――警告音が、コックピット内に鳴り響いていた。
燃料残量は少ない。計器には複数の警告表示。無線からは管制の声が絶えず届いている。
『こちら管制! 応答しろ、Phantom! 状況を報告しろ!』
「聞こえてるよ。こっちはちょっと厳しいかな!」
操縦桿を握る手に力を込める。
彼は特殊航空戦術群に所属する戦闘機パイロット。階級は少尉。
数々の任務をこなし、その技量と任務達成の実績から、周囲にいつしかPhantomと呼ばれるようになった男だった。
無線の向こうから、さらに切迫した声が聞こえる。
『帰投できるか!?』
「さてね! まあ、できるだけ頑張ってみるよ!」
いつもの調子で返す。
状況は決して良くない。それでも、彼は必要以上に慌てなかった。
視界の先に敵影が見える。
操縦桿を握り直し、彼は機体を操った。
そして――。
◇
「…………ん?」
目を開ける。
最初に見えたのは、薄汚れた建物の壁だった。
身体を起こし、周囲を見渡す。
狭い路地。積み重なった廃材。遠くから聞こえる人々の声。
見覚えのない場所だった。
「……どこだ、ここ?」
最後の記憶を思い返す。
任務中だった。燃料は残り少なく、敵に発見されていた。そこまでは覚えている。
しかし、その後がない。
撃墜されたのか。それとも、どこかに不時着したのか。
考えながら自分の身体を確認する。
そこで、違和感に気づいた。
「……ん?」
手が小さい。
腕も細い。身体全体にも以前とは違う感覚がある。
近くにあった水たまりを覗き込む。
そこに映っていたのは、見知らぬ少女だった。
銀色の長い髪に、金色の瞳。顔立ちも身体つきも、記憶にある自分とはまるで違う。
「…………女の子?」
しばらく水面を見つめる。
冗談のような状況だった。
だが、頬に触れれば感触がある。手を動かせば水面の少女も同じように動く。
夢ではないらしい。
……いや、待て待て。落ち着こう。まずは状況確認だ。
驚きはあった。けれど、いつまでも驚いているわけにはいかない。
所持品はない。身分を証明できるものもない。軍との連絡手段もない。
そして、ここがどこなのかも分からない。
周囲を見回すと、路地の先には奇妙な街並みが広がっていた。
銃を持った少女たちが歩いている。建物の看板には見慣れない文字が並び、遠くには巨大な建造物が見える。
さらに、頭上には奇妙な輪が浮かんでいた。
「……これも俺のものなのか?」
手を伸ばしてみるが、触れることはできない。
分からないことだらけだった。
とにかく、情報を集めなければならない。
そう考えて路地を出たところで、声をかけられた。
「おい、お前!」
振り返る。
そこには数人の少女たちがいた。身なりは荒っぽく、こちらを値踏みするような目で見ている。
「見ねえ顔だな。どこの学校?」
「学校……?」
「あ?」
少女たちは顔を見合わせる。
「お前、学校を知らないのか?」
「……そういうことになるかな」
「そんなやついるのか....?」
「まあいいか、じゃあちょっと付き合ってよ」
一人が近づいてくる。
こちらに友好的な用件があるようには見えない。
少女は一歩だけ後ろへ下がった。
「悪いけど、今は忙しいんだ」
「そう言わずにさ」
相手が手を伸ばす。
その瞬間、頭上の輪が淡く輝いた。
空気が震える。
遠くから、聞き覚えのある轟音が響いた。
少女たちが何事かと空を見上げる。
そこには、一機の航空機が現れていた。
灰色の機体。特徴的な外見。
「……A-10?」
A-10AサンダーボルトII。
かつての世界で何度も目にした、地上攻撃を得意とする航空機。
なぜ、ここに。
いや、それ以前に――。
「俺が呼んだのか?」
確信はない。
しかし、機体が自分の意思に反応しているような感覚があった。
少女たちは突然現れた航空機にすっかり怯んでいた。
その隙に、彼女は機体へと向かった。
操縦席に収まった瞬間、不思議なほど自然に計器類が理解できた。
身体は変わっている。世界も変わっている。
それでも、操縦に必要な感覚は失われていなかった。
「……これは、面白いことになったな」
機体が空へ上がる。
眼下では、少女たちが呆然と立ち尽くしていた。
彼女はしばらく飛行してから、機体を消すように念じてみた。
次の瞬間、A-10Aは空から姿を消した。
「…………」
どうやら、呼び出すことも、消すこともできるらしい。
しかも、操縦まで問題ない。
これが何なのかは分からない。だが、生きていくための手段にはなりそうだった。
◇
それから数日。
少女はブラックマーケットと呼ばれる場所で、どうにか生活できる方法を探していた。
ここがキヴォトスという場所であることも、少しずつ分かってきた。
生徒と呼ばれる者たちが銃を持ち歩き、学校ごとに自治を行っていること。治安の悪い地域も存在し、ブラックマーケットはその代表格の一つであること。
そして、自分には身分証明書がない。
まともな職に就くのは難しいだろう。
「さて……どうやって暮らそうかな」
食べ物を買うにもお金がいる。寝る場所を確保するにも、何かと費用がかかる。
幸い、能力のおかげで移動手段には困らない。だが、それだけで生活できるわけではなかった。
そんなときだった。
風に飛ばされた一枚の紙が、足元に転がってきた。
「ん?」
拾い上げてみる。
そこには仕事の依頼が書かれていた。
詳しい内容と報酬、依頼を仲介する者の連絡先。
依頼内容は、二つのヘルメット団のグループが起こしている抗争への介入だった。
「……傭兵の募集か」
紙面を読み進める。
両グループの対立は長引いており、周辺にも被害が出始めているらしい。依頼主は抗争を終わらせたいようだ。
危険な仕事であることは間違いない。だが、報酬は悪くない。
自分には航空機を呼び出す能力がある。操縦もできる。以前の経験も残っている。
ならば、それを利用して生活すればいい。
「うん。これなら何とかなるかもしれない」
特別な目的があるわけではない。
ただ、この世界で生きていくために仕事が必要だった。
そして、彼女は依頼を引き受けることにした。
◇
初仕事の日。
指定された場所へ向かうと、すでに二つのヘルメット団が対峙していた。
片方は廃工場の周辺を占拠し、もう片方は道路を挟んだ向かい側に陣取っている。
どちらも数は多い。周囲には放置された車両や壊れた資材が散らばり、ここで何度も争いが繰り返されてきたことが分かった。
「そっちが先に手を出したんでしょ!」
「はあ? そっちが約束を破ったんじゃん!」
「言い訳するな!」
「そっちこそ!」
怒声が飛び交う。
少女は少し離れた建物の陰から、その様子を眺めていた。
……なるほど。話し合いでどうにかなる雰囲気じゃないね。
依頼主から聞いていた話と大きな違いはない。
両グループとも引く気がなく、話し合いは何度も決裂している。周辺への被害も増え、依頼主としてもこれ以上放置できない状況になったらしい。
彼女は空を見上げた。
「……さて」
頭上の輪が、淡い光を帯びる。
次の瞬間。
遠くから、重々しい轟音が響いてきた。
最初は風の音かと思った者もいた。
だが、その音は急速に大きくなっていく。
「……何の音?」
「上! 空を見ろ!」
誰かの叫び声。
両グループの少女たちが一斉に空を見上げる。
そこには、見たこともない巨大な飛行物体があった。
灰色の機体。左右に大きく広がった翼。独特な形状の尾翼。そして、何よりも目を引くのは、その無骨で異様な姿だった。
それは鳥でもなければ、彼女たちが知っている乗り物とも違う。
金属の塊が、轟音を響かせながら空を飛んでいる。
「な、何あれ!?」
「飛行機……!?」
「どこの組織のものよ!?」
困惑する声があちこちから上がる。
その正体を知る者は、この場には一人もいない。
ただ一人、操縦席にいる少女を除いて。
「……やっぱり、A-10はいいな」
A-10AサンダーボルトII。
彼女にとっては見慣れた機体だ。だが、この世界の住人にとっては未知の存在である。
彼女は操縦席から地上の様子を確認する。
視界の先には、互いに銃を向け合うヘルメット団。
このままでは、再び撃ち合いが始まる。
「……仕事を始めようか」
機体が低く唸る。
その存在を見せつけるように、A-10Aは戦場の上空を通過した。
「撃て! あれが何なのか分からないけど、とにかく撃ち落とせ!」
どちらのグループから出た声なのかは分からない。
直後、地上から銃声が響いた。
小さな光が空へ向かって飛んでいく。
しかし、機体はそのまま空を駆け抜ける。
「効いてない!?」
「もう一度撃て!」
地上の少女たちが次々と銃を構える。
彼女は操縦席で、その様子を冷静に見ていた。
……まあ、正体不明のものが突然現れたら、そうなるよね。
警戒するのは当然だろう。
だが、こちらも仕事で来ている。
彼女は機体を旋回させ、再び戦場へ向かった。
轟音が近づく。
地上の少女たちが慌てて散開した。
そして、A-10Aの機首が戦場を向く。
轟音。
地面が震え、廃工場の近くにあった無人の車両が大きく揺れた。周囲に砂埃が巻き上がり、積まれていた資材が崩れる。
「きゃあっ!?」
「伏せて!」
少女たちが身を低くする。
機体はそのまま通り過ぎ、空へと上昇していった。
直接誰かを狙ったわけではない。
だが、その一撃は十分すぎるほどの警告だった。
「な、何なのよ、あれ……!」
「知らないわよ! あんなの見たことない!」
「どこから来たの!?」
両グループの間に、明らかな動揺が広がる。
彼女は機体を旋回させながら、地上の様子を確認した。
まだ終わっていない。
片方のグループが、再び銃を構えている。
「まだやるのか」
彼女は小さく息を吐いた。
その直後、A-10Aの機体にいくつかの衝撃が走った。
地上からの攻撃がかすめたらしい。
「……なるほど。そう簡単には引かないか」
操縦席の中で、彼女の表情は変わらない。
機体は飛び続けている。操縦にも支障はない。
それでも、何度も攻撃を受ければ無事では済まないだろう。
彼女は再び戦場へ向き直った。
今度は、両グループの間にある広い空間へと機体を通す。
その姿を見たヘルメット団の少女たちは、慌てて物陰へと逃げ込んだ。
機体の轟音が頭上を覆い、地面の砂が舞い上がる。
彼女は戦場の中心に残された無人の車両を見つけた。
ズドドドドドッッ!!
次の瞬間、轟音とともに車両の周囲が大きく弾けた。
車両は煙を上げ、周囲にいた少女たちが一斉に退く。
「うそでしょ……!」
「もう無理! こんなの相手にできないって!」
ようやく、片方のグループが後退を始めた。
しかし、もう片方はまだ抵抗を続けている。
「待ちなさいよ! あんたたちが先に――」
「今それどころじゃないでしょ!」
「でも!」
「空を見なさいよ!」
再びA-10Aが上空に姿を現す。
灰色の機体が太陽を横切り、地上に大きな影を落とした。
その瞬間、抵抗していた少女たちの動きが止まった。
彼女は機体を旋回させ、戦場の様子を見下ろす。
……これで、ようやく話を聞く気になったかな。
通信機もない。拡声器もない。
わざわざ地上へ降りて説明するつもりもなかった。
彼女にできることは、両グループにこれ以上争う意味がないと理解させることだけだ。
やがて、ヘルメット団の一人が仲間に声をかけた。
「……もうやめよう。これ以上続けても無駄だよ」
「でも、あいつらが!」
「だからって、あんなのと戦うの!?」
別のグループでも、同じようなやり取りが起きていた。
最初に退き始めた者たちに続き、残っていた少女たちも少しずつ武器を下ろしていく。
しばらくして、両グループは互いに距離を取り始めた。
抗争は終わった。
彼女は上空からその様子を確認する。
もう銃声は聞こえない。両グループとも戦闘を続ける様子はなかった。
「……依頼完了、かな」
機体を上昇させる。
A-10Aは雲の向こうへと姿を消し、やがて空からも見えなくなった。
◇
その日の夜。
ブラックマーケットの一角では、昼間の出来事が話題になっていた。
「聞いた? ヘルメット団の抗争に変な飛行機が現れたらしいよ」
「飛行機?大きすぎてもっと噂になってるでしよ」
「それが小さいし弾も打つんだって」
「そんなものが飛んでたの?」
「しかも、ヘルメット団の抗争を止めたんだって」
「どこの組織のものなの?」
「分からない。そもそも、そんなものを持ってる組織なんて聞いたことないよ」
「……何それ、怖いんだけど」
噂は少しずつ広がっていく。
空から現れた謎の飛行機。
それを操る正体不明の少女。
まだ名前も知られていない、どこの組織にも属していない傭兵。
一方、その本人はというと。
「……明日の食料も買っておかないとな」
そんなことを考えながら、ブラックマーケットの店を歩いていた。
仕事の報酬を受け取り、必要な食料と日用品を買う。
寝床は偶然見つけた、使われなくなった建物の一室だ。寝袋を広げれば、それで十分だった。
自分の仕事が噂になっていることなど、知る由もない。
ただ、今日の仕事で一つ分かったことがある。
この力は、生活のために使える。
そして、この世界で生きていくための道筋も、少しだけ見えてきた。
「……さて、次はどんな仕事があるかな」
少女は買った食料を抱え、夜のブラックマーケットを歩いていく。
こうして、彼女の傭兵としての生活が始まった。
誤字脱字や設定ミス、会話の違和感などがあったら言ってください