銀の小鳥座   作:コマ塩

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第2話 幕が足りない

 

 

「足りない」

 

 翌朝。

 

 ロッカ村の集会所で、ミレイユが言った。

 

 舞台の上には、銀の小鳥座が普段から持ち歩いている濃紺の幕が吊られている。

 

 昨日、港町を出た直後に忘れたことへ気づき、わざわざ馬車を引き返して取りに戻った幕である。

 

 取りに戻った。

 

 確かに持ってきた。

 

 なのに。

 

 舞台の右端が、きれいに三分の一ほど露出していた。

 

 ミレイユは幕を見る。

 

 舞台を見る。

 

 もう一度、幕を見る。

 

「足りない」

 

「二回言ったな」

 

 客席側で腕を組んでいたガドランが頷く。

 

「見れば分かる」

 

「分かるなら何とかしてください」

 

「いやあ、昔の舞台ってのは広いな」

 

「感心してる場合じゃありません!」

 

 ミレイユが幕の端を掴んで引っ張る。

 

 当然ながら布は伸びない。

 

「昨日わざわざ取りに戻ったんですよ!? あの泥道を!」

 

「持ってこいって言ったの、お前だろ」

 

「持ってきても幅が足りないなんて思わないでしょう!」

 

 舞台下で寸法を書き留めていたトキが顔を上げた。

 

「正確には二歩と半分足りません」

 

「そういう情報は今いりません」

 

「記録としては必要です」

 

「何の記録!?」

 

「銀の小鳥座がロッカ村で直面した問題について」

 

 筆が動く。

 

 ガドランが覗き込んだ。

 

「また俺の悪口書いてないだろうな」

 

「まだです」

 

「まだ?」

 

 舞台奥では、レオンが昨日剥がした床板の代わりを張っていた。

 

 釘を一本打ち込み、幕を見上げる。

 

「端を見せたままやれば?」

 

「場面転換が全部見えます」

 

「暗くするとか」

 

「昼公演です」

 

「客に目を閉じてもらう」

 

 木槌の音が止まった。

 

 ミレイユが無言でこちらを見ている。

 

「……冗談」

 

「レオンさん、時々団長側に行きますよね」

 

「心外だな」

 

「俺もだ」

 

 ガドランが言った。

 

「なんで団長が傷つくんですか」

 

 その横を、帳簿を持ったイエローが通った。

 

「布を買う場合、今月の食費から出します」

 

 一同が黙った。

 

「借りよう」

 

 ガドランが言った。

 

「借りましょう」

 

 ミレイユも即答した。

 

 レオンが頷く。

 

「それがいい」

 

 アレクだけが首を傾げる。

 

「多少食事が質素になっても、舞台の美しさを――」

 

 全員が見る。

 

「……借りるのがいいと思う」

 

     ◇

 

 こうして銀の小鳥座は、朝から村中を歩き回ることになった。

 

 必要なのは、幕の足りない部分を埋められるだけの大きな布。

 

 できれば厚手。

 

 できれば無地。

 

 できれば色も今の幕に近い。

 

 ミレイユが出した条件だった。

 

 最初に村長の家から借りられたのは、白いシーツが二枚。

 

「白かあ……」

 

 ミレイユが広げる。

 

 綺麗ではある。

 

 ただし濃紺の幕とはまったく合わない。

 

「夜空と雲と思えば」

 

 トキが言った。

 

「舞台の端だけ急に雲が出るの?」

 

「天候は変わります」

 

「劇の途中で?」

 

「物語にもよります」

 

「今回は変わりません」

 

 次に教会から、使わなくなった灰色の布を一枚。

 

 粉屋からは、厚手の麦袋を六枚。

 

 レオンが一枚広げる。

 

 中央に大きな文字で、

 

『バルト粉麦商会』

 

 と書かれていた。

 

「広告になるな」

 

「なりません」

 

 ミレイユが即座に裏返した。

 

 裏には、

 

『上等小麦』

 

 と書いてあった。

 

「両面か」

 

「なんで!?」

 

 粉屋の主人が胸を張る。

 

「うちの袋はどこから見ても店が分かるんだ」

 

「すごいですね」

 

 トキが感心する。

 

「今はいらない感心です!」

 

 結局、麦袋は文字の部分だけ内側へ折り込み、縫い合わせることになった。

 

 次は酒場。

 

 赤い卓布が二枚。

 

 ガドランが受け取る。

 

「これなら使えるな」

 

「染みがあります」

 

 イエローが指差す。

 

「酒場の布だからな」

 

「洗えば?」

 

 レオンが言う。

 

 酒場の主人が首を横に振った。

 

「三年前から取れない」

 

「何をこぼしたんです?」

 

 トキが訊く。

 

 主人はしばらく考えた。

 

「覚えてない」

 

 ガドランが卓布を広げる。

 

「歴史だな」

 

「汚れです」

 

 イエローが畳んだ。

 

     ◇

 

 最後に訪ねたのは、一座が泊まっている宿だった。

 

「大きな布?」

 

 女将が腕を組む。

 

「それなら一つあるよ」

 

 奥へ消える。

 

 しばらくして、両腕いっぱいに抱えた布を持って戻ってきた。

 

「昔、娘の部屋に使ってたんだけどね」

 

 広げた。

 

 沈黙した。

 

 赤。

 

 黄。

 

 青。

 

 そして紫。

 

 人の顔ほどもある巨大な花が、布一面に咲き乱れている。

 

 その場にいたミレイユ、アレク、トキの三人が同時に見上げた。

 

「大きさは」

 

 ミレイユが言う。

 

「完璧ですね」

 

 トキが答える。

 

 アレクは何も言わない。

 

 女将が嬉しそうに布を撫でた。

 

「綺麗でしょう?」

 

「……ええ」

 

 アレクが答えた。

 

 笑顔だった。

 

「非常に華やかです」

 

「あら、分かる?」

 

「もちろんです」

 

「じゃあ使ってちょうだい。返すのはいつでもいいから」

 

「ありがとうございます」

 

 女将が奥へ戻る。

 

 扉が閉まった。

 

 アレクの笑顔が消えた。

 

「これは駄目だ」

 

「さっき綺麗って言ったでしょう」

 

 ミレイユが言う。

 

「借りる相手へ『恐ろしいですね』とは言えないだろう」

 

「恐ろしいんですか?」

 

「花にも限度がある」

 

 トキが布を持ち上げる。

 

「アレクさんの登場位置、ちょうどここですよ」

 

 騎士役の彼が最初に現れる位置。

 

 そこに巨大な黄色い花が咲いていた。

 

 アレクは長いこと黙っていた。

 

「変更できない?」

 

「できません」

 

「僕が少し左から出るとか」

 

「そこは柱です」

 

「柱を動かす?」

 

「舞台より自分を優先しないでください」

 

「では台詞を変えよう」

 

 アレクが花柄を指す。

 

「『この美しき花々に誓って、我が国を――』」

 

「変えません」

 

「まだ最後まで言ってないよ」

 

「その先も必要ありません」

 

     ◇

 

 昼には、集めた布が舞台いっぱいに広げられた。

 

 濃紺の旅幕。

 

 白いシーツ。

 

 灰色の古布。

 

 赤い卓布。

 

 麦袋。

 

 花柄。

 

 ミレイユは腕を組み、難しい顔でそれらを眺めていた。

 

「ひどいですね」

 

 トキが率直に言った。

 

「分かってます」

 

「色が全部違います」

 

「分かってます!」

 

「一周回って芸術では?」

 

「回らないでください」

 

 イエローが布の間へ座った。

 

 針箱を開く。

 

「とりあえず、濃い色を下にまとめます」

 

 赤い布を置き、灰色を重ねる。

 

 白は裏地。

 

 麦袋は文字が見えないよう折り込む。

 

「花柄は?」

 

 ミレイユが訊く。

 

「どうしても残ります」

 

「ですよね……」

 

「諦めましょう」

 

 イエローが針へ糸を通した。

 

 迷いなく縫い始める。

 

 ミレイユも隣へ座った。

 

「私もやります」

 

 二人の手が動く。

 

 数分後。

 

 ミレイユが横を見る。

 

「……速くない?」

 

「何がです?」

 

「縫うの」

 

 イエローの手元では、すでに長い縫い目が出来上がっていた。

 

 幅の違う布を重ね、強く引かれても裂けにくいよう何度か糸を返している。

 

「慣れているので」

 

「衣装だけじゃなくて、こういう厚い布も?」

 

「はい」

 

「昔から?」

 

 針先が布を抜ける。

 

 ほんの一瞬だけ、次の針が入るまでの間が長かった。

 

「昔からです」

 

「へえ」

 

 ミレイユは特に気にした様子もなく、自分の布へ戻った。

 

 少しして、黄色い布切れを拾う。

 

「そういえばイエローって、黄色好きなんですか?」

 

「別に」

 

「名前なのに?」

 

「名前と好みは関係ないでしょう」

 

「それはそうですけど」

 

 少し離れたところで聞いていたガドランが口を挟んだ。

 

「俺はずっと黄色が好きだからイエローなのかと思ってた」

 

「初めて聞きました」

 

 イエローが言う。

 

「え?」

 

「団長がそう思っていたことを」

 

「お前、自分の名前の由来とか話さねえだろ」

 

「聞かれてませんから」

 

「じゃあ今聞く。なんでイエローなんだ?」

 

 針が一度止まった。

 

 イエローはガドランを見る。

 

「秘密です」

 

 また縫い始めた。

 

 ガドランが少し目を丸くする。

 

「秘密なんてあったのか、お前」

 

「人を何だと思ってるんです?」

 

「会計」

 

「それは合っています」

 

     ◇

 

 舞台の反対側では、レオンが床板の修理を終えようとしていた。

 

 最後の板を合わせる。

 

 少し大きい。

 

 ノコギリを取ろうとすると、トキが横から覗き込んだ。

 

「何してるんです?」

 

「見れば分かるだろ」

 

「舞台の修理」

 

「分かってるじゃないか」

 

「でもレオンさんって、こういうの普通にできますよね」

 

「普通にって?」

 

「馬車の車輪も直せるし、馬の蹄も見られるし、怪我した人の手当てもできるし」

 

 レオンは板の端へ線を引く。

 

「長く旅してれば覚えるよ」

 

「僕も半年旅してます」

 

「あと十年くらい頑張れ」

 

「長い」

 

 トキは帳面を開いた。

 

「昔は何してたんです?」

 

 ノコギリを持つ手が動く。

 

「いろいろ」

 

「それ、答えになってません」

 

「答えたくないからね」

 

 トキが顔を上げた。

 

 レオンは特に笑ってもいなければ、不機嫌でもなかった。

 

 ただ板を切っている。

 

「……そうですか」

 

 トキは帳面を閉じた。

 

「書かないの?」

 

「答えがないので」

 

「偉い」

 

「でも『答えたくない』とは書けます」

 

「やっぱり消して」

 

     ◇

 

 夕方。

 

 ようやく新しい幕が吊り上がった。

 

 集会所へ集まっていた村の子供たちが、入口から一斉に覗き込む。

 

「おおー」

 

 歓声が上がった。

 

 銀の小鳥座の面々も、客席側へ並んで見上げる。

 

 濃紺。

 

 赤。

 

 灰色。

 

 少しだけ白。

 

 端には麦袋。

 

 そして右側には、どうやっても隠せなかった巨大な花柄。

 

 レオンが腕を組む。

 

「思ったより悪くない」

 

「本当ですか?」

 

 ミレイユが訊く。

 

「遠くからなら」

 

「この集会所、遠くないですよ」

 

 ガドランが顎へ手を当てた。

 

「暗くすれば」

 

「昼公演です」

 

「客に芝居を見てもらえば」

 

 ミレイユがガドランを見る。

 

 何か言おうとして、やめた。

 

「……まあ、それはそうですね」

 

 イエローが最後の縫い目を確認する。

 

「破れなければ十分です」

 

「会計らしい感想だ」

 

 アレクは自分の登場位置を見ていた。

 

 巨大な黄色い花。

 

「僕だけ納得してない」

 

「明日には慣れますよ」

 

 トキが言う。

 

「僕が?」

 

「客が」

 

「それ何の慰めにもなってないよね?」

 

 子供たちが笑う。

 

 その輪から少し離れた柱の陰に、一人だけ少年が立っていた。

 

 他の子供たちが中へ入ってきても、そこから動かない。

 

 トキが気づく。

 

 目が合った。

 

 少年は慌てて顔を引っ込めた。

 

 トキは少しだけ首を傾げたが、呼び止めなかった。

 

 舞台へ視線を戻す。

 

 昨日までは埃と壊れた板しかなかった場所に、不格好ではあるが幕が下がっている。

 

 その向こうには大道具。

 

 舞台袖には衣装。

 

 客席には、明日を待てない子供たち。

 

「形になってきましたね」

 

 トキが言った。

 

 ミレイユが幕を見上げる。

 

「まだです」

 

「まだ?」

 

「舞台ができただけです」

 

 客席を見た。

 

「芝居はこれから」

 

 その言葉を聞いて、ガドランが笑った。

 

「じゃあ今日は飯にするか」

 

「どうしてそうなるんです?」

 

「腹減った」

 

「稽古します!」

 

「明日でいいだろ」

 

「本番が明日なんです!」

 

 また言い合いが始まる。

 

 子供たちが笑う。

 

 アレクは花柄についてまだ文句を言っている。

 

 イエローは借りた布の一覧を帳簿へ書き込んでいる。

 

 レオンは工具を片付けながら、壊れた床を最後に一度踏んで確かめた。

 

 舞台は、どうにかできた。

 

 かなり不格好ではあったけれど。

 

 銀の小鳥座の舞台としては、そのくらいがちょうどいいのかもしれなかった。

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