ブラックルームの最高傑作⋯椎名ひより(憑依) 作:あみあみ
「それで……私に何か御用でしょうか?」
放課後。
陽が傾き始め、人影のまばらになった廊下に、私の静かな問いかけが落ちる。視線の先に立つ少年へ向けて。
「なに、ちょっと聞きたいことがあってな。そう長くはかからねぇよ。まあ……それも、お前の態度次第だが」
口元を歪め、少年――龍園翔くんは底意地の悪い笑みを浮かべた。
相手を気圧すような圧迫感。
値踏みするような鋭い視線。
そして、こちらの反応を揺さぶって楽しもうとする観察者の余裕。
なるほど。いかにも彼らしい、と言うべきでしょうか。
今日は5月1日。
クラス分けの真意と、学校から支給される「Sポイント」の残酷な仕組みが明かされた日です。
その事実を突きつけられた生徒たちの反応は様々でした。絶望に打ちひしがれる者、制度への怒りを露わにする者、淡々と現状を受け入れる者。そして――何も理解できず、これまで通りの怠惰な日常にしがみつこうとする者。
そんな騒然とした一日の終わりに、私はクラスメイトである龍園くんから呼び出されていたのでした。
「ちなみに、ここでお話しする必要はあるのでしょうか?」
「別にどこでもいいだろ。お前が逃げなきゃな」
「逃げる?」
私は小さく首を傾げます。
「私は別に逃げるつもりなどありませんよ。質問されるのでしたら、答えられる範囲でお答えします」
「ククッ……そうかよ」
龍園くんの喉から、愉悦を孕んだ低い笑いが漏れました。
さて。まずは現状を整理しておきましょう。
私の配属されたクラスは――Cクラス。
お世辞にも優秀なクラスとは言えません。
もっとも、入学してから僅か一ヶ月で与えられた1000ポイントを使い果たし、評価をゼロに落としたDクラスほどではありませんが。それでも、AクラスやBクラスと比較すれば、能力差は明確です。それが現在のCクラスの客観的な立ち位置でした。
そして、その評価にはある程度納得できる部分もあります。
クラス内には粗暴な生徒が比較的多く、授業態度も決して褒められたものではありません。今日のような非常事態に直面しても、未だに学校のシステムを理解しようとせず、無意味に騒ぎ立てている生徒すらいる。
……まあ。これまでの言動を鑑みれば、Cクラスという刻印を押されるのも妥当なのでしょう。
「それと……」
私は龍園くんの背後へと視線を向けます。
そこには、三人の生徒が控えていました。
体格の大きな男子生徒。
もう一人の男子生徒。
そして、腕を組んだままこちらを不機嫌そうに睨みつける女子生徒。
私はそれぞれの顔と視線を合わせ、口を開きました。
「龍園くんの後ろにいらっしゃる方々は、石崎くんと山田くん、それから伊吹さんで間違いありませんか?」
「……は?」
三人の表情が瞬時に固まりました。
「……なんで知ってんだ?」
最初に沈黙を破ったのは石崎くんでした。警戒感を隠そうともせず、眉をひそめています。
「なんで、と問われましても……」
私は少し首を捻り、
「同じクラスの仲間だからでは?」
「いや、そういう意味じゃねぇよ!」
「では、どういう意味でしょう?」
「俺らの名前を覚えてんのかって聞いてんだ!」
「ああ」
私は納得して頷きました。
「はい。覚えていますよ」
「……」
三人が言葉を失います。
私は少しだけ不思議に思いました。クラスメイトの名前を記憶していることが、それほどまでに異質なことなのでしょうか。
「ちなみに、出席番号も全員分把握しています」
「は?」
「名前と出席番号を紐づけて記憶しておくと、後々何らかの局面で役に立つ可能性がありますから」
「……」
今度こそ、三人とも完全に口を閉ざしてしまいました。
そんな中、龍園くんだけが興味深そうに口元を吊り上げています。
「ククッ……驚いたぜ」
「そうですか?」
「お前がクラスメイトの名前に気をつかうようなタマには見えなかったからな」
「それはどういう意味でしょう?」
「そのまんまだよ。周りに一切興味がなさそうに見えるってことだ」
「なるほど」
否定はしません。たしかに、私は他人に強い興味を抱くタイプではありません。
必要があるから記憶する。
必要がなければ記憶しない。ただ、それだけのことです。
「ですが、覚える作業自体に大した労力はかかりませんよ」
「……そうかよ」
龍園くんの細められた瞳が、じっと私の顔を探るように射抜きます。
「小テストの結果を見た時にも思ったが……お前、頭が良いみたいだな」
「そんなことはないと思いますよ」
「謙遜か?」
「いえ、本心です」
私は感情の起伏を見せず、淡々と答えます。
「私はただ、自分にできる処理を行っているだけですから」
「はっ」
龍園くんが鼻で笑いました。
「謙遜すんなよ。俺のクラスで小テスト100点を取ったのは、お前だけだったぜ」
「そうでしたか」
「『そうでしたか』じゃねぇよ」
龍園くんはどこか愉快そうに肩を揺らします。
「普通はもう少し誇ったり、喜んだりするもんだろ」
「喜ぶ……?」
私は少し思考を巡らせました。
「そういうものですか?」
「……お前、本気で言ってんのか?」
「はい」
特に深い意味はありません。
100点を取った。それだけの事実。
提示された問題を解いた。ただそれだけのこと。
私にとっては、図書室で静かにパズルを完成させる作業と大差ありません。
「100点を取ったのが私だけだった。だから私の知能が優れている」
私は一定のトーンで言葉を続けます。
「その結論を導き出すのは、いささか早計ではありませんか?」
龍園くんの笑みが、僅かに薄れました。
「たしかに、私の認知能力や処理速度が他者と異なる部分があること自体は否定しません」
「……」
「ですが、単一のテスト結果のみで人間の多面的な能力を推し量るのは適切ではありませんよ」
私はそう言って、まっすぐに龍園くんを見つめ直します。
「それに――」
「……なんだ?」
「『王』を名乗りたいのであれば、もう少し物事を俯瞰し、冷静になられたほうがよろしいかと」
空気が凍りつきました。
ほんの僅か。けれど、決定的に。
龍園くんの瞳から、先ほどまで浮かんでいた軽薄な色が完全に消え去ります。代わりに宿ったのは、獲物を定める猛禽のような、鋭く冷ややかな光。
「……お前」
龍園くんが一歩、威圧感を伴って踏み込んできました。
「なんで、それを知ってる?」
後ろに控える三人も、呼吸を詰めて私を凝視しています。
なるほど。どうやら、そこが彼らの琴線に触れたようですね。
「それほど大層なことではありませんよ」
「……」
「ほんの少しの推察です」
「推察?」
「ええ、あくまで状況証拠からの誘導です」
私は前置きをしてから、言葉を噛み砕くように説明を始めました。
「まず、入学からの貴方の言動を見る限り、クラス内における主導権の掌握を狙っていることは明白です」
ひとつ、指を立てます。
「次に、周囲の生徒に対する威圧的な態度、命令形の語彙選択、そして他者を屈服させるプロセスそのものを楽しむ思考傾向」
ふたつ目の指を立てます。
「それらを統合すれば、貴方が目指しているのは単なる責任者ではなく、絶対的な指導者――つまりクラスの統治者になろうとしている可能性が極めて高い」
「……」
「ですから」
私はほんの少しだけ首を傾げました。
「単純に、その『指導者』という概念を、貴方の嗜好に合いそうな表現へと換言しただけに過ぎません」
重苦しい沈黙が落ちました。
龍園くんも。石崎くんも。山田くんも。伊吹さんも。
誰一人として、言葉を発しようとはしません。
私は少しだけ首を傾げます。
おや。
「どうかされましたか?」
「……いや」
やがて、龍園くんの唇から掠れた声が漏れました。
「ククッ……」
笑っている。けれど、その笑みは先ほどまでのものとは明らかに質が異なっていました。底知れない獰猛さを秘めた笑み。
「なるほどな」
「?」
「お前……想像以上に面白ぇな」
「そうでしょうか?」
「普通は、そこまで思考を張り巡らせねぇよ」
「そうなのですか?」
「ああ」
龍園くんは楽しそうに目を細め、私を凝視します。まるで、思いがけず興味深い玩具を見つけた子供のように。
「自分のことを『できることをやってるだけ』なんて面しながら、他人の行動原理をそこまで観察してやがる」
「必要性があるから観察しているだけですよ」
「必要性、ねぇ……」
龍園くんの視線が、私を品定めるように舐め回します。
「……お前、本当は何者だ?」
その問いに。
私はほんの僅かだけ思案し――。
「椎名ひよりです」
「……そういう意味じゃねぇよ」
「では、どういう意味でしょう?」
再び、静寂が訪れます。
どうやら今日は、随分と沈黙の多い日のようですね。
まあ。別に構いませんが。
龍園翔。
クラスの絶対的な支配者を目指す少年。
なるほど。
彼の存在と思考パターンは、頭の片隅に留めておいたほうがよさそうですね。
これから先、静かな読書時間を守るための交渉や、何らかの局面で役に立つかもしれませんから。