宵の街とかぐや姫   作:LuN@iL

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第二話です月から来たお姫様との出会い


第二話 祠の灯りと月の客

朝は、静かに来た。

東の山の端が白んで、月が、ようやく動いた。

軒先の灯りが、霧のように薄れていく。固く均されていた土の道が、足の下で草の根に戻る。

気づけば、そこは村だった。藁と木の屋根。傾いた小屋。火のあとの黒い輪。

まわりに、人の輪郭が戻りはじめた。薄い影が霧と共に、草の上に座る形をとって、少しずつ、色を取り戻していく。最初に戻ってきたのは、子どもだった。

大人の膝の上で身じろぎして、目をこすり、あたりを見回した。

それから何も言わずに、母親の袖を引いた。

 

「……あさ」

 

「朝だね」

 

母親は、朝を初めて見るような顔をしていた。

村の者が、次々に戻ってきた。腕を伸ばして、咳をして、自分の手を眺めた。

誰かが泣き出して、誰かが笑った。

彼は、火の跡のそばに立っていた。晩朝の光の中でも、面は白かった。

 

「神さま」

 

戻った者が彼に気づいて、地面に額をつけた。ひとり、またひとり、それが広がっていく。

 

「やめてください」

 

誰もやめなかった。子どもが一人、そっと面に手を伸ばした。

母親が慌てて引き戻そうとして、彼は、いい、と言った。

小さな指が、面の縁をなぞった。継ぎ目は、どこにもなかった。

 

「つめたい」

 

「そうか」

 

子どもは満足したように、手を引っ込めた。

村長が、膝の土を払って立ち上がった。

 

「昨夜のあれは」

 

「……俺にも、よく」

 

「街、だったな」

 

村長はそう言って、あたりを見渡した。それから、口を閉じた。

数が合わなかった。七人、戻らない者がいた。

火のまわりの、座っていたはずの場所が空いていた。椀だけが、草の上に転がっている。

名を呼んでも、返事はなかった。探しても、どこにもいなかった。

最後に見た顔は、どれも笑っていた。

 

「死んだのか」

 

「ここには、いません」

 

「ならば、どこに」

 

「おそらく、街に残った」

 

七人の中に、「このまま、思い出さなくて」と言った女がいた。女の椀が、いちばん端に転がっていた。

昼になっても、女は戻らなかった。

村の者は、七人の家の戸を開けて、寝床を整えた。戻ってきたときに、困らないように。

椀は、火の跡に並べて置いた。

夕方、戻った者たちが、ぽつぽつと話しはじめた。

 

「帰らなきゃ、と思ったんだ。そうしたら、ここにいた」

 

「俺もだ。畑のことを思い出して」

 

老婆が言った。

 

「息子の顔を忘れてたまるか、と思ったら、朝だった」

 

それきり、誰も何も言わなかった。

 

村長が、静かに言った。

 

「帰りたい者は、帰れた。残りたい者は、残った」

 

彼は何も言えなかった。そのとおりなのかどうかも、わからなかった。

 

 

翌日から、村長が動いた。

 

「神さまの街には、入口がいる」

 

そう言って、村のはずれの畦に、杭を二本立てた。

彼は、昔どこかで見た茅の輪を思い出していた。しめ縄を渡して、輪にしろと言った。

くぐれば入れるのだ、と思っていた。壺を並べ、縄を張り、石を積んだ。

一度目は、誰も入れなかった。二度目は、ひとり入った。三度目は、手順を変えた。

輪を左から三度くぐり、壺に酒を注ぎ、彼が面の前で手を合わせる。

入れる者と、入れない者がいた。差がわからなかった。

子どもたちは、輪をくぐる遊びを始めた。くぐっても、誰も入れなかった。それでも、遊びは毎日続いた。

そのうち、鳥居のような柱が、二本立った。誰が言い出したのかは、わからない。

 

ある夜、彼は見た。

輪の外で、ひとりの男が、ただ手を合わせていた。戦で息子を亡くした男だった。

縄にも、柱にも、触れてはいなかった。田の隅の暗がりで、小さく言った。

 

「どうか、少しだけ」

 

それだけだった。

男の輪郭が薄れ、霧が浮かび、足元に、橙色の灯りが滲んだ。次の瞬間、男はいなかった。

 

朝、男は同じ場所に立っていた。入ったときのままだった。街にいた、と言った。

輪も、縄も、要らなかったのだ。誰かが本当に望めば、それでよかった。

彼は、それをしばらく誰にも言わなかった。縄は、そのままにしておいた。

 

村の者は、縄の前に小さな屋根を掛けた。壺を供え、石を磨いた。

屋根はやがて祠になり、柱は鳥居になった。

 

街から戻った者は、傾いた屋根を直し、荒れた畑を耕した。

三度目の秋に、稲は黒くならなかった。村は、少しずつ大きくなった。

村の者は、彼を神さまと呼ぶのをやめなかった。彼も、やめろと言わなくなった。

夜は、祠の前に座ることが多くなった。面に触れて、継ぎ目を探す。

毎晩、同じ場所を探して、毎晩、見つからなかった。

 


 

霧の深い朝だった。

彼は祠の前にいた。毎朝そこで、供えの壺に酒を継ぎ足すのが、仕事になっていた。

面は外れなかった。一度も。

 

壺の縁で、何かが動いた。掌ほどの、濡れたものだった。

柔らかそうな体を縁に引っかけて、ゆっくり、這い上がってくる。

 

「……ナメクジか」

 

「ウミウシ」

 

声がした。澄んだ、少女の声だった。

彼はあたりを見回した。誰もいない。霧の中に、祠と鳥居と、壺があるだけだった。

 

「ここ。下」

 

視線を落とした。壺の縁で、小さな体が、触角のようなものをこちらへ向けていた。

 

「……酔ってるのか、俺は」

 

「酔ってない。たぶん」

 

ウミウシは縁を乗り越えて、供えの台に落ちた。べしゃ、と濁り酒に半分浸かって、慌てて這い出した。

 

「あなたが、神?」

 

「村では、そう呼ばれてる」

 

「そう。よかった」

 

ウミウシは、台の上で、ぐったりと体を伸ばした。

 

「三月、探した」

 

「三月」

 

「海から、ずっと。山を越えて」

 

「ウミウシが?」

 

「途中で、鳥に三回、食べられかけた」

 

「……よく生きてたな」

 

「三回とも、ぺって吐き出された。まずかったんだと思う」

 

「この体は、私のじゃないの」

 

少し、間があった。

 

「犬DOGEの。私の相棒。犬だったんだけど」

 

「犬が、ウミウシに」

 

「私の体は、もうない。船が壊れて、体も壊れて。残ったのが、これだけ」

 

「船」

 

「月から来たの」

 

彼は何も言わなかった。言うべきことが、なかった。

 

「かぐや、っていうの。よろしく」

 

ウミウシが、体を少し持ち上げた。会釈のつもりらしかった。

 

「……神です」

 

「うん、知ってる」

 

「山の人が言ってた」

 

かぐやは言った。

 

「悲しい人が眠れる街を、酒の神さまが案内してくれるって。だから、もしかしてって」

 

「もしかして?」

 

「あなたが、ヤチヨなの?」

 

「ヤチヨ?」

 

「...知らない? ヤチヨって人」

 

「……知らない」

 

「...そっか」

 

声が、少し小さくなった。

彼は、祠を見た。三年前は縄だったものが、いまは屋根を持っている。

鳥居の下に、濁り酒の壺が並んでいる。

 

「祈れ」

 

「え」

 

「祠に祈れば、入れる。俺の街だ」

 

「……入ったら、どうなるの」

 

「入ればわかる」

 

ウミウシは、しばらく祠を見上げていた。

それから、小さく体を丸めた。霧が、色を変えた。

白かった霧が、ほのかに橙を帯びた。祠の屋根に、提灯が下がる。ひとつ、ふたつ。

鳥居の向こうに、道が現れた。藁と木の低い屋根が、両側に連なっていく。

道の両側に、提灯が下がっていた。どの提灯の下にも、湯気の立つ椀が置かれている。

誰が置いたのでもなかった。道の真ん中に、少女が座っていた。

十五、六に見えた。裸足で、膝を抱えている。髪が、提灯の灯りを透かして、淡く光っていた。

 

少女は、自分の手を見ていた。

指を、ゆっくり曲げた。もう一度、開いた。

 

「手が、ある」

 

声が、震えていた。

 

「ある。……ちゃんと、ある」

 

ぽろぽろと、涙がこぼれた。拭いもせずに、何度も指を曲げていた。

彼は何も言わなかった。言わないほうがいい、と思った。

しばらくして、盃を差し出した。濁り酒が、なみなみと注いである。

少女は受け取って、ためらいもせず、飲んだ。

そして、むせた。

 

「にが……っ、なにこれ?...にがい?」

 

「酒だ」

 

「知ってるよ!知ってるけど、にがい...」

 

咳き込みながら、少女は笑った。顔をくしゃくしゃにして、久しぶりに笑ったような声だった。

笑い終わるころには、涙も止まっていた。

道の先で、笑い声がした。縁台に、七人が座っていた。村の者だった。

あの朝、戻らなかった七人が、椀を手に、肩を寄せ合って笑っている。

「思い出さなくていい」と言った女が、こちらに気づいて、椀を掲げた。

 

「あの人たちは」

 

少女が訊いた。

 

「帰りたくない人たちだ」

 

彼は言った。

 

「帰りたくなったら、帰れる」

 

少女はしばらく、その笑い声を見ていた。それから、彼の顔を見上げた。

 

「それ、外さないの?」

 

「外れない」

 

「ふうん」

 

少女は、面をまじまじと眺めた。

 

「月みたい」

 

彼は何も答えなかった。面の内側で、自分の息の音がした。

 

「多分、ここにいる間だけだ」

 

しばらくして、彼は言った。

 

「その姿は。外に出れば、また、さっきのに戻る」

 

少女は、自分の手を見た。それから、道の先を見た。

提灯が、どこまでも並んでいる。

 

「……帰る場所があるなら」

 

少女は、小さく言った。

「それでも、いい」

 

二人は並んで、灯りの列を見ていた。

灯りの列は、道の向こうまで続いていた。どこまで続いているのか、彼にもわからなかった。

 




無限に続く街は忘却を望む者を溺れさせる
けれどきっとそれだけが救いになるのだ
少しの救いも永久の眠りも望むなら与えられる

未来にあるいは今に残した事があるならば
過去に忘れたくない事があるならば
きっと夜は明けるだろう
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