銀の小鳥座   作:コマ塩

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第3話 王様は四十二行

 

 

「違います」

 

 ミレイユの声が飛んだ。

 

 舞台中央に立っていたレオンは、手にした台本へ目を落とす。

 

「どこが?」

 

「最初からです」

 

「最初から?」

 

「はい」

 

「今、二十行くらい喋ったよね?」

 

「十七行です」

 

 舞台袖からトキが訂正した。

 

「そういうところだけ正確だな、お前」

 

「書いた本人なので」

 

 レオンはため息をついた。

 

 ロッカ村での公演を翌日に控えた昼前。

 

 昨日どうにか完成した継ぎ接ぎの幕を背に、銀の小鳥座はようやく本格的な稽古へ入っていた。

 

 問題は、ガドランが腰を痛めていることだった。

 

 本来なら彼が演じるはずだった王の役が、なぜか護衛兼御者のレオンへ回っている。

 

 白い付け髭はまだ付けていない。

 

 王冠もない。

 

 衣装だけ羽織らされたレオンは、どう見ても機嫌の悪い若い貴族だった。

 

「もう一回やります」

 

 ミレイユが言う。

 

「さっきと意味は同じだったろ」

 

「同じじゃありません」

 

「『余は民を見捨てぬ』と『私は民を見捨てない』の違いだろ?」

 

「王様が急に近所のお兄さんみたいになるんです」

 

「客には分かりやすい」

 

「そういう問題じゃありません!」

 

 客席の長椅子に寝転がっていたガドランが笑う。

 

「レオン。諦めろ。あいつは芝居に関してだけは俺より頑固だ」

 

「団長は芝居以外が適当すぎるんです」

 

「ほらな」

 

「褒めてません!」

 

 トキが舞台袖で台本へ何か書き込んでいた。

 

 レオンが目ざとく見つける。

 

「今、何書いた?」

 

「『王役、開始十八分で三回目のやり直し』」

 

「消して」

 

「後から改善点を確認できます」

 

「俺の恥を保存する必要ある?」

 

「資料なので」

 

「その帳面、燃やした方が一座のためじゃないか」

 

「予備があります」

 

「用意がいいな……」

 

 客席の後ろで、笑い声がした。

 

 昨日から集会所の柱の陰にいた少年だった。

 

 今日もほかの子供たちより少し離れたところにいる。

 

 ただ、昨日より一歩だけ中へ入っていた。

 

 レオンと目が合う。

 

 少年は慌てて口を閉じた。

 

「笑っていいよ」

 

 レオンが言った。

 

「どうせ明日はもっと笑われる」

 

「縁起でもないこと言わないでください」

 

 ミレイユが睨む。

 

「笑わせるのはいいです。でも台詞を忘れて笑われるのは駄目です」

 

「難しい世界だな、芝居って」

 

     ◇

 

 昼休みになっても、少年は帰らなかった。

 

 ほかの子供たちは一度家へ戻ったり、集会所の前で走り回ったりしている。

 

 少年だけが舞台袖近くの柱へ寄りかかり、トキの手元を眺めていた。

 

 トキは気づいていたが、しばらく何も言わなかった。

 

 台本を一枚めくる。

 

 また一枚。

 

 やがて少年の視線があまりに真っ直ぐなので、根負けしたように顔を上げた。

 

「見たい?」

 

 少年が少し迷ってから頷いた。

 

 トキは隣の木箱を叩く。

 

「座れば?」

 

 動かない。

 

「ここなら舞台からもあまり見えないよ」

 

 それを聞いて、ようやく少年が近づいてきた。

 

 木箱の端へ腰を下ろす。

 

 トキが台本を見せた。

 

 細かな文字がびっしり並んでいる。

 

「全部、これに書いてあるの?」

 

「一応」

 

「一応?」

 

「団長とアレクさんがよく勝手に変えるから」

 

「変えていいの?」

 

「よくない」

 

 トキは即答した。

 

「でも変える」

 

「怒られない?」

 

「ミレイユさんに怒られる」

 

 舞台の向こうから、

 

「アレク! そこ三歩です! 五歩行かない!」

 

 と声が飛ぶ。

 

 少年がそちらを見てから、小さく笑った。

 

「ね?」

 

 トキも笑う。

 

 少年はまた台本へ目を落とした。

 

「これ、君が書いたの?」

 

「全部じゃないよ。元の話があって、僕が旅用に直した」

 

「すごい」

 

 短い言葉だった。

 

 トキの指がページの端で止まる。

 

「……そう?」

 

「僕、こんなに字書けない」

 

「それは練習すれば書けるよ」

 

「話も?」

 

 トキは少し考えた。

 

「話は……どうだろう」

 

 少年が顔を上げる。

 

「僕もまだ練習中だから」

 

「劇団なのに?」

 

「劇団だからって、みんな完成してるわけじゃないよ」

 

 少年は舞台を見る。

 

 ちょうどアレクが大きく剣を振り、ミレイユに「大きすぎます!」と止められていた。

 

 客席ではガドランが腰を押さえたまま何か口を出し、イエローに「座っていてください」と戻されている。

 

「……本当だ」

 

「そこは否定してほしかったな」

 

 少年がまた笑った。

 

「名前、聞いていい?」

 

「リオ」

 

「僕はトキ」

 

「知ってる」

 

「え?」

 

「みんな呼んでるから」

 

「じゃあ僕だけ知らなかったのか」

 

 トキは少し損した顔をした。

 

「リオは芝居好き?」

 

 頷く。

 

「前に見たのは?」

 

 首を傾げる。

 

「覚えてない」

 

「そんなに前?」

 

「じいちゃんが、昔は祭りになると旅の人が来たって言ってた。でも僕が小さい時から、あんまり来ない」

 

 トキは舞台裏へ一度目を向けた。

 

 昨日、イエローが見つけた古い公演紙。

 

 昔の《銀の小鳥座》がこの村で芝居をした証拠。

 

「じゃあ明日は久しぶりだ」

 

「うん」

 

「前で見れば?」

 

 リオの肩が少しだけ縮んだ。

 

「人が多いの、苦手?」

 

 返事はなかった。

 

 トキはそれ以上聞かない。

 

「舞台袖でも少し見えるよ」

 

「ここ?」

 

「ここ」

 

「いていい?」

 

「邪魔しなければ」

 

「しない」

 

「アレクさんより静かなら大丈夫」

 

「聞こえてるよ」

 

 舞台上からアレクの声がした。

 

「地獄耳ですね」

 

     ◇

 

 午後は剣劇の稽古になった。

 

「そこはもっと大きく受けて」

 

 ミレイユが客席側から声を飛ばす。

 

 アレクが模造剣を肩へ担ぐ。

 

「僕としては、もっと速い方が美しいと思うんだけど」

 

「速すぎると後ろの人に何してるか見えません」

 

「美しさとは一瞬だからこそ――」

 

「聞いてください」

 

「聞いてるよ」

 

「従ってください」

 

 レオンは舞台の端で王の台本を読んでいた。

 

 アレクがこちらを見る。

 

「レオン」

 

「嫌な予感」

 

「一本付き合ってくれないか?」

 

「俺、王様の台詞覚えないと肉抜かれるんだけど」

 

「少しくらい身体を動かした方が頭に入る」

 

「それ本当?」

 

「今考えた」

 

「やらない」

 

 ミレイユが模造剣を一本投げた。

 

 レオンが反射的に掴む。

 

「五分だけお願いします」

 

「ミレイユまで?」

 

「相手がいた方が動きを決めやすいので」

 

「終わったら台詞減らして」

 

「それとこれは別です」

 

 レオンは諦めて舞台中央へ出た。

 

 アレクが嬉しそうに剣を構える。

 

「本気で来ていい?」

 

「木の剣でも痛いから嫌だよ」

 

「では舞台用に」

 

 一歩。

 

 アレクが踏み込む。

 

 剣が横へ走った。

 

 レオンの腕が動く。

 

 軽い音が一つ。

 

 次の瞬間。

 

 アレクの剣先は舞台の外を向き、レオンの剣が彼の手首の少し上で止まっていた。

 

 集会所が静かになった。

 

「……あれ?」

 

 最初に言ったのはトキだった。

 

 アレクは自分の剣を見る。

 

 次にレオンを見る。

 

「今、何をした?」

 

「受けた」

 

「受けてない」

 

「受けたよ」

 

「僕の剣を横へ流して、手首を取っただろう」

 

「そういう受け方」

 

「舞台ではやらない受け方だ」

 

 レオンは剣を下ろした。

 

「だから駄目なんだよ」

 

 ミレイユが舞台へ上がる。

 

「今の、客席から全然分かりませんでした」

 

「ほら」

 

「ほら、じゃありません。もっと大きく!」

 

 レオンが今度こそ困った顔をする。

 

「当てないように大きく振る方が難しいんだけど」

 

「それをするのが剣劇です」

 

 アレクはまだレオンを見ていた。

 

「君、剣を習っていた?」

 

「昔ちょっと」

 

「ちょっと?」

 

「ちょっと」

 

 トキの手が自然に帳面へ伸びる。

 

 レオンが先に指差した。

 

「書かなくていい」

 

「まだ何も」

 

「顔で分かる」

 

「ミレイユさんみたいなこと言いますね」

 

 アレクは何か言いたそうだったが、結局剣を構え直した。

 

「なら今度は、舞台の剣を教えてくれ」

 

「俺が教わる側じゃない?」

 

「さっきのを見た後で言われても説得力がないよ」

 

 客席の端。

 

 リオが目を輝かせていた。

 

     ◇

 

 何度か合わせるうちに、レオンも舞台上の剣の振り方を覚え始めた。

 

 大きく。

 

 相手の身体より外へ。

 

 音はしっかり鳴らす。

 

 客から見える角度を取る。

 

「なるほど」

 

 剣を合わせながら、レオンが呟く。

 

「実際の剣とは逆だな」

 

 アレクの動きが一瞬止まった。

 

「何が?」

 

「実際なら、こんな大振りしたら隙だらけだろ」

 

「……レオン」

 

「ん?」

 

 アレクが口を開く。

 

 だがその時、ガドランが客席から声を飛ばした。

 

「そこ、もっと派手に転べ!」

 

「誰がです?」

 

「アレク」

 

「なぜ僕が!」

 

「お前なら格好よく転べる!」

 

「褒めてるようで全然嬉しくないんだけど!」

 

 話はそこで途切れた。

 

 レオンも気にした様子はなく、模造剣を肩へ乗せる。

 

 ミレイユは手を叩いた。

 

「はい、もう一回。今度は最後まで行きます!」

 

「まだやるの?」

 

「五分って言いましたけど、良くなってきたので」

 

「約束は?」

 

「芝居は生き物です」

 

 ガドランが大きく笑った。

 

「いいこと言うじゃねえか!」

 

「団長の悪い影響受けてる……」

 

     ◇

 

 日が傾き始めた頃。

 

 衣装を使わない簡単な通し稽古をすることになった。

 

 明日の客になる子供たちには帰るよう言ったが、結局何人かは入口から覗いている。

 

 リオは約束通り舞台袖にいた。

 

 トキの隣。

 

「そこなら出ないから大丈夫」

 

 リオが頷く。

 

 舞台ではレオンが王役として椅子に座った。

 

 王冠代わりに、なぜか裏返した木桶を頭へ乗せられている。

 

「これ必要?」

 

「位置確認だけなので」

 

 ミレイユが答える。

 

「王冠まだ直してるんです」

 

「だったら何もなくていいだろ」

 

「何かあった方が王様らしいです」

 

「桶だよ?」

 

 舞台袖でリオが笑いを堪えている。

 

 レオンはそれを見る。

 

「笑ってるな?」

 

 リオが首を横へ振る。

 

「いや、笑ってた」

 

「稽古中ですよ!」

 

 ミレイユが台本で舞台を叩く。

 

「最初から!」

 

「また?」

 

「レオンさんが止めたからでしょう!」

 

 トキが小声でリオに言う。

 

「たぶん今日中に終わらない」

 

「いつもこうなの?」

 

「だいたい」

 

「楽しそう」

 

 トキが舞台を見る。

 

 ミレイユは本気で怒っている。

 

 レオンは桶を被っている。

 

 アレクは花柄の幕から出る位置について、まだ最後まで納得していない。

 

 ガドランは腰を痛めているくせに、勝手に演出へ口を出している。

 

 イエローは舞台袖で破れた衣装を縫いながら、時折帳簿へ数字を書いていた。

 

「……まあ」

 

 トキは小さく笑った。

 

「退屈はしない」

 

 その時だった。

 

 遠くで鐘が鳴った。

 

 一度。

 

 皆の動きが少し止まる。

 

 二度。

 

 ガドランが顔を上げた。

 

 三度。

 

 外を走っていた子供たちの声が消える。

 

 間を置いて、さらに三度。

 

 ガドランが椅子から立った。

 

 腰へ手をやることさえ忘れている。

 

「何です?」

 

 ミレイユが訊く。

 

「祭りの鐘じゃねえ」

 

 集会所の外を、村の男が走っていった。

 

 その後ろから別の男。

 

「川だ!」

 

 声が聞こえた。

 

「橋が落ちたぞ!」

 

 客席の子供たちが一斉に扉へ向かう。

 

 リオの顔色が変わった。

 

 立ち上がる。

 

「どうした?」

 

 トキが訊く。

 

「妹……」

 

「え?」

 

「朝、羊が逃げたって。川の向こうの方に行ったって――」

 

 最後まで言わなかった。

 

 リオが駆け出す。

 

「リオ!」

 

 トキも追う。

 

 舞台上では、レオンがすでに木桶を投げ捨てていた。

 

「団長」

 

「ああ」

 

 ガドランが短く答える。

 

 今度は誰も、芝居の話をしなかった。

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