バスを出ると、赤いコートを身に纏った男が目に入った。その男は、背部が地獄のように燃え盛る赤い時計頭で、わけも分からずオロオロと狼狽えている様子だった。
「暗い森で道に迷ったのですね。……しかし、あなたは怖くありませんでした。何故でしょうか?」
そんな彼に乗員──ここでは囚人と呼ばれる──の一人である女性が何やら話しかけている。彼女──ファウストの言葉に反応して、彼はだんだんと落ち着きを取り戻していく。
『顔を上げ、星を探せば良かったから』
「そうです。今からその姿を思い浮かべながら、私が言うことを心の中で叫んでください」
そして、
「〈お前の星に従え〉」
ファウストに続いて、彼からその言葉が聞こえると同時に、彼の時計の針は目まぐるしく廻り、伸ばされた鎖が俺の心臓に突き刺さった。
胸を突き刺す鋭い痛みとともに力が抜けていくのが感じられた。これが契約の成立した合図であり、これから限りなく続く苦痛の合図でもあった。
これより己の時間は彼の時間に帰属し、心臓を貫かれようと、脳を砕かれようと、彼の苦痛を対価として何度でも蘇るだろう。
彼──ダンテは再び取り乱した様子で、ファウストの言葉に訳が分からず困惑している。
「ええっと……ランドルフさん、あの人が僕たちの直接の上司に当たる人……ですよね?」
「たぶんそうだろうな。それに、ファウストがさっき『契約が成立した』だの言っていたし」
「そうですか……」
再び話しかけてきたシンクレアは不安げな表情でダンテを見ていた。まぁ、現在進行形で混乱状態に陥っている人が自分の管理人だなんて言われれば不安にもなるだろう。
他の囚人たちを見れば、バスで凝った身体を伸ばしたり、管理人に話しかけたり、囚人同士で話したりと、皆バラバラで統率は取れそうになかった。
「二人とも何の話をしているのであるか?」
シンクレアと話していると、ドンキホーテがこちらにやってきた。
……というか大丈夫なのだろうか、敵の一人はバスに跳ね飛ばされたとはいえ、敵の前で呑気にお喋りなどして。ファウストもダンテに状況を軽く説明しているようだが。
「……あぁ、ドンキホーテ、これから上司になる人は頼れるのかって話さ」
俺は敵の方をチラチラ見ながら答えた。
相手はまだ動かない。敵は三人で、こちらは十三人。自分たちより圧倒的に数が多いうえに、得体の知れない連中なので警戒しているのかもしれない。
「ふっふっふ……! 愚問であるな! 我々は選ばれし勇者である故、そのリィーダーたる者も選ばれし者なのである!!」
ドンキホーテは胸を張って言った。彼女の言うことは現状のダンテがどうかは別として、間違いではないだろう。彼の蘇生能力は他では見られない希少なものであるし、この旅の目的である『黄金の枝』に由来するのであろう特異な能力を色々と持っている。
「まぁ、それはあながち間違いじゃないかもな。契約が本当なら都市の禁忌である蘇生を可能とするそうだしな」
「うむ!」
「えぇ、本当にそうならすごいですよね……」
そうして、いつも通りの誇らしげな表情のドンキホーテと、胸をなでおろした様子のシンクレアだったが、俺の次の言葉で二人の表情が変わることになった。
「あぁ……ただ、これが嘘だったら俺たちは一巻の終わりだがな」
「えっ」
みるみる顔が青ざめていくシンクレアに、いまだにこちらを警戒したままの三人組を指さした。
「あいつら俺らより強いぞ」
「えぇっ!?」
「むっ!? ランドルフ君! 当人たちの方が弱いというのであるか!?」
シンクレアは悲鳴を上げ、ドンキホーテは頬を膨らませた。
「あぁ、というか、弱くなった、だな。鎖が刺さってから力が抜ける感じがしなかったか?」
意外と皆、自身の弱体化について皆気づいていないのだろうか。俺がそう言うと、ドンキホーテはハッとして目を見開いた
「……確かに力が抜けるような感覚がしたが、あれはもしや当人の気のせいではなかったのであるか?」
「僕は別にそんな感じはしませんでしたけど……?」
シンクレアの不思議そうな顔に、彼が少なくとも現時点では囚人の中で最弱クラスであるせいだ、ということは伝えないでおくことにした。その代わりに、バラバラに敵へと向かっていく他の囚人たちを指し示した。
既に何人かが吹き飛ばされているのが見える。シンクレアの顔が真っ白になった。
「……まぁ、当たって砕けろってやつだ。俺らも行くぞ」
どうせ無惨に負けるのだ。嫌がらせぐらいはしてやろう。それに、ヘイトはなるだけ囚人に向かうようにするべきだ。ダンテが死ぬことだけは回避しなくてはならない。
俺は敵に向かって走り出し、腰の右側に下げていた本を手に取った。
古めかしいその本は銀色の鎖で雁字搦めになっていて、鎖はベルトと本を繋いでいる。本は歪に膨れ上がり、縛る鎖がギシギシと軋む音がする。
「おいちょっと待てよ! さっきまで戦ってたのに言うのもなんだけど話せばわか……」
まず狙ったのは命乞いをするグレゴールにとどめを刺さんとする男だった。俺はまっすぐにその男へ突撃し、本を思い切り振りかぶった。
「はぁ、今度はふざけた得物まで持ち出してきたか」
「ごっ……ふっ……!」
あっさりと男に気付かれると、いとも簡単に迎撃され、二つの光輪──
そんな中で俺は笑っていた。
瞬間、鎖の隙間から這い出るようにして、緑色の粘液に塗れた触手の群れが男を襲った。
「──なっ!」
触手は男や俺自身の身体、ハルバードに手当たり次第に絡みついた。俺もまたハルバードの柄を掴み、より深く突き刺さるように押し込んだ。さらに噴き出す血を啜るようにして、触手が傷口を塞ぐ。
「これじゃ……まともに……つかえねぇなぁ?」
「このッ……!」
俺の頭に男の拳が放たれる。心──身体能力を強化するオーラ──を纏っていないとは言え、二望まで発現することができる男の身体能力を、弱体化した身体で喰らえば、簡単に即死するだろう。
「がッ……!」
しかし、そうはならず、伸ばされた触手が致命傷を回避し、側頭部を抉られるに留めた。意識が飛びそうなほどの激痛が走った。
「は……はは……」
触手はジワジワと本数を増やし、男の手足や首に絡まり、残虐に引きちぎろうと試みている。まだ力や本数が足りないらしく、動きを阻害する程度にしか効いていないようだ。
「いい加減にッ──ぐっ!?」
男は触手を振りほどき、反撃を仕掛けようとしてきたが、背後から男の腹を貫いた鋭い腕にそれは阻まれる。
「おっと……よそ見は良くないんじゃないか?」
そこにはグレゴールが立っていた。
「よっ……と」
「ガぁッ……!」
グレゴールが腕を引き抜くと男の腹から血が噴き出した。
「は……ははは、お揃い、だなぁ……?」
俺は嗤って、その隙に触手をさらに絡めた。ミシ、ミシ……と筋繊維が引きちぎれる音が聞こえだす。
そうして、このままだともしかすると一人ぐらい殺せそうだな……? と思い始めた頃、背後から声がした。
「はぁ……油断しすぎだ」
気が付くと、視界が、回転して、自分の、身体が、見えた。