機動戦士ガンダム 墓標の密林(ジャングル)――鋼の天秤と緑の地獄―― 作:結城ゆうすけ
ドォン! と、五臓六腑を震わせる重低音がジャングルの出口に轟いた。
高地に陣取った2機のザクⅡが抱える175mmマゼラトップ砲が、相次いで火を噴いたのだ。連邦の重戦車(61式)の正面装甲すら紙細工のように引き裂く大口径の徹甲榴弾が、放物線を描いて眼下の連邦軍基地へと突き刺さる。
最初の一撃は、出撃に向けてエンジンを回していたフライマンタの列に直撃した。紙細工のように引き裂かれた機体から航空燃料が噴出し、またたく間に猛烈な爆炎のドミノ倒しを引き起こす。
「命中! 敵管制塔、および第一滑走路、炎上!」
モニター越しに上がる歓声。だが、エレノア・ピット少佐の視界は、すでにその先を捉えていた。
「浮き足立つな! 予定通り、マゼラトップ装備機は高地から己の腕を信じて撃ち続けろ! 残る機は私の後に続け! 敵が枕を高くして寝ていたツケを、今ここで払わせる!」
先ほどまでの冷静な声音から一転、エレノアは濁流のような怒号を通信回線に叩きつけると、サスペンダーを軋ませながら操縦桿を押し込み、愛機たるザクⅡを急斜面へと躍らせた。
ジオン軍の奇襲は見事に嵌まった。熱帯の密林を陸路で、それもMSが文字通り「木を伐採しながら」進んでくるなど、連邦軍の机上論者たちには想像すらできなかったのだ。司令部周辺は完全にパニックに陥り、防空サイレンの悲鳴が緑の地獄へと木霊した。
「動けるザクは足を止めるな! 面で制圧しろ、司令部に肉薄するんだ!」
エレノアの駆るザクⅡが120mmザク・マシンガンを掃射する。跳ね上がる薬莢が熱帯の泥濘に落ちてジィと音を立てて煙を上げる。連邦軍の司令部ビルが、その弾雨を浴びてコンクリートの破片を派手に撒き散らした。満身創痍のわずか6機のザクが、あたかも一個大隊であるかのような猛威を振るって基地の防衛線を蹂虙していく。
だが。地球連邦軍という巨人の底力は、ジオンの現地部隊の執念を遙かに凌駕していた。
「――少佐! 上空、敵影多数! 奴ら、もう立て直しやがった!」
隣で戦うザクのパイロットから、悲鳴に近い通信が割れんばかりに響く。
炎上する滑走路の奥、無傷だった第二滑走路から、狂ったようにフライマンタが、そして重爆撃機デプロッグの巨躯が次々と空中へ飛んでいくのが見えた。
その数、数十。空を埋め尽くんばかりの、圧倒的な「質と量」の暴力。
「チッ、さすがに目が覚めるのが早いな……!」
エレノアが毒づいた瞬間、世界のすべてが爆炎で染まった。
空を覆ったデプロッグの腹部から、無数の対地爆弾が絨毯のように降り注ぐ。ジャングルでの強行軍ですでに駆動系をイカれさせていたザクⅡには、それを回避するだけの機動性は残されていなかった。
ズガガガガガガガ!
凄まじい衝撃波がエレノアのコックピットを襲う。気密が破れ、熱風と泥の臭いが一気に流れ込んできた。モニターの一つが激しいノイズを上げてブラックアウトする。
「がはっ……! 各機、散開! 対空戦闘――」
言いかけたエレノアの目に、信じられない光景が映った。
突撃していた味方のザクⅡの1機が、フライマンタの放った対地ミサイルの一斉射撃により、文字通り「削り取られる」ようにして爆発四散したのだ。超高熱の爆鳴とともに、ザクの頭部が虚空を舞う。
さらに最悪なことに、反撃は空からだけではなかった。
「前方、連邦軍地上部隊! 61式戦車、さらに重迫撃砲陣地です! 数が多すぎる、こちらの砲撃が完全に相殺されています!」
基地の奥から、蟻の群れのように現れたのは連邦軍の頑強な地上部隊だった。MSこそ配備されていないものの、その火力量は圧倒的だった。数、数、数。150mm2連装砲の斉射が、泥を跳ね上げながらジオンの貧弱な前線を容赦なくすり潰していく。高地で支援していたマゼラトップ砲装備のザクも、敵の集中砲火を浴びて山の斜面ごと崩落していくのが見えた。
勝てない。
エレノアの脳内にある『鋼の天秤』が、冷酷な電子音を鳴らすかのように、生存率「ゼロ」の数値を叩き出していた。
これ以上の前進は、シュマイヒェルと同レベルの無能な犬死にでしかない。名門のプライドも、冷静な指揮官としての仮面も、連邦の圧倒的な暴力の前に粉々に打ち砕かれた。
「――全軍、撤退!!」
エレノアは血の混じった唾を吐き捨て、狂ったように操縦桿を一杯に引いた。
「これ以上の戦闘は無意味だ! 泥沼へ逃げ込め! ジャングルの深緑(みどり)を盾にするんだ! 急げッ!!」
なりふり構わぬ絶叫だった。誇りも、名門のプライドも、熱帯の泥の中に放り捨てた。
生き残る。それだけが、この地獄における唯一の勝利だった。
ザクⅡの背部に残されたわずかなスラスターを吹かし、エレノアは来た道を、あの呪わしい緑の深淵へと文字通り「転がり込む」ようにして退却を始めた。背後では、なおも連邦軍の圧倒的な対地猛爆撃が、大地を、そして兵士たちの命を、跡形もなく焼き尽くそうと追いすがってきていた。
†
「助けてくれ! 足が, 足が挟まって動けない!」
「少佐! 102号車がキャタピラをやられました! 誰か、誰か牽引を――」
狂乱のノイズが、無線レシーバーを狂おしく震わせる。
ジャングルの入り口は、一瞬にして凄惨な地獄絵図へと変わっていた。
逃げ惑うジオン軍の背後から、連邦軍の激しい追撃が容赦なく降り注ぐ。対地ミサイルが熱帯の巨木を薙ぎ倒し、爆風がバギーを木の葉のように吹き飛ばした。地面には、至近弾を受けてひっくり返り、炎上するマゼラアタック。その傍らで、泥塗れになりながら必死に手を伸ばし、助けを求める歩兵たちの姿が、ザクの光学カメラに生々しく映し出される。
エレノアの愛機もまた、機銃掃射の嵐を浴びて装甲を削られ、満身創痍だった。
「ピット少佐! 歩兵中隊が置き去りになります! 一時踏みとどまって、煙幕の展開を!」
隣を進むザクのパイロットが、焦燥に駆られた声を上げる。その機体は、倒れた味方を庇うようにして立ち止まろうとしていた。
「バカ野郎、止まるな! 引けと言っているのが聞こえないのか!!」
エレノアの、喉をかきむしるような怒号が響く。
だが、彼女の視界にも、地面で破壊され、ハッチを開けて必死に救助を求める自軍の兵士たちの姿があった。その顔には、死の恐怖がありありと張り付いている。
助けたい。
その感情が、エレノアの胸を激しく焦がした。宇宙(そら)とは違う、この泥と血の匂いが立ち込める地上戦の現実が、彼女の心を激しく揺さぶる。ここで自分が踏みとどまり、ザクの巨体で盾になれば、数人、あるいは数十人の命は救えるかもしれない。
しかし。
ジリジリと耳鳴りのような思考の加速の中で、エレノアの脳裏に、もう一つの冷徹な現実が浮かび上がる。
もしここで救助のために足を止めれば、追撃するフライマンタと61式戦車の圧倒的な火力の前に、残された僅かなMSも、動けている輸送車も、すべてがこの場で蜂の巣になる。
待つのは、生存率ゼロ――「全滅」だ。
「……ッ」
エレノアは、奥歯が軋むほど噛み締めた。サスペンダーの下の肌が、冷たい汗で濡れていく。
彼女の脳内にある『鋼の天秤』が、音を立てて傾いた。
皿の上に載せられたのは、
「動けない味方を救うために、全員で全滅の危険を冒すか」
「動けない味方を見捨てて、動けるものだけを確実に連れて撤退するか」
答えは、最初から出ていた。少しでも可能性の高い方を選択する。それが、この狂った戦場で指揮官が果たすべき、唯一の、そして最も残酷な義務だ。
「……動けない者は、そこに置いていけ」
沸騰していたエレノアの脳から、瞬時に一切の感情が消え失せた。絶対零度の鉄の響きだった。
「少佐!? 見捨てるというのですか! 彼らはまだ生きている!」
「聞こえなかったか! 踏みとどまれば全滅する! 1秒でも早くジャングルの奥へ逃げ込め! 動けるものだけで、一刻も早くここを脱出するんだ!」
「少佐! 頼む、見捨てないでくれ!」
「嫌だ、死にたくない! ジオン万歳! ジオン万――」
無線から流れる絶叫を、エレノアは自らの手で、ブツリと遮断した。
コクピットを包むのは、己の荒い息遣いと、機体がきしむ音だけ。
エレノアのザクⅡは、地面で必死に手を伸ばす自軍の兵士たちに背を向け、泥を跳ね上げてジャングルの深緑(みどり)へと足を踏み入れた。動けるわずかな車両とザクだけが、その冷徹な背中に続く。
背後で、凄まじい爆鳴が上がった。連邦軍の絨毯爆撃が、残された「動けない味方」もろとも、ジャングルの入り口を完全に消滅させたのだ。熱風がザクの背中を押し、モニターを真っ赤に染め上げる。
エレノアは前だけを見つめていた。流すべき涙は、とっくに熱帯の熱気に蒸発していた。
兵士の命を天秤にかけ、より多くの、そして可能性のある命だけを残して、残りを冷酷に切り捨てる。
この凄惨な退却戦こそが、後に彼女がジオン・連邦の両軍から恐怖と敬意を込めて、畏怖の異名で呼ばれるようになる決定打となった。
――『鋼の天秤』、エレノア・ピット。
緑の地獄の深淵へと消えていく彼女の背中には、見捨てた部下たちの血と、生き残った者たちの、言葉にならない沈黙が重くのしかかっていた。
【あとがき】
第2話(第1章後半)までお読みいただき、ありがとうございました!
ついにポートモレスビー攻略戦が開始されました。いよいよ「砲火の渦」に巻き込まれていくエレノアたち。華やかなエース戦とは違う、熱気と泥に塗れたジオン地上軍の緊迫したミリタリーの空気感を楽しんでいただけていれば幸いです。
本国のオフィスしか見ていない上層部の無謀な作戦の先に、一体どのような地獄が待ち受けているのか……。エレノアの『鋼の天秤』が下す冷徹な算術の結末を、ぜひ見届けていただけますと嬉しいです。
次回、第3話(第2章前編)からは新たな局面へと突入します。
次回の更新は【11月11日(水)の17:00】を予定しています。
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