「――ということがありましてぇ」
(ぅうわぁぁぁぁぁぁぁ……)
思い出した。
言った。
確かに言った。
目の前の少年と、パーティーを組もうと。
セネカは両手で頭を抱えた。
酔った勢いとはいえ、なんて大胆なことをしてしまったのだろう。
いや、大胆というより無謀である。
初対面の相手を、素性も能力も確かめずにパーティーへ勧誘するなど、十一年も冒険者を続けてきた人間のすることではない。
(何考えてたんだ昨日のアタシ!? 何も考えてねーのか! そりゃそうだ!)
昨日の体内アルコールまみれの自分に問い詰めたいことは山ほどある。
だが、残念ながら昨日の自分はここにいない。
いるのは、酒カスの自分が残した厄介な置き土産だけである。
(いや、でもマジ? 嘘でしょ? こんなちんくしゃなガキと仕事しろっての?)
セネカは恐る恐る顔を上げた。
寝台の上では、ニッペがちょこんと正座している。
小柄な身体に、丸みを帯びた幼い顔立ち。
どう見ても十歳前後の子供にしか見えない。
本人は成人していると言っていたが、正直なところ、いまだに信じられなかった。
「?」
こてん。
(いっちょ前に可愛い仕草しやがって……)
何がそんなに不思議なのか、ニッペは首を傾げたままセネカを見つめている。
その無邪気な視線が、今は妙に痛かった。
(……てかやっべえ。酒場の借金もあんのに、ママんとこにも金返さなきゃじゃん!)
昨夜の出来事を思い出したことで、別の問題まで蘇ってきた。
最初の酒場では、途中からの飲み代を踏み倒す形になってしまった。
そして『酔いどれ』でも、マーリャに代金をツケてもらっている。
つまり、現在のセネカは二軒の店に借金を抱えているわけだ。
しかも、昨日まで一緒に稼いでいた仲間はもういない。
(――だってーのに、ソロ! 一人じゃこのあたりのクエストすんのキツいし……。簡単なのは報酬安いし……)
B級冒険者ともなれば、それなりに高額な依頼を受けられる。
しかし、高額な依頼には相応の危険が伴う。
これまでセネカが安定して仕事をこなせていたのは、前衛を務める自分に加え、魔法使いのルミンと弓使いのマークスがいたからだ。
三人であれば対応できた状況も、一人となれば話は変わってくる。
かといって、低難度の依頼ばかりでは生活費を稼ぐのが精一杯だ。
ましてや、今は借金まである。
セネカは目の前の少年を見つめた。
ニッペは相変わらず、にこにこと笑っている。
(……やるしかないのかぁ)
長い、長いため息が漏れた。
「どうかしましたぁ?」
「わーったわよ! 組む! 一度言ったことを無かったことにはしない!」
「ほんとですかぁ!?」
ぱあっ、とニッペの顔が輝いた。
まるで待ち望んでいた贈り物をもらったかのような、満面の笑みである。
(嬉しそうにしやがって……こっちは頭抱えてるってのに)
しかし、ここまで喜ばれてしまうと、今さら断るのも気が引ける。
何より、一度交わした約束を酒のせいにして反故にするのは、セネカ自身の性分に合わなかった。
「ハァ……取り敢えず、着替えるから一旦外出ろ」
「はぁい」
ニッペは素直に返事をすると、寝台からぴょこんと降りた。
そのまま扉へ向かい、出ていく直前にもう一度ぺこりと頭を下げる。
ぱたん。
扉が閉まった。
ようやく一人になったセネカは、寝台に仰向けで倒れ込んだ。
「……マジかぁ」
天井を見上げる。
見慣れた蜘蛛の巣が、今日も変わらずそこにあった。
昨日までの自分なら、こんな展開は想像もしなかっただろう。
十一年間連れ添った仲間が引退し、その翌日には見知らぬ少年と新しいパーティーを組むことになる。
人生とは、実に分からないものである。
もっとも。
「……まずは、あいつが何できるか確認しないとね」
セネカは重い身体を起こした。
酔った勢いで結んだ約束とはいえ、パーティーを組む以上、相手の能力を把握しておく必要がある。
冒険者の仕事は命懸けだ。
どれほど人柄がよくても、それだけで魔獣を倒せるわけではない。
セネカは手早く着替えを済ませ、いつもの緑を基調とした服に袖を通した。
栗毛を左右にまとめ、身だしなみを整える。
そして、扉の向こうで待っていたニッペを部屋へ招き入れた。
「ンじゃ早速だけど、面接するわよ」
「はい。……はい?」
ニッペが首を傾げた。
「いや当然でしょ。アンタが何できるのか把握しとかなきゃなんだから、こっちは。アンタだってアタシが何できるか知っとかないと、いざという時困るでしょ」
セネカは椅子に腰掛け、向かいの席を指差した。
ニッペは言われるがまま、ちょこんと腰を下ろす。
「なるほどぉ。さすがベテランのおねぇさん」
「セネカよ。セネカ・ロッソ」
そういえば、まだきちんと名乗っていなかった。
昨夜はそれどころではなかったし、今朝も叫んでばかりだったのだ。
「これはご丁寧にぃ。ニッペともうしますぅ」
「あーはいはい、ニッペね。もう分かったから」
昨夜から数えれば、これで何度目の自己紹介だろう。
律儀な少年である。
セネカは小さく咳払いをすると、気を取り直して質問を始めた。
「ンじゃ早速だけど、あんた出身地は? 雪国とか言ってたけど、具体的に何処よ。スノウロア皇国?」
「?」
こてん。
「いやなんでそこで首傾げんのよ」
「雪国は雪国ですよぉ?」
「いやだから国名とか! 村の名前とか色々あんでしょ!」
「雪国としかぁ」
「いやマジで何処よ」
会話が成立しているようで、まるで成立していない。
セネカは眉間を揉んだ。
出身地を尋ねているだけなのに、どうしてこうも話が進まないのだろうか。
もっとも、雪国という言葉から思い浮かぶ土地はいくつかある。
その代表格が、先ほど名前を挙げたスノウロア皇国だ。
寒冷な気候で知られる北方の国であり、雪国という呼び名にも十分当てはまる。
しかし、ニッペの反応を見る限り、どうやら違うらしい。
となると、他には……。
ふと、セネカの脳裏に一つの地名が浮かんだ。
それは、かつて伝説の冒険者が赴いたとされる場所。
冬の女王の支配地。
北の最北。
氷の大地。
年中吹き荒れる猛吹雪と、あらゆる生命を拒絶する極寒の世界。
おとぎ話や英雄譚には登場するものの、実際にそこへ辿り着いた者はほとんどいないとされる、遥か北方の秘境である。
(……まさかね)
セネカは即座にその考えを打ち消した。
(だって、人が住める場所じゃないでしょ)
あんな場所で生活できる生物など、いるはずがない。
少なくとも、目の前にいるような、のんびりした少年が暮らしている姿は想像できなかった。
(大体ここは東方のアルゼリオン王国よ? 海またいで来てるじゃない)
もし本当にあの氷の大地から来たのなら、相当な距離を移動したことになる。
しかも、その道中には海まである。
小さな少年が、たった一人で越えてこられるような道のりではない。
(地続きな分、スノウロアの方が現実味があるわ)
セネカは心の中で頷いた。
そうだ。
きっと、どこかの雪深い村から来たのだろう。
本人が地理に疎いだけかもしれない。
そう考えれば、まだ納得できる。
「じゃあ、あんたがそんな格好してんのも、その雪国出身だから?」
「はいぃ。そうなりますねぇ」
ニッペは自分の服装を見下ろした。
厚手の服に手袋、ニット帽、マフラー。
どう見ても寒冷地仕様である。
もっとも、今は室内だというのに、暑がる様子はまったくなかった。
「ところでセネカさん?」
「何?」
「今日は寒いですねぇ」
「何処がだ!!」
思わず即答した。
窓の外は快晴。
日差しは暖かく、室内にいる分むしろ過ごしやすい気温である。
セネカなど、二日酔いのせいで少し汗ばんでいるくらいだ。
にもかかわらず、目の前の少年は真冬の格好をしたまま寒いと言い出した。
どういう感覚をしているのだろう。
雪国育ちなら、むしろ寒さには強いはずではないのか。
セネカは深く考えるのをやめた。
「はぁ、まぁいいわ。じゃあ次、
「ろぉる?」
「要はアンタの立ち位置よ。得意分野とかなんかないの? 剣が使えたりとかさ」
冒険者のパーティーにおいて、役割分担は重要である。
前衛で敵を引きつける者。
後方から魔法で援護する者。
弓や投擲武器で遠距離攻撃を担当する者。
それぞれが自分の得意分野を活かすことで、格上の魔獣とも渡り合える。
セネカ自身は剣と盾を使う前衛型だ。
だからこそ、新しい仲間には自分に足りない能力を期待したかった。
できれば魔法。
それが無理なら、せめて遠距離攻撃。
贅沢は言わない。
何か一つでも、戦闘に役立つ特技があればいい。
「ん~……? あっ」
「お?」
ニッペが何かを思いついたように手を叩いた。
セネカは身を乗り出す。
「剣はありませんけど、包丁ならありますよぉ。料理とかします。従兄弟におそわったんですよ?」
「……あっそう」
料理。
確かに、旅先で温かい食事が作れるのはありがたい。
野営の際にも重宝するだろう。
しかし、今聞きたいのはそういうことではない。
セネカは次の答えに期待した。
「後はぁ、このリュック。従姉弟が作ってくれたんですよぉ。いっぱい物が入ります」
「……うん」
ニッペは嬉しそうに、背負っていた大きなリュックを示した。
確かに、身体に不釣り合いなほど大きな荷物である。
それだけ物が入るのなら、旅の荷運びには便利かもしれない。
しかし。
違う。
そうじゃない。
セネカが知りたいのは、そういうことではないのだ。
「それとぉ、焚き火を着けるの得意です。雪国だと火を絶やさないようにするのがふつうなのでぇ」
「…………」
沈黙。
セネカは無言でニッペを見つめた。
料理。
荷物運び。
火起こし。
どれも冒険には役立つ技能である。
役立つのだが。
問題は、それらが戦闘能力とはまるで関係ないことだった。
いや、もちろん大切な仕事だ。
長距離の遠征やダンジョン探索では、そうした後方支援を専門とする者もいる。
食料や装備を管理し、荷物を運び、野営の準備を整える。
彼らの存在がなければ成立しない冒険も多い。
しかし、今のセネカが欲しかったのは――。
ガンッ!
セネカは勢いよく机に肘をつき、両手で頭を抱えた。
「……ぽ、
絞り出すような声だった。
(よりにもよってポーターっ!? こっちはアタッカーやマジックユーザーみたいな即戦力が欲しいってのに……!)
昨日までのパーティーなら、それでもよかった。
セネカが前衛を務め、マークスが弓で援護し、ルミンが魔法を放つ。
そこに荷物持ちが加われば、遠征の負担も減っただろう。
だが、今は違う。
マークスもルミンもいない。
前衛も後衛も、戦闘を担当できるのはセネカ一人だけだ。
(別に遠征するつもりも、ダンジョンに行く予定もないっての!! あーもう、如何すんのよぉ~!!)
借金はある。
仲間はいない。
高難度の依頼を一人で受けるのは危険。
そして、ようやくできた新しい仲間は、どうやら荷物持ち向き。
状況は、まったく改善していなかった。
むしろ、守るべき相手が増えた分、悪化している可能性すらある。
セネカは机に突っ伏した。
「……あぁぁぁ……」
情けない呻き声が漏れる。
そんな彼女を、ニッペは不思議そうに眺めていた。
自分なりに得意なことを一生懸命説明したつもりなのだが、どうやら期待していた答えとは違ったらしい。
それでも、セネカが困っていることだけは分かった。
「……あのぉ」
「……何よぉ」
「荷物持ちなら、うち、がんばりますよぉ?」
「…………」
セネカは顔を上げた。
ニッペは、にこにこと笑っている。
何の打算もない、実に素直な笑顔だった。
その顔を見ていると、怒るに怒れない。
そもそも、勝手に期待したのは自分である。
勝手に誘ったのも自分だ。
ニッペには何の落ち度もない。
それが分かっているからこそ、余計に頭が痛かった。
(……あー、もう)
セネカは再び頭を抱えた。
どうやら、今年は厄年らしい。
――もっとも。
彼女はまだ知らなかった。
目の前でのんびりと微笑んでいる、この小さな少年が。
「はぁ~、考えても仕方がないか……うし!」
セネカは自分に言い聞かせるように呟くと、パンッと両膝を叩いて立ち上がった。
いつまでも頭を抱えていたところで、ニッペに戦闘能力が生えてくるわけではない。
そもそも、まだ実際に戦うところを見たわけでもないのだ。案外、何かしらの才能が眠っているかもしれない。
……まあ、本人の自己申告を聞く限り、あまり期待はできそうにないが。
(とにかく、今はできることからやるしかない!)
セネカは気持ちを切り替えると、ニッペへ向き直った。
「ギルド行くよ! まずは登録しないと話にならないからね!」
「お~、ギルド! こころがおどる響きですねぇ」
ニッペは嬉しそうに両手を上げた。
その反応だけなら、これから冒険に出かけるというより、遠足を楽しみにしている子供そのものである。
セネカは一抹の不安を覚えたが、今さら考えても仕方がない。
「ほら、行くわよ」
「はぁい」
ニッペが大きなリュックを背負い直す。
セネカも剣と盾を確かめると、部屋の扉を開けた。
二人は並んで廊下を進み、階段を下りていく。
朝の宿屋は、すでに活気に満ちていた。
食堂からは食器の触れ合う音が聞こえ、焼きたてのパンと温かなスープの香りが漂ってくる。
そんな中、セネカは何気なく受付の前を通り過ぎようとした。
そのときだった。
「……あの~、お客さん?」
「……ん?」
呼び止められ、セネカは足を止めた。
受付にいた宿の従業員が、何とも言えない表情でこちらを見つめている。
心配そうな顔。
しかし、その目元にはうっすらと疲労の色が浮かんでいた。
「大丈夫ですか?」
その一言で、セネカはすべてを察した。
今朝の大絶叫。
宿中に響き渡った、あの凄まじい悲鳴。
そういえば、隣室から何かが倒れるような音も聞こえた気がする。
階下でも、誰かが盛大にむせていたような……。
セネカの顔が、じわじわと赤くなっていく。
「……大声出してホントすんません……」
深々と頭を下げた。
冒険者歴十一年。
B級冒険者、セネカ・ロッソ。
昨夜は酒場の女主人に蹴り飛ばされ、今朝は宿屋の従業員に謝罪している。
我ながら、何とも情けない一日の始まりだった。
一方、その隣では。
「?」
こてん。
ニッペが不思議そうに首を傾げていた。
どうやら、自分が今朝の大騒動の原因の一端を担っているという自覚は、まるでないらしい。
セネカはその姿を横目で見て、もう一度だけ深いため息をついた。
(……先が思いやられるわ)
こうして二人は、ようやく冒険者ギルドへ向かうことになったのである。
◇
ワイワイ、ガヤガヤ。
朝から冒険者ギルドは、大勢の人々で賑わっていた。
重厚な木製の扉を開ければ、まず耳に飛び込んでくるのは、冒険者たちの威勢のよい声。
今日の依頼について仲間と相談する者。
掲示板に張り出された依頼書を眺める者。
昨夜の酒が抜けきっていないのか、隅の長椅子でぐったりしている者。
その顔ぶれは実に様々だった。
壁には各地の地図や魔獣に関する注意書きが張られ、奥の掲示板には大小様々な依頼書が所狭しと並んでいる。
革鎧の擦れる音。
床板を踏み鳴らす重い靴音。
そして、どこからともなく漂ってくる革と鉄の匂い。
どれもセネカにとっては、十一年間慣れ親しんできたものだった。
「おお~」
その隣で、ニッペが感嘆の声を漏らした。
小さな身体を目いっぱい伸ばし、物珍しそうに周囲を見回している。
初めて訪れる冒険者ギルド。
そこには、彼が思い描いていた冒険者の世界が広がっていた。
もっとも、周囲の冒険者たちからすれば、巨大なリュックを背負った小さな少年の方がよほど珍しい存在だったのだが。
「ほら、こっちよ。まずは受付」
「はぁい」
セネカは人混みを慣れた足取りですり抜け、受付カウンターへ向かった。
そして、そこに座っている人物を見た瞬間。
「……げ」
露骨に顔をしかめた。
受付の向こうでは、一人の女性職員が書類を整理していた。
整った身なり。
きっちりとまとめられた髪。
そして、何を考えているのかさっぱり分からない無表情。
女性は二人の来訪に気づくと、手元の書類を揃え、淀みのない口調で挨拶を始めた。
「ようこそいらっしゃいました。こちら冒険者ギルド、アルゼリオン王国所属、ベルノン支部です。当ギルドの受付を務めさせていただきます。ミディ・レナートと申します」
流れるような口上だった。
おそらく一日に何十回と繰り返しているのだろう。
声の抑揚も、姿勢も、表情も、寸分の狂いがない。
まさに受付職員の鑑である。
ただし。
「……うげ。よりにもよってアンタかよ」
「うげとは失礼ですね。新婚夫婦に捨てられて立ち行かなくなっているセネカ・ロッソさん」
「喧嘩売ってんの?」
「売ってきたのは其方でしょうに」
口が悪かった。
いや、正確には言葉遣い自体は丁寧なのだ。
問題は、その丁寧な言葉に包まれた中身である。
ミディ・レナート。
冒険者ギルド、ベルノン支部に勤める受付職員の一人。
仕事は正確かつ迅速。
どんな相手にも態度を変えず、淡々と業務をこなすその姿から、冒険者たちには『鉄面皮』という通称で呼ばれていた。
もっとも、セネカに言わせれば、鉄面皮というより単なる毒舌女である。
そしてミディの方も、セネカを遠慮なくからかえる程度には、長い付き合いだった。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
「仕事。あと新入り連れてきた」
「新入り? 其方にいるお子さんが?」
ミディの視線が、セネカの隣へ移った。
カウンターの前に立つニッペは、背伸びをするようにして彼女を見上げていた。
目が合うと、にこりと笑う。
「はじめましてぇ。ニッペともうしますぅ。今日はですね? 冒険者になりに来ましたぁ」
「…………カワイイ」
「ん? なんか言った?」
「いえ、何も」
即答だった。
表情は微動だにしていない。
しかし、セネカは聞き逃さなかった。
今、明らかに何か言った。
しかも、普段の事務的な口調とはまるで違う声だった。
「ギルドでは十五歳以下の冒険者の登録は御法度です。お忘れですか?」
「知ってる。コイツ、こんな見た目で成人してんだってさ」
「…………」
ちらっ。
ミディがニッペを見る。
「?」
こてん。
「…………ゴウホウショタ」
「やっぱなんか言ってるわよね、さっきから」
「いえ、何も」
(いや絶対言っただろ)
セネカは半眼になった。
だが、ミディは何事もなかったかのように書類を取り出している。
その鉄面皮は、今日も実に頑丈だった。
「成人をしているのであれば結構。ですが、冒険者登録には登録料が必要となります」
「アタシが立て替えとく」
「おや、そんなお金があるんですね。酒屋二店で借金を拵えてきたセネカ・ロッソさん」
「――やっぱ喧嘩売ってるよなぁ! お前なぁ!」
セネカがカウンターに身を乗り出した。
どうしてこの女は、こうも人の痛いところを正確に突いてくるのだろうか。
しかも、なぜ昨夜の借金まで知っている。
情報が早すぎる。
ミディは涼しい顔で書類を広げた。
「早速ですが、ニッペさんは冒険者としての前歴は?」
「ありませぇん」
「では、何か得意分野は?」
「ん~、料理とかぁ、荷物運んだりとかぁですかねぇ」
「では、役割はポーターと……」
さらさらと羽根ペンが走る。
ミディは迷うことなく記入していった。
その様子を眺めながら、セネカは複雑な気分になった。
(……やっぱポーターになるわよねぇ)
今朝の面接で聞いた限り、ほかに適切な役割は思いつかない。
本人もそれを望んでいるようだし、ひとまずは仕方ないだろう。
「出身地はどちらで?」
「雪国から来ましたぁ」
「正式名称をお答えください」
「知らないのよ、そいつ。自分の故郷の名前」
「それはまた……」
ミディの羽根ペンが止まった。
無表情のままニッペを見つめる。
ニッペはにこにこしている。
まったく困っていない。
むしろ、何が問題なのか分かっていない様子だった。
ミディはしばらく考え込んだあと、再びペンを動かした。
「では、北の皇国付近とでも書いておきましょう」
「あ~、それでいいでしょ」
「ご迷惑をおかけしますぅ」
ニッペがぺこりと頭を下げる。
その律儀な仕草に、ミディのペン先が一瞬だけ止まった。
しかし、すぐに何事もなかったかのように書類の記入を続けた。
必要事項を埋め終えると、登録料を受け取り、所定の手続きを進めていく。
やがて、最後の確認を終えたミディが顔を上げた。
「はい、登録完了いたしました。ようこそニッペ様、冒険者ギルドへ。職員一同、新たな納税者の加入を歓迎致します」
「隠せ隠せ、ちったぁよぉ」
思わずセネカが突っ込んだ。
冒険者は、依頼を達成すれば報酬を受け取る。
そして当然、その報酬には所定の税がかかる。
ギルドが冒険者を歓迎する理由の一つであることは間違いない。
間違いないのだが。
それを本人の前で堂々と言う受付職員がどこにいる。
「ありがとうございますぅ。これからよろしくお願いしますね?」
しかし、ニッペは素直に喜んでいた。
両手を揃え、深々とお辞儀をする。
ミディは、その姿をじっと見つめた。
「…………モチカエリタイ」
「だから隠せよ! ちったぁよぉ!」
「何のことでしょう」
鉄面皮は崩れない。
だが、セネカには分かった。
この女、完全に気に入っている。
何をとは言わない。
言いたくもない。
「ンじゃ早速だけど仕事頂戴。アタシ、コイツと組むから楽な奴ね」
「はっ? 許せん」
「知るかショタコン!! さっさと依頼書もってこいよ!!」
ミディの口から、初めて感情らしいものが漏れた。
もっとも、顔は相変わらず無表情だったが。
セネカはカウンターを指で叩いた。
これ以上付き合っていたら、日が暮れてしまう。
何より、今日はニッペの冒険者としての初仕事を決める必要があるのだ。
ミディは小さく息を吐くと、仕事用の表情――もっとも、普段とまったく変わらないのだが――に戻った。
「ニッペ様はE級冒険者ですので、選べる仕事はそう多くはありません」
冒険者ギルドでは、登録したばかりの新人は原則としてE級から始まる。
受注できる依頼にも制限があり、いきなり危険な仕事を請け負うことはできない。
ニッペも例外ではなかった。
「しかし、セネカさんがついているのであれば、D級の採取クエストをご紹介できます」
「なにがありますかぁ?」
「此方を」
ミディは手元の書類を一枚抜き取り、カウンターの上へ置いた。
ニッペが興味津々といった様子で覗き込む。
「ん~? 何々?」
そこには、次のように記されていた。
――――――――――――――――
【クエスト依頼】
食料ありったけ持ってきてくれ
依頼主:町の酒場店主
依頼内容:
酒場の食料が足りなくなってきてる。至急、大量の食料を持ってきてほしい。
種類は問わない。肉でも魚でも野菜でも果物でも、何でもいいからジャンジャン持ってきてくれ。
持ってきてくれた量によって報酬は前後する。
依頼等級:D級
――――――――――――――――
「此方、酒場の店主様からのご依頼となっております」
「へぇ。悪くないわね」
セネカは依頼書に目を通した。
食料の調達。
討伐対象が指定されているわけでもなく、採取する品目にも細かな制限はない。
危険な魔獣を相手にしなくても、森で食べられる木の実や野草を集めれば、ある程度の報酬は見込めるだろう。
腕に覚えがあれば、獲物を狩って肉を持ち帰ることもできる。
何より、持ち帰った量がそのまま報酬に反映されるという点が魅力的だった。
「此方の依頼でしたら、ニッペさんのポーターの役割を十分に果たせるかと」
「OK、了解したわ。コイツを受けるわ。あんたもそれでいいわね?」
「かまいせぇん」
ニッペはにこにこと頷いた。
どうやら、初めての依頼に胸を躍らせているらしい。
セネカも悪くない選択だと思った。
戦闘能力が未知数のニッペを連れて、いきなり危険な依頼に挑むわけにはいかない。
まずは安全な場所で採取を行い、どの程度動けるのかを確かめる。
それならば、ベテラン冒険者としても納得できる。
「それから――」
「ん?」
依頼書を受け取ろうとしたセネカを、ミディが呼び止めた。
その声には、いつもと変わらぬ事務的な響きがあった。
「店主様から個人的な伝言が届いております」
「……伝言?」
「はい」
ミディは一拍置いた。
そして、無表情のまま告げた。
「『とっとと金払え食い逃げ女』とのことです」
「………わ、わかってるわよ」
セネカは視線を逸らした。
今朝から何度目になるか分からない、深いため息が漏れる。
どうやら、昨夜のツケは思っていた以上に早く取り立てられそうだった。
その隣で、ニッペが不思議そうに首を傾げる。
「セネカさん、食い逃げしたんですかぁ?」
「してないわよ! ……いや、したっちゃしたけど! ちゃんと払うから!」
「そうなんですねぇ」
「納得すんな!!」
受付の向こうでは、ミディが無表情のまま書類を揃えていた。
ただ、その口元がほんのわずかに緩んでいたことに、セネカは気づかなかった。
こうして。
B級冒険者セネカ・ロッソと、新米E級冒険者ニッペ。
奇妙な二人組の、記念すべき初めての依頼が決まったのである。
◇
「ミディさん」
セネカとニッペがギルドを出て、しばらく経った頃。
受付で書類の整理をしていたミディに、一人の男性職員が声をかけてきた。
その表情は、どこか強張っている。
「どうかなさいましたか?」
ミディは手を止め、顔を上げた。
「先ほど冒険者から報告が上がりまして、近辺の森にA級魔獣の痕跡が見られたと」
「…………」
ミディの羽根ペンが、ぴたりと止まった。
A級魔獣。
それは、熟練の冒険者でさえ容易には手を出せない、極めて危険な存在である。
つい昨日、この町の近郊でB級魔獣である衝撃猪《インパルスボア》が討伐されたばかりだ。
その翌日に、今度はA級魔獣の痕跡が発見されたという。
偶然にしては、少々出来すぎている。
「……確かですか?」
「は、はい。幸いにも森の深層で見かけたそうなので、この近辺はしばらく問題ないかと」
男性職員はそう答えたものの、その声には不安が滲んでいた。
森の深層。
人の手がほとんど入らず、強力な魔獣が生息する危険地帯。
確かに、そこから出てこないのであれば、町への直接的な脅威にはならないだろう。
だが、それはあくまで、出てこなければの話である。
魔獣の行動に絶対などない。
ましてや、相手はA級だ。
「種類は?」
「わ、分かりません……。何分、情報が少ないものですから」
「…………」
ミディはしばし沈黙した。
いつもと変わらぬ無表情。
しかし、その瞳は先ほどまでとは明らかに違っていた。
冗談も、皮肉もない。
ただ、目の前の情報を冷静に吟味する、ギルド職員としての顔だった。
A級魔獣の痕跡が発見された。
しかし、種類は不明。
目撃場所は森の深層。
現時点では、それ以上の情報がない。
判断材料としては、あまりにも心許なかった。
とはいえ、情報が揃うまで何もしないわけにもいかない。
「直ちに冒険者全員にお触れを出します。貴方はこの件をギルド長に報告してください」
「わ、分かりました!」
男性職員は慌ただしく頭を下げると、足早に奥の執務室へ向かっていった。
その背中を見送ったミディは、手元の書類へ視線を落とした。
そこには、つい先ほど受理したばかりの依頼が記録されている。
食料調達。
D級採取依頼。
受注者――セネカ・ロッソ、ニッペ。
「…………」
ミディは無言でその名前を見つめた。
セネカはB級冒険者だ。
経験も実力もある。
少なくとも、危険を察知すれば適切に対処できるだけの判断力は持ち合わせている。
……酒さえ入っていなければ。
問題は、もう一人の方だった。
今日登録したばかりの新米冒険者。
小柄で、礼儀正しく、妙にのんびりした雪国の少年。
ニッペ。
彼の戦闘能力について、ギルドにはまだ何の情報もない。
本人が申告した得意分野は、料理と荷物運び。
登録上の役割は荷物持ち《ポーター》。
仮にA級魔獣と遭遇するようなことがあれば、ひとたまりもないだろう。
ミディは小さく息を吐いた。
(……何事も、なければよいのですが)
その願いが誰に向けられたものなのか。
彼女自身、あえて考えないことにした。
窓の外では、朝の日差しが町を明るく照らしている。
今日もベルノンの町は平和だった。
人々は働き、商人たちは声を張り上げ、冒険者たちはそれぞれの依頼へと向かっていく。
その日常のすぐ外側に、何が潜んでいるのかも知らずに。
ミディは立ち上がり、注意喚起のための書類を取り出した。
まずは情報を共有しなければならない。
被害が出てからでは遅いのだ。
羽根ペンが、紙の上を走り始める。
――その頃。
何も知らない一人の女冒険者と、雪国から来た小さな少年は。
記念すべき初めての依頼に向けて、意気揚々と町を歩いていた。
もっとも、女冒険者の方は、借金の返済について頭を悩ませていたのだが。
第三話 了