神殺しは魔法界でも誰にも従わない   作:ちじさん

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第14話 見たはずの男

第14話 見たはずの男

 

 「見つけた」と言う者は、五人。

 

 だが誰一人、サイラス・ウォードを捕まえられなかった。

 

 灰色の外套の依頼人が語った話を聞き、鬼太郎は机の上の似顔絵を見つめた。

 

     ◆

 

 数時間前、鬼太郎はいつもの買い手と、依頼書の一行を巡っていた。

 

「これは、品物だけ戻せばよいという意味ですか?」

 

 買い手は紙を覗き込んだ。

 

「持って逃げた奴も一緒だ」

 

「では、そちらは別に書いてください」

 

「前なら、俺が読み終えるまで待っていたのにな」

 

 鬼太郎は紙を戻した。短い依頼なら、今は自分でも意味を追える。だが、知っている単語が並んでいても、組み合わせると違う意味になることがあった。

 

「分からないまま運んで、あとから足りないと言われる方が困ります」

 

 買い手は別の紙を出し、人物の引き渡しと回収品を分けて書いた。

 

 報酬も、生きて連れてくる場合と、死んでいた場合で違う。鬼太郎は二つの額を見て、品物の不足があればどうなるかを尋ねた。

 

 英国へ来て、およそ五か月が過ぎていた。

 

 依頼を選び、知らされていない危険には追加の情報を求める。エレノアから二度目の指名が届いたときも、専属の誘いだけは断った。仕事のない日は本と辞書を開き、覚えた言葉を街へ出て確かめた。

 

 初めて来た頃、看板を読み終えるより早く車が通り過ぎた国だ。今では市場への道を地図なしで歩けるし、受領書の短い文なら買い手の助けを借りずに読める。

 

 読める言葉は増えた。それでも、紙に書かれていない危険を見抜けるとは限らない。

 

     ◆

 

 身体が変わったことには、銃を握ったときに気づいた。

 

 〈シュライク〉が小さくなったわけではない。部品を外して拭き、組み直しても、いつもどおり動いた。

 

 だが、指の当たる場所が違う。

 

 鬼太郎は部屋の中で弾を抜いた銃を構え、握り直した。左手を添えると、右手だけのときより揺れは小さくなる。縫った腕の傷は、もうその動作では痛まなかった。

 

 その左手を離す。

 

 照準が僅かに動いた。

 

 炎を放つなら、この状態から相手へ手を向ける。銃へ戻せば、もう一度狙いをつけなければならない。

 

 鬼太郎は何度か切り替え、肩が疲れる前に下ろした。

 

 ペタルからは、手に合わなくなった銃を構えだけで誤魔化すなと言われている。今はまだ握れるが、前と同じ場所へ指を置こうとすれば、余計な力が入った。

 

 次に会えば、この手も測り直すのだろう。

 

 鬼太郎は銃を布で拭き、点検を終えた。

 

 昼に食事へ出ると、店の前にいた二人の男が、こちらを見て話をやめた。

 

 一人の目が上着の下へ落ちる。

 

 鬼太郎が通り過ぎてから、小さな殺し屋だ、という声が聞こえた。その先では、弾丸が当たらない子供だとも言っている。

 

 睨むだけで人を焼き、一晩に十人殺したとも言われている。使った弾より、噂の中で死んだ人間の方が多かった。

 

 鬼太郎は訂正せずに通り過ぎた。手を出す者が減るなら、真実を教える必要もない。

 

 店へ入ると、窓際の空席を通り過ぎ、入口の見える奥の席へ座った。

 

 食事を終えて戻る頃、雨が降り始めた。

 

     ◆

 

 灰色の外套の男が、事務所で待っていた。

 

 帽子と革の手袋をつけている。鬼太郎を見ると、壁際の部下ではなく、買い手の方へ顔を向けた。

 

「こいつか」

 

 買い手がうなずくと、男はもう一度鬼太郎を見た。

 

「噂より小さいな」

 

「でしたら、別の方へ頼まれますか?」

 

「いや。普通の連中では捕まらん。普通じゃないガキへ頼むために来た」

 

 男はハロルド・ベケットと名乗った。

 

 古い品や宝石を扱うと、買い手が付け加えた。持ち主がはっきりしない品も買うらしい。

 

 ベケットは帽子を脱ぎ、机へ二枚の紙を置いた。

 

 鬼太郎は先ほどの依頼書を脇へ寄せた。取り戻す物だけが問題なら、ここへ来る依頼人も珍しくない。だが、普通の者では捕まらないという相手は、まだ見たことがなかった。

 

 片方には、頬の痩せた男の顔が描かれている。

 

「サイラス・ウォード。古書や銀器を集める男だ。俺のところから、宝石の袋と黒い帳簿を持って逃げた」

 

「帳簿には、何が?」

 

「相手の名と支払いの記録。売られれば、袋の中身より高くつく」

 

 鬼太郎はもう一枚を見た。住所が三つある。読めない地名を買い手へ示し、音を確かめた。

 

「このどれかに、いるのですか?」

 

「いた。今いるかは分からん」

 

「追っていた方は?」

 

「見つけた。何度もな」

 

 ベケットは革の手袋を片方ずつ外した。

 

「それなのに、捕まえてはいない」

 

 鬼太郎が黙って続きを待つと、男は手袋を帽子の上へ置いた。

 

「路地の奥へ追い詰めた。高い壁があって、後ろは三人が塞いでいた。だが、次の瞬間には消えていたそうだ」

 

「どなたかが、目を離したのでは?」

 

「二人は、見ていたと言う。残りの一人は、よく覚えていない」

 

「壁は調べましたか?」

 

「調べた。隠し戸も穴もなかった。別の場所では、鍵を掛けた部屋からも消えた」

 

 ベケットが机へ指を置いた。

 

「窓と廊下に人を立たせていたんだぞ。破裂するような音がして、中を見たら、いない」

 

 鬼太郎は似顔絵から目を上げた。

 

「同じ方が見たお話ですか?」

 

「違う奴らだ」

 

「では、見ていた方々へ別々に話を伺わせてください。同じお話を、同じ順番で覚えていらっしゃるとは限りませんから」

 

 ベケットの目が細くなった。

 

「俺の説明では足りないか」

 

「あなたが見たものではありませんから」

 

 鬼太郎は似顔絵と住所の紙を並べた。

 

「先に、お話を伺います。仕事をお受けするかは、そのあとに決めましょう」

 

 買い手が口を挟みかけたが、ベケットは片手で止めた。

 

「いいだろう。どうせ、連れてきても言い訳ばかりする連中だ」

 

     ◆

 

 最初の男は、右腕を吊っていた。

 

 鬼太郎が椅子へ座ると、男は薄く笑い、それからベケットへ目を向けた。依頼人は部屋の外へ出されたので、もうそこにはいない。

 

「あんたが見たことを聞かせてください」

 

「あいつへ手を伸ばした。そしたら、後ろへ飛ばされた」

 

 男は左手で、自分の座る椅子より後ろを示した。

 

「壁へぶつかって、腕がこんなになった」

 

「殴られましたか?」

 

「触ってもいねえ」

 

「ウォードさんは、何をしていたのです?」

 

「腕を振った。俺が掴む前にな」

 

 鬼太郎はその動作を左手でしてもらった。男は肘を上げ、こちらへ手を向ける。

 

「何か持っていましたか?」

 

「何も」

 

 即座に答えたあと、男は自分の手を見た。

 

「いや、細い何かがあったかもしれねえ。棒みたいなものだ。暗くて、よくは見えなかった」

 

 鬼太郎は顔を上げたまま、続きを待った。

 

「何か叫んだ気もする。短い言葉だった。だが、腕を折ったあとのことまで覚えていられるかよ」

 

「では、触られていないことと、相手が腕を向けたことは、確かですね」

 

 男はうなずいた。細い棒を持っていたと、もう一度言わせることはしなかった。

 

 二人目の男は、右手へ包帯を巻いていた。

 

 こちらは拳銃を向けたところで、銃だけが手から飛んだという。

 

「撃たれたのですか?」

 

「違う。糸か何かで引かれたんだ。あんな飛び方をするはずがない」

 

 鬼太郎は包帯を見た。撃たれた傷ではない。銃そのものが、手から無理に引き剥がされたらしい。

 

「糸を見ましたか?」

 

「顔を見てた。撃とうとしてたんだぞ」

 

 相手の手元を尋ねても、男は首を振った。鬼太郎は紙へ、銃が飛んだ向きだけを書き留めた。

 

     ◆

 

 三人目は、壁の前でウォードを見失った男だった。

 

 椅子へ座る前から、何度も壁の話をした。高い煉瓦の壁で、飛び越えることはできない。両側には扉もなく、引き返すなら自分たちの横を通るしかなかったという。

 

「壁の中へ入るところを見たのですか?」

 

「そうとしか思えない。隠し戸か、地面が開いたんだ」

 

「開くところを?」

 

 男は口を閉じた。

 

「音は聞いた。破裂するような、乾いた音だ。それで、いなくなった」

 

「煙は?」

 

「出てない」

 

「壁や地面は、あとで調べましたか?」

 

「全員でやった。見つからなかっただけだ」

 

 鬼太郎は似顔絵を見せた。男はすぐに指で叩いた。

 

「こいつだ。手に細い棒を持っていた」

 

「色は?」

 

「覚えてない」

 

「長さは?」

 

 男は両手を広げかけ、途中でやめた。

 

「そこまで見てない。追い詰めたんだから、もう捕まると思っていたんだ」

 

 鬼太郎は、捕まるはずだった相手の顔を見直した。細い棒については、さっきの男よりはっきり話している。だが、どんなものかは分からない。

 

 四人目は、同じ路地にいた。

 

 ところが、似顔絵を前に置くと、すぐには答えなかった。

 

「この方を、追っていたのですか?」

 

「そのはずだ」

 

「追い始める前には、顔を見ましたね?」

 

「ああ。いや、帽子を被っていた気がする」

 

 似顔絵に帽子はなかった。

 

 鬼太郎は紙を裏返し、顔について覚えていることを聞いた。男は口元へ手をやり、しばらく考え込んだ。

 

「店で見たときには分かった。だが、今は……」

 

「路地では、何がありましたか?」

 

「入ったところまでは覚えてる。あいつが何かした。それから、順番がおかしい」

 

 男の声が少し小さくなった。

 

「薬だよ。何か嗅がされたんだ」

 

「臭いはしましたか?」

 

「覚えていない」

 

 鬼太郎は質問を止めた。

 

 前の三人は、見なかった仕掛けへ名前をつけていた。この男は違う。見たはずの顔を、思い出せないのだ。「薬」と言いながら、臭いも覚えていない。

 

 記憶をなくしたのか。初めから、そう見せられたのか。まだ判別できなかった。

 

 紙を表へ戻すと、男はそれを見ないようにした。

 

     ◆

 

 最後の男は、閉め切った部屋の外を見張っていた。

 

 鬼太郎は扉と窓の位置を紙へ描いてもらった。男は絵が下手だと先に断り、四角を一つ描く。

 

「俺はこっちだ。窓の下にも一人いた」

 

「中の方を見ていたのでは、ないのですね」

 

「入ったところは見た。扉はここにしかない」

 

 中で乾いた音がしたので、鍵を開けたという。

 

 窓は閉まっていた。外の男も、誰も通らなかったと言った。だが、部屋にウォードはいない。

 

 家具の中も壁も床も調べたが、逃げ道は見つからなかったという。話すうちに鉛筆の先が紙を突き、男はそれを机へ置いた。

 

「細い棒のことは、ご存じですか?」

 

「ほかの奴が言っていた。そいつは飲んでたから、当てにはならん」

 

 鬼太郎は、棒の話には男の名を書き添えなかった。

 

「音のあと、煙や火薬の臭いは?」

 

「なかった」

 

 男はそこだけは、すぐに答えた。

 

     ◆

 

 五人から順番に話を聞き終える頃、部屋の外は暗くなっていた。

 

 鬼太郎は紙を机へ並べた。壁の中、床の下、糸、薬。五人が語った仕掛けはばらばらで、実物を見た者は一人もいなかった。

 

 鬼太郎は、見ていない箇所の言葉を線で囲んだ。

 

 紙に残ったのは、人が触れずに飛ばされたこと、拳銃が手から離れたこと、閉ざされた場所で姿がなくなったことだった。

 

 細い棒を持つという話も、別々の男から出た。

 

 ブルガリアの家で、両親を襲った者たちは、よく似たものを手にしていた。

 

 鬼太郎は自分の右手へ目を落とした。

 

 炎を出す子供を探して、ベケットはここへ来た。普通の者に捕まらないというだけで、銃も火も通じないとは限らない。

 

 だが、相手の手へ届く前に身体を飛ばされたなら、近づいて取り上げればよいとは言えなかった。逃げる場所を塞いでも、それで捕まる保証はない。

 

 ニコラの山道でも、見える罠だけを避けた先へ別の罠があった。今回も、出口を見張っているから逃げられない、と先に決めれば同じことになる。

 

 ただ、あのときと違うのは、何を知らないかが少し分かっていることだ。

 

 鬼太郎は五枚の紙を重ね、買い手の事務所へ戻った。

 

「お受けします」

 

 ベケットは帽子を取った。

 

「連中の言い訳は、聞き終わったか」

 

「見たことを伺いました。あなたのお話とは、違うところもありましたね」

 

「誰かが嘘をついたのか?」

 

「分かりません。ただ、見ていないことも、皆さんよくご存じでした」

 

 ベケットは眉を寄せたが、買い手の方が先に口を開いた。

 

「条件を決めるぞ」

 

 黒い帳簿と宝石の袋を回収し、ウォードを生きて引き渡せば全額。死んでいた場合と、品物が足りなかった場合の額も、別に決められた。

 

 鬼太郎は二つ付け加えた。

 

「引き渡す前に、僕から質問します。それから、細い棒を持っていたら、それは僕がいただきます」

 

「何を聞く?」

 

「帳簿とは関係のないことです。その棒も、あなたから盗んだ品ではありませんね?」

 

「知らん。帳簿と宝石が戻ればいい。だが、質問で殺すなよ」

 

「生きたままのお支払いを望むなら、気をつけます」

 

 買い手が条件を書く間に、鬼太郎は、知らされていない危険を故意に隠していた場合の追加分も確かめた。

 

 ベケットは片手を上げた。

 

「隠すものか。俺は、捕まえてほしくて来たんだ」

 

「では、そのとおりにお願いします」

 

 鬼太郎が一文を指すと、買い手は頼まれる前に読んだ。

 

 三人が署名し、前金が置かれる。ベケットは帽子を被り、椅子から立った。

 

「普通の奴じゃないぞ」

 

「ええ。そのお話を聞いて、お受けすることにしました」

 

 ベケットは鬼太郎の顔を見たが、もう依頼を取り消すとは言わなかった。

 

     ◆

 

 部屋の鍵を掛けてから、鬼太郎は床板を外した。

 

 父の書類と、布に包んだ細い棒を出す。

 

 灯りの下で見ると、木の表面には使い込まれた跡があった。誰かが持っていた道具だった。自分が拾ってからは、まだ何の役にも立っていない。

 

 英国へ来れば、これについて分かるかもしれないと考えていた。

 

 父の書類を頼りに尋ね回るより先に、働いて金と言葉を得る必要があった。今は、その仕事で別の持ち主へつながろうとしている。

 

 鬼太郎は棒を持ち上げた。

 

 握りの擦れたところへ指を置き、部屋の壁へ向ける。何も起きない。振り方か、言葉か、持ち主か。足りないものさえ分からない。

 

 自分の炎は、この棒から出るわけではない。似た現象だと決めつければ、知りたいことを見落とすかもしれなかった。

 

 ウォードが同じものを持つと、決まったわけではない。見たという男たちでさえ、その長さも色も覚えていなかった。

 

 それでも、今までより近かった。

 

 鬼太郎は父の書類を畳み、棒も元の布へ戻した。

 

 机には、三つの住所と男の似顔絵が残っている。

 

 鬼太郎は椅子を寄せ、三つの住所を街路図で探した。最も近いものは、歩いて行けるところにあった。

 

 紙の上の痩せた顔を見て、口元が緩んだ。

 

「お会いできるとよいですね」

 

 見た人間が五人いても捕まらなかった相手だ。今度は、いなくなる前の手元を見てみたい。

 

 鬼太郎は近い住所へ印をつけ、似顔絵を畳んだ。

 

 今度は、見失った男たちと同じ手順を踏むつもりはなかった。

 

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