男女比1:50の世界に転生した僕、金持ちイケメンなので好き放題遊んでいたら女たちが戦争を始めた 作:泥酔ネコ
僕には、前世の記憶がある。
といっても、自分が何者だったのか、どんな仕事をしていたのか、どうやって死んだのか。そういうことは、どうにも曖昧だ。
ただ、はっきり覚えていることもある。
前の世界では、男と女の数はだいたい同じだった。
男が女を口説くのも普通だったし、付き合ってもいない男女が二人きりで出かけることだって珍しくなかった。
少なくとも、女の子の腰に手を回したくらいで、こんな大騒ぎにはならなかったはずだ。
「ア、アレン様……!」
「ん?」
「お、お手が……!」
「腰?」
「は、はい……!」
「嫌?」
「い、いえ! 決して、そのようなことは!」
「じゃあいいじゃん。ほら、もっとこっち来なよ」
「ひゃっ……!」
僕が腰を引き寄せると、銀髪の美女は小さく悲鳴を上げた。
ヴィクトリア・ヴァレンタイン。
二十四歳。
世界有数の巨大複合企業、ヴァレンタイン・グループの最高経営責任者。
従業員数は四十万人を超え、傘下企業は金融、医療、通信、軍需と、手広く商売をしている。
もちろん、彼女自身もとんでもない金持ちだ。
そんな女が、僕に腰を抱かれただけで耳まで真っ赤にしている。
「……アレン様」
「なに?」
「少し、近すぎるのでは……」
「そう?」
「はい。あの、心の準備が……」
「じゃあ離れる?」
「……!」
ヴィクトリアが慌てて首を振った。
「い、いえ! その必要はありません!」
「そう? よかった」
まったく、可愛い女だ。
ちなみに、この女は三年前、敵対企業の幹部を八人まとめて失脚させたことで有名である。
当時、わずか二十一歳。
先代から経営権を引き継いだばかりの若い女社長が、年上の経営者たちを次々に追い落としたというので、財界では大変な話題になったらしい。
以来、ついたあだ名が《銀の女帝》。
僕からすれば、ちょっと照れ屋で可愛いお姉さんなのだけれど。
やっぱり、世の中は不思議なものである。
◆
僕が暮らしているのは、ネオ・アルカディアという巨大都市だ。
人口は約二千万人。
天を突く摩天楼。夜空を染める巨大な立体広告。高架道路を走る無人車両に、ビルの谷間を行き交う配送ドローン。
街のどこへ行っても、企業の名前が目に入る。
水道はアクアダイン社。電力はクロフォード・エネルギー。通信はヴァレンタイン・ネットワーク。
街路に設置された監視カメラから、空を飛ぶ警備ドローンに至るまで、どこかの企業の所有物だ。
警察だって例外ではない。
この街には市警察もあるが、金持ちの住む中央区では、各企業の私設警備部隊の方がよほど幅を利かせている。
企業が金を出し、企業が街を整備し、企業が武器を持つ。
当然、企業同士が揉めれば、銃撃戦になることだってある。
そういう世界だ。
そして、もう一つ。
この世界は、僕がかつて暮らしていた世界とは、決定的に違っていた。
男が少ないのである。
どのくらい少ないのか。
男女比、およそ一対五十。
生物学的な男の出生率が、何世代も前から異常に低いらしい。
詳しい原因については、旧時代の遺伝子改良技術がどうとか、生殖細胞の汚染がどうとか、学校で習った覚えがある。
まあ、忘れた。
ともかく、男が希少なのだ。
そして、需要に対して供給が少ないものは、値段が上がる。
これは経済の基本である。
この世界の男たちは、総じてお高くとまっている。
男が女を口説くなんて、滅多にない。
女性から告白されても簡単には返事をしないし、ましてや、付き合ってもいない女に身体を触らせるなんて、よほどのことだ。
富裕層の男性に至っては、結婚するまで純潔を守る者も珍しくない。
婚約前の男性と二人きりで食事をしたというだけで、女性が親族から問い詰められることさえある。
もっとも、下層街に行けば事情は違うし、男だって色々いる。
それでも、前世の常識と比べれば、ずいぶん窮屈な社会だと思う。
僕には理解できない。
だって、可愛い女の子が向こうから寄ってきてくれるのだ。
遊ばない理由が、どこにあるというのか。
しかも。
「ねえ、ヴィクトリア」
「は、はい!」
「キスしていい?」
「……っ!」
ヴィクトリアが息を呑んだ。
それから、ちらちらと周囲を見回す。
今いるのは、地上百二十階の会員制クラブ《ヘヴンズ・ゲート》。
個室ではないが、僕たちが座っているのは他の客から離れた特別席だ。
彼女の視線を追うと、少し離れたところに控えていた女性従業員が、さっと顔を背けた。
気を利かせてくれたらしい。
「……その」
「ん?」
「私などで、よろしいのでしょうか」
「ヴィクトリアがいいんだけど」
「…………!」
彼女はぎゅっと目を閉じた。
なんだ、してほしいんじゃん。
僕は彼女の頬に軽く口づけた。
「はい、おしまい」
「…………」
「ヴィクトリア?」
「…………」
固まってしまった。
この世界の女性は、こういうところが本当に面白い。
◆
僕の名前は、アレン・クロフォード。
二十歳。
ネオ・アルカディアを代表する巨大企業、クロフォード・グループの創業家次男である。
容姿については、自分で言うのもなんだけれど、かなり恵まれていると思う。
黒い髪に、整った目鼻立ち。
背もそれなりに高い。
幼い頃から、女たちに可愛いだの美しいだのと褒められて育った。
おかげで、自分の顔がいいという自覚は十分にある。
そのうえ、金持ちだ。
おまけに男である。
つまり、僕はこの世界において、相当に恵まれた存在なのだった。
ありがたいことである。
前世の記憶が戻ったのは、物心がついた頃だった。
突然、知らない街や人々の記憶が頭に浮かぶようになった。
男女が当たり前のように一緒に働き、街を歩き、気軽に交際する世界。
今となっては、もう夢だったのかどうかも怪しい。
けれど、僕は知っている。
女の子と手を繋ぐことは、そんなに大事件ではない。
好きな相手に好きと言うのも、別におかしなことではない。
そして、綺麗な女性とそういう関係になりたいと思うことだって、特別恥ずかしいことではないのだ。
そういう感覚だけは、今でも残っている。
もっとも、わざわざ他人に話したことはない。
転生者だなんて言ったところで、頭がおかしくなったと思われるのが関の山だろう。
「アレン様?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「何か、お悩みでしょうか」
「ううん。ヴィクトリアって美人だなって」
「……!」
彼女は再び顔を赤くした。
実に分かりやすい。
「ところで、ヴィクトリアって本当に二十四歳なの?」
「……はい?」
彼女は不思議そうな顔をした。
「今年で二十四になりますが……」
「いや、若いなあと思って」
「……お褒めいただいているのでしょうか?」
「もちろん。こんな若くて美人なのに、あんな大きな会社の社長なんだからすごいよね」
ヴィクトリアは頬を赤らめた。
「そ、そんな……。私など、まだまだ未熟な経営者です」
「そうなの?」
「はい。先代の母は七十三歳まで会長を務めておりましたし、私など足元にも及びません」
謙遜だろう。
彼女は二十一歳でヴァレンタイン・グループの経営権を引き継いだ。
以来、わずか三年で反対派の役員を追放し、競合企業をいくつも買収している。
財界では冷酷な女帝などと呼ばれているらしい。
僕からすれば、照れ屋で可愛いお姉さんなのだけれど。
「でもさ、七十三歳で引退って早くない?」
「……そうでしょうか?」
「だって、まだまだ働ける年齢じゃん」
「母はもともと健康状態が優れませんでしたから」
「ああ、そうだったね」
この世界では、七十三歳なんて、金持ちにとってはまだまだ働き盛りだ。
現に僕の父は、今年で八十一歳になる。
けれど、見た目は四十歳前後の立派な中年男性である。
髪はふさふさだし、肌に目立った皺もない。僕よりずっと元気なくらいだ。
理由は簡単。
金があるからだ。
この世界では、人間の寿命すら金で買える。
遺伝子修復療法、細胞の老化抑制、人工臓器、全身の生体組織を再生する若返り治療。
医療技術の発展は、もはや人間の寿命という概念を変えてしまっていた。
超富裕層なら百五十歳、あるいは二百歳近くまで生きる者もいる。
しかも、ただ長生きするだけではない。
若いのだ。
百歳を超えた大企業の会長が、四十代にしか見えない顔で記者会見を開く。
そんな光景が珍しくない。
僕の祖母なんて、百二歳なのにどう見ても五十歳くらいである。
恐ろしい。
もちろん、死ななくなったわけではない。
脳の老化は完全には止められないし、事故や病気で死ぬこともある。
それでも、百年以上の時間を若々しい身体で過ごせるのだから、十分すぎるほど素晴らしい技術だろう。
ただし。
これは、あくまで金持ちの話である。
ネオ・アルカディアの下層区には、四十歳で老人のようになった労働者が珍しくない。
粗悪な義体を使い、汚染された空気を吸い、ろくな医療も受けられずに働き続ける。
彼女たちは、金持ちが若返り治療を一度受けるために使う金額を、一生かかっても稼げないことがある。
同じ都市に住んでいるのに、寿命が倍以上違うのだ。
まったく、ひどい格差社会である。
まあ、僕は金持ちなので、あまり困らないのだけれど。
「アレン様?」
「あ、ごめん。また考え事してた」
「お疲れなのでは?」
「いや、ヴィクトリアはこの先百年以上も美人なんだろうなって」
「……!」
「いいよね。僕も若いままでいたいなあ」
「そ、それでしたら!」
ヴィクトリアが身を乗り出した。
「我が社の医療部門が開発した最新の細胞修復療法がございます! 従来のものより副作用が少なく、長期的な老化抑制効果も――」
「へえ」
「もちろん、アレン様には無償で提供いたします!」
「いや、うちの会社にもあるでしょ、そういうの」
「……そう、ですね」
しゅん、と肩を落とす。
あらら。
可哀想なことをした。
「でも、ありがとね」
僕は彼女の手を握った。
「ヴィクトリアって優しいね。そういうところ好きだよ」
「…………」
顔が真っ赤になった。
やっぱり可愛いなあ、この女。
「ねえ、今度さ」
「は、はい!」
「一緒に温泉でも行かない? 若返りにいいやつ」
「お、温泉……!」
「うん。二人でゆっくりしたいな」
ヴィクトリアは胸元に手を当てた。
呼吸が少し荒い。
体調でも悪いのだろうか。
「……アレン様」
「ん?」
「それは、その……混浴、でしょうか?」
「そりゃあ、せっかくだし」
「…………」
彼女は両手で顔を覆った。
指の隙間から、真っ赤になった耳が覗いている。
ああ、もう。
なんて可愛い女なんだ。
「そういえば、ヴィクトリアの家にも温泉ってあるの?」
「……え?」
「ほら、郊外に別荘持ってるじゃん。あそこに温泉とかないの?」
「ございます! ございますが……!」
「じゃあ、そこ行こうよ」
「……!」
「泊まりでさ。ね?」
ヴィクトリアは数秒間、口をぱくぱくと動かした。
それから、震える声で答えた。
「……よ、喜んで」
「やった」
僕はご機嫌になった。
豪華な温泉付きの別荘。
しかも、こんな美人と二人きり。
楽しみである。
「ただ、今週はちょっと忙しいんだよね。来週でもいい?」
「もちろんです!」
「じゃあ、来週末にしようか」
「はい……!」
「楽しみにしてるね」
ヴィクトリアが嬉しそうに微笑んだ。
こうして見ると、本当に可愛い。
普段は何万人もの社員を顎で使っている女社長とは思えないくらいだ。
「そういえばさ」
「はい?」
「ヴィクトリアって、僕が他の女の子と遊んでも怒らないよね?」
その笑顔が止まった。
「…………」
「あれ?」
「……もちろんです」
少し間があった。
「アレン様ほど素晴らしい男性でしたら、女性が放っておくはずもありませんから」
「だよね」
「ただ……」
「ん?」
「今夜は、私だけを見ていただけませんか?」
ヴィクトリアが上目遣いに僕を見つめた。
その顔が、あまりにも可愛かったので。
「いいよ」
僕はもう一度、彼女の腰を抱いた。
「今はヴィクトリアとデートしてるんだし」
「……!」
「今日はいっぱい甘えていいよ」
彼女は何も言わなかった。
ただ、僕の胸に顔を埋めたまま、しばらく動かなくなった。
うん。
可愛い。
こういう女の子は、つい甘やかしたくなる。
◆
「坊ちゃま」
クラブの専用エレベーターを降りると、イリスが待っていた。
栗色の髪を後ろで束ねた、背の高い女である。
年齢は二十六歳。
クロフォード・グループの企業軍に所属する、僕の専属護衛隊長だ。
左目には軍用の視覚増強インプラント。
首の後ろには神経接続端子。
黒いジャケットの下には、携帯火器と対弾防護装備を隠している。
この街では金持ちの移動に護衛がつくのは普通だが、男性の場合は少し事情が違う。
誘拐目的の犯罪組織があるからだ。
希少な男性は、闇市場でとんでもない価値を持つ。
ましてや僕はクロフォード家の御曹司である。
身代金だけでも、一財産になることだろう。
だから父は、僕が外出するたびに護衛を付けたがる。
正直、鬱陶しい。
ただし、イリスは別だ。
美人だし、気が利くし、何より僕の言うことをよく聞いてくれる。
「お待たせ」
「お楽しみいただけましたか?」
「うん。ヴィクトリアと今度、温泉旅行に行くことになった」
「……そうですか」
イリスの表情が、わずかに曇った。
「それは、何よりです」
「ねえ、明日の約束、覚えてる?」
「もちろんです。十三時にお迎えに上がります」
「よかった。何着てくる?」
「……服、ですか?」
「うん。私服」
「いつもの私服ですが……」
「えー。せっかくデートするんだから、可愛い格好してきてよ」
イリスが足を止めた。
「……デート?」
「そうだよ」
「私と、坊ちゃまが?」
「他に誰がいるの?」
「…………」
イリスの左目が、青く点滅した。
あれ?
また故障かな。
「イリス?」
「……失礼いたしました」
「大丈夫?」
「はい。少々、驚いただけです」
「なんで?」
「……坊ちゃまにとって、デートというのは」
「うん?」
「どういった意味なのでしょうか」
変なことを聞く。
「そりゃ、好きな女の子と遊びに行くことじゃない?」
「…………」
「僕、イリスのこと好きだよ?」
イリスが、ぴたりと動かなくなった。
それから、ゆっくりと顔を背けた。
「……ありがとうございます」
声が震えていた。
僕は首を傾げる。
そんなに嬉しかったのかな。
まあ、嬉しいならいいか。
「じゃあ、明日楽しみにしてるね」
「……はい」
「あとさ」
「はい」
「買い物終わったら、ホテルでも行かない?」
イリスが咳き込んだ。
珍しい。
戦闘用に呼吸器まで強化しているはずなのに。
「ぼ、坊ちゃま……!」
「嫌ならいいけど」
「嫌ではありません!」
即答だった。
「ただ、その……!」
「なに?」
「心の準備が……!」
ふむ。
どうやら、嫌ではないらしい。
「じゃあ、明日の気分で決めよっか」
「…………」
「無理にとは言わないよ。普通に買い物するだけでも楽しいし」
「……はい」
イリスは小さく頷いた。
耳が赤い。
そういえば、彼女とも知り合って結構長いけれど、こういう誘い方をしたのは初めてだったかもしれない。
もっと早く誘ってあげればよかったな。
いつも僕のために働いてくれているわけだし。
明日は、何かプレゼントでも買ってあげよう。
「そうだ、イリス」
「はい」
「明日、服も買ってあげるね」
「……服、ですか?」
「うん。可愛いの」
「い、いえ、そのような高価なものをいただくわけには……!」
「いいって。僕が見たいだけだし」
「……しかし」
「僕からのプレゼント、嫌?」
「……っ!」
イリスは、また顔を背けた。
「……ありがたく、頂戴いたします」
「うん。楽しみにしてて」
僕は上機嫌で車に乗り込んだ。
車内には、革張りのソファと冷蔵庫、それから大型の映像端末が備え付けられている。
運転席との間は防弾ガラスで仕切られ、車体の外側には小型の迎撃装置まで取り付けられていた。
普通の乗用車なら何台買えるのか、僕は知らない。
父が買ってくれたものだからだ。
まあ、乗り心地はいい。
それで十分である。
「出して」
『かしこまりました、アレン様』
車載AIが答え、車が静かに動き出した。
窓の外を、ネオ・アルカディアの夜景が流れていく。
巨大な広告の中では、若返り医療を宣伝する美女が微笑んでいた。
『あなたの百年を、もっと美しく』
なかなかいい宣伝文句だ。
僕も、この先百年くらいは若いまま遊んで暮らしたいものである。
◆
ネオ・アルカディア中央区。
ヴァレンタイン・グループ本社。
地上百八十階の超高層ビル、その最上階。
深夜にもかかわらず、十数人の役員が会議室に集められていた。
全員、女である。
この街では珍しいことではない。
企業の幹部も、兵士も、警察官も、政治家も、その大半が女性なのだ。
男性が要職に就くこともあるが、数は少ない。
それだけに、クロフォード家のような由緒ある男性経営者の一族は、財界でも特別な存在だった。
「……以上が、クロフォード・グループの主要資産です」
財務担当役員が報告を終えた。
壁一面のホログラムには、膨大な数字と企業名が浮かんでいる。
クロフォード・グループ。
総資産、およそ三兆クレジット。
電力、港湾物流、軍需、不動産を中心とする巨大複合企業。
ヴァレンタイン・グループにとっては、長年の競争相手でもある。
「現在のクロフォードは、経営状態も比較的安定しています。特にエネルギー部門は、中央区の電力供給の四割を占めており――」
「弱点は?」
ヴィクトリアが遮った。
「……はい?」
「弱点よ。どこを叩けば崩れるの?」
役員たちが顔を見合わせた。
報告を担当していた役員は、九十六歳。
しかし、その容姿は四十代ほどにしか見えない。
長年にわたってヴァレンタイン家に仕えてきた、経営陣の重鎮である。
「会長。失礼ですが、クロフォードとの全面的な対立は、当社にとっても大きな損失を招きかねません」
「そうね」
「それに、先方は大規模な企業軍を保有しています。安易な買収工作は軍事的な衝突に発展する可能性も――」
「知っているわ」
ヴィクトリアは微笑んだ。
「だから、慎重に進めましょう」
「……と、申しますと」
「まず、港湾事業から」
彼女が指を動かす。
画面に、新港区の建設計画が表示された。
「ここ。クロフォードが建設している新ターミナル。資金調達を外部の金融機関に依存しているわね」
「はい。ですが、融資団には当社と取引のある銀行も含まれており――」
「なら、話が早いでしょう?」
「…………」
「債権を買い集めなさい。もちろん、正規の取引でね」
会議室が静まり返った。
ヴィクトリアは、淡々と指示を続ける。
「次に、不動産。クロフォードが保有する中央区の高級住宅地について調べてちょうだい」
「住宅地、ですか?」
「ええ」
ヴィクトリアは頷いた。
「特に、クロフォード家の本邸がある地区を」
一人の役員が、恐る恐る尋ねた。
「会長……今回の計画には、何か特別な目的があるのでしょうか」
「もちろん」
ヴィクトリアは嬉しそうに答えた。
「私、結婚したいの」
「…………」
「アレン様と」
会議室が、凍りついた。
その名前を知らない者はいなかった。
アレン・クロフォード。
クロフォード家の次男。
二十歳。
類まれな美貌を持つ、若き御曹司。
そして、ヴィクトリアが数年来、執心している男性。
「……会長。大変申し上げにくいのですが」
「なに?」
「それと、クロフォード・グループへの敵対的な行動に、どのような関係が」
ヴィクトリアは、不思議そうに首を傾げた。
「だって、あの方にはご実家があるでしょう?」
「……はい」
「お父様も、お姉様もいらっしゃる。立派なお屋敷に、専属の使用人、護衛部隊まで」
「それは、もちろん」
「だから、私のところへ来てくださらないのよ」
「…………」
「でも、もしもご実家の経営が苦しくなったら?」
ヴィクトリアは、うっとりと微笑んだ。
「私がお助けして差し上げられるでしょう?」
誰も答えなかった。
「あの方には、何一つ不自由をさせないわ。お屋敷も、使用人も、護衛も。今まで以上のものを用意するの」
彼女は胸の前で両手を組んだ。
「それに、アレン様はとてもお優しい方だから……きっと、私の気持ちを分かってくださると思うの」
壁面のホログラムが切り替わった。
そこに映し出されたのは、一人の青年の写真だった。
黒髪の、美しい青年。
アレン・クロフォード。
ヴィクトリアは、その写真を愛おしそうに見つめた。
「今日も、手を握ってくださったのよ」
「……左様でございますか」
「それにね。私のことが好きだって」
彼女の頬が染まる。
「好きだって、仰ってくださったの」
役員たちは沈黙した。
「それに、来週は温泉旅行にも誘ってくださったの」
「……それは、おめでとうございます」
「二人きりよ」
「……はい」
「混浴なの」
「…………」
ヴィクトリアは両手で頬を押さえた。
「ああ、どうしましょう……!」
その様子だけを見れば、初めて恋人ができた少女のようだった。
しかし、会議室の壁には、巨大企業を解体するための資料が並んでいる。
役員の一人が、意を決して口を開いた。
「……会長」
「なに?」
「アレン様は、本件についてご存じなのでしょうか」
「もちろん、まだよ」
「……そうですか」
「だって」
ヴィクトリアは、楽しそうに微笑んだ。
「驚かせたいもの」
役員たちは顔を見合わせた。
この若き会長が、アレン・クロフォードに異常なほど執着していることは誰もが知っている。
しかし、まさか。
まさか、ここまでとは。
「ですが、会長」
九十六歳の財務担当役員が、慎重に言葉を選んだ。
「クロフォード家が経営危機に陥ったとしても、アレン様が必ず会長を頼られるとは限りません」
「ええ。分かっているわ」
ヴィクトリアは頷いた。
「だから、ほかの選択肢も減らしておかないとね」
壁面のホログラムに、クロフォード・グループの関連企業が並ぶ。
続いて、個人資産、取引銀行、そして私設警備部門の情報が表示された。
「特に、あの護衛の女」
ヴィクトリアが、ぽつりと言った。
「……護衛、ですか?」
「イリス・レイヴン。アレン様の専属護衛よ」
画面が切り替わる。
栗色の髪の女が映し出された。
二十六歳。
クロフォード・グループ企業軍所属。
階級は大尉。
軍用義体への換装率、四十三パーセント。
過去の戦闘記録が、ずらりと並んでいる。
「この女、明日アレン様とデートするそうよ」
「……左様でございますか」
「二人きりで」
「…………」
「私服で」
ヴィクトリアの声が、少しずつ低くなった。
「しかも、アレン様の方からお誘いになったの」
手元のグラスが、ぱきりと音を立てた。
役員たちが、一斉に視線を逸らす。
「……羨ましい」
ヴィクトリアは、ぽつりと呟いた。
「本当に、羨ましいわ」
彼女はしばらく写真を見つめていたが、やがて静かに微笑んだ。
「でも、仕方ないわね」
役員たちが、ほっと息をつく。
「アレン様はお優しい方だから。きっと、あの女にも同じように接していらっしゃるのでしょう」
「……はい」
「私が嫉妬するのは、間違っているわ」
「……仰る通りかと」
「ええ。だから、あの女を責めるつもりはないの」
ヴィクトリアは、にっこりと笑った。
「ただ、護衛の配置は見直した方がいいでしょうね」
「……はい?」
「アレン様の専属護衛が、特定の女性一人というのは、少々問題があると思わない?」
「それは……」
「男性の安全を守るためには、複数の企業から護衛を出す方が合理的でしょう?」
役員たちは沈黙した。
「我が社からも、優秀な人材を派遣しましょう。もちろん、クロフォード側の費用負担は必要ないわ」
ヴィクトリアは満足そうに頷いた。
「それなら、アレン様もきっと喜んでくださるはずよ」
財務担当役員は、胃が痛くなってきた。
実年齢九十六歳。
五十年以上、企業経営に携わってきた彼女だったが。
恋する二十四歳の女社長ほど、恐ろしいものを見たことはなかった。
◆
一方、その頃。
僕は自室のベッドに寝転がりながら、明日のことを考えていた。
イリスは、どんな服を着てくるだろう。
いつもは仕事用のスーツばかりだから、たまには可愛いワンピースなんかも見てみたい。
それから、デートのあとはホテル。
うん。
実に楽しみである。
もちろん、嫌がるようなら無理に誘うつもりはない。
僕としては、二人で楽しく遊べればそれで十分なのだ。
そういえば、ヴィクトリアとの温泉旅行も楽しみだな。
あの女、普段は冷たい感じの美人なのに、二人きりになると途端に可愛くなるんだよね。
ちょっとからかうと、すぐ真っ赤になるし。
来週は、もう少し仲良くなれるといいな。
そんなことを考えていると、枕元の端末が震えた。
ヴィクトリアからだった。
『本日は素晴らしい時間をありがとうございました。アレン様にお会いできて、私は本当に幸せです』
真面目な女だなあ。
僕は笑いながら返信した。
『僕も楽しかったよ♡ 来週は二人でいっぱいイチャイチャしようね』
送信。
三秒で既読がついた。
『はい。心よりお待ちしております』
さらに、もう一通。
『アレン様。私は、あなたを誰よりも愛しております』
おお。
すごい。
こんな美人に、ここまで好かれるなんて。
転生して本当によかった。
『僕もヴィクトリアのこと大好きだよ♡』
そう返して、端末を枕元に置いた。
この世界は素晴らしい。
僕は金持ちで、男で、おまけに顔がいい。
美人は向こうから寄ってきてくれるし、少しくらいわがままを言っても、みんな喜んで聞いてくれる。
前世の記憶があるおかげで、この世界の男たちのように、女の子と触れ合うことを怖がらずにも済む。
おまけに、今は医療技術が進歩している。
このまま順調にいけば、百歳を超えても若いままでいられるかもしれない。
素晴らしい。
本当に、素晴らしい。
僕にとっては、まさに天国だった。
だから、まったく気づかなかった。
僕が何気なく送った一通のメッセージを見て、ある女が歓喜の涙を流していることにも。
その女が、僕を自分の屋敷に迎え入れるために、何兆クレジットもの資産を動かそうとしていることにも。
ましてや。
僕の実家を破滅させる計画が、今夜、動き出したことになど。
知るはずもなかった。
だって、僕はただ、綺麗な女の子と仲良くしたいだけなのだから。