第6話 味方の銃口
銃の部品を拭き終えたころ、ペタルがようやく答えた。
「肉、卵、乳、豆。野菜も食え。それから眠れ」
「一晩で大きくなれますか?」
「なれると思うか」
「いいえ。ですから、しばらく続けてみます」
鬼太郎は右手首を曲げてみた。〈シュライク〉を撃ったあとから、角度によって痛む。
「その間、銃は預かる」
「撃たなければ持っていても構わないでしょう?」
「お前なら三日目に試す」
「信用がありませんね」
「腕の方を信用しろ」
ペタルは分解した銃を布の上へ置いた。鬼太郎は抗議せず、しばらく射撃を休むことにした。ここで無理をして次の仕事を逃す方が、ずっと損だった。
肉を食べ、走り、眠る。数日を経ても身体が急に大きくなることはなかった。だが、痛みが消えたあとに撃った三発は近い位置へまとまり、手首も震えなかった。
「まだ撃てるぞ」
「三発だけのお約束でしょう?」
「覚えていたか」
「忘れたふりをすれば、撃たせてもらえましたか?」
「また銃を預かる」
「では、覚えていてよかったです」
鬼太郎は右手を開いてから、〈シュライク〉を収めた。
◆
次に買い手が差し出した写真には、眉に傷のある男が写っていた。
「イヴァン・コストフ。運び屋だったが、依頼人の金と品を持ち逃げした。追ってきた二人を殺している」
机に、生きて渡した場合と死体で渡した場合の報酬が書かれた。
「随分違いますね」
「隠し場所を吐かせたいんだ。口が利かなきゃ困る」
「でしたら、生きたままお渡ししましょう」
「簡単に言うな」
「無理なら殺します。減っても報酬は出るのでしょう?」
買い手は、金属の拘束具を置いた。
「居場所が分かったら知らせろ。運ぶのは俺の部下だ」
「助かります。僕には大人を抱えて歩けませんから」
鬼太郎は写真を鞄へ入れた。
初めは買い手に与えられた仕事を受けるだけだった。今では、鬼太郎の噂を聞いた依頼人が指名してくる。仕事を選べるなら、金額だけでなく行き先も選べる。
◆
イヴァンが見られた地区で、鬼太郎は食堂や宿を回った。
「母の知り合いを捜しています」
写真を見せても、すぐに答えは返ってこない。店の女は鬼太郎の鞄を見て、子供を一人で歩かせる親に腹を立てた。
鬼太郎は謝らず、礼だけを言って次の店へ移った。知らない人間の行き先を、炎で思い出させることはできない。
二日目の夕方、写真の男が宿から出てくるのを見つけた。
イヴァンはガラスに映る背後を確かめ、何も買わずに店の裏口を抜けた。鬼太郎は荷車を挟んで尾行したが、古い公衆浴場へ入ったところで足を止めた。
扉が開いたままだった。
中で待つつもりなら、入口へ向かう者だけを見ていればいい。鬼太郎は正面を避け、裏の換気口から身体を滑り込ませた。
割れた浴槽の向こう、二階の通路から靴音がした。
「正面から来ると思ったがな」
銃声。石の欠片が飛ぶ。
鬼太郎は隣の仕切りへ移った。男は位置をつかみきっていない。
「火を出すガキの噂は聞いてるぞ」
「僕も、あなたの噂を聞いて来ました」
「いくらで売るつもりだ?」
「生きている方が高いようです」
「なら、お前は撃てない」
「死んでいても、お支払いはあるそうですよ」
男の返事が止まった。足音が階段へ向かう。
鬼太郎は逃げ道の一つへ視線を走らせた。壁材と古い布が積もっている。男へ直接当てず、そこを塞ぐだけなら――。
「アギ」
火が布へ移り、赤い光が浴槽の間に差した。
「本当に使うのか!」
「ご存じだったのでしょう?」
イヴァンが炎を避けて進路を変える。仕切りの間から先に靴が見えた。
鬼太郎の一発が脚を撃ち抜く。男は片膝をついたが、銃を離さなかった。
胸へ照準を上げると、ようやく指の動きが止まった。
「床へ置いてください。次は殺します」
イヴァンは銃を滑らせて寄越した。それでも近づくことはできない。鬼太郎は上着を脱がせ、裏地から二つ目の拳銃とナイフが出てきたのを見て、小さく息をついた。
イヴァンが痛みに顔をしかめながら言った。
「用意がいいな」
「あなたも、二つ目をお持ちでしたね」
配管へ金属の拘束具を通し、イヴァン自身に片手首を固定させる。近づいたときには、もう片方の手を銃で牽制した。
部下が迎えに来たあと、イヴァンは運ばれる前に振り返った。
「お前、本当にガキか」
「身体は、そうですね」
翌日、買い手は約束した額を払った。
「次も頼みたいそうだ。お前を直接雇いたいとな」
「お会いしてもよかったのですが」
「今は俺を通せ」
鬼太郎は仲介料の引かれた金を見て、それから買い手を見た。
「しばらくは、その方が僕にも都合がよいでしょうね」
「しばらくは、か」
「ええ。いずれ遠くへ行きたいので」
その言葉が効いたのか、数日後、買い手は三枚の依頼書を並べた。
鬼太郎が選んだのは、最も高い報酬ではなく、西の町へ向かう仕事だった。
◆
西の町へ向かう荷物車で、運転手は言った。
「五日後に戻る。遅れても待たん」
預かった写真の男、ステファン・ミハイロフは革鞄を盗んで逃げた。中身を傷つけず取り戻すのが仕事だった。
ステファンが指定した採石場には本人がおらず、銃を持った男が二人待っていた。鬼太郎は一人を撃ち、残る男から隠れ場所を聞き出す。警告に走れぬよう脚を焼くと、相手は南の葡萄酒貯蔵庫を教えた。
貯蔵庫で、ステファンは革鞄を盾のように掲げた。
「撃てば中身まで駄目になるぞ」
「そうですね」
鬼太郎は鞄ではなく脚を撃った。倒れた男が銃を向け、続けて武器へ手を伸ばしたので、そのたびに撃ち止めた。鞄に穴は開かなかった。
協力者に品を渡したあと、英国へ人を運ぶ者を知らないか尋ねる。
「買い手を通せ。勝手に紹介したら、俺の信用が傷つく」
「お金以外にも、払うものがあるのですね」
「信用だよ。国を越えたきゃ、なおさらな」
帰りの車で、鬼太郎は報酬を数えた。まだ英国へは届かないが、西という方角が、誰に会い何を支払うかという道筋へ変わり始めていた。
◆
「燃やすな」
次に買い手が机へ並べたのは、印章二つ、白紙の身分証明書十二枚、専用用紙二十枚、帳面一冊の見本だった。
「偽造屋の道具だ。護衛だった四人が盗んだ。全部戻せ」
「取り戻したら、僕の書類も作っていただけますか?」
「話はしてやる。だが、紙を焦がしたら報酬はないぞ」
相手はマルコ・ディネフと仲間三人。逃げた先は、先ほど訪ねた西の町だった。
依頼は、紙を一枚も損なわずに取り戻すことだった。アギだけに頼れば、最後に一番欲しいものを失う。
鬼太郎は見本を一度ずつ確認して、引き受けた。
同じ宿を使うと、主人が怪訝な顔をした。
「父親は見つかったんじゃなかったのか?」
「見つかりましたよ。今度は父に頼まれて、先に来ました」
「また一人か」
「僕なら大丈夫だと思っているようです」
鍵を受け取り、部屋へ向かいながら鬼太郎は考えた。子供が父を捜しているという口実は便利だが、いつまでも同じ話では通らなくなる。
翌日、協力者から製材所の場所を聞き、夕方から林の中で見張った。正面と裏口に一人ずつ。残る二人は建物の中、盗品は二階の事務室にあるらしい。
板を打った窓の隙間から声が漏れていた。
「明日の朝には動かす」
「誰に売るんだ、マルコ」
「俺が決める。教えればお前が売るだろう」
何かを蹴る音。仲間同士の口論が続く。
「あのガキが来たら、火を使わせるな。紙は二階だ。燃やすぞ」
鬼太郎は窓から身を引いた。
火を使えば、紙の偽造道具まで燃える。音を立てて銃を撃てば、二階の男に紙を処分する暇を与える。
正面の見張りは、建物の中から声がするたびに振り返っていた。銃は持っているが、手元が落ち着かない。
その姿を見ていると、赤黒い空の下の路地がよぎった。
銃を持つ誰かが、仲間を撃っていた。
自分はその前に何をしたのか。
左手へ意識を向ける。火とは違う感覚が、指先へ集まろうとしていた。
プリンパ。
言葉だけが浮かんだ。うまく発動できるかも、相手がどう動くかも分からない。
鬼太郎は背後の林を見た。何も起きなければ撤退できる位置だと確かめてから、見張りへ左手を向ける。
「プリンパ」
炎も光も出なかった。
若い男の手から、煙草が落ちた。
◆
「誰だ!」
見張りは林へ銃を向け、すぐに背後を振り返った。
「来るな!」
「おい、何をしてる?」
扉が開いた瞬間、若い男が撃った。出てきた仲間の胸が跳ね、倒れながら撃ち返す。
二人とも倒れた。
鬼太郎が動こうとすると、目の前の木が弾けた。若い男はまだ銃を握り、見えない何かを追っている。
鬼太郎の思いどおりに動かしたのではない。
男が何を見ているのか分からない以上、味方だけを撃たせるつもりで近づくのは危険だった。
鬼太郎はその場を離れ、裏手へ回った。騒ぎを聞いて走ってきた見張りが、板材の陰を通り過ぎる。背中へ一発。倒れた男を確かめ、鬼太郎は開いた裏口から入った。
頭の奥が鈍く痛み始めていた。
二階へ上がると、事務室の中から怒鳴り声がした。
「来るな! 入ってきたら燃やすぞ!」
「それは困りますね。できればやめてください」
「銃を捨てろ!」
「僕も困ります」
扉の隙間から灯油が臭った。鬼太郎は返事をせず、廊下の手すりから屋根の梁へ移った。
事務室の窓には薄い板が打ちつけられていた。隙間を広げて覗くと、机に紙と帳面が積まれ、その横に蝋燭が燃えていた。マルコは扉へ銃を向け、もう片方の手で紙をつかんでいる。
板が鳴った。
マルコが振り向く。
鬼太郎は銃を抜き、紙を持つ左腕を撃った。束が机へ落ち、銃口がこちらへ向く。鬼太郎は梁に伏せ、撃ち返された弾が板を砕くのを待ってから通路へ戻った。
事務室の扉が開く。マルコは腕を押さえながら飛び出してきた。
鬼太郎は棚の陰へ身を伏せ、左手を上げた。
「プリンパ」
鋭い頭痛で視界が揺れた。
マルコは何もないところを見ず、正確に銃口を向けてきた。
「そこか!」
棚が砕け、木片が肩へ落ちる。鬼太郎は転がって位置を変えた。もう一度力をつかもうとしたが、痛みが強くなるだけだった。
使えない。
左手から意識を離し、右手で〈シュライク〉を構える。男が棚へ近づく。先に見えた銃を持つ腕へ狙いを定め、引き金を引いた。
マルコは脇腹を押さえて膝をついた。銃が床へ落ちる。
「そのまま、動かないでください」
鬼太郎は男を銃から離れた壁際へ座らせ、事務室へ入った。扉越しに右手を見張りながら、回収品を数える。
印章二つ、証明書十二枚、用紙二十枚、帳面一冊。すべてあった。
蝋燭を消し、灯油の布を紙から離して包む。
「見つけたなら、助けろ」
マルコが言った。
「その条件はありません」
「金ならある。国境を越えたいんだろ。知ってる奴を紹介してやる」
「お名前は?」
「先に銃を下ろせ」
鬼太郎は下ろさなかった。
男の右手が上着の内側へ入り、小さなナイフを取り出す。立ち上がろうとした胸へ、鬼太郎は撃った。
マルコが動かなくなるのを確かめ、一階へ下りた。
正面では、最初に撃ち合った若い見張りが、まだ何かを探していた。視線は鬼太郎を捉えず、落ちた銃へ手を伸ばしている。
鬼太郎は銃を遠ざけた。残る二人の死亡を確かめ、回収品を背負って製材所を出る。
紙を焼かずに済んだ。
だが、頭痛はまだ残っていた。
◆
宿へ戻っても、鬼太郎はプリンパの感覚を確かめられなかった。相手がいなければ、効いたかどうか分からない。試す相手がいたとしても、混乱した相手が誰へ銃を向けるかは選べない。
帰りの車を逃す理由にはならなかった。
元の町へ帰り、回収品を渡す。買い手は品物より先に、製材所で起きた撃ち合いを聞きたがった。
「人を操れるのか」
「いいえ。相手の見ているものや聞いているものが、混ざるようです。僕にも撃ってきましたよ」
後ろの部下が鬼太郎の左手を見た。
「俺にも使えるのか?」
「分かりません」
「試すなよ」
「今のところ、あなたを混乱させて得られるものはありませんから」
買い手は笑わなかった。
「得られるものがあれば使うのか」
「そのときに考えます」
鬼太郎は報酬を受け取ったあと、約束の紹介を求めた。
買い手は取り戻した証明書を一枚持ち上げた。
「紙を作るだけじゃない。誰の子供として越えるかも決めなきゃならん。一人で歩いていれば止められる」
「名前まで変える必要がありますか?」
「その相談をする相手を、今から紹介してやる」
鬼太郎は膝に置いた左手を見た。
火以外の力を、一つ思い出した。それでも国境を越えるには、まだこの男の手を借りる必要がある。
「では、続きをお願いします」