倉田ヒロシ:¥ 1,000,000
どうぞ紅茶です。砂糖とミルクはお好みで
せっかく奥の部屋までお通しした訳ですからね。お客様は丁寧にもてなさないと探偵っぽくないでしょう。
事実、貴女も若干警戒しつつこっちの部屋まで来てくれた訳ですし。
こっちなら手配書も貼ってないので、緊張もほどけて話しやすくなるでしょう。最初からそうすればよかったのではと言われそうですが。
とにかく、手間が省けて助かりました。
ついてきたということは、是と捉えていいんですね?
「……コレ、後でお金取られたりしないっスよね?」
「まさか。ただの紅茶ですよ? 確かに少し高級なものではありますが……」
「マジで? いただきまーす。おいし~!」
……今の発言は聞かなかったことにしましょう。
今の所作は見事なものでした。紅茶を飲む姿だけならすごく様になってましたし、今でもどこかの応接間に招かれたお嬢様と言われれば信じてしまいそうです。
やたらお金の心配をしているのも僕を警戒しているが故。タダの相談所でタダの紅茶を出されたら、何か裏があると思うのが普通かもしれません。気持ちは分かります。変なことじゃない。
そして僕にも裏なんてありません。強いて言うなら、来客用に買った茶葉の賞味期限が近いくらい。
よし。
僕達の間に疚しいものは何もない。
「ではまず、お名前を伺ってもいいですか?」
「あ……宝生コトハっス。タカラと生きるのショウで、ホウショウ。高一っス」
「宝生さんですね。僕はくすりぶくろと書いてミナイと読みます。十七歳です」
「へ、へぇ~。一コ先輩なんスね。それに変わった名前……」
ふむ、一つ年下なんですね。
同い年ぐらいという読みは当たっていた訳です。
同年代から頼られることはあまりないんですけどね。
どこからうちのことを知ったんでしょう。
「……いやいや、そうじゃなくて」
「はい」
「依頼って……何をっスか? あたし、プレミアつくか聞きに来ただけなんスけど」
分かってますよ。
で、その答えは「プレミアはつかない」で終わりです。エラー紙幣でもなんでもないし、特別値段が高くなる訳でもない。
これはおそらく──五年前のATM荒らしで盗まれたお札。
指名手配犯、「倉田ヒロシ」に繋がる重要な手がかりの可能性があります。
この緑色の染み、これはATMの防犯装置が作動して吹き付けられたインクでしょう。海外では赤紫が多かったりしますが、日本では緑色のものも使われています。
緑のインクがあるお札は届け出を、と警察は呼びかけていますが、知らない人だって多いでしょう。普通に手元に回ってきたら「珍しいな」と思いつつ使ってしまうかもしれません。
しかし、今回のこれはピン札。盗まれた時点でお札がどうだったかは知りませんが、今も新札同然ということは犯行時から長らく手をつけず保管されていたことは確かです。
僕の調査では事件当時、倉田は三十代後半で、少々短気かつギャンブル依存症の気があったとのことです。お金を盗んだのも半ば衝動的だった。
しかし、それでもこれまで見つからなかったのは、犯行後すぐに拠点を移し、関係者との連絡を絶ったこと。そして、盗んだお札を使わなかったことにありました。
時効は七年なので後二年我慢すれば良かったのに。にもかかわらず、こうしてこのピン札が出回ったということは……足がつくからこのお金を使ってはいけないとしっかり認識し、保管していたということ。
だけど、普通の所持金が尽きてしまったのか、短気な性格が最後で顔を覗かせて……出来心から外に持ち出してしまったんですね。
もう今ならバレないだろうと。
五年も経ったし、流石に大丈夫だろうと。
ほんの少し使うだけだから誰にも気づかれないだろうと。
そもそも、こんなに金があるのにどうして我慢しなくちゃならないんだ。
俺は何のためにあんなリスクを冒してまでこの汚れた札束を手に入れたんだ。
そうした油断から、遂にこのお札を持ち出す判断をしてしまった訳です。
甘かったですね。
僕の眼は誤魔化せませんよ。
おっと本物の探偵でもないのに推理が長くなってしまった。
僕としたことが。
「このお札がどこから来たのか、僕の方で調べさせてほしいんです。宝生さんには、拾った時のことを詳しく教えていただきたい」
「えぇ……あたしそんなこと依頼してないんスけど」
「場合によっては、こちらから謝礼をお出しするかもしれません」
「そういやそんなこと依頼した気がしてきたっスね」
「えぇぇ切り替え早」
た、確かに食いついてくるだろうとは思いましたけど。
今までの態度から貴女が守銭……ちょっとお金にがめついのは想像ができていました。
大方、ここに来たのも「プレミアがつくかどうか知りたい」「でも鑑定にお金はかけたくない」「古銭屋で安く買い叩かれるのもイヤ」といったところでしょう。だから無償で何でも相談するうちに来た。
にしたってこんな掌の返し方しますか。
すっごいスピードでしたよ。
「一応聞いておくんスけど、謝礼ってお金っスよね。いくらっスか」
「ば、場合によります」
「場合によってはゼロってことっスか。無償の看板は支払いにも適用されるとか」
「……場合によっては、それなりの額になるということです」
「なんかなんでも喋りたくなってきたっスね……」
大丈夫かなこの人。
別に疑われるようなことでもないですよ。
僕としては、指名手配犯が「この近くでお金を持ち出した可能性がある」というだけで、喉から手が出るほど欲しい情報なんですから。
情報提供を求めるんだから、その対価として報酬を支払うのは至極当然のことです。
普段は無償で相談所やってますが、「当て」はあるので、今回もその「当て」から一割ほどを謝礼としてお支払いする予定でした。
周りからしても、「お金を払ってまで手配犯を捕まえたい探偵」にしか見えないだろうし、怪しまれる理由はないはずでは……。
……まあいいか。
こっちは乗り気。向こうも乗り気。唯一の懸念事項だった「どう説明するか」は案外簡単にクリアできてしまった訳です。
欲しい情報があるのにこれ以上勿体ぶるのも意味がありません。
宝生さんの機嫌が良いうちに絞れるだけ絞っておきましょう。
「……あれ? なんか今、すっごい悪い顔してなかったっスか?」
「気のせいですよ。少し考え事をしていただけです」
「考え事って顔じゃなかったっスけど……謝礼の額を値切る算段とかじゃないっスよね?」
「違います」
五年。
五年間、一度もお金を使わずに逃げ延びた人。
必ずしも犯人が倉田で確定という訳ではありませんが、近くで他にATM荒らしの被害を聞いたことはありませんし、別の犯人だとしても収穫がゼロで終わる訳じゃない。
それよりも、今このチャンスを逃す方が惜しい。
この人なら、きっと話す価値がある。
どうやって逃げ切ったのか。逃げるコツはあるのか。バレそうになったことはあるのか。そういう時はどう対処したのか。反省点などはあるか。
このお札が意味するのは、短気な前科持ちのギャンブル狂が我慢できなくなった。それだけです。
しかし、実績がある。だから、聞きたいことが山ほどある。
ここ半年、出会えたのは計画性のない空き巣や自転車泥棒ばかり。話を聞くたびにがっかりして、通報するたびにため息をついていた。
でも今回は違う。実際に警察の手から逃れ続けた人です。そこには、偶然だけでは説明のつかない何かがあるはず。
何ヶ月ぶりでしょうか。
こんな「当たり」は。
「では宝生さん」
そのお札を拾った時のこと、詳しく聞かせてください。
*
「──って感じっス」
「なるほど」
「先輩、これで何か分かるんスか?」
ええ、分かりますよ。
分かりすぎて、どこから手をつけたものか迷うくらいです。
整理すると……宝生さんのバイト先は、隣街の銭湯。担当は閉店後の掃除。
お札が落ちていたのは一昨日の夜、男湯の脱衣所。ロッカーの前の床に、一枚だけ。
店長さんに見せたら、「こんな汚れた札、落とし主も名乗り出ないだろ。見つけたのもお前だし、ラッキーだと思って持ってけ」と。事実、翌日になっても、取りに来たお客さんはいない。
ここから推測できることは沢山あります。
おそらく倉田は……元々、このお金をどこかで使うつもりで外に出た。
だけど、使う前に落としてしまった。ポケットにねじ込んでいたのか、財布からはみ出していたのか。服を脱ぐ時に、一緒に落ちたと考えるのが妥当でしょう。
五年も手をつけずにいたお金です。そんなものを持ち歩いているとなれば、手の一つや二つ、震えたっておかしくはありません。落としたことに気づかなくても、無理はない。
そして、気づいていないなら、取りに来るはずがない。気づいていたとしても、名乗り出られるはずがない。「そのあからさまに怪しい緑の一万円、僕のです」なんて。
どちらにしても、倉田ヒロシと矛盾しません。
しかも、落ちていた場所が重要です。
脱衣所で服を脱いだということは、お湯に浸かりに来たお客さんだということ。拠点が全然別の場所なのに、大事なお金を持ってわざわざ遠くの銭湯を訪れる理由はないでしょう。隣街は観光地でもないので、旅行者というのも考えにくい。移動中だとしても、お湯に浸かるほど余裕があるとは思えません。
年配の店長が座る番台なら、多少怪しいお札でも崩せるかもしれない。
けれど、それが目的なら番台で出しているはずです。お札は店長さんの手元ではなく、脱衣所の床にあった。使いに来たのではなく、ポケットに入れたまま、普段通りお風呂に入りに来ただけでしょう。
今どき銭湯に通うのは、ほとんどが近所の常連さん。
それも、家にお風呂がない人。
築何十年の、お風呂なしの安アパート。家賃が安くて、入居の審査もゆるい部屋。
身を潜めるには、これ以上の場所はありません。
彼女が持ってきた情報は、倉田が「今も隣街にいる可能性」を大きく底上げしてくれるものでした。
「あー紅茶おいし~。贅沢の味がする~」
ただ、のんびりはしていられない。
もしかしたら、お札を落としたことに気づいて、嫌な予感を覚えている可能性もゼロではありません。どこで落としたかを思い出そうとして、それが近所の銭湯だと気づいたら……。
今まで倉田が僕のかくれんぼに引っかからなかったのは、僕の範囲のずっと外にいたから。
僕は出かける度に近くに「当たり」が来ていないかチェックを回していますが、それで倉田が引っかかった経験は今のところゼロです。遠出することはほぼ無かったと考えられるでしょう。
だからといって、今後もずっと隣街に残り続けてくれる……そんな風に考えるのは甘すぎる。五年前、犯行の後すぐに住む場所を変えて、知り合いとの連絡も全部断った人です。危ないと思えば、きっとまた同じことをする。
一昨日の夜から、今日で二日。
動くのは早い方がいい。
「でも先輩、銭湯の近所ってだけじゃ、めちゃくちゃ広くないっスか? どうやって探すんスか?」
「そこは探偵の腕の見せ所という奴ですよ」
銭湯に歩いて通える範囲といえば、どれくらいでしょう。
数百メートル、人によってはもっと。自転車があれば一キロ先からでも通える。
対して、僕が分かるのは半径百から二百メートル。
銭湯の前に立っただけでは、届かない可能性も十分にある。
となると今回の作戦は、特によく使う「ローラー作戦」に限ります。
能力を全開で発動させ続け、銭湯を中心にその一帯を少しずつずらしながら回り続ける。
自転車で一本ずつ道を潰していき、隣街の範囲を超えそうになったら開始地点に戻ってもう一周同じ手順を。この流れを倉田本人が見つかるまで繰り返す。
しかも、僕に分かるのは倉田の家どころじゃない、現時点の本人の居場所です。家にいなくても構わない。買い物に出ていても、どこかでぶらぶらしていても、範囲に入りさえすればいい。
短気で、ギャンブル好きの気がある人。休日なら、駅前のパチンコ屋さんにでも行っているかもしれませんね。それならそれで、駅の方まで足を延ばせば済む話です。
回る順番は、銭湯から近い道を先に。古いアパートが固まっている辺りがあれば、そこを重点的に。他に目星があればそっちも回っていって。少しずつ円を広げていけば、取りこぼしはほとんどない。
どこかで入れ違う可能性もありますが、潜伏中の人間がそう頻繁には移動しないでしょう。かなりの時間は人目につかないよう特定の場所に籠っていると予想できます。
本物の探偵らしく、一軒ずつ聞いて回る必要も、張り込む必要もない。
この能力さえあれば、走っているだけで、勝手に分かる。
「探偵の腕……具体的には何するんスか?」
「地道に足で探すんです。銭湯の周りを、少しずつ」
「うへぇ……探偵って、そういう感じなんスか。奥の手があるみたいな言い方したのに」
別に嘘はついてませんよ。足で探すのは本当です。
その足がペダルを漕いでいるだけ。聞き込みとかは一切しません。
あまり探偵らしくない手段ではありますが、それが一番早いんです。
まさか「自転車で走り回っていれば分かるんです」とは言えませんし。
能力のことは、誰にも言っていない。
目立つ人間はいずれ誰かに詳しく調べられますし、今の暮らしも相談所の評判も、全部「推理の得意な高校生」という前提の上に成り立っています。
それに、いつか一回だけやってみたいというのも、この能力が誰にも知られていないことが前提です。誰かに知られた時点で容疑者として僕の名前が挙がってしまうから、全部台無しになる。
加えて、目の前の宝生さん。
悪い人じゃないのは分かります。ただ、お金に対してちょっと正直すぎる。
謝礼の一言であそこまで態度を変えた人です。もっと高い値段をつける誰かが現れたら……まあ、考えすぎかもしれませんけど。考えすぎて困ることはありません。
「とにかく、明日から探してみます。何か分かったら、ご連絡しますね」
「了解っス! あ、連絡先交換しとくっスか」
「お願いします」
明日はちょうど休日です。
朝から動けば、日が暮れるまでにかなりの範囲を回れる。
一人なら推理のふりをする必要もない。地図を広げて考え込む演技も、それらしい理由を用意しておく手間もいらない。見つけてから後で考えればいい。
理由なら、後からいくらでも付けられます。
毎日銭湯に通う人なら、近所のスーパーにもコンビニにもコインランドリーにも顔を出しているはず。そこで聞き込みをして、似た人を見かけたという話を集めて、絞り込んだ。
そういうことにしておけば誰も疑わない。
実際に聞いて回ったかどうかなんて、誰も確かめませんから。
本当にやれば丸一日、いや何日かかるか分からない作業です。
それを、自転車で流すだけで済ませられる。
ずるい? かもしれません。
でも、かくれんぼで負けない人間が、わざわざ負けそうな探し方をする理由もないでしょう。
「じゃ、明日からよろしくお願いしますっス、先輩!」
……?
よろしくおねがいします?
探すのは僕で、情報提供は終わったので貴女の仕事は終わりなんですが……。
……あっ、明日から「頑張ってください」って意味ですね。
勿論、頑張らせていただきますよ。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
*
「……? どうしたんスか。探さないんスか」
「待ってください。なんでいるんですか」
おかしい。
そんなはずは。
どうしてこんなことに。
「休みなんで。てか昨日先輩に言ったじゃないっスか、明日からよろしくって」
「言われましたけど……」
「探偵は地道な仕事なんスよね? じゃあ二人いた方が効率的っスよ!」
「な……」
……ご、誤算!
今までそんな物好きいなかったから気にしてませんでしたが……。
……え、これ、付いてくるんですか?
冗談ですよね?
宝生さんは私服。動きやすそうな軽装で、自転車なんて持って来ていない。当たり前だ。この人は、地道な聞き込みで僕が探してると思ってるんだから、ただ走るだけの自転車なんて必要ないと思ってる。
僕はレンタル自転車で済ませようと思ってましたが……そんなことしたら、「なんで自転車なんて使うんスか」と聞いてくることは必至。自転車で走り回っていたら、「なんで走るだけで分かったんスか」って聞いてくることも容易に予想できる。
そして、僕はそれに対して「能力を使っているからです」としか答えられない。
……あ、あれ?
「今から『大量のお金』に繋がるイベントを、先輩一人に全部任せるってのも不安なんで」
「そんなことしませんよ?」
「する人はみんなそう言うっス。で、どっから聞き込みするんスか?」
あ、ああ……。
大量のお金という仄めかし。
場合によって変動する謝礼。
資金源が不透明な謎の探偵。
これに対し、守銭奴の宝生さんが怪しむのも……至極当然。
やることが本当に地道な聞き込みだけなら、人手が良い口実になるのも事実。
だとすると、僕のローラー作戦は……。
「……まずは、そこのコインランドリーから行きましょうか」
「了解っス!」
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