銀の小鳥座   作:コマ塩

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第8話 最後の舞台

 

 

 翌朝のロッカ村は、まだ朝靄が残るうちから騒がしかった。

 

 北の橋では、槌の音が続いている。

 

 川岸へ板を運ぶ男たち。荷車を押す若者。畑へ向かう女たち。昨日まで泥の中に倒れていた麦は、そのまま地面に伏したままだった。

 

 何も元通りにはなっていない。

 

 それでも、人はもう動き始めていた。

 

「だから、こんなに要りませんって!」

 

 村の入口では、ミレイユがそれとは別の問題に直面していた。

 

 馬車の荷台へ、次々と食べ物が運び込まれている。

 

 パン。

 

 じゃがいも。

 

 干し肉。

 

 卵。

 

 林檎。

 

「遠慮するな。昨日の芝居代だ」

 

 酒場の主人が干し肉の包みを押し込む。

 

「でも、村だって大変でしょう?」

 

「大変だからって礼をしちゃいけないのか?」

 

「そういう意味じゃ……」

 

「受け取っておきましょう」

 

 後ろからイエローが言った。

 

 すでに帳簿を開いている。

 

「断っても、たぶん置いていきます」

 

「そうだけど……」

 

「じゃがいも二袋。パン十二個。卵――」

 

 レオンが横から覗く。

 

「数えるんだ」

 

「数えます」

 

「公演料?」

 

「そうしておきます」

 

 ガドランが腕を組む。

 

「返さなくていいぞ」

 

 イエローは筆を止めない。

 

「次に来た時の参考にはなります」

 

「次来る前提なんだな」

 

「団長が来ると言ったので」

 

「俺、そんなはっきり言ったか?」

 

「言ってません」

 

「じゃあ何で」

 

「子供たちが来ると思っています」

 

 イエローはそこでようやく顔を上げた。

 

「団長より、あの子たちの方がしつこそうなので」

 

「それは否定できんな」

 

     ◇

 

 少し離れた場所では、アレクが子供たちに囲まれていた。

 

「剣やって!」

 

「昨日やっただろう」

 

「もう一回!」

 

「花のところから出てきたやつ!」

 

 アレクの笑顔が一瞬止まる。

 

「そこは覚えなくていい」

 

「花の騎士!」

 

「その呼び方もやめてくれ」

 

「花騎士!」

 

「増やすな!」

 

 トキが横で笑いながら帳面を開く。

 

 アレクがすぐ気づいた。

 

「書くな」

 

「もう書きました」

 

「早い!」

 

 そのトキの袖を、リオが引いた。

 

「これ」

 

 一枚の紙を差し出す。

 

「何?」

 

「昨日の」

 

 開いてみる。

 

 少し歪んだ文字。

 

『王様がおもしろかった』

 

『騎士が長かった』

 

『お姫様が強かった』

 

 その下には絵がある。

 

 白い髭の王。

 

 剣を構えた騎士。

 

 ドレス姿の姫。

 

 そして、なぜか他の三人より二倍ほど大きく描かれたガドラン。

 

「団長」

 

 トキが呼ぶ。

 

「何だ?」

 

「これ」

 

 ガドランが紙を覗き込む。

 

「おお、俺じゃねえか」

 

「大きいですね」

 

「存在感があるからな」

 

 リオが小さく言った。

 

「身体」

 

 数秒の沈黙。

 

 トキが顔を背ける。

 

「笑うな!」

 

「僕じゃないです」

 

「お前も笑ってるだろ!」

 

 リオはとうとう声を出して笑った。

 

 トキは紙を丁寧に折る。

 

「これ、もらっていい?」

 

「うん」

 

「ありがとう」

 

 帳面ではなく、自分の鞄の奥へしまった。

 

「そこに入れるんだ」

 

「なくしたくないから」

 

 リオは少しだけ嬉しそうにした。

 

「また来る?」

 

 トキが返事をする前に、ガドランが横から言う。

 

「そのうちな」

 

「いつ?」

 

「そのうち」

 

「来年?」

 

「予定が合えば」

 

「絶対?」

 

「お前ら兄妹、絶対って言葉好きだな」

 

 ガドランが困ったように頭を掻く。

 

「……努力する」

 

「弱い」

 

 ミレイユが横から言った。

 

 周りで笑いが起きた。

 

     ◇

 

 出発の時刻になる。

 

 ミナもセトも見送りに来ていた。

 

「王様!」

 

 御者台に座ったレオンが振り返る。

 

「もう王様じゃないよ」

 

「昨日は王様だった!」

 

「昨日だけね」

 

「またやって!」

 

 レオンが嫌そうな顔をするより先に、荷台からミレイユの声が飛んだ。

 

「評判よかったですからね」

 

「次もやる前提なの?」

 

「必要なら」

 

「俺、護衛なんだけど」

 

「昨日も言ってましたね」

 

「覚えてるなら尊重して」

 

 ミナが笑う。

 

 セトも少し離れたところで口元を緩めていた。

 

 レオンは二人へ手を上げる。

 

「元気で」

 

「そっちも」

 

 セトに返され、レオンが少しだけ目を丸くした。

 

「十一歳に心配された」

 

「昨日落ちかけてたから」

 

「それはそうだな」

 

 馬が歩き出す。

 

 古い看板が揺れる。

 

 御者台の脇では、港町でもらった不格好な木彫りの鳥が、小さく風を受けていた。

 

 今日はその隣に野花の束が増えている。

 

「また来てね!」

 

 ミナが叫ぶ。

 

「絶対!」

 

 リオも続く。

 

 ガドランが荷台から手を振る。

 

「努力するって言っただろ!」

 

「絶対ー!」

 

「人の話聞け!」

 

 笑い声が遠ざかっていった。

 

     ◇

 

 村が見えなくなってから、しばらくは静かだった。

 

 アレクは荷台の壁にもたれ、目を閉じている。

 

 ミレイユは衣装のほつれを確かめていた。

 

 イエローは帳簿。

 

 トキはさっきもらった紙をもう一度取り出している。

 

 レオンだけが御者台で前を見ていた。

 

 昼前。

 

 街道の先に、一人の男が立っていた。

 

 旅装姿。

 

 汚れてもいないし、豪華でもない。

 

 商人にも見える。

 

 どこかの家の使いにも見える。

 

 馬車が近づくと、男は道の端へ寄った。

 

「レオンさん」

 

 手綱が引かれる。

 

「俺?」

 

「はい」

 

 男は懐から白い封書を出した。

 

 何の印もない。

 

「預かりものです」

 

 レオンはすぐに手を出さなかった。

 

「誰から?」

 

 男は軽く頭を下げる。

 

「申し訳ありません」

 

「言えない?」

 

 返事はない。

 

 レオンはしばらく男を見た。

 

 やがて手を伸ばす。

 

「分かった」

 

 封書を受け取る。

 

 男はもう一度頭を下げ、そのまま来た道を戻っていった。

 

 トキが御者台から身を乗り出す。

 

「誰です?」

 

「知らない」

 

「知らない人から受け取るんですか?」

 

「もう受け取った」

 

「そういうことじゃありません」

 

 トキは去っていく男を目で追う。

 

「追います?」

 

「やめとけ」

 

 ガドランの声だった。

 

 荷台の入口に立っている。

 

 男が道の向こうへ消えるまで、その背中を見ていた。

 

 トキがすぐに振り返る。

 

「団長」

 

「何だ?」

 

「知ってます?」

 

「何を」

 

「今の人」

 

「知らん」

 

「じゃあ、手紙のことは?」

 

 ガドランは少しだけ考える。

 

「腹減ったな」

 

「今、完全に話変えましたよね?」

 

「次の町までどれくらいだ?」

 

「昼過ぎです」

 

「じゃあ飯はそこで」

 

「団長」

 

「何だ」

 

「誤魔化すの下手ですね」

 

「若いうちはそう見えるんだよ」

 

「どういう意味です?」

 

「知らん」

 

 トキは不満そうだったが、それ以上は追わなかった。

 

     ◇

 

 レオンは馬車を走らせながら、片手で封を切った。

 

 中には紙が一枚。

 

 短い。

 

 目を通す。

 

 折り直す。

 

 隣からトキが覗く。

 

「見えません」

 

「見せてないからね」

 

「何て?」

 

「内緒」

 

「珍しい」

 

「そう?」

 

「いつもなら『いろいろ』で終わらせるのに」

 

 レオンが少し笑った。

 

「成長した」

 

「悪い方向に」

 

 後ろからガドランの声が飛ぶ。

 

「面倒そうか?」

 

 レオンの指が一瞬止まる。

 

「……たぶん」

 

「そうか」

 

 それだけだった。

 

 トキがレオンを見る。

 

 次にガドランを見る。

 

 そして静かに帳面を開く。

 

「何書いてる?」

 

「『団長とレオン、何か隠している可能性あり』」

 

「消して」

 

「可能性です」

 

「余計悪い」

 

     ◇

 

 その夜。

 

 一座は次の町へ入る前に、街道脇で野営することになった。

 

 焚き火の上では、ロッカ村でもらったじゃがいもが煮えている。

 

「香草は?」

 

 鍋を覗いたアレクが訊く。

 

「ありません」

 

 イエローが答える。

 

「塩は?」

 

「あります」

 

「少し多めに」

 

「一人分ずつです」

 

「食事まで会計されるの?」

 

「旅なので」

 

 ミレイユは縫い物。

 

 トキは記録。

 

 レオンは少し離れたところで剣の手入れをしていた。

 

 ガドランだけが馬車の奥へ入り、しばらくして古い紙筒を抱えて戻ってきた。

 

「何です?」

 

 トキがすぐ近づく。

 

「地図」

 

「それは見れば分かります」

 

「最近の若い奴は質問が雑だな」

 

「団長に言われたくないです」

 

 地面へ広げる。

 

 ずいぶん古い地図だった。

 

 紙の端は擦れ、折り目はいくつも白くなっている。

 

 各地に、小さな銀色の丸が打たれていた。

 

「これ」

 

 トキの顔が近づく。

 

「公演した場所?」

 

「ああ」

 

「今までの?」

 

「昔のだ」

 

 ミレイユの手が止まる。

 

 イエローも帳簿から顔を上げた。

 

 地図の中には、さっきまでいたロッカ村の名もあった。

 

 トキの指がその印から西へ進む。

 

 町。

 

 村。

 

 港。

 

 さらに西。

 

 けれど、途中で銀色の丸がなくなる。

 

「ここから先は?」

 

 ミレイユが訊く。

 

「ない」

 

「行かなかったんですか?」

 

 ガドランは少し間を置いた。

 

「行けなかった」

 

 焚き火が小さく弾けた。

 

 それだけで、誰もすぐには聞き返さなかった。

 

 トキの指が地図の端まで進む。

 

 大陸の西。

 

 海へ突き出した土地に、一つだけ赤い丸があった。

 

 その横に、古びた文字。

 

「……『最後の舞台』」

 

 トキが読み上げる。

 

 アレクが眉を上げた。

 

「誰が書いたんだい?」

 

「昔の団長」

 

「何があるんです?」

 

 ミレイユが訊く。

 

「知らん」

 

「知らないんですか?」

 

「俺も行ってねえ」

 

 ガドランは赤い丸を見た。

 

「ただ、あの人はそこへ行きたがってた」

 

「どうして?」

 

「それも、詳しくは聞いてない」

 

 トキが少し首を傾げる。

 

「じゃあ団長は、そこへ行きたいんですか?」

 

「ああ」

 

 返事は早かった。

 

 ガドランは銀色の丸が途切れた場所を指で押さえる。

 

 そこから先。

 

 何も印のない土地をゆっくりなぞっていく。

 

 最後に、赤い丸へ辿り着く。

 

「こいつの続きをやる」

 

 誰も口を挟まなかった。

 

「昔の連中が行けなかったところまで、今の銀の小鳥座で行く」

 

 ガドランは赤い丸を指で軽く叩いた。

 

「そんで、そこで芝居をする」

 

 トキが地図を見たまま訊く。

 

「客がいなかったら?」

 

「探す」

 

「一人も?」

 

「一人くらいいるだろ」

 

「いなかったら?」

 

 ガドランが考える。

 

「お前が客やれ」

 

「僕、劇団員ですよ」

 

「じゃあレオン」

 

「俺も劇団員だろ」

 

「最近は役者でもある」

 

「勝手に増やすなって」

 

 少しだけ笑いが戻った。

 

 トキが帳面を開く。

 

「書いておきます」

 

「何を?」

 

「目的」

 

「忘れねえよ」

 

 トキは幕の話をしようとして、口を閉じた。

 

 代わりに地図へ目を落とす。

 

「……一応です」

 

「好きにしろ」

 

 イエローが赤い丸を見る。

 

「遠いんですか?」

 

「真っ直ぐ行けば半年くらい」

 

「真っ直ぐなら?」

 

 レオンが訊いた。

 

 ガドランは不思議そうな顔をする。

 

「寄り道するだろ」

 

「なんで当然みたいに」

 

「旅劇団だぞ」

 

 レオンは少し考えた。

 

「それもそうか」

 

     ◇

 

 夜が深くなった。

 

 皆が眠った後も、焚き火だけが小さく残っていた。

 

 レオンは一人、火のそばへ座っている。

 

 昼間の封書を取り出す。

 

 中の紙を開く。

 

 しばらく読む。

 

 火へ近づける。

 

 端へ橙色の光が映る。

 

 あと少し近づければ燃える。

 

 その手が止まった。

 

 結局、レオンは紙を折った。

 

 懐へ戻す。

 

 顔を上げる。

 

 馬車の横では、銀の小鳥を描いた古い看板が夜風に揺れていた。

 

 そのすぐ下で、木彫りの鳥も一緒に揺れている。

 

 馬車の中には古い地図。

 

 西の果てには、赤い丸。

 

 まだ誰も見ていない舞台。

 

 レオンは少しだけ火へ薪を足した。

 

 明日になれば、また馬車は進む。

 

 次の町へ。

 

 その次へ。

 

 そしていつか。

 

 最後の舞台へ。

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