にうなずいた。

 

 買い手が机へ地図を広げた。

 

 国境から、その先へ。線は何人もの手を渡り、海の向こうへ続いている。

 

「足りなかった金は埋まった。次は国を出る話だ」

 

 鬼太郎は英国の位置へ指を置いた。父へ貸すはずだった本は、今も鞄の底にある。

 

 その国へ行けば、父が知っていた魔法のことを調べられるかもしれない。

 

 発電所で見えた青い人影の名は、まだ出てこない。無理に思い出そうとしても、傷んだ頭が重くなるだけだった。

 

 鬼太郎は地図へ目を戻した。

 

 父と母がいた家から、随分と遠くまで来た。

 

 だが、海の向こうで何が待っているかは、まだ分からない。

 

「お聞きします。どちらへ向かえばよいのでしょう?」

 

第1章「灰の向こう、西へ」完

 

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