【総集編】男女比1:1000の世界に生きる希少男子が、専属メイドに出会って人生を謳歌する話   作:木刀

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第2話 希少男子、誘拐される

 2125年3月。

 

 この日の周防(すおう)邸には、珍しく客人が訪れていた。

 

 その人物はウェーブがかかったロングの金髪を無造作に流した背の高い女性で、どこか退廃的な雰囲気を感じさせる美人だった。リビングのテーブルに僕と向かい合って座ると、薄く開いた目でこちらを見る。その口元には、楽しげな笑みが浮かんでいる。

 

「改めて、オレが新しい運転手の鬼松遼子(おにまつ りょうこ)だ。学校との送迎含め、4月からのクルマ移動は基本的にオレの運転になるから、よろしくな」

 

「あ……周防圭人(すおう けいと)です。よ、よろしくお願いします」

 

 つい「他のこと」に気を取られていて、挨拶が遅れてしまう。相手の女性は、そんなことを気にした風でもなく、ニヤリと笑った。

 

「まぁ、オレのことは遼子とでも呼んでくれや、坊主(ぼーず)」

「は、はい」

「……申し訳ありません。遼子先輩は口は悪いですが、腕は確かなのです」

 

 僕の背後に控えるように立つメイド姿の楓(かえで)さんが、大きなため息をつく。

 

「そうそう、特殊訓練施設(スクール)では楓にも勝ったことあるしな」

「……いえ、正確に言うならあれは引き分けでした」

 

(学校(スクール)での勝負というと、運動会のかけっこか何かだろうか)

 

 それにしても楓さんが勝敗にこだわるのは珍しいな。

 実はそっちが素なんだろうか……。

 

「はは、そういうことにしといてやるよ。オレとしちゃ勝ち負けは割とどうでも良かったし、アレがキッカケでこうして稼ぎの良い仕事を紹介してもらえたワケだしな」

 

「……呼びかけに応じてくださったことは、感謝いたします」

 

 見ていて、この二人はとても仲が良さそうだな、と感じる。しかも相手が一枚上手というか……楓さんのこういうところは、初めて見たかも。

 

 ……

 

「よし、まぁ大体こんなものか。他の細かいところは楓と二人で詰めれば良いな。……ところで、この家はどこかにタバコ吸えるとこ、ねぇのか?」

 

 4月からの業務についてのあれこれを凡そ話し終えると、遼子さんが室内をキョロキョロと見回しながら言った。

 

 僕の隣に座って一緒に地図を覗き込み、よく行く場所へのルートを確認していた楓さんが立ち上がる。触れていた肩の温もりが消えてしまい、少し寂しい。

 

「流石に圭人様の前ではおやめください……さあ、こちらへどうぞ。普段、控えるためのお部屋は、ちゃんと準備してありますから」

 

「おお、流石だな。……それじゃ悪ぃな、坊主」

 

 遼子さんは、立ち上がりながら胸ポケットからタバコとライターを取り出す。

 

「い、いえ、気にしないでください……」

 

 どうやら楓さんが離れてガッカリしたのを、表情から読み取られてしまったらしい。流石、楓さんの先輩。まるでこちらを見透かしているようだった。

 

 リビングから出ていく二人を見ながら、なかなか強烈で面白い女性だったなぁ、と考える。最初、楓さんからは「優秀な先輩」と聞いていたから、似たタイプの人が現れるものと思っていた。

 

(……今日聞けなかったことは、送迎して貰ってる時に聞いてみようかな)

 

 さっきはなんとなく美女二人の存在感に気圧されてしまい、遼子さんに対して聞きたいことが、聞けず終いになってしまった。

 

 特に、彼女の頭にぴんと生えた耳と、臀部に揺れていた大きな尻尾について……。

 

 これって聞いても、失礼じゃないだろうか。

 

 

 ◇

 

 

「先輩の無礼な態度、申し訳ありません。ああ見えて本当に優秀な方なんです」

「気にしてないよ。むしろ表裏がない分、僕は嬉しかったかな」

 

 夕食後の主寝室。

 

 私は昼間の出来事について謝罪するが、圭人様は気にした様子がまったく無かった。ただこれは、彼をよく知る私にとっては想定内でもあった。

 

 圭人様が心の広い方だからこそ、実力を優先して招集することができたのだ。

 

「それなら良かったです。……では、精子提供(おつとめ)の準備をしますね」

「うん」

 

 私はベッドを離れ、クローゼットから精子提供キットを取り出す。

 

 週に一度、他の女たちのために圭人様の精液を採取するこの行為は、私にとって何よりも心をかき乱される悪魔の儀式であり、同時に人生最大の幸福を感じるひと時でもあった。最初の精子提供から7ヶ月もの時間が経つが、未だ心の折り合いをつけられぬまま、現在に至っている。

 

 男児の生まれる確率が1/48という奇跡のような子種を巡り、女たちの間では途轍もない競争が繰り広げられているのに……私には、それに参加する資格さえないのだ。

 

 私は特別だからこそ、この場所(圭人様のお傍)にいることができるのだと、頭では理解している。しかし、心の中には「なぜ私は普通の女として産まれて来なかったのだろう」と唱え続ける自分も、確実に存在していた。

 

「……ちょっと聞きたいんだけど、もしかして遼子さんも一緒に住むの?」

 

 暗いところに沈んでいた思考が、圭人様の声で急浮上させられる。

 

「あ、いえ、あの部屋は喫煙や仮眠など休憩するために準備したもので、彼女の住まいは近くに別途用意されています。場合によっては泊まり込むこともあるかもしれませんが……何か不都合がありましたか?」

 

 言いながら、私は嫌な予感がしていた。

 

「い、いや……それなら良いんだ」

 

 圭人様の口調と表情で、まだ何か言いたいことがあると分かった。

 分かってしまった。

 

「………圭人様」

 

 少し低い声で名前を呼ぶ。

 追求から逃げられぬと悟った圭人様は、上目遣いで私を見た。

 

「あ、いや、その……できたらで良いんだけど……」

 

 ここまで歯切れが悪いのは、あの日(精通)以来のことだった。

 

 ああ。つまり、精子提供の相手として遼子先輩(新しい女)をご所望なのだろうか。

 

 たしかに口は悪いが優秀だし、容姿に関してはかなり優れていると言える。閨(ねや)を共にする恋人もいるというから、そうした方面については私よりよほど達者だろう。

 

 もしかすると、胸ばかり大きな私より、スレンダーな体型が好みなのかもしれない。そういえば、彼が好きだと言っていた映画俳優も、胸の小さな女だった。

 

 まさか、今まで満足して頂けなかったのか。

 

 そうであれば本当に、私には生きている価値など無いではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次々にそんな想像をしてしまい、感情が黒く塗り潰されて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの、4月からは一緒にいる時間が減っちゃうから……

 家ではできるだけ、楓さんと、二人きりで過ごしたいなぁ、と思って……」

 

 その豪速球(ストレート)に、私の心は完全に破壊されてしまった。

 

 

 ◇

 

 

「そんなにこの耳と尻尾が気になるか?」

 

 中等部3年に上がって初日の行きの車の中。送迎用のミニバンを運転する遼子(りょうこ)さんは、後部座席からの僕の視線に気付いたのか、そんな問いを投げてくる。

 

 ミラー越しに薄く開かれた目と視線が合って、少し不躾だったかと反省する。

 

「すみません。初めてこんなに近くで見たもので……僕の地元に獣人の方はいなかったんです」

 

「……たしかに、オレたちは陸自か、犯罪の多い都市圏の警察組織なんかに優先して配置されるのがほとんどではあるしなァ」

 

「特区に来てから、何度か遠くで見かけたことはあったんですけど……こうしてお話しするような機会は無かったですね」

 

「……ふーん。まぁ、そこに獣人がいるってことは、オレみたいに警護対象と一緒にいる可能性もあるから、気安く近付かない方が良いだろうな」

 

「楓(かえで)さんも、そう言ってました」

 

 遼子さんは、僕の返答に何かを考えているようだった。

 やがて「ヨシ」と頷く。

 

「この際だ、何か訊きたいことがあれば答えてやるよ」

「良いんですか?」

「ああ、この先、長い付き合いになりそうだしな。なんならスリーサイズだって教えてやるぜ」

「い、いえ、そういうのは要らないです……」

「なんだよ、つまんねーな……とりあえず、獣人がどういうもんかは知ってるか?」

 

 獣人(じゅうじん)。

 2045年に最初のひとりが生まれた、新しい人種。

 

 彼女たちは、人類の生殖機能の正常化を目指した「男児減少ウイルスの影響を受けていない他哺乳類との遺伝子組み替え」という研究の中で生まれた存在だ。

 

 身体能力が常人より優れていることから、かつての男性たちの代わりとして危険な仕事に就くことが多いそうで、先進国の軍や警察の特殊部隊、要人を守るSPなんかは、そのほとんどが獣人で構成されているということだった。

 

 しかし、ほとんど田んぼと畑しかないような僕の田舎では、彼女たちを一度も見たことがなかった。市内の男子が全員招待されるされるようなイベントの警備も、普通の人だったし。

 

「ああ、そりゃ坊主が気付いてなかっただけだと思うぞ」

「え」

 

「イベントの話さ。獣人に対して偏見持ってるヤツも多いから、そうであることを隠して護衛に就くやつも多いんだよ。ていうか、ほとんどそうじゃねーかな」

 

「そ、そうなんですか?」

「過激派は何するか分かんねえからな」

 

 たしかに、テレビなんかでは時々、獣人という存在に対する反対デモの様子が流れることがあった。国内でも最近、獣人関連施設へのテロ行為があったばかりだった。

 

 彼女らの主張によれば、倫理に反した研究で生まれた人為的な存在は、地球環境へ悪影響なんだそうだ。同じ人間なのに、まるで環境を破壊する特定外来生物並みの扱いだ。

 

 ……それじゃあ、今まで僕たちの警備に当たってくれていた人たちも、何人かは獣人だったりするんだろうか。

 

「オレの知ってる中には、そうした任務に就くために、隠し辛い尻尾を切り落としてるヤツもいたぜ。オレはそんなの勘弁だけどな」

 

「す、すごい世界ですね」

 

「要人の集まる特区なら、特に獣人へのヘイト規制が厳しいし、わざわざ隠す必要も無ぇんだけどな。オレの場合は狐との配合(キメラ)で、獣人としちゃ少しばかり目と耳が良いってくらいだし、性能的なことを言うならこの目立つ尻尾も、実は要らねぇんだが……」

 

 そう言って、運転席の横に出した尻尾の先をふりふりと上下に動かす。頭の上にある耳が時折向きを変えるのは、そうして外の音を聞いているのだろうか。

 

 しかし、コレをわざわざ切り落とすなんて、勿体ないなぁ……。

 

「反対派の人たちは、何がそんなに嫌なんでしょうか」

「まぁ、オレたちが今こうして存在しているのは、兵器としての価値を認められたからだしな」

 

 当初、ヒトの遺伝子組み替え研究そのものが倫理的に許されないという声も多く、人類存続の危機ということで緊急措置的に世界的な研究が承認されたということだった。

 

 しかし、途轍もない巨額を投じられたその研究は「ウイルスの遺伝的影響を克服し、男児の出生率を高める」という本来の目的を果たせぬまま、ほとんど頓挫してしまう。

 

 その後、2080年頃から各地で頻発した戦争で獣人たちが目覚ましい活躍したことで大きな転換点を迎え、今では人類の存続のためでなく、有用な軍事技術として研究され続けている。

 

「だから、獣人反対は銃の規制と同じようなモンだっていうヤツもいる。獣人による犯罪なんてほとんど無ぇから、正当化するための詭弁でしかねーけどよ」

 

「銃、ですか」

「アレも、しっかり安全装置(セーフティ)がかかっていれば、危険は無ぇんだけどな」

 

 それは銃を扱ったことのある人の言葉だと、僕は感じた。

 

 ……

 

「そういや、坊主はオレが怖いか?」

「……え?」

 

 今度は帰路での会話中。

 遼子さんにそんなことを聞かれて思考がストップする。

 

 言葉の意味がよく分からなかった。

 目に映るのは、運転席の向こうから覗く、尖った耳とモフモフの尻尾。

 

「むしろ可愛いなと……うちの妹が、大喜びしそうです」

「………ぶッ、ぶははははははははははは!!」

 

 僕の言葉に、遼子さんは大笑いした。

 そんなに面白いこと言ったかな。

 

「いやぁ、そうかそうか、妹さんがねぇ……獣人について知らないヤツってのは、案外そんなもんなのかもしれねーな。いや、坊主が特殊なのか」

 

 くつくつと笑いを噛み殺しながら、遼子さんは続けた。

 

「オレが言いたかったのは、坊主が男として、腕力の強い獣人(オンナ)に危機感を覚えねーのかってことだよ。はー、まったく……楓のヤツがオレを呼んだ意味が分かったぜ」

「えーと、それは考えてませんでした……」

 

 僕はまだ遼子さんのことをほとんど知らない。

 

 楓さんとの仲の良さを見て、完全に信頼し切っていたけれど……たしかに、送迎中の車内は二人きりの密室。獣人の筋力があれば、か細い僕なんてどうにでもできてしまうだろう。

 

 うーん、でも今更怖がれと言われても、ちょっと難しいな……。

 

「ま、安心してくれ。オレは同性愛者(レズビアン)だし、恋人もいる」

「……ああ、なるほど」

 

 さっきの質問は、それが言いたかったのか。

 

 女性同士の同性愛者は、特に珍しくもないものだった。この世界にはほとんど男性がいないのだから、彼女たちがお互いを恋愛対象として選ぶのは、むしろ当然のことだ。

 

 男性の精子による人工授精で妊娠しても、女性二人の子供として育てるカップルも多い。勿論、役所へ届けを出せば女性同士で結婚することもできる。

 

 むしろ、うちの母親のように独身(シングル)のまま二人の子を産むことの方が珍しい。

 

 それ以外にも色々含め、ちょっと変わってる人だとは、実の息子ながらに思う。あんなに綺麗な楓さんとも最初から平然と付き合っているし、同性が好きってことはないんだろうけど……。

 

 ……そこでふと、ある疑問が思い浮かんだ。

 

「あの、ひとつ聞きたいんですけど……」

「ん? なんだよ、朝の続きか?」

 

 いや、僕にとっては、そんなことより遥かに大事なことだった。

 意を決して、真剣な顔で質問する。

 

「……恋人って、楓さんのことじゃないですよね?」

 

 その後、マンションに帰り着くまでの間。遼子さんは、過呼吸で死にそうになるくらい、体を揺らして笑い続けた。

 

 ……

 

「お疲れ様でした、圭人(けいと)様。今日の学校はどうでしたか?」

「うん、楽しかったよ」

 

 マンションの地下駐車場で出迎えてくれた楓(かえで)さんと一緒にエレベーターに乗り込みながら、そんな会話をする。

 

 その時点で、僕の通学鞄は既に彼女の手の中だ。自分で持つと言っても聞いてもらえないので、既に諦めている。

 

「先輩の送迎はどうでしたでしょうか。何かご不便はありませんでしたか?」

「いや、うん、楽しかったよ? 色々聞けて勉強になったし……」

 

 遼子(りょうこ)さんとの会話は、たしかに勉強になることが多かった。特に獣人関連の話題は、楓さんとはあまりしてこなかったし……。

 

 ただ、最後は死ぬほど大笑いされてしまったけど。さっき、僕を車から降ろすときも、彼女はニヤニヤしながらサムズアップしていた。

 

 そのキッカケが楓さん絡みだったので、本人にはちょっと言い辛い。

 

「まぁ、それはようございました。……失礼いたします」

 

 そう言いながら、僕より先にエレベーターを降りる楓さん。防犯のため、降りたところで一瞬立ち止まり、左右を目視確認している。

 

 最近教えてもらったところによると、このマンションにはたくさんの防犯カメラがあって、楓さんがいつも身に付けている眼鏡型デバイスからその映像が常時確認できるらしいのだけど、彼女は絶対に手を抜こうとはしなかった。

 

 一方の僕は、遼子さんとの会話内容があまり追求されなくて、ホッとしていた。ふと、楓さんは僕がいない間に、何か良いことあったのかなと考える。

 

「楓さんは? 今日なにかあった?」

 

 楓さんについて歩き出しながら尋ねると、彼女は前を向いたまま真面目な声で答えた。

 

「……いいえ、ただ圭人様のお帰りを一日千秋の想いでお待ちしておりました」

 

 ……

 

「中等部も、あと一年で終わりですね」

 

 夕食後、リビングでホットミルクを飲みながら二人で雑談していると、そんな話題になった。

 

「うん、そうだね。……なんか、あっという間の二年間だったなぁ」

 

 それは、楓さんと出会って二年が経ったことを意味する。思い返せば、彼女と一緒だったお陰であれこれ悩む暇が無かった気もした。

 

 クラスの女の子たちの中にはあからさまな好意を向けてくれる子もいたけれど、一緒に暮らす楓さんのことで頭がいっぱいで、まったく気にしてあげられなかった。

 

 そのままクラス替えになって彼女たちにはほとんど会わなくなってしまったけど……もしかして少し酷なことをしてしまっただろうか、と考える。

 

 僕にそうした意思がない以上、こんなふうに考えても仕方ないことなんだけど……。

 

「進学について、何か希望はございますか?」

「ううん。この間、楓さんと話したように、このままエスカレーターで高等部に行くよ」

 

 授業のレベルは高いけど、楓さんのお陰で学力の不安も無いし、警備体制などの部分でも男子生徒を受け入れる環境が一番整ってるってことだったしで、この点についての悩みは無かった。

 

「ええ、それがよろしいかと」

 

 楓さんは、僕の回答に満足したように頷く。

 

「……今より場所が近いから、楓さんと一緒にいられる時間も増えるよね」

「そ、それはまぁ、あくまで副次的なものですから……」

 

 僕のその言葉に、慌てる表情を見せる彼女だったが、ふと真顔に戻って何かを考える様子を見せた。なにか、言おうか言うまいか悩んでるようで、僕はつい聞いてしまった。

 

「どうしたの、楓さん」

「いえ、その……圭人様、ひとつ無礼なお願いがございます。……ですが圭人様にとって少し……いやかなり、ご負担になるかもしれません」

「うん、良いよ。言ってみて」

 

 彼女がこう言って、本当に失礼だったり迷惑だったりしたことは一度も無い。そう考えて、気軽に応じてしまった。楓さんは「それでは……」と言って姿勢を正し、こちらをまっすぐに見つめる。

 

 あれ、もしかしてなにか真面目な話だろうか。

 

 僕にとって負担になると言ってたし……例えば1ヶ月くらい、少しまとまったお休みをいただきたいとか……。タイミングとしては、その可能性が一番高いと思った。考えてみれば、彼女は僕と同居してからこっち、一日も休んでいない。

 

 夏休みや冬休みといった長期休暇で帰省する時だって毎回同行してくれるし、これを一般的な仕事として考えるなら、700日以上連続で、朝から晩まで働いていることになる。

 

 警護ということだけでいうなら今日からは遼子さんもいるわけで、家のことはヘルパーさんに頼むなどすれば、どうにかなるだろう。この際、僕が少し家事を覚えるのもありかもしれない。

 

 週に一度の精子提供は……ひとりでどうにかできるものなのか想像がつかないけど……かといって楓さん以外に触れられるのは、少し嫌だな……。

 

 ちょっと憂鬱になりながら、楓さんの言葉を聞く。

 

 

 

「これから毎日、夜は添い寝をさせていただきたいのです…っ…!!」

「ぁえ?」

 

 

 

 予想の斜め上からの提案に、僕は変な声を出してしまった。

 え? お休みが欲しいんじゃないの?

 

「い、一応聞くけど、どうしてかな……?」

 

 僕の質問をどう受け取ったのか、楓さんはテーブルの向こうからぐぐっと前のめりになった。大きな胸がテーブルの上に載るのを見て、思わず視線を上へ逸らす。

 

 その視線を追いかけるように、楓さんは立ち上がった。

 

「精子提供の後に限定せず添い寝をするようになれば、毎日圭人様がお眠りになるまでお話することができますし、送迎役の採用で失われた二人の時間を取り戻すことが可能です。当然、万が一の体調不良にも素早く対応できますし、また手を繋いでの添い寝は精神の安定に繋がるという研究結果もございます。女性に介助されることへの抵抗感が薄れるという説もあり、専属メイド界隈では特に推奨される行為なのです。そして他にも……!!」

 

 早送りしてるかのようなとんでもない勢いで一気に話され、僕は焦る。彼女の目はどこまでも本気(ガチ)だった。

 

「ちょ、楓さんちょっとストップ、落ち着いてっ」

「あ…っ、も、申し訳ございません、つい力が入ってしまって……っ!!」

 

 椅子に座り直し、しゅんとする楓さん。

 

「じゃあ……今日からしようか、添い寝」

「よ、よろしいのですか!?」

 

 よろしいも何も、実は僕の方がお願いしたいと思っていたくらいだった。

 

 精子提供の後に、暗くした寝室で二人で手を繋いであれこれ話すのは、僕たちの関係がそのためだけにあるんじゃ無い気がして、毎回、心が温かくなる。

 

 気恥ずかしいし、楓さんの負担にもなりそうで、言えなかったんだけれど……その楓さんがこうして希望してくれると言うのなら、僕に断る理由は無かった。

 

「うん、もちろん。……その、僕も嬉しいし」

「圭人様……」

 

 なんか楓さんは琥珀色の瞳にうっすらと涙を浮かべている。

 

 この間の精子提供の日から、楓さんはちょっと良い方向に情緒が不安定というか、素直というか……以前より、僕に対して甘える姿を見せてくれるようになった気がする。

 

 最初は綺麗でかっこいいと思っていた人が、こんなに可愛く思えるなんて……これもふたりで過ごした二年という月日が為せること、なのだろうか。

 

「無理なお願いを聞いていただき、ありがとうございます、圭人様」

「ううん。こちらこそ、よろしくね」

 

 そうしてこの日から毎日、僕たちはふたり一緒に寝ることになったのだった。

 

 

 ◇

 

 

 2125年7月27日。金曜の夜。

 

 ふらつく足で歩く小村美夜子(こむら みやこ)は、居酒屋を出て警察署へ向かった。盗難の被害届を提出するためである。

 

 盗難被害に遭った物は、カウンターに置いてあった型落ちのスマホと、足元の籠に入れてあった仕事鞄。その中には、会社の備品であるノート型PC。

 

 小さな店に防犯カメラは設置されておらず、誰が盗んだかも分からない。カウンターのほぼ真ん中の位置に座って寝ていた小村の背後を通った客は多く、基本的にカウンター内で作業している女将も、不審な動きには気付けなかったということだった。

 

 一応、付近で遺失物として届いてないかの確認もして貰ったが、無駄骨に終わった。担当した警察官も「まぁ、それは盗難でしょうね……」と言わざるを得ない状況だった。しかも店で二時間は寝ていたと分かると、今すぐ発見は難しいだろうと告げられてしまう。

 

 担当する警察官には危機感がまるで無かったが、しかしそれも当然だった。PCの中には莫大な量の個人情報があったが、小村はそれを伝えていなかった。会社に確認を取らずに伝えて良いのかの判断がつかなかったのだ。

 

(どうしてこんなことに、本当に、本当にまずいのに、だってアレには…!!)

 

 小村は上司からの連絡を願い続けていたが……公私を分け、休日は家族サービスに精を出していた上司が、その日、仕事用の社内アドレスに送られたメールに気付くことは、残念ながら無かった。

 

 

 ◇

 

 

 そこは、とある廃ビルの一角。

 

 壁が取り払われてコンクリートが剥き出しの広い階層の中央に、四方と上下の六面全てを灰色のシートで覆って、小さな空間が作られていた。そのシートには電波を遮断する効果があり、主に海外の特殊部隊や爆弾処理班で使用されているものだった。

 

「大丈夫、起動して問題無ければコレ(シート)も要らないわ。ちょっと期待していたけれど……案外、つまらない仕事かも」

 

 裏の世界で「調達屋」と呼ばれる凄腕から受け取った、ひとつのアタッシュケース。

 

 全身を黒い衣装で包んだ女は、そのケースから取り出され、簡素なテーブルの上に置かれた一台のノートPCと、手首に取り付けたクラッキング用の小型デバイスとをケーブルで繋いでいた。

 

 傍に立つ、大柄な人影に向かって言う。

 

「このタイプなら、多分そう時間はかからないわね。さて、それじゃカウント始め……って、嘘。……なにコレふざけてんの?」

 

 折り畳み式のノートPCを開いてすぐ、キーボード部分の真下に貼られたシールに気付く。そこには、OSのロックを解除するための16桁のパスワードらしきものが書かれていた。

 

『油断するな、02(ゼロツー)。何かのトラップかもしれん』

「そうであって欲しいくらいよ!」

 

 顔を近づけ、初めて口を開いた大柄な女の言葉は、流暢な英語だった。

 

 それにヒステリックに返したゼロツーと呼ばれた女は、パスワード(書かれていた16桁)を一瞬で入力する。キーボードを叩く音がひとつに聞こえるかのような早業だった。

 

 ロックは問題なく解除され、呆気なく目的のデータにアクセスできてしまった。原始的な指紋認証すら必要としなかった。

 

「もう、色々準備したこっちがバカみたいじゃない! これだから普通種(コモン)共は!」

 

 テーブルの上には、PCの他、持ち主(小村美夜子)の指紋がべったり付いたグラスが置かれていた。

 

 

 ◇

 

 

 翌日、土曜日。

 

 一旦家に帰っていた小村は、朝一番で最寄りの店へ走り携帯端末を購入し、自宅のPCと繋いでクラウド上に保存されていた端末のデータを復旧させて直接上司に電話した。

 

 出るまでに時間はかかったし、第一声は非常に不機嫌そうだったが、事情を説明していくうちに上司の調子が段々と仕事中のそれになっていくのが分かった。

 

「分かったわ、連絡ありがとう。今すぐ上に確認してみる」

「すみません、お願いします」

「小村さん、あまり思い詰めちゃ駄目よ」

「はい…、ありがとうございます…ッ」

 

 そこで遠くに向かって「ちょっと行ってくるわ」と声をかけているのが聞こえたから、おそらく今から会社に向かうつもりなのだろう。

 

「あ、あのッ、私も会社に……」

「対応が決まったら連絡するから、自宅で待機しておいて。もしかすると届けを出した警察署に行って貰うかもしれないし。とりあえず少し寝なさい。ただし、携帯の電源は常に入れておくのよ」

「……分かりました。よろしくお願いします…っ」

 

 テキパキと指示されて、小村は(これで助かった……)と思った。職場での上司は頼りになる人だったから、この状況もなんとかしてくれるだろうと思えたのだった。不安なまま眠れずにいた昨夜のことを思うと、状況は大幅に改善したように感じた。

 

(……携帯をそばに置いて、少し眠ろう)

 

 いざという時に動けるようにしておかないとと、そう考えてベッドへ向かった。

 

 

 ◇

 

 

 その日、小村の元へ電話がかかってくることは無かった。

 

 後の事件以降に小村も知ることになるのだが、彼女たちが働くのは総務省から直接の下請けではなく、三次請けの会社だったのだ。

 

 それ自体は違法でなく、あまり珍しいことでも無かったが、しかし二次請け、一次請け、そして元請けと、各社の担当者を捕まえて確認を取るだけで翌日の昼までかかり、そしてその夜にようやく本丸である総務省の担当者の耳に入った。

 

 そこから更に小村の元へ直接確認の連絡がようやく来るという紆余曲折があり……結局、小見山楓の上司である福祉貢献大臣の元へ一報が届く前に、それは起こってしまった。

 

 

 ◇

 

 

 月曜の朝、定刻通りにマンションの地下駐車場へ周防圭人(すおう けいと)を迎えに来た遼子(りょうこ)は、ミニバンの運転席に乗ったまま、いつもの光景を眺める。

 

「いってらっしゃいませ」と言って通学鞄を恭しく渡すメイド姿の楓(かえで)と「いってきます」と言って微笑みながらそれを受け取る圭人。

 

 そのやり取りは、百年以上前の古典映画に出てくる男女のワンシーンのようだった。少しからかってやろうと、後部座席に乗り込んできた圭人に声をかける。

 

「まるで夫婦のようで、今日もお熱いことですなァ?」

「えっ、そう見えました?」

「……おぅ、見えた見えた。良いからベルトしろよ。んじゃ行くぜ」

 

 意外な反応を返されて(いや、そこ素直に喜ぶとこじゃねーんだよな……)と一気に醒めながら、遼子はゆっくりとミニバンを発進させる。サイドミラーに映る楓は、こちらから見えなくなるまで手を振っていた。

 

 ……

 

 マンションから出てすぐの場所にある最初の信号機に捕まり、停車する。

 

(最近ツイてねーな。昨日も競馬で負けて……東京優駿(日本ダービー)で稼いだ分が吹き飛んじまった)

 

 そんなことを考えていた遼子は、薄く開いた窓の隙間から「その音」を聴いた。

 

「遼子さん、昨日は……」

「ちょっと待てッ!!」

 

 話しかけようとする圭人の言葉を大声で遮って、集中する。

 

 雑音に紛れ、普通の人間には聞き取れないはずの羽虫のような小さな音は、雪の下を走る小動物の足音すら逃さぬよう進化した狐の遺伝子によって、彼女の脳に届けられた。

 

 信号を無視してアクセルを踏み込み、すかさず叫ぶ。

 

「楓ッ、ドローンだッ!!」

 

 次の瞬間、圭人たちが暮らすマンションの最上階から、爆音が轟いた。

 

 

 ◇

 

 

「へぇ、やるじゃん、あの運転手(ドライバー)」

 

 滞空するUAV(ドローン)に搭載されたカメラを介して、対象の乗る白いミニバンを監視していたゼロツーは、素直に相手を称賛した。

 

 あのまま交差点に止まっていれば、前後を大型車で塞いで行き場を失くし、制圧部隊(ユニット)で取り囲めたというのに。さては、よほど勘の良いヤツがいるのか。

 

 希少男子の個人情報は手に入っていたが、彼を警護する部隊の全容を掴むには、些か時間が足りなかった。通学のタイミングで拠点を潰し、同時に身柄を狙えば確実と踏んでいたが、片方は失敗してしまった。

 

「こっちは不完全燃焼だからね……楽しませて貰うわよ」

 

 引き続き追跡部隊へ指示を出したゼロツーは、黒いキャップの下で酷く楽しそうな表情を作った。

 

 

 ◇

 

 

 周防圭人(すおう けいと)は、混乱の極致にあった。

 

 いつも飄々としている遼子の切羽詰まった声。

 急発進する車。右手から迫る大型トラック。後方から聞こえた爆発音。

 

 窓の外の景色が猛スピードで後方へ流れていく中、圭人からは「それ」を目視はできなかったが、しかし遼子の普段と違う様子から、大きな確信を得ていた。

 

「あのッ、遼子さん!! 今のって、楓さんのいるマンションじゃ…ッ!? うわッ!!」

 

 今までの送迎とは打って変わって乱暴なその運転に身体を左右に揺られながら、どうにか手すりを掴み、運転席へ向かって声を発する。手にしていた通学鞄は、既に車内のどこかへ飛んで行ってしまっていた。

 

「アイツは大丈夫だから、今は黙ってろ!! 舌噛むぞッ!!」

 

 あちらこちらからクラクションを鳴らされつつ猛スピードで走り続けるミニバンに、真っ黒なバンと複数のバイクが追い縋ってくる。それを視界の広げられた後方(リア)カメラで確認する遼子。

 

(追いつかれるのは時間の問題か……)

 

 そう判断を下し、行き先を指定して自動運転に切り替える。VIP警護用にカスタムされたこの車は、緊急時の走行にも対応していたが、流石に人の手で運転するよりはスピードが落ちる。

 

「え、遼子さん、なにを…ッ…!?」

 

 直前で走行が安定したタイミングで、後部座席の圭人の元へ。

 驚く彼の耳元に顔を近づけて「自動運転だッ、しばらく頭下げてろッ」と伝える。

 

 そして更に最後列へ移動。シートの下から引き出したトレーから、陸自の制式装備である120(ひとふたまる)式5.56mm小銃を掴む。100年以上前に採用された20(にいまる)式からマイナーチェンジを繰り返しているもので、拡張性、整備性に優れた傑作銃だ。

 

 手早く弾倉と薬室を確認し、装填。後部座席の背を倒しフラットにすると、そこに腹這いになり姿勢を安定させた。

 

(ここまでの動き、相手の目的は殺害でなく拉致か。さてどう出るか……)

 

 右足で車内側面に設置されていたレバーを蹴り上げると、圧縮ガスによってシリンダーが作動し、背部(バック)ドアが勢い良く左右に開かれ、そのままロックされる。

 

 すぐ近くまで迫っていたバイクに乗っていた敵と、ヘルメットのバイザー越しに目が合う。

 

「悪(わり)ぃな」

 

 小銃のセレクターを連射(レ)に切り替えてトリガーを絞ると、ツタタンッという軽快な発砲音と共に複数の弾丸がバイクの前輪に吸い込まれていく。

 

 無事にタイヤが破裂、派手に転倒したことを確認して、それが軍用のコンバットタイヤや防弾仕様でないと判る。よく見れば黒色に統一されているものの車種はバラバラ。おそらく日本国内で調達したものだろう。

 

(……アイツら、米軍では無いのか)

 

 米軍の特殊部隊であれば、日本国内に堂々と装備を持ち込める他、基地の装備を接収することもできる。もちろんそれが偽装である可能性もあるが……今も上空を追いかけてきているドローンの音も、米軍のものでは無かった。

 

 訓練施設(スクール)時代に映像で確認し、その記憶に叩き込まれた中で一番近いものは、かつて生殖資源戦争の折、激戦となった欧州で使用されていたものだ。

 

(……やはり撃てないか)

 

 相手のバイク組は、遼子の背後にいる圭人を傷付けるのを恐れているのか、ミニバンの後輪を狙って拳銃を発砲していた。車体に銃弾が当たるたびに圭人の「うわッ!?」という声が聞こえる。

 

 こちらのタイヤは防弾仕様だし、圭人の席の背中部分には分厚い装甲が仕込まれているので、大口径のライフルでも貫通は難しいのだが、それでも跳弾の危険はある。

 

「お互い縛りが多くて大変だよな…ッ」

 

 遼子の方も、周囲への流れ弾を意識してタタンッ、タタタンッと丁寧に、後方を走る黒いバンのタイヤ周辺を射抜く。

 

 それが上手く当たってくれたのか、相手のバンはたちまち走行不可能になり、残ったバイクの敵も追いかけるのをやめて、こちらを見ている。

 

(……諦めてくれたか?)

 

 その動きを確認した遼子は一旦安堵のため息を漏らし、圭人の安否を確認しようと振り向いて……進行方向に立つ、巨大な黒い人影に気付いた。ミニバンの自動運転プログラムが、右へ膨らんでそれを避けようとする。

 

 次の瞬間。

 

 遼子は、衝撃と共に身体が空中に投げ出され、天井へ全身を強く打ち付けられるのを感じ、そのまま意識を手放した。

 

 ……

 

 どのくらいそうしていたのか、遼子は逆さまになった車内で目を覚ました。

 

 すぐさま状況を思い出し圭人の姿を確認しようとするが、見当たらない。助手席側の防弾ガラスが粉々になっており、加えられた衝撃の大きさを物語っていた。

 

 スライド式の後部(リア)ドアが開かれているが、お人好しの圭人が動けたとしても、自分を見捨てて行けるとも思えない。慌てて身体を起こすと右の上腕に激痛が走って、どうやら折れているなと悟る。使用していた小銃も、どこかに飛ばされたのか見当たらなかった。

 

 開かれたままだった背部ドアから出て車体の陰から周囲を窺うと、そこは特区から都内へ向かう途中にある陸橋の上だった。路面についた跡を見るに、衝撃を受けて横転したところから、横滑りしてかなりの距離を移動したようだ。

 

 そして遼子は、そいつの姿を確認した。黒い装備で全身を包んだ巨大な女が、圭人を担いでグレーのSUV車の後部座席へ積み込もうとしているところだった。

 

 失神はしているものの、圭人は無事だ。

 

(爆薬の匂いはしない。あれは新型のアシストスーツか……?)

 

 その大女の全身には、百足を思わせる機械式の装置が付けられている。それは遼子の初めて見る装備だった。ミニバン級、しかも特別仕様で超重量化している車を横転させるパワーのものなど、聞いたことも無かった。

 

 ジャケットを開き、左脇のホルスターから消音器(サイレンサー)付きの9mm拳銃を、左手で苦労して抜き出す。

 

 そのまま、血で滲む視界の中で相手の背中に照準を合わせるが……利き腕ですらない片手撃ちでは、射線の重なる圭人に当たってしまう可能性がある。

 

(もしアイツなら、このくらい苦でもねえんだろうが……)

 

 脳裏に、安否の分からない専属メイドの姿が過(よぎ)る。

 

 車内では圭人にああ言ったが、一瞬ミラーで確認できた爆発の規模的に、彼女が無事であるかは微妙なところだった。

 

 更に言えば、楓が編成していたBチームも、今は圭人の家族を警護しているため近くにいない。彼の妹である恵理(えり)の終業式後、一家全員で特区のマンションに移動して貰い、しばらくはそこで万全の警備体制を敷く予定だったのだが……。

 

 何もかも、タイミングが悪過ぎた。

 これを狙っていたなら、一筋縄ではいかない相手だということだ。

 

「へーぇ、やっぱり普通種(コモン)じゃなくて、ご同類かぁ」

 

 瞬間、その声のした方へ銃口を向ける……が、上手く蹴り足を合わされて腕を跳ね上げられてしまう。満身創痍ではあるものの、聴力に自信のある遼子は、その気配を感じ取れなかったことに驚愕した。

 

「あら、ご挨拶ね」

「そりゃこっちの台詞だ…ッ」

 

 そこに立っていたのは、またしても黒ずくめで細身な女だった。黒いキャップのつば越しに、目が合う。口元に浮かぶのは、酷薄そうな笑み。

 

 どうにか拳銃を掴んだままだった腕を引き寄せ再度そちらに向けようとするが、相手の女はその場で華麗にステップして左右の軸足を入れ替え射線を躱し、遼子の鳩尾へ後ろ蹴りを放つ。

 

「うふふ、確かにそれはそうよね」

 

 横転したミニバンの車体に叩きつけられ呼吸を失った遼子は、ごろごろと無様に転がって、相手から距離を取った。

 

(この感じ、楓に似ているな……近接戦では相手が上手(うわて)か……)

 

 見れば、状況に気付いたらしい大女までもが、こちらへ向かって近付いてきている。

 その向こうには、椅子に座らされぐったりしている圭人の姿。

 

 ここで潮時かと考えて、耳を澄ませる。

 

「残念ながら、今回はオレたちの負けだ」

 

 遼子は、タイミングを見計らい陸橋の縁へ向かって全力で駆け出す。

 細身の女が追いかけてくるのを無視して、そのまま一切の躊躇なく飛び降りた。

 

 

 ◇

 

 

『ゼロツー、ヤツはどうした』

「逃げられたわよ、01(ゼロワン)。高架下を走るトラックの荷台に飛び乗って、ビューンとね。曲芸としてはなかなか楽しめたわ」

 

 歩きながら肩を竦めて、楽しそうに笑うゼロツー。

 その姿を追うようにして、一機のUAV(ドローン)が高度を下げてくる。

 

『目標は達した。ヘリに追跡される前に撤退するぞ』

 

 遠くにサイレンの音を聴きながら、ゼロワンと呼ばれた巨躯の女は言った。

 

 

 ◇

 

 

 その日、世界中の首脳たちとマスメディアにメールが送られた。

 

『人類の救世主、希少男子の安全を保障して欲しければ、以下の要求に応じよ。

 

 一つ、強制的に戦場へ駆り出される獣人たちに拒否権を与えること。

 二つ、働きに合わせて獣人たちに正当な貢献ポイントを与えること。

 三つ、獣人たちの遺伝子(テロメア)に仕掛けられた寿命の制限を解くこと。

 四つ、獣人たちに生殖機能を取り戻すための治療を受けさせること。

 これら全てを以て、獣人たちに普通種同様の人権を保障すること。

 

 また、応じられた国の人間には、優先的に希少男子との交配権を与える。』

 

 ……そして、その末尾には「獣人解放同盟」という名が記されていた。

 

 

 ◇

 

 

 2125年7月31日。

 

 白いシートで囲われたあのエリアに、周防圭人(すおう けいと)はまだ閉じ込められていた。

 

「ごめんなさいね。あなたの体内に発信器が無いとは言い切れないから。電波を遮断するこのエリアから出て欲しくないの」

 

「そんなもの、ありません」

「そうかもしれないわ。でも、本人が知らない場合もあるのよ」

「………」

 

 ベッドへの拘束が解かれていた代わりに、腕はクロスしたままベルトで肩口に固定され、両脚を開くこともできなくされており、まるで芋虫のような姿で車椅子に座らされていた。

 

 同じ姿勢のままでいると接地点の細胞が壊死してしまい、要らぬ治療が必要になるからだったが、圭人にそれは分からなかった。

 

「獣人の皆さんの解放……それが、貴女たちの目的、なんですか……」

「そうよ。無理に信じろとは言わないけれど、それが事実。逆に、そんな理由でもなければこんな無茶しないわよ」

 

 空のベッドに腰掛けるゼロツーの言葉には、たしかに大きな説得力があった。

 しかし、圭人は知らなかった。

 

(寿命がたった30年? 遼子(りょうこ)さんたち獣人に、そんな枷があったなんて……)

 

『オレたちが今こうして存在しているのは、兵器としての価値を認められたからだしな』

 

『獣人反対は銃の規制と同じようなモンだっていうヤツもいる。獣人による犯罪なんてほとんど無ぇから、正当化するための詭弁でしかねーけどよ』

 

『アレも、しっかり安全装置(セーフティ)がかかっていれば、危険は無ぇんだけどな』

 

 かつての遼子の言葉が脳裏に浮かぶ。

 

 それらは、この不条理な世界の仕組みを示した言葉だったのではないかと、今になって感じていた。獣人の寿命を握ることが、彼女たちを作り出した者にとっての安全装置なのだと。

 

(でも、なぜ僕はそんなことも知らなかったんだろう……?)

 

 圭人は不審に思った。先ほど真実を裏付ける一般の反応として見せられた匿名掲示板のやり取りも、それが世間では別に秘密でもなんでもないことを示していた。

 

 男児の産まれる確率が1/20だという自分の繁殖ランクを知らなかったことも含めて、何か不思議な力で手の届かないところへ情報を取り上げられている気分だった。

 

「良ければ、あなたの意思で私たちに協力して欲しいの」

「……僕の意思で?」

「ええ、そうすればこんな風に拘束する必要も無くなるわ」

 

 それは、今の圭人にとってあまりに魅力的な提案だった。彼は拉致されてからずっと、両手を固定されたまま生活させられており、食事や水分の摂取だけでなく、排泄の際にも彼女たちの手を借りている状態だったのだ。

 

 言葉の通じない彼女の部下たちが、自分の下半身を見て何かこそこそと言い合っているのを聞かされる。若干15歳の圭人にとって、それはあまりに大きく心を抉る状況だった。

 

 が、しかし……。

 

「お断りします。楓(かえで)さんたちの無事が確認できない限り、協力はできません」

 

 それは毅然とした返答だった。

 

 たとえどんなことをされようとも、彼女たち(楓と遼子)の無事が確かめられなければ交渉には応じない。それがこの極限状態の中で彼が自分に課した絶対のルールだった。

 

「そう、残念ね」

 

 その様子を見てこれ以上の会話は無駄だと悟ったのか、さっさとベッドから立ち上がったゼロツーは、去り際に溜息をつきながら言う。

 

「……小見山楓(おみやま かえで)たちも、我々と同じ獣人だというのに」

 

 既に出口へ向かっていたゼロツーは、その時の圭人の様子に気付かなかった。まさか一緒に二年以上暮らしている相手の基本的な素性を知らないなど、考えてもいなかったのだ。

 

 それは、周防圭人にとって人生最大の衝撃だった。

 

 

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