“かぐや姫”の忠犬   作:夕暮れの家

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最初の別れ

 

 

 

子供が生まれたら犬を飼いなさい。

  

 

子供が赤ん坊の時、その子のよき守り手となるでしょう。

  

 

子供が幼年期の時、その子のよき遊び相手となるでしょう。

  

 

子供が少年期の時、その子のよき理解者となるでしょう。

  

 

そして、子供が青年になるとき。

  

  

 

自らの死をもって命の尊さを子供に教えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

  

  

 EP.1 最初の別れ

 

 

 

  

 それはある冬の朝の事だった。いや、暦も何も現代とは大きく違うその時代にとって、その日が冬と言えるかどうかは定かではなかったが。竪穴式住居の壁の隙間から吹き込んできた冷たい風によって、その室内にある何やら祭壇のようなものの横でちんまりと目を閉じていた一匹の白いウミウシが目を覚ます。

  

 そのウミウシ ──かぐやは、目を覚ました瞬間、違和感で首を捻った。なんで寒いんだろう、と。これは彼女、彼女? が気温に対して鈍感なわけではない。それに、ここ最近。特に10日ほど前からは急に寒くなり始めていた。かぐやが目を覚ました建物がある集落の住人達も、来る雪の季節に備えて暖かい室内に籠るために食料の備蓄に余念がない。

  

 だから、彼女が疑問を覚えたのは外が寒かったからではない。彼女が寒さで目を覚ましたことに対してだ。だって、彼女が眠るときはいつだって、寒くないようにと寄り添ってくれる暖かい友人の姿がそこにはあったから。

  

「詩彩──?」

  

 寝起きでまだ上手く出ない声で名前を呼ぶ。普段なら、すぐにわん、と元気に鳴いて駆け寄ってくる白い影は暗い室内のどこにも見えず、しん、とした静寂だけがかぐやの元に帰ってきた。この電気も何もない時代に当然照明などあるはずもなく。外からの光が入ってこない室内は随分と暗い。

  

 でも、かぐやの友人の、彼女と似た真っ白な体ならその中でも一際目立つはず。でも、ぐるりと見回してもそんな姿はどこにもない。彼女の記憶の限り、彼と出会ってからこの方、かぐやが目を覚ました時にすぐ傍にいなかったことなどない筈なのに。

  

「詩彩……?」

  

 かぐやの口から、少し不安そうな声が零れる。ずっと一緒に居てくれた心優しい友達の姿がどこにも見えないことで段々と彼女の心は乱れ始めていた。そんな気持ちをごまかすようにぴょん、と跳ねて外に出てみると、そらからちらほらと白いものが舞い落ちてきている光景が目に入る。

  

 雪だった。今年に入ってからは見るのは初めてだろうか。つい先ほど降り始めたばかりなのか、地面はまだ薄く白い色合いに染まる程度であまり積もっていない。その中を、なかなか前に進まない体をもどかしく思いながら進んでいく。詩彩の背中に乗せてもらえれば、もっと早いのに、と。

  

 外に出ても、目的の白い姿は見つからなかった。かぐやの過ごす家は集落の真ん中。少し高くなっている場所にあるため、集落の中をざっと見まわすことが出来る。いつも一緒に日向ぼっこをしているお気に入りの場所にもその姿がないことを確認してから、かぐやは次に一つの家の前に行って声をかけた。

  

「おーいっ!」

  

 毛皮で作った服を着たこの時代では比較的大柄な男がのそりと顔を出す。狩りが得意な彼ならば、もしかしたら詩彩がどこに行ったのかを分かっているかもしれない。そんな問いは、無言で首を振ることで否定された。お礼を言おうとすると平伏されてしまう。

  

 祀り上げられてしまってから、村の住人たちのかぐやへの対応はずっとこうだ。友達みたいに接してくれてもいいのに。かぐやは常々そうやって不満に思っていた。かぐやの傍で、変わらず接してくれるのは一人、いや一匹だけだった。

  

  

 誰に聞いても分からないと首を振るので、かぐやは仕方なく集落の外に出て探すことにした。幸いにも心あたりが一つあったから、その足取りに迷いはない。

  

 目指すのは、大人の男の手をまわしても尚あまりあるほどの大きな切り株がある場所。10年以上前に、集落の皆で持って何日もかけて切り倒した残りだ。詩彩は、そこに乗ったかぐやが歌う歌を聞くのが好きだから。幾度同じ歌を歌ったか分からないのに、毎回尻尾を振って嬉しそうに聞いてくれるその姿を思い出して、かぐやの頬が緩む。

  

 見えてきた少し開けたところに鎮座するその切り株の傍には、確かに。真っ白な見慣れた後姿があった。それを見たかぐやの瞳が輝いて、先ほどまでよりもずっと高くぴょん、と飛ぶ。その勢いのままに白い友人に声をかけた。

  

「詩彩──っ、なにしてる、の……?」

  

 かぐや自身も、おかしいとは思っていた。気配に敏感な筈の彼がかぐやがすぐ後ろに来てもぴくりとも反応しなかったから。そんな違和感は、声をかけても振り返ることをしなかったことで形になる。

  

「詩彩? ねぇ、どうしたの……?」

  

 先ほどから止むことなくに降り続いている雪のせいだと思いたかった。隣に寄り添った彼の体温が感じられなかったことを。いつだってくっつけば感じられた詩彩の心臓の鼓動が聞こえてこなかったことを。

  

 かぐやは知らなかったから。犬の寿命が人間よりもずっと短いということなんて。いつかはお別れが来るとしても、もっともっと一緒に居れると思っていたから。かぐやにとって、それは突然に過ぎる出来事だった。

  

「起きて、帰ろ……?」

  

 出会った頃よりも随分と大きくなった。自分の何倍もあるその体を、かぐやは全身を使って押して揺さぶってみる。詩彩の上にうっすらと積もっていた雪がその拍子にかぐやの前に軽い音と共に落ちた。

  

「そ、そうだ! ほら、詩彩の好きな曲歌ったげるから! 寝てたら損だぞー?」

  

 無理に明るい声を出して、切り株の上にぴょんと飛び乗る。詩彩が好きな曲を歌い始めても、反応は無く。何時もだったら喜んで尻尾を振って聞いてくれるのに。地面に横たわったその体は動かない。

  

 本当はかぐやにも分かっていた。あの集落にたどり着いて、人とかかわるようになってから20年ほど。彼女と手誰かの死を見たことがなかったわけではないから。でも、かぐやにとって、自分の身内と言える存在の死は、これが初めてだった。

  

「……ゃだ、やだやだ。もっと一緒にいてよ、詩彩」

  

 20年、現代程栄養バランスも良くない時代において、良く生きた方だ。そんなことは分からないかぐやは必死にもう冷たくなったその体を揺さぶって、もう一度動いてほしいと懇願する。しかし、今までかぐやのどんなお願いも叶えてきてくれた頼れる友人は、今回に限ってはなんの答えも返してくれない。その目は閉じたままで、怖いくらいに静かだった。

  

「あったかく、ない」

  

 動かないその体のの下に潜り込んで、寄り添ってみる。普段と変わらない筈のその場所も、全然暖かくなくて。かぐやはぶるりと震えた。しんしんと降り続ける白い雪の勢いは少しずつ強くなっていて、周りの景色も段々と白く染まり始めている。早く暖かなところに戻ろないといけない、と脆弱な体に宿る本能がそう言っていた。

  

「詩彩……」

  

 自分では彼を連れていけない。ちゃんとした体があれば、抱えていけるのに。そう後悔して、また顔を下げる。かぐやは、眠っているみたいに目を閉じているその顔に一つ頬ずりして、またね、と呟いた。絶対にちゃんと迎えに来るからね、と。

  

 一つ進んでは振り返り、またもう一つ進んでは名前を呼んで。そんなことをその姿が見えなくなるまで繰り返して。かぐやが集落にたどり着く頃には、天気はいつの間にか吹雪に変わっていた。この時代、雪が降りしきっている日に外に出るような自殺行為を行う人間等まずいない。当然だ、性能の良い防寒具などなく、獲物を狙おうにも視界が奪われている吹雪の日に外に出る意味など何もないのだから。

  

 かぐやが詩彩を迎えに行くことが出来るようになったのは、それから何日も経った後で。その時にはもう、彼の身体はそこにはなかった。

  

 その場所にわずかに残る血痕から、“持っていかれた”のだと予想することがかろうじて出来るのみ。かぐやは小さな体を精一杯動かして無我夢中で彼を探し回って。探して探して、どこにもその姿はない、と分かってから、人目も憚らずに泣き始めた。

  

 泣いて泣いて、泣き疲れて。失意のままに集落に戻って。帰り着いた彼女の家は、今までよりもなんだかずっと広く感じた。ぽっかりと開いてしまった友人の定位置だった場所を見ると、もう枯れたと思っていた涙はまた溢れてきた。

  

 一人で眠る冬の夜は、とてもとても寒かった。

  

  

 かぐやが寒い冬の夜を一人で何度も超えることに、違和感を覚えなくなってきたころ。とある冬の日、吐いた息が間髪入れずに白く変わってしまうような寒い朝の事。暗い家の中で一人目を覚ましたかぐやの耳が一つの音を拾ってきた。

  

 わん、と鳴く聞き覚えのある声を。

  

 頭を覆っていた眠気をそこらに放り捨てて、転がるように家の外に飛び出したかぐやが見たのは、ちょこん、と家の前に行儀よく座る自分より少し大きいくらいの真っ白な子犬だった。

  

 かぐやの見慣れた姿とは違う、それでも、記憶の中にあるそれにそっくりなその子犬は、何かを待つようにかぐやのことをじっと見つめている。かぐやの頭の中では、冷静な彼女だけはありえない、ちゃんと見たんだと首を振っていたが、それ以外のかぐやの全部が間違いない、と今にも雪崩を打ってその子犬に飛びつきそうになっていた。

  

「し、しいろ……?」

  

 恐る恐る、彼の名前を呼んでみると、その子犬はわん、と返事をするように鳴いて嬉しそうに尻尾を振り始めた。何度も何度も見た、かぐやの友達と全く同じ仕草。ずぅっと傍で見ていた彼女にとっては、すぐに分かるものだった。

  

「詩彩、詩彩だぁ!」

  

 どうして、とか。どうやって、とか。そんな当然の疑問は全部捨てて、かぐやは目の前の子犬に飛びついた。かぐやにとっては、もう会えないと思っていた友達がまた自分の傍に来てくれた。それだけで良かったから。それだけで信じられないくらいに嬉しかったから。

  

  

  

 これは、一人の少女に会うために長い長い旅路を歩んだ一人のかぐや姫と。

  

 何度も何度も生まれなおしながら、ずぅっとその傍にいた一匹の犬のお話。

  

 そして、言葉も話せない彼が、それでも誰かの家族になるお話。

  

  

  

  

 

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