扉を開けると見知らぬ女性が首を吊って死んでいた。
反射的に、彼女の頭上に視線をやる。
……間違いなく、彼女は生きていない。
ブレザーの制服の下に、オーバーサイズのパーカーを重ね着した女性だ。涼しげな目元が特徴で、しかし、その顔はもう生きた人間のそれではない。
糞尿の類はなく、臭いもしない。
死後の時間経過は殆どなさそうだ。
窓際には真横に倒れた椅子。
近くの床には、つま先が綺麗に揃えられたスリッパ。
それと、意味深な茶封筒。
遺書、だろうか。
女性の首からのびたロープの行き先はカーテンレールだった。
倒れた椅子の位置から、なにがどうしてこうなったかは簡単に予測可能だ。
カーテンレールって、思いの外耐荷重性が高いんだな。
そんなことを考えた矢先、不意にべきっ、と不穏な音がして身を竦める。
カーテンレールの固定具が壁から外れ、女性の身体が床に投げ捨てられたのだ。
白目を見せる眼球。
口から垂れ流れる体液。
脱力しきってあらぬ方向を向いた腕と脚。
特別な
「ああこいつはダメだ。死んでるな」――と。
羽織っていたコーチジャケットを脱ぎ、そっと死体に被せていた。
本来はしちゃいけないこと。現場保全とか、そういう意味で。
瞼を落としてあげようと、膝を折り曲げて手を伸ばす。
そんな時だった。
女性の瞳が、強い輝きを放つ。
「これ、は――」
慌てて飛び退き、固唾を飲んで状況を見守る。
その瞳は、淡い黄色。
しかし、電灯の明かりを反射すると緑にも見える、春の若草を感じさせる不思議な光。
「――……痛……」
女性は首筋を撫でながら、立ち上がっていた。
「……あ……」
彼女の視線は、立ち上がった際に床に落ちたオレのジャケットへ。
しばしの間見つめると、拾い上げてオレを一瞥。
「ん」
「え。あ、うん、はい」
無造作に渡されたそれを受け取った。
「……い、った……くはないけど。もう」
再び、女性は首筋を撫でた。
そこにあったのは痣一つない、雪のように白い素肌。
「……やっぱり慣れない。嫌い」
恐らく独り言。
誰に聞かせるような声量でもなかった。
女性はそのまま窓際まで歩いて腰を曲げ、落ちていた茶封筒を手に取って開き、中から三つ折りにされた紙切れを取り出して目を走らせた。
「……ふぅ」
それから紙を丁寧に封筒へと戻し、ブレザーの内ポケットへ仕舞いこんだ。
スリッパに足を通し、そこでようやくしっかりとオレを見た。
「……で?」
「え?」
「貴方は何? 一人暮らしの女の部屋に勝手に入ってきて、どういうつもり?」
「え? いや、オレは、その――」
「狼狽えている暇があるなら釈明したら? 狼狽して言葉に詰まって……そこ、必要なの? 極めて無駄なカロリー消費。もっと燃費の良い生き方をしてみたら?」
なんだこの女。
次から次に、どうしてこう、辛辣な言葉が出てくる。
「黙ってないで答えて」
「あ、はい。えと……明日からここの学校に通うことになって……あれ? ここ、オレの部屋、だよな?」
オレはボディバッグから、来る前に渡された部屋番号の書かれた用紙を取り出す。
「何号室」
「さ、305」
「残念でした、ここは303」
慌てて廊下に出て、扉の前に差し込まれた番号札を見る。
そこには確かに、「303」の文字が並んでいた。
「二度と間違えないで」
「わ、悪い! お詫びに何でも――」
「結構」
女性は簡潔にそれだけ言うと、背を向けた。
倒れた椅子を起こし、服を叩いて埃を落とし……その所作には、もうオレのことなど一切眼中にないことが如実に表れていた。
「なに? さっさと出て行って――」
出ていこう。
そう思った。
思った――けれど。
生憎、オレには解消したい疑問があった。
彼女のそれは、あまりにも
「さっきの、あれは……キミの
傍から聞いていれば、意味の通じない、あやふやな質問。
だけど、オレたちの間ではきっと十分な言葉数。
彼女は黙って瞼を落とし、首を縦に振った。
「ええ。一応
オレたちの瞳は、自分以外の誰にも視えない何かを映す。
そして、その何かに干渉する為の力が与えられる。
それが――プレッパー。
「あなたは、何ができるの?」
「え?」
「自分だけ聞いといて、答えないつもり?」
「ああ、いや……」
そんな失礼なこともないだろう。
本当は答えたくないが、どうせ、どこかのタイミングで誰かにバレる。そうなれば、加速度的に広まる。なら、自分から打ち明けたって変わらない。
それに、なにせ隣人だ。
何が視え、何が出来るのか。
それくらい知っておきたいはず。
「オレは、数字……かな」
「なにそれ。もっと端的に」
「死へのカウントダウン、――って言うと、分かりやすいか? その数字を、0まで持っていけると言えば」
先ほどまで冷淡だった彼女が、どこか真剣なまなざしでオレを見ていた。
無理もない、数あるプレッパーの中でも、オレは異質だ。
オレに視えない死はない。
殺せないものだってない。
現に、この少女の頭上にもはっきりと視えている。
さっきまで、忽然と姿を消していた、その数字が。
「じゃあな。悪かったよ」
今度はオレが背を向けた。
「――
振り返る。彼女は腕を組み、そっぽを向いていた。
「わたしの名前」
催促されたような気がして、オレは頬を掻きながら言った。
「
彼女――白靄は俯き、顔を上げた。
「さっき、」
「ああ」
「なんでもするって言いましたよね」
「ああ、オレにできることなら――」
「なら、わたしを殺してくださいよ」
しばし、言葉を失った。
つい先ほどまで首を吊っていた少女が、今度はオレに殺してくれと頼んでいる。
その目には、冗談の色など欠片もない。
やれやれ。
どうやら、今度もまた、オレは面倒なことに巻き込まれてしまったらしい。