太陽がしばしの眠りにつき、翔け上がったのは月乙女。
清かな輝きを放っていた乙女が穢され、滲んだような赤を帯びる。
腐れた神の指が、供物をもてあそぶ。するすると、手遊びのように赤黒い糸を紡ぎ、軽やかに織っていく。穢れた闇を。
執り行われるは闇の祝祭。
復活の儀式。邪なる神に祝福され、輝ける闇が現出し。
空に、禍つ紅き星が煌めいた。
「――いらない根性を出しやがる」
夏のとある日、大陸のとある獄の一房に、男の声が揺らいで消える。
古代語がびっしりと刻まれた石床に座り込み、古代語が仄かに輝く石壁にもたれ、目交に過ぎったものを吟味する。
ほんの少し先。未だ来たざるもの――未来と呼ばれるものを。
「……ここまでは」
ぽつ、と男は呟く。両の眼を眇める。
「既定路線」
時は分かれる。未来は変化し、流動し、枝を伸ばす。
ある時の枝では、復活した直後に討たれる。これは細い細い可能性。この分岐ではありえまいが。鍵となる
ある時の枝では、復活し、紆余曲折の末に
あるいは、復活し、完璧な闇の時代が訪れる。
そう、闇の帝王と呼ばれる男の復活はあらゆる時の枝でなされる。それ以外の可能性……復活前に討たれる、という枝を、男は捉えることができなかった。もしかすると、誰かが巧くやってのけ、世界に平和が訪れる枝もあるのかもしれないが。
視えないものはないのと一緒。考えるだけ無駄である。
ひとまず「復活の後」について視るべきであろう。別に寝ていてもいいし、世界の平和なんて知ったこっちゃないと決め込んでもよかったのだけど、先を視ないわけにもいかないのだ。
「生返事で、はいはいと流さなきゃよかった」
男は唸る。獄にいると独り言が多くなる。鉄格子にも床にも壁にも天井にも、己を戒めている鎖にも古代語が刻まれている――厳重な封印が施されている――場所ならなおさらだ。
ここに放り込まれて幾星霜。万が一、出ることができたらどうするかな、と退屈しのぎに考える日々。時たま時の枝を視て、それだけの日々。
かつての配下たちは散り散りになり、彼を迎えにも来やしない。誰も、彼を訪ねてこない。もちろんきょうだいたちも来ない。なぜならば、大悪たる彼のせいで――さすがにこれは「彼のせい」と言うしかない――ひとりは死に、ひとりは放浪したので。
出たら、姉を殺した連中を始末するかな、いや、姉さんが全部燃やしたんだっけかなさすが姉さん。町だか村だかひとつ灼き尽くすとは、やはり私の姉である。
うん、やはり出られたならば、連中の子孫を見つけだして始末しよう。ついでに姉や妹の子孫の様子も探りたいところだ……引き入れて、ちょっと楽しい祝祭をしてもよい。堕ちて、堕ちた子孫たちを高みに引き上げるのだ。なにせ堕ちた原因は男にあるわけであるし。
つらつらと考えるだけの、ぬるい年月。
その停滞を破ったのは、衣擦れの音と、靴音だった……と男は思い出す。
何年前だったかな、と指を折る。ひい、ふう、みい……と。
『賭けをしないかね』
そう、彼は言った。澄んでいて、底知れぬほど深い眼で男を見つめて。
『君も、ある程度は視ているんだろう? おそらく復活はなされる』
問題はその後だ、と彼は指を振った。大悪と呼ばれ畏れられ、忌まれた男。旧き悪を、教え諭すように。
それで? と男は笑った。まさか彼が訪ねてくるとは予想していなかった。期待もなにもしておらず、男を訪ねてくる者についてなんて視なかったのだ。
『私は哀れな虜。クソガキが復活しようが、マグル生まれが殺されようが、大陸が荒らされようが、英国が……なんてどうでもいいが』
むしろ、世界の人口が少々減ってちょうどよかろうとすら思っていた。マグルは多すぎる。うじゃうじゃと蔓延って、戦やら虐殺やら、環境破壊やらを飽きもせずにしている。
男や、闇の帝王と呼ばれる野郎が殺したよりも、確実に多くの屍を積み上げている。
『まあ、聞きなさい。君も退屈だろう? ちょっとしたお遊びさ』
男の不遜な態度などどこ吹く風で、彼は穏やかに言った。
『復活した、その先。時の枝が示し、君にもたらすのが――であれば……』
続く言葉に、男は笑った。両の眼、燐の蒼もおかしげに瞬いた。
『私に関係あるか?』
『生か死か、だ。それに』
彼は、厳かに言った。
『ただここに放り込まれているだけで、清算したとは言えまい? 君は嵐を巻き起こし、あらゆるものを灼いた。女の子は君のせいで死んだ。そして、勇敢な彼女もまた、君が殺した』
実に嫌な記憶を無遠慮にひっかき回され、さしもの男も顔をしかめた。友人の妹は、別に男が殺したわけではないのだが。現場は混乱していた。あの子が魔力を暴走させたせいで死んだのか、それとも誰かの呪文が当たったのか、真実は永遠にわからない。それは、男にとっての
後者――勇敢な彼女は、確かに男が殺した。逃げればいいものを、時間を稼ぐために、死に真向かった。
――あの娘は
選ぶことができたというのに。男は軽く眼を瞑り、開いた。ちら、とぼんやりとした影を捉える。
やってくる誰か。片方は……そして、片方が……。
生か死か。己の未来は見通せないものだ。大悪と呼ばれた男ですら、己のことはわからない。正確に、捉えられない。
どちらがやってくるのか、誰にもわからない。その時が来るまでは。
賭けに乗ってやる義理などない。しかし、勇敢な娘の面影が脳裏に過ぎる。死に、男に立ち向かった。純血の娘。後に聞いたところによれば、不遇な育ちであったようだ。
世を恨み、なにかもを憎んでもよかったろうに。
気づけば、言っていた。
『はいはい。わかったよ。老いぼれの戯言に付き合ってやるのも、若者のつとめだ』
賭けに、乗ってしまった。
――そして
過去から現在に意識を戻す。
あの会話から約三年。闇の祝祭が執り行われ、男の次の大悪と呼ばれた魔法使いが復活した。
時の枝が分かれる。
復活のその先。いくつかの可能性、その一枝が伸びていく。
「ああ、太陽が……」
あれの手中に陥ちた。
錬金術師が気にかけていた青年。
男――ゲラート・グリンデルバルドがすべてを灼いて消滅させた娘の、遠い遠い血縁。
哀れなる者。印されし者。闇の帝王の
呪われ、怪物となってしまった。
『分霊箱』たる
太陽の金糸に、星の眼を持つ青年。
ウルペクラ・レストレンジは。
ウルペクラ・レストレンジ
この時の枝においては、墓場から帰還ならず、囚われた。
闇を印されし者。闇の帝王の黒き心臓。『分霊箱』たる黒き柩。
ゲラート・グリンデルバルド
大悪。闇の帝王の前の旧悪。
ニコラス・フラメル
錬金術師。ウルペクラを気にかけ、手を打っていた。よき未来を願って。