神殺しは魔法界でも誰にも従わない   作:ちじさん

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第15話 扉を使わない客

第15話 扉を使わない客

 

 三つの住所のうち、最初の二つは空振りだった。

 

 一軒目では門前払いされ、二軒目は空き家だった。家主に確かめても、男の行方は分からない。

 

 三つ目は、閉店した製本所だった。

 

 看板は外され、文字の形だけ壁に残っていた。窓越しに見えるのは作業台と重い机。ここで本を綴じていた者の姿はない。

 

 鬼太郎が戸を叩くと、一階の奥から家主が出てきた。

 

 似顔絵を見せた途端、男は声を落とした。

 

「二階を借りてる奴だ」

 

「今も、こちらに?」

 

「家賃は届く」

 

「お会いになったのですか?」

 

 家主は首を振った。

 

「階段を上がるのは見ていない。だが、夜になると灯りがつくことがある。上へ行けば消えているんだ。裏に勝手な階段でも作ったんだろう」

 

 鬼太郎は作業場の階段を見た。家主の住む部屋は、その脇にある。二階へ上がるなら、普通はこの男に見られる。ウォードが普通の出入りをしていないのは、むしろ手掛かりだった。

 

「二階を見せていただけますか?」

 

「あんたは、何をしに来た」

 

「この方を捜しています。買い手から、お話は届いていませんか?」

 

 鬼太郎が仲介人の名を出すと、家主の顔つきが変わった。しばらく迷ってから、壁の釘に掛けた鍵を取る。

 

「物を壊すなよ」

 

「壊さずに調べられる間は、そうします」

 

 家主は嫌そうな顔をしたが、階段を上がり始めた。

 

     ◆

 

 二階の部屋には、寝台と小さな机があった。

 

 暖炉の灰はすっかり冷えている。だが、古い灰の上へ黒い燃えかすが落ち、机にも、まだ埃を被っていない蝋の跡があった。

 

 鬼太郎は窓へ近づいた。

 

 下は煉瓦壁に挟まれた狭い場所で、外階段はない。窓枠へ縄を掛けた傷も見つからなかった。

 

 壁を叩き、床の高さを確かめる。棚を動かすと、家主が後ろから手を出した。

 

「傷をつけるなと言っただろう」

 

「では、そちらを持っていただけますか?」

 

「人使いの荒いガキだ」

 

 それでも家主は反対側を持った。壁から離してみても、人が通るほどの穴はない。

 

 鬼太郎は一階も調べた。机の下へ潜り、外の地面と床の位置を比べる。窓から聞こえる家主の足音が、行ったり来たりしていた。

 

 通路は見つからなかった。それなのに、人が使った跡はある。

 

 知らない仕掛けに無理やり名前をつけるより、ウォードが何を求めて部屋へ戻るかを探した方が早そうだった。

 

 鬼太郎は服の埃を払った。扉や窓に囚われれば、ベケットの追っ手と同じ失敗をする。二階へ戻りかけた家主を呼び止めた。

 

「この方が出入りしている店を、ご存じですか?」

 

 家主は二階を見上げた。

 

「前に、本を抱えて帰ってきたことがある。古本屋の包みだった」

 

「店の名前は?」

 

「覚えていないよ。あの男、本のことなら、いつまでも話していたがな」

 

 鬼太郎は街路図を出した。家主に近くの古書店を教えてもらい、場所へ印をつける。

 

     ◆

 

 古書店では、入口に立って似顔絵だけ見せても、長い話にはならなかった。

 

 一軒目は知らないと答え、二軒目の店主は、客のことを外国の子供へ教えるつもりはないと言った。

 

 鬼太郎は棚の本へ目を向けた。

 

「では、本を捜していただくことはできますか?」

 

「題が分かればな」

 

「この方が、捜していた本です」

 

 店主の顔がさらに険しくなったので、それ以上は続けず店を出た。

 

 三軒目では、似顔絵を渡す前に、情報料を帳場へ置いた。

 

 店主は硬貨を数え、紙を引き寄せる。

 

「名は知らん。だが、この顔なら覚えている」

 

 鬼太郎は鞄から鉛筆を出した。

 

「何をお探しでしたか?」

 

「古い本だ。刷った場所も年もはっきりしない。題の一部しか読めないものを、ずいぶん熱心に捜していた」

 

「どんな本か、お聞きになったのですか?」

 

 店主は幾つかの特徴を挙げたが、鬼太郎には知らない言葉が混じっていた。一つ聞き直すと、後ろの棚を示される。

 

 そこには擦れた革の本が並んでいた。どれも外見が似ている。

 

「見つかれば金は出すと言った。だが、うちにはなかった」

 

「連絡する方法は?」

 

 店主は帳場の下から、紙束を出した。その間を探し、小さな紙片を抜き取る。

 

 別名と私書箱の番号。姿を見せずに書物を探すには、都合のよい仕組みだった。

 

「これへ知らせろと」

 

 鬼太郎はその文字を書き写した。

 

 私書箱なら、本人が取りに来る必要はない。返事がなければそこで手は切れる。

 

 だが、名前と住所を知らなくても、興味のありそうな話を届けることはできる。

 

「その本が持ち込まれたとしたら、確かめに来るでしょうか」

 

 店主は鬼太郎ではなく、帳場へ置かれた硬貨を見た。

 

「何度も訊きに来た。気にはするだろうな」

 

 鬼太郎は、手紙を一通出してもらう場合の代金を尋ねた。

 

     ◆

 

 買い手に用意させた古書は、外見だけなら十分に古かった。

 

 革の角は擦れ、頁の端も茶色く変わっている。鬼太郎が開くと、細かな字が詰まっていた。探している本と同じかどうかは、ウォードならすぐ分かるだろう。

 

 鬼太郎は閉じ、布へ包んだ。

 

「古本で呼び出す気か」

 

 買い手が尋ねた。

 

「それしか見に来ない方でしたら、別の探し方を考えます」

 

「来なければ?」

 

「別の方法を考えます」

 

 手紙には、国外から古い本が持ち込まれた、捜しているものかもしれないので確かめてほしい、と書いた。

 

 鬼太郎が短い文を作り、買い手に意味を確かめさせる。知らない言い回しを付け加えられると、そこは読み直してもらった。

 

 受け渡しは三日後の夜。場所は、閉めた製本所にした。

 

「そいつが借りていたところだろう」

 

「今も使っているようです。慣れた場所なら、知らない倉庫より来やすいでしょう」

 

 買い手は手紙を読み終えると、宛先を書いた。

 

「本を見ずに金を払うほど、間抜けじゃないだろう」

 

「お金を払っていただく必要はありません。来て、本を見るところまでです」

 

 鬼太郎は包みへ手を置いた。

 

「開けば、偽物と分かる」

 

「その前に、お話をします」

 

 買い手は紙から顔を上げた。

 

「聞かせた奴らは、近づく前に飛ばされたんだろう」

 

「ええ。ですから、捕まえるために触ろうとは思いません」

 

 鬼太郎は布の端を直した。本人の手を見て、仕掛けを確かめる。そのためには、まず来てもらわなければならなかった。

 

 その手紙は古書店の店主から送ってもらった。返事は求めず、鬼太郎は約束の日まで待った。

 

 待つ間に、製本所へ何度か足を運んだ。

 

 作業場には机と棚が残り、壁際に木箱が積まれている。戸口から机へ歩き、そこから窓と階段を見る。天井は高く、灯りの届かないところも多かった。

 

 大人の目から隠れられる場所はある。だが、自分が隠れれば、相手が現れた瞬間も見えなくなる。

 

 鬼太郎は、部屋全体の見える壁際を選んだ。

 

 手紙を送ってからも、二階の部屋へ来た者は見つからなかった。見張り続けてはいないので、いつ入ったかは分からない。鬼太郎は机の蝋の跡をもう一度確かめ、それ以上は物を動かさずに下りた。

 

 依頼を受けてから、二週間ほどになっていた。待つ時間にも金はかかるが、ここで別の回収仕事を挟めば、約束した晩に戻れないかもしれない。

 

 鬼太郎は買い手に、その日までのほかの依頼は断るよう伝えた。

 

 家主には、約束の晩だけ別の場所で寝てもらうよう金を払った。理由を告げると、男はすぐに火を使うなと言った。

 

 建物へ他人を招く以上、自分だけ無事ならよいというわけにはいかない。鬼太郎は水を汲める場所も確かめておいた。

 

「使わずに済めば、そうします」

 

「さっきから、そればかりだな」

 

「お約束できないことは、申し上げない方がよいでしょう?」

 

 家主は鬼太郎を見てから、差し出された金を取った。

 

 砂と厚い布を、作業場の端へ運んだ。アギは火を起こせても、出した火を好きなだけ消せるわけではない。

 

     ◆

 

 約束の晩、鬼太郎は机の上へ本を置いた。

 

 正面の扉を内側から閉め、裏口と窓も確かめる。縄は使えるよう壁際へ置き、鞄は足元から離した。

 

 買い手の部下には、夜更けに迎えを頼んであった。先に着いても、こちらが開けるまでは外で待つことになっている。

 

 時刻を過ぎても、扉は動かなかった。

 

 通りを車が過ぎると、窓の向こうが一度明るくなる。車輪の音が遠ざかるたび、作業場の静けさが戻った。

 

 鬼太郎は、外からの足音を数えるのをやめた。

 

 誰も見ていない場所から来るなら、音を待っている間に背後へ立たれるかもしれない。机の向こう、棚と棚の間、階段口へ順に目を向ける。

 

 まだ何もない。

 

 手紙が届かなかったのか、本の話を疑われたのかもしれない。今夜来ないなら、それだけのことだった。

 

 そう思ったとき、乾いた破裂音がした。

 

 鬼太郎の目が作業場の中央へ動いた。

 

 誰も通っていない床に、靴が二つ現れていた。

 

 頬が痩せ、暗い外套を着ている。机の横には何もなかったはずなのに、今は靴が床へついていた。

 

 扉も窓も開いていない。

 

 鬼太郎は壁から肩を離した。男だけを見ていた。いなくなったときの仕組みは分からなくても、ここに来た顔は似顔絵と同じだった。

 

 サイラス・ウォードが、周囲を見回した。

 

 布の包みへ目を止め、それから鬼太郎を見る。

 

「店の者はどうした」

 

「来ませんよ」

 

「なら、お前は誰だ」

 

「墓場鬼太郎と申します。ベケットさんから、あなたを捜すよう頼まれました」

 

 ウォードの肩から、僅かに力が抜けた。

 

 まっすぐ胸へ向いていた視線が、鬼太郎の背後を一度だけ探った。ほかに誰もいないと見て、男は包みへ注意を戻す。子供の銃までは見つけられなかったらしい。

 

 鬼太郎はその変化を見た。警戒していたのは、古書店の使いではなく、待ち伏せている大人だったのかもしれない。

 

 目の前にいるのは子供一人。それが分かると、男は机の包みへ顔を戻した。

 

「あの男は、とうとう子供まで使い始めたのか」

 

「黒い帳簿と宝石の袋をお返しください。あなたも、一緒に来ていただきます」

 

「本は、どこにある」

 

「お越しいただくために用意したものです。お探しの本ではありません」

 

 ウォードが包みから視線を外した。

 

 右手が袖口へ寄る。

 

 鬼太郎の右手も上着の下へ入った。相手が何をするか見るために、これ以上待つつもりはなかった。

 

 袖から細い棒が現れた。

 

 鬼太郎は〈シュライク〉を抜く。

 

 男が棒を向け、短い言葉を発した。

 

 右手を、横から強く打たれた。

 

 何かが当たった姿は見えない。それなのに指が開き、銃が手を離れた。

 

 床を滑る音がした。〈シュライク〉は木箱へぶつかり、壁際で止まる。

 

 鬼太郎はすぐ左へ動いた。

 

 男の棒が、その動きを追っている。

 

「動くな」

 

 ウォードの声は落ち着いていた。

 

「私に会ったことを、少し忘れるだけでいい」

 

 鬼太郎は痛む右手を握り直した。

 

 似顔絵を見ても分からなかった男がいた。追い始めたときには見たはずの顔を、思い出せなかった。

 

 薬の臭いは、覚えていないと言った。

 

「それで、あの方は顔が分からなくなったのですか」

 

「心配するな。余計なことまで奪いはしない」

 

 許しを求める声ではなかった。何を忘れさせるかも、どこまでが「余計」かも、この男が決めるらしい。

 

 父の声も、母の顔も、勝手に消せるというのか。何を失うかは、せめて自分で選びたかった。

 

 鬼太郎は左手を上げ、男の胸へ向けた。右手から銃が消えても、内側の力は残っている。

 

「アギ」

 

 炎を放つと、ウォードの目が開いた。

 

 身体が横へ跳ぶ。炎は空いた場所を通り、背後の作業台へぶつかった。

 

 乾いた木が燃え始めた。

 

 ウォードは重い机の陰へ伏せた。さっきまでの落ち着いた顔は、もう見えない。

 

「杖もなしに、魔法を使ったのか」

 

 棒ではなく、杖。

 

 両親を襲った者が握っていた木の棒にも、名前があった。

 

「その力も、魔法と呼ぶのですか?」

 

「何?」

 

「僕の炎と、同じものだと?」

 

 机の脇から杖の先が出た。

 

 鬼太郎は返事を待たず、横へ走った。さっきまで背にしていた板壁が鳴り、表面が割れる。

 

 銃声はしなかった。

 

 この杖は、人の記憶だけを消すものでも、銃を奪うだけのものでもない。

 

 鬼太郎は作業台の脇へ回った。

 

「どこの魔法使いだ。自分が何者かも知らないのか」

 

 机の陰から、男の声がした。

 

「それを教えていただこうと思っています」

 

 ウォードが動いた。鬼太郎は炎の向こうの影を追いながら、銃の落ちた場所へ近づく。

 

 木箱までは、あと数歩だった。

 

 男もそちらを見た。

 

 鬼太郎は足を止めた。銃へ走ればその背を杖に晒す。拾い上げる間に、もう一度あの見えない力が飛んでくるかもしれない。

 

 だが、ウォードは撃たなかった。

 

 部屋の中央へ顔を向け、足を揃える。杖を引き寄せ、身体を動かそうとした。

 

 入ってきた扉を見ているのではない。

 

 鬼太郎は左手を男へ向けた。

 

 来たときは、一瞬だった。銃を拾ってからでは間に合わない。

 

 鬼太郎はその意識へ触れる感覚を探った。相手が次に見ようとしているものへ、自分の力を混ぜる。

 

「プリンパ」

 

 ウォードの身体が強張った。

 

 足は動かない。だが、顔だけが別の方へ向き、炎と机の間を見比べる。どちらへ向こうとしたか、分からなくなったようだった。

 

 破裂音はしなかった。

 

 鬼太郎は木箱へ走った。

 

 銃の握りへ右手を伸ばす。触れた瞬間、さっき打たれたところが痛んだ。指を掛け直し、持ち上げる。

 

 その間に、ウォードもこちらを向いた。

 

 長く続く力ではない。鬼太郎は頭の奥に残る鈍さを感じながら、右腕を上げた。

 

 杖がこちらへ向く。

 

 今度は、何をされるのか分からないまま、手元を見送るつもりはなかった。

 

 鬼太郎は銃口を男の右腕へ定めた。

 

「魔法使い、ですか」

 

 二人の間で、作業台の炎が揺れていた。

 

 鬼太郎の口元に、笑みが浮かんだ。

 

「ようやく、あなた方の名を知りました」

 

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