お目汚ししたらごめんなさい
西暦二〇十五年、夏が顔を覗かせ始めた頃、俺は母を亡くした。
死因は脳梗塞。発見が遅れたため、搬送先の病院でそのまま息を引き取った。
その頃の俺は...どうだろう、何をしていたかよく覚えていない。ジメジメとした空気を浴びながら、登校していた気がする。あるいは、欠伸を飲み込みながら授業に出席していたか...俺が学校に行っていなければ、あるいは母のちょっとした異常に、朝早くから気づいていれば...いや、これは結果論でしかない。今更考えたところで、母の命が戻ることはない。
そんなアクシデントが起きたものだから、そこから俺は屍骸同然の生活を送っていた。
元々父親はいなかった。酒癖も女癖も悪い父親だったものだから、気の強かった母は、そんな父親を見限って俺が生まれて早々に、俺を連れて家を出た、らしい。
女手一つで、親戚の存在も知らずに育ったことで、俺は母以外からの愛を知らなかった。だからだろう、母がいなくなってからは、最低限の栄養の摂取を行い、泥のように眠る日々。それら以外をする理由がなかった、学校にも行かなかった。母を苦労させないようにと、最低でも高校を出て働こうとしていたからだ。だが、それをする相手はもういない。
そんな生活を送っていたからだろうか、栄養失調なのか、運命であったのか、死因はわからない。俺は自室で一人死んでいた。孤独死というものだ。
まぁ、生きる理由なんてもうなかった。母の幸せのために生き、母を幸せにするために生きていたのだ、そんな生きる理由がなくなるんじゃあ、生きる理由はない。そう思っていた。
だが、俺は気づいたら、何もない空間にいた。文字通り、何もない。強いて言うならば...真っ白か、あるいは真っ黒か。どっちとも取れるであろう、そんな空間。
俺はそこで目が覚めた。目が覚めたというのはおかしいだろうか、なんというべきであろうか...言うなれば、意識だけがそこにあった。
もちろん困惑はあった、なんせ気が付いたらそこにいたのだから。
自身の所在が分かりきる前に、どこからか、優しい、透き通るような女の声が聞こえてきた。
「さぞ辛い人生であったでしょう、並木様。」
俺の名前、並木 優雅を呼ぶ声が聞こえた。
「...そーですかね、そうかもしれませんね。」
困惑冷めきらない俺は、そう返すしかなかった。
「あなたをここにお呼びしたのはほかでもありません。」
目の前が光に包まれた。光が明けるとそこには、少女が立っていた。
金の髪を持ち、服は、女神と聞くとイメージされるような服、ヒマティオンのようなもの。
背丈は155cmほど、少女と呼ぶに適した外見。
「並木様、あなたには、かの悪しき魔王を討ち取っていただきたく、お呼びいたしました。」
「...はぁ、魔王。」
「えぇ、魔王です...そういえば、並木様のいらっしゃった世界には、魔王は存在しなかったんです、よね」
「そ、そっすね。創作物の中でしか見たことないですね。」
正直、何を言っているのかわからなかった。魔王、異世界転生物、RPGゲームなどの創作物の、想像上の物を出されてわかるはずがない。戯言のようにも聞こえるであろう。
「あの...ここ、どこですか?」
俺は矢継ぎ早にそう質問をした。だってそうだろう、どこかもわからない、自身の状態もわからないまま、魔王なんかの話を切り出されたんだ。
「お伝えするのを忘れておりました。ここは、創神異界。いわゆる、天国のようなところです。」
創神異界。やけにごつい名前だ。
「は、はぁ...なるほど?んで、魔王ってのはなんですか?」
「並木様に分かりやすく魔王と呼称いたしましたが、厳密には神の成れの果てです。」
もっとわからなくなってしまった。魔王ですら受け入れがたいのに、神の成れの果て?堕天使のようなものであろうか。
「私が管理している世界は五つほどあり、それぞれの世界ごとに複数柱の神々がいます。ですが、その神々は、ふとしたきっかけで堕ちることがあるのです。世界で種族間の戦争が起きたり、世界の均衡が崩れるようなこと...一つの種族が台頭して世界を支配しだすなど、です。」
そんなものでいいのかと思った。神とは普通、全知全能であり、人々を救うものではないのか。
「その世界の神々も、私たちに創られたものですから、いわばかかしのようなものです。意思のあるかかし、でしょうか。」
「かかし...なるほど、しかし、その神々が堕ちることでなにがあるんですか?」
「我々の落ち度ではあるのですが...神々が堕ちると、我々ではどうすることもできません。我々の力の一角を与えることで動くものですから、神同士が傷つけあうことは許されていません。もちろん、裁判、処刑のようなものもありますが、壇上に落ちた神々、魔王が上ることはないです。」
「なるほどねぇ...そんなやつらに、人間がどうこうできるんすか?」
当然の疑問であろう。神ですらどうにも裁けない存在が、人間の力ごときでどうにかできるようには思えない。
「えぇ、そこはご安心ください。力を直接与える...なんてことはできないですが、並木様に行っていただきたい世界でのサポートを行わせていただきます。」
「はぁ...サポートすか。」
「はい、そうです。具体的なものは、あちらに着いてから伝えるのですが...よろしいでしょうか。」
いいわけないだろう。何もわからないのに、知らない土地で、この目の前の少女が何者かもまだよく知らないのに。
「力を与える、ということはできないのですが、どの世界でも、人間に限らずどの種族でも、生まれ持った能力があります。」
「はぁ、能力...でもそんなん持ってないんすけど。」
「世界によって気質が違いますので、発現するかどうかは、その世界によりますね。並木様の世界には魔力が存在せず、その代わり文明が発達しておりましたので。」
納得したいが、できない。できるはずもない。能力何てそんな非現実的なもの...だが、あるとしたならば、信じるほかないだろう。今現在、こんなことが起きているのだから。
「実際に並木様の能力を確認できるのは、向かっていただく世界に着いてからとなります。」
「...その世界って、今の姿のまま行けたりするんすか?なんかあるじゃないすか、転生したら赤ちゃんに生まれ変わってたとか。」
「そちらはお選びいただけますが...赤子に転生するとなりましたら、今お持ちの能力が変わる可能性がございます。いかがいたしますか?」
「...能力って、どんなんがあるんすか。」
「それは人によりますね。肉体強化、魔法強化、薬学、製造など、それは多岐にわたります。」
「なるほどねぇ...え、俺行ったほうがいいんですかね。」
「もちろん断っていただくことも可能です。しかし、断られましたら並木様の意識はその途端切れ、存在が消滅してしまいます。」
「...」
母は常日頃言っていた。"何者にでもなりなさい"と。意味は分かっていなかった...今もあまりわかってはいないが、母は適当な人だったから、まぁ、俺がどう解釈しようと笑ってくれるだろう。
母が亡くなったあの日から、俺は生きる意味なんて無いと思っていた。母の言葉を蔑ろにしてまであのどうしようもない、屍骸のような日々を送ってしまった。
だが、チャンスが巡ってきた、考え直す時間もできた...できるのだろうか、俺が。いや、やるしかないだろう。
「...乗らせていただきます、その話。」
「...ありがとうございます、並木様。でしたら、少々お待ちください。転生の準備をさせていただきます。並木様の意識が途切れましたら、転生開始の合図でございます。」
「うすおねしゃす。」
母の没後からまさかこのようなことになるなんて思わなかった。...母はどう思うだろうか、こんな俺を。学校にすら行かず、亡き母を弔いもせず屍骸のような生活を送る日々。俺はどう思うだろうか、こんなのが息子で。
しかしどう考えても、母は俺を笑うことはしない...はずだ。母の言葉をいいように解釈して前に進むしかない、だろう。
お目汚し失礼しました