死んだ少女に、殺してほしいと頼まれた件。   作:未明の脚注

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第一話

 

「――わたしを殺してください」

 

 白靄楔那(しらもやせつな)は、昨日と変わらない涼しい顔でそう言った。

 

 冗談じゃない。

 

 聞こえなかったことにして、背を向ける。

 

 ――その時だった。

 

 背後で、どさり、と大きな音。

 振り返る。

 

 そこに、白靄が倒れていた。

 真っ赤な血溜まりの中で、彼女はゆっくりと顔を上げる。

 

「貴方が、殺してくれなかったら――」

 

 血に濡れた手が、オレへ伸びる。

 反射的に仰け反り、距離を取る。

 

「貴方が、わたしを――」

「わあああぁぁぁっっっ!!」

 

   ***

 

「朝ですよ? 櫻井くん」

「わあああぁぁぁっっっ!?」

 

 耳元への突然の囁きに驚いて飛び起きた。

 寝ぼけ眼を擦った先には、見知らぬ大人の女性が立っていた。

 

「うふふ、こういう感じ、いかがですか?」

 

 ニコニコ顔で口元に手のひらを当てながら笑う女性。

 

「あ、えっと……」

「あれれ? 私のこと、忘れてしまいましたか?」

「いえ、覚えて、います。……若草翡翠(わかくさひすい)さん、でしたね」

「はい。言うなれば、ここの寮長のようなもの、とまで付け加えていただけたら満点です」

「……その寮長のような方が、どうして朝一番にオレの部屋に?」

「昨日、櫻井さんのご到着があまりにも遅かったからです。本当は生活について説明したかったのに」

「ああ、そういう……」

 

 ちらりとドアの方へ目をやる。

 たしか、寝室はすべてオートロックじゃなかったか?

 

「はい。これをどうぞ」

 

 渡されたのは、真っ白いカード。

 

「部屋のカードキーです。外側からの解錠には、これをお使いください」

「……若草さんが勝手に入ってこられた理由が、これですか」

「ええ。全私室で使えるマスターキーも持ち合わせていますが、よっぽどの理由がない限りは立ち入りませんので」

「今朝は?」

「よっぽどのことでしたので」

 

 ……なるほど。

 

 五月の末。

 夏も近づくとはいえ、朝はまだ寒い。

 

 若草さんから食堂と教室の場所を教わり、まずは二階の食堂へ向かった。

 

 食事の準備をしているのも、配膳をしているのも生徒らしい。あらゆることを生徒の自主性に任せる、というのがここの方針なのだそうだ。

 

 やたらと手際のよい下級生から受け取ったトーストとハムエッグを前に、空いている席を探す。

 

 ――と、見覚えのある顔を見つけた。

 

 白靄楔那。

 昨日、自室で首を吊って《死んでいた女》だ。

 

 彼女は両耳にワイヤレスイヤホンを装着。制服のブレザーの下には、昨日と同じ灰色のパーカー。食堂の一番端の席で頬杖をついていた。

 

 オレを一瞥し、顔をそむける。

 お互いに顔と名前を知っているだけの、異性の反応。

 あまりにも自然。

 実に普通。

 

 《首を吊った翌朝》という条件さえなければ。

 

 いや、蘇ったのだから朝食くらい食べるだろう。それは分かる。分かるが……。

 

 ちらりと、今朝の悪夢を思い出す。

 ああ、そうだな。

 

 向こうがその気なら、こっちだってこれで良い。

 あえて話しかけるようなことはせず、朝食を胃に詰めたオレは、食堂をあとにする。

 

 教室は六階にあった。

 

 下は八歳から、上は十八歳まで。年齢に応じて分けられたクラスが三つあり、オレが入るのは最年長の高校生組だ。

 

 学校というよりは広い会議室のような部屋で、大きなホワイトボードと長机が並んでいる。

 

「はい。転入生の櫻井碧(さくらいみどり)くんです。挨拶をどうぞ」

「あ、はい。櫻井碧です。十八の、高校三年生です。よろしくお願いします」

 

 頭を下げると、まばらな拍手。

 誰もオレのことになど興味がない、といった感じだ。

 

「では、授業を始めます。僕はここで座っていますので、質問があればどうぞ」

 

 そう言って、灰根柘榴(はいねざくろ)教諭はパイプ椅子に座り、読書を始めた。

 

 ホワイトボードには大きく「理科」と書かれている。

 

 授業は参考書を使った自習がメイン。雑談している女子もいれば、手元でゲームをしている男子もいる。

 

 そして、白靄もいた。

 イヤホンを装着して、黙々と問題を解いている。

 

 ……あれは良いのだろうか。

 

 いや、それよりも。

 

 昨日、自分の首を吊っていた奴が、今日は生物の問題を解いている。それも、ずいぶん真面目に。

 生命の扱いは雑なくせに、授業態度は立派らしい。

 

「これは……暇だな」

 

 独り言を漏らして、参考書へ視線を戻した。

 

 新天地での生活初日。

 とりあえず、今のところは平和だ。

 

 午前の授業が終わり、購買でサンドイッチとアイスコーヒーを買った。

 

 適当な場所で昼食を済ませ、午後の教室に戻ろうと廊下を歩く。

 

 時間を確認しようとボディバッグを開いてスマホを取り出した、その時だった。

 

「あたっ」

 

 角から出てきた誰かとぶつかり、よろけた拍子にバッグの中身を床へばら撒いた。

 

「すみませ――」

「……はい、これ」

 

 手渡されたカードキー。

 そこに居たのはクラスメイト兼隣人の、白靄楔那だった。

 

「……何? 人の顔見て黙るなんて、とても失礼な対応ですね。《センパイ》」

「ああいや、……そうだな。悪かった」

「……別に、気にしてるわけじゃないです」

 

 財布とスマホを拾い、ボディバッグへ仕舞う。

 白靄はもう教室へ向かって歩き始めていたので、その後に続いた。

 

「ついてこないでくれますか?」

「無理を言うなよ。同じ場所に行くんだぞ」

「なら、わたしが先に行きます。そこで立ち止まっててください」

「……こういった場合って、『先に行ってください』にならないか?」

「年上なんですから先を譲ってください。レディーファーストって言葉、知ってます? それに、それだとわたしが遅刻しますので」

「……さいですか」

 

 言われた通り、立ち止まって白靄の背を見送る。

 

 昨日のことは、何も言ってこない。

 だったら、それでいい。こちらから蒸し返す理由もない。

 

 自習オンリーの授業は、午後も滞りなく終了した。

 

 放課後、軽く施設内を歩いてみたものの、外出届がなければ進めない場所が多い。三十分もしないうちに部屋の前まで戻ってきていた。

 

「……ありゃ?」

 

 カードキーを読み取り機に翳すも、反応しない。

 何度やっても同じだ。

 

 昼に床へ落としたのが悪かったのか? いや、踏みつけたわけでもあるまいし、あの程度の衝撃でどうにかなるとは思えない。

 

「……困った」

 

 すぐに若草さんに事情を話すと、マスターキーで開けてくれた。

 

「故障かしらね。明日には新しいものを用意するから、朝一で届けに行くわね」

「オレから取りに行きますよ」

「わかったわ。男子高校生の部屋ですもの。見られたくないティシュやら何やらあるわよねぇ」

「コメントし難いこと言わないでください」

 

 愉快そうに笑う若草さんを見送り、部屋で一休み。

 

 夕食を済ませて戻ってくる頃には、さすがに疲れが溜まっていた。

 

 戸締まりだけは内側から済ませ、ベッドへ倒れ込む。

 

「……シャワー、浴びなきゃ……」

 

 口ではそう言いつつも、身体は動かない。

 そのまま、深い眠りに落ちていった。

 

 ***

 

「は」

 

 しばらくして、目を覚ました。

 

 暗い室内。

 静寂に満ちた部屋で、時間も確認せずに天井を見上げる。

 

 まず気になったのは濁った鉄の香り。

 

 続いて、暗闇に慣れてきた視界に大きな「何か」が映った。ベッドの上、オレの隣に、誰かが横たわっている。

 

 そして、ベッドが濡れていた。

 

「う、わ――!」

 

 慌ててベッドから離れる。後ずさりすると背中が窓に当たり、揺れるカーテンが手に触れた。

 

「……誰だ!」

 

 緊急事態に備えて《瞳》を光らせ、カーテンを思い切り横に引く。

 

 月明かりに照らされた室内。

 

 そこには、首元に大きな包丁を突き立てた状態で白目を剥く、白靄楔那が倒れていた。

 

「う、わあああぁぁぁっっっ!」

 

 叫び、尻餅をつく。

 

 彼女の頭上には、数字が視えない。

 

 ――とどのつまり、彼女は文字通り、死んでいたのだ。

 

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