空の亡霊はキヴォトスを駆ける   作:paruparu0131

1 / 1
見知らぬ空

 ――警告音が、コックピット内に鳴り響いていた。

 

 燃料残量は少ない。計器には複数の警告表示。無線からは管制の声が絶えず届いている。

 

『こちら管制! 応答しろ、Phantom! 状況を報告しろ!』

 

「聞こえてるよ。こっちはちょっと厳しいかな!」

 

 操縦桿を握る手に力を込める。

 

 彼は特殊航空戦術群に所属する戦闘機パイロット。階級は少尉。

 

 数々の任務をこなし、その技量と任務達成の実績から、周囲にいつしかPhantomと呼ばれるようになった男だった。

 

 無線の向こうから、さらに切迫した声が聞こえる。

 

『帰投できるか!?』

 

「さてね! まあ、できるだけ頑張ってみるよ!」

 

 いつもの調子で返す。

 

 状況は決して良くない。それでも、彼は必要以上に慌てなかった。

 

 視界の先に敵影が見える。

 

 操縦桿を握り直し、彼は機体を操った。

 

 そして――。

 

     ◇

 

「…………ん?」

 

 目を開ける。

 

 最初に見えたのは、薄汚れた建物の壁だった。

 

 身体を起こし、周囲を見渡す。

 

 狭い路地。積み重なった廃材。遠くから聞こえる人々の声。

 

 見覚えのない場所だった。

 

「……どこだ、ここ?」

 

 最後の記憶を思い返す。

 

 任務中だった。燃料は残り少なく、敵に発見されていた。そこまでは覚えている。

 

 しかし、その後がない。

 

 撃墜されたのか。それとも、どこかに不時着したのか。

 

 考えながら自分の身体を確認する。

 

 そこで、違和感に気づいた。

 

「……ん?」

 

 手が小さい。

 

 腕も細い。身体全体にも以前とは違う感覚がある。

 

 近くにあった水たまりを覗き込む。

 

 そこに映っていたのは、見知らぬ少女だった。

 

 銀色の長い髪に、金色の瞳。顔立ちも身体つきも、記憶にある自分とはまるで違う。

 

「…………女の子?」

 

 しばらく水面を見つめる。

 

 冗談のような状況だった。

 

 だが、頬に触れれば感触がある。手を動かせば水面の少女も同じように動く。

 

 夢ではないらしい。

 

 ……いや、待て待て。落ち着こう。まずは状況確認だ。

 

 驚きはあった。けれど、いつまでも驚いているわけにはいかない。

 

 所持品はない。身分を証明できるものもない。軍との連絡手段もない。

 

 そして、ここがどこなのかも分からない。

 

 周囲を見回すと、路地の先には奇妙な街並みが広がっていた。

 

 銃を持った少女たちが歩いている。建物の看板には見慣れない文字が並び、遠くには巨大な建造物が見える。

 

 さらに、頭上には奇妙な輪が浮かんでいた。

 

「……これも俺のものなのか?」

 

 手を伸ばしてみるが、触れることはできない。

 

 分からないことだらけだった。

 

 とにかく、情報を集めなければならない。

 

 そう考えて路地を出たところで、声をかけられた。

 

「おい、お前!」

 

 振り返る。

 

 そこには数人の少女たちがいた。身なりは荒っぽく、こちらを値踏みするような目で見ている。

 

「見ねえ顔だな。どこの学校?」

 

「学校……?」

 

「あ?」

 

 少女たちは顔を見合わせる。

 

「お前、学校を知らないのか?」

 

「……そういうことになるかな」

 

「そんなやついるのか....?」

 

「まあいいか、じゃあちょっと付き合ってよ」

 

 一人が近づいてくる。

 

 こちらに友好的な用件があるようには見えない。

 

 少女は一歩だけ後ろへ下がった。

 

「悪いけど、今は忙しいんだ」

 

「そう言わずにさ」

 

 相手が手を伸ばす。

 

 その瞬間、頭上の輪が淡く輝いた。

 

 空気が震える。

 

 遠くから、聞き覚えのある轟音が響いた。

 

 少女たちが何事かと空を見上げる。

 

 そこには、一機の航空機が現れていた。

 

 灰色の機体。特徴的な外見。

 

「……A-10?」

 

 A-10AサンダーボルトII。

 

 かつての世界で何度も目にした、地上攻撃を得意とする航空機。

 

 なぜ、ここに。

 

 いや、それ以前に――。

 

「俺が呼んだのか?」

 

 確信はない。

 

 しかし、機体が自分の意思に反応しているような感覚があった。

 

 少女たちは突然現れた航空機にすっかり怯んでいた。

 

 その隙に、彼女は機体へと向かった。

 

 操縦席に収まった瞬間、不思議なほど自然に計器類が理解できた。

 

 身体は変わっている。世界も変わっている。

 

 それでも、操縦に必要な感覚は失われていなかった。

 

「……これは、面白いことになったな」

 

 機体が空へ上がる。

 

 眼下では、少女たちが呆然と立ち尽くしていた。

 

 彼女はしばらく飛行してから、機体を消すように念じてみた。

 

 次の瞬間、A-10Aは空から姿を消した。

 

「…………」

 

 どうやら、呼び出すことも、消すこともできるらしい。

 

 しかも、操縦まで問題ない。

 

 これが何なのかは分からない。だが、生きていくための手段にはなりそうだった。

 

     ◇

 

 それから数日。

 

 少女はブラックマーケットと呼ばれる場所で、どうにか生活できる方法を探していた。

 

 ここがキヴォトスという場所であることも、少しずつ分かってきた。

 

 生徒と呼ばれる者たちが銃を持ち歩き、学校ごとに自治を行っていること。治安の悪い地域も存在し、ブラックマーケットはその代表格の一つであること。

 

 そして、自分には身分証明書がない。

 

 まともな職に就くのは難しいだろう。

 

「さて……どうやって暮らそうかな」

 

 食べ物を買うにもお金がいる。寝る場所を確保するにも、何かと費用がかかる。

 

 幸い、能力のおかげで移動手段には困らない。だが、それだけで生活できるわけではなかった。

 

 そんなときだった。

 

 風に飛ばされた一枚の紙が、足元に転がってきた。

 

「ん?」

 

 拾い上げてみる。

 

 そこには仕事の依頼が書かれていた。

 

 詳しい内容と報酬、依頼を仲介する者の連絡先。

 

 依頼内容は、二つのヘルメット団のグループが起こしている抗争への介入だった。

 

「……傭兵の募集か」

 

 紙面を読み進める。

 

 両グループの対立は長引いており、周辺にも被害が出始めているらしい。依頼主は抗争を終わらせたいようだ。

 

 危険な仕事であることは間違いない。だが、報酬は悪くない。

 

 自分には航空機を呼び出す能力がある。操縦もできる。以前の経験も残っている。

 

 ならば、それを利用して生活すればいい。

 

「うん。これなら何とかなるかもしれない」

 

 特別な目的があるわけではない。

 

 ただ、この世界で生きていくために仕事が必要だった。

 

 そして、彼女は依頼を引き受けることにした。

 

     ◇

 

 初仕事の日。

 

 指定された場所へ向かうと、すでに二つのヘルメット団が対峙していた。

 

 片方は廃工場の周辺を占拠し、もう片方は道路を挟んだ向かい側に陣取っている。

 

 どちらも数は多い。周囲には放置された車両や壊れた資材が散らばり、ここで何度も争いが繰り返されてきたことが分かった。

 

「そっちが先に手を出したんでしょ!」

 

「はあ? そっちが約束を破ったんじゃん!」

 

「言い訳するな!」

 

「そっちこそ!」

 

 怒声が飛び交う。

 

 少女は少し離れた建物の陰から、その様子を眺めていた。

 

 ……なるほど。話し合いでどうにかなる雰囲気じゃないね。

 

 依頼主から聞いていた話と大きな違いはない。

 

 両グループとも引く気がなく、話し合いは何度も決裂している。周辺への被害も増え、依頼主としてもこれ以上放置できない状況になったらしい。

 

 彼女は空を見上げた。

 

「……さて」

 

 頭上の輪が、淡い光を帯びる。

 

 次の瞬間。

 

 遠くから、重々しい轟音が響いてきた。

 

 最初は風の音かと思った者もいた。

 

 だが、その音は急速に大きくなっていく。

 

「……何の音?」

 

「上! 空を見ろ!」

 

 誰かの叫び声。

 

 両グループの少女たちが一斉に空を見上げる。

 

 そこには、見たこともない巨大な飛行物体があった。

 

 灰色の機体。左右に大きく広がった翼。独特な形状の尾翼。そして、何よりも目を引くのは、その無骨で異様な姿だった。

 

 それは鳥でもなければ、彼女たちが知っている乗り物とも違う。

 

 金属の塊が、轟音を響かせながら空を飛んでいる。

 

「な、何あれ!?」

 

「飛行機……!?」

 

「どこの組織のものよ!?」

 

 困惑する声があちこちから上がる。

 

 その正体を知る者は、この場には一人もいない。

 

 ただ一人、操縦席にいる少女を除いて。

 

「……やっぱり、A-10はいいな」

 

 A-10AサンダーボルトII。

 

 彼女にとっては見慣れた機体だ。だが、この世界の住人にとっては未知の存在である。

 

 彼女は操縦席から地上の様子を確認する。

 

 視界の先には、互いに銃を向け合うヘルメット団。

 

 このままでは、再び撃ち合いが始まる。

 

「……仕事を始めようか」

 

 機体が低く唸る。

 

 その存在を見せつけるように、A-10Aは戦場の上空を通過した。

 

「撃て! あれが何なのか分からないけど、とにかく撃ち落とせ!」

 

 どちらのグループから出た声なのかは分からない。

 

 直後、地上から銃声が響いた。

 

 小さな光が空へ向かって飛んでいく。

 

 しかし、機体はそのまま空を駆け抜ける。

 

「効いてない!?」

 

「もう一度撃て!」

 

 地上の少女たちが次々と銃を構える。

 

 彼女は操縦席で、その様子を冷静に見ていた。

 

 ……まあ、正体不明のものが突然現れたら、そうなるよね。

 

 警戒するのは当然だろう。

 

 だが、こちらも仕事で来ている。

 

 彼女は機体を旋回させ、再び戦場へ向かった。

 

 轟音が近づく。

 

 地上の少女たちが慌てて散開した。

 

 そして、A-10Aの機首が戦場を向く。

 

 轟音。

 

 地面が震え、廃工場の近くにあった無人の車両が大きく揺れた。周囲に砂埃が巻き上がり、積まれていた資材が崩れる。

 

「きゃあっ!?」

 

「伏せて!」

 

 少女たちが身を低くする。

 

 機体はそのまま通り過ぎ、空へと上昇していった。

 

 直接誰かを狙ったわけではない。

 

 だが、その一撃は十分すぎるほどの警告だった。

 

「な、何なのよ、あれ……!」

 

「知らないわよ! あんなの見たことない!」

 

「どこから来たの!?」

 

 両グループの間に、明らかな動揺が広がる。

 

 彼女は機体を旋回させながら、地上の様子を確認した。

 

 まだ終わっていない。

 

 片方のグループが、再び銃を構えている。

 

「まだやるのか」

 

 彼女は小さく息を吐いた。

 

 その直後、A-10Aの機体にいくつかの衝撃が走った。

 

 地上からの攻撃がかすめたらしい。

 

「……なるほど。そう簡単には引かないか」

 

 操縦席の中で、彼女の表情は変わらない。

 

 機体は飛び続けている。操縦にも支障はない。

 

 それでも、何度も攻撃を受ければ無事では済まないだろう。

 

 彼女は再び戦場へ向き直った。

 

 今度は、両グループの間にある広い空間へと機体を通す。

 

 その姿を見たヘルメット団の少女たちは、慌てて物陰へと逃げ込んだ。

 

 機体の轟音が頭上を覆い、地面の砂が舞い上がる。

 

 彼女は戦場の中心に残された無人の車両を見つけた。

 

ズドドドドドッッ!!

 

 次の瞬間、轟音とともに車両の周囲が大きく弾けた。

 

 車両は煙を上げ、周囲にいた少女たちが一斉に退く。

 

「うそでしょ……!」

 

「もう無理! こんなの相手にできないって!」

 

 ようやく、片方のグループが後退を始めた。

 

 しかし、もう片方はまだ抵抗を続けている。

 

「待ちなさいよ! あんたたちが先に――」

 

「今それどころじゃないでしょ!」

 

「でも!」

 

「空を見なさいよ!」

 

 再びA-10Aが上空に姿を現す。

 

 灰色の機体が太陽を横切り、地上に大きな影を落とした。

 

 その瞬間、抵抗していた少女たちの動きが止まった。

 

 彼女は機体を旋回させ、戦場の様子を見下ろす。

 

 ……これで、ようやく話を聞く気になったかな。

 

 通信機もない。拡声器もない。

 

 わざわざ地上へ降りて説明するつもりもなかった。

 

 彼女にできることは、両グループにこれ以上争う意味がないと理解させることだけだ。

 

 やがて、ヘルメット団の一人が仲間に声をかけた。

 

「……もうやめよう。これ以上続けても無駄だよ」

 

「でも、あいつらが!」

 

「だからって、あんなのと戦うの!?」

 

 別のグループでも、同じようなやり取りが起きていた。

 

 最初に退き始めた者たちに続き、残っていた少女たちも少しずつ武器を下ろしていく。

 

 しばらくして、両グループは互いに距離を取り始めた。

 

 抗争は終わった。

 

 彼女は上空からその様子を確認する。

 

 もう銃声は聞こえない。両グループとも戦闘を続ける様子はなかった。

 

「……依頼完了、かな」

 

 機体を上昇させる。

 

 A-10Aは雲の向こうへと姿を消し、やがて空からも見えなくなった。

 

     ◇

 

 その日の夜。

 

 ブラックマーケットの一角では、昼間の出来事が話題になっていた。

 

「聞いた? ヘルメット団の抗争に変な飛行機が現れたらしいよ」

 

「飛行機?大きすぎてもっと噂になってるでしよ」

 

「それが小さいし弾も打つんだって」

 

「そんなものが飛んでたの?」

 

「しかも、ヘルメット団の抗争を止めたんだって」

 

「どこの組織のものなの?」

 

「分からない。そもそも、そんなものを持ってる組織なんて聞いたことないよ」

 

「……何それ、怖いんだけど」

 

 噂は少しずつ広がっていく。

 

 空から現れた謎の飛行機。

 

 それを操る正体不明の少女。

 

 まだ名前も知られていない、どこの組織にも属していない傭兵。

 

 一方、その本人はというと。

 

「……明日の食料も買っておかないとな」

 

 そんなことを考えながら、ブラックマーケットの店を歩いていた。

 

 仕事の報酬を受け取り、必要な食料と日用品を買う。

 

 寝床は偶然見つけた、使われなくなった建物の一室だ。寝袋を広げれば、それで十分だった。

 

 自分の仕事が噂になっていることなど、知る由もない。

 

 ただ、今日の仕事で一つ分かったことがある。

 

 この力は、生活のために使える。

 

 そして、この世界で生きていくための道筋も、少しだけ見えてきた。

 

「……さて、次はどんな仕事があるかな」

 

 少女は買った食料を抱え、夜のブラックマーケットを歩いていく。

 

 こうして、彼女の傭兵としての生活が始まった。




誤字脱字や設定ミス、会話の違和感などがあったら言ってください
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。