1.始発鈍行:地獄行き
寝ても覚めても悪夢を見続けている。
この世界の悍ましい在り方と和解することはなく、世界と自分の間で軋轢が生まれ、不協和音を絶えず立てている。
行く末を中途半端に知るが故に身動きも出来ず、無力感に苛まれ続けている。
不幸からこの悪夢に落とされ、生まれながらにして罪を抱えている。
この悪夢に生まれ落ちたことに理由などなく、罪を濯ぐことのみが与えられた末路なのだ。
全ては元に戻されなければならない。
◇
「ん……」
ガタンッ、とバスが跳ね上がった衝撃で目を覚ました。瞼を開けると、薄暗い天井が目に入った。
振り返って窓から外の景色を覗くと、針葉樹が昏い影を落とす森が見える。先程の衝撃は車輪が木の根に乗り上げたことによるものだろう。
「はぁ……」
胸の底に溜まった澱を吐き出すように溜息が漏れた。まるで断頭台に一歩一歩自らの足で登っていくような気分だ。
間もなく物語の幕が開ける。数多の苦痛と積み上げた自らの屍の果てに魂は終息するだろう。
それこそが課せられた運命であり、望みであるのだから。
「あの……ランドルフさん? ですよね? 顔色が悪いみたいですけど……大丈夫ですか?」
窓からの景色を眺めていると、隣に座っていた金髪の青年が話しかけてきた。控え目な印象の彼は、黄色い瞳でこちらの顔を覗き込んでいる。
「ん……? ああ、ありがとう、シンクレア。俺は大丈夫。これから始まる仕事にちょっとだけ憂鬱になってただけだ」
俺がそう言うと、彼もまた賛同するように頷く。
「やっぱりそうですよね。僕も──」
「なんと!? そなたらは、これから始まる偉大な冒険を憂いておられるのか!?」
シンクレアの言葉に割り込むようにして会話に混ざってきたのは、彼と同じく金髪の、小柄な女性。彼女はシンクレアとは対照的に、溌剌とした様子で、これから始まる旅に胸を躍らせているのが見て取れる。
「ああ、シンクレアはどうだか分からないが、俺は今までの人生において冒険と言える経験は無いからな。だから俺はあまり自信はないが、その点君は頼りになりそうだな、ドンキホーテ」
「うむ! 当人に任せておれ! 大船に乗ったつもりでいるといい!」
ドンキホーテは誇らしげに張った自身の胸をドン、と叩いた。
「はぁ、その大船とやらが早々に沈まないといいのですが」
「なっ、なんということを言うのであるか!?」
ドンキホーテの大声に苛立ちを隠せぬ様子で向かいの席から立ち上がり、彼女に皮肉を投げかけたのは、オレンジ色の髪の女性。
「まぁ、これから結ぶ契約が本当なら、嫌でも沈まなくなるさ、イシュメール」
彼女は肩をすくめる。
「……それもそうですね。これからずっとバスが騒々しくなることを思えば憂鬱になりますが」
「そう言ってくれるな、仲間とのコミュニケーションは大切だろ?」
「……仲間、ですか。少なくとも私はそう思えるほど親しくなったつもりはありませんけど」
そうしてイシュメールは付き合っていられないとばかりに首を振ると、元の席に戻ってしまった。
「……僕たち、これからうまくやっていけるでしょうか……?」
イシュメールが去った後、すっかり縮こまってしまったシンクレアが心配そうにこちらに問いかけてきた。
「これから集団生活を送ることになるんだから、なるようになるんじゃないか?」
そう答えてから、そういえばドンキホーテはどうしたのだろうか、と思い至る。まさか、イシュメールの言葉にすっかり傷付いてしまったのか。
そう思ってシンクレアを挟んで同じ長椅子に座る彼女の方に視線を向けると、爛々と目を輝かせる彼女と目が合った。
「どうした、ドンキホーテ?」
「おぉ……! 仲間とは素晴らしい響きであるな……! その通りだ、ランドルフ君! 我々はこれからの冒険で苦楽を共にする仲間である!」
「そういうことだ。よろしく、ドンキホーテ、シンクレア」
そう答えると、ドンキホーテは大きく頷き、シンクレアはほっと息を吐く。
「うむ! よろしく頼む!」
「改めてよろしくお願いします。……なんだか安心しました。初めての仕事でどうなるのか不安でしたけど、ランドルフさんみたいな人が居るって知れて……」
「……まぁ、そう思ってくれるなら嬉しいかな」
「はぁ、そろそろおしゃべりは済んだか?」
いつの間にやら、俺たちの前には血のように赤い瞳が特徴的な男が立っていた。その視線は冷たく、こちらの皮膚を貫くかのように思われる。
しかし、そんな印象とは裏腹に、俺の口からは平然と言葉が紡がれた。
「どうされましたか、ヴェルギリウスさん?」
彼に尋ねると、彼は重苦しく溜息を吐いた。
「……いちいち教えてやらないと気が済まないか? 仕事の時間だ」
目的地に着いたのか、そう問いかけたところで、凄まじい衝撃と共にバスが急停車し、俺の身体は座席から投げ出された。
「ぐっ……!」
前の座席の背もたれに頭を打ち付け、ガツン、と衝撃が走った。
俺は床に伏せたまま、ジンジンと痛む頭を撫でた。撫でた手の平を見ると血は付いていなかった。
それなら大丈夫か、と立ち上がると、車内の何人かが同様に体勢を崩して何やら文句を言っていた。
「なぁ……あんた大丈夫か?」
俺の前の座席に座っていた男が声を掛けてきた。彼は右腕が鋭い虫の腕に変化していて、左腕で自身の後頭部をポリポリと掻いていた。
「あぁ、大丈夫だ。ありがとう、グレゴール」
「そうか、それなら良かった。……それにしても、あんたは気にしないんだな」
彼は自身の右腕に目を向けた。
「そうだな、右腕でものを掴めないのはちょっと不便そうだが、なかなかイカしてるんじゃないか?」
「はは、イカしてるだなんて初めて言われたよ」
俺がそう言うと、彼にはそれなりにウケたらしく、ぎこちない笑みは幾らか緊張が取れていた。
変なことを言ったつもりはないのだが、と首を捻っていると、ヴェルギリウスがこちらを睨みつけていることに気づいた。
「全員下車しろ」
彼はいちいち俺を叱ることはなく、その代わりに淡々と下車の指示を出した。
「おっと、仕事の時間みたいだな」
「ああ」
ヴェルギリウスの言葉にグレゴールは素直に従い、バスを降りていく。俺もまた彼に続いた。
急ブレーキで吹き飛ばされて文句を言っていた者達も彼には逆らえず、悪態をつきながら大人しくバスを降りていく。
俺は歩きながら、これから起こる蹂躙劇を思って身体が重くなる感じがした。
「はぁ……憂鬱な初仕事だな。……だが、やれるだけはやるか」