人間爆弾とヤドカリ少女 作:にしむき
それからのことは、実に大変でした。
私は石田さんの眼鏡に宿ったまま、マユリさんとの戦いを見守ることになったのです。
石田さんが激しく動くたび、景色がぐるぐると揺れます。
矢が飛び交い、刃が振るわれ、時折、眼鏡ごと吹き飛ばされるのではないかと思うほどの衝撃が伝わってきました。
恐ろしいことに、マユリさんは石田さんの体を麻痺させたり、毒を撒き散らしたり、果てはご自身の斬魄刀を巨大な赤ちゃんのような姿にしてしまいました。
知識として記憶にある事でも、実際に見ると圧とか怖さがまるで違うものですね。
はいはいしながら迫ってくる絵面はちびりそうなほどの恐怖でした。
(ひぃ……! 石田さん、頑張ってください!)
思わず応援してしまいました。
やがて石田さんはとてつもない霊子を身にまとい、マユリさんを圧倒し始めました。
あまりにも凄まじい力で、眼鏡に宿っている私まで引き剥がされてしまうのではないかとひりついたものです。
そして、とうとう決着しました。
マユリさんの体は、どうやってそれで立ってるの? と不思議になるくらい不自然に大きな穴が開き、大きな赤ちゃんは真っ二つに裂けてしまったのです。
あれ、本当にどうやって立っていたのでしょうか。マユリさんやっぱり怖い。
(……勝った!)
思わず、貝殻の中で飛び上がりました。
(やっぱり、原作通りです!)
ただし、マユリさんはそこで死んだ訳ではありません。
ご自身の斬魄刀で首を刺し、ずるずると液体のような姿に変わって逃げてしまいました。
最後までホラーなお方でしたが、これでやっと安心です。
あとは、このまま安全なところへ連れていってもらえば良いだけです。
……と思っていたのですが。
石田さんの足取りが、危うげにふらふらしています。
マユリさんの卍解によって毒を受けてしまっていたのでした。
このままでは、死んでしまいます。
(あ、あれ? どうでしたっけ。石田さん、ここでどうやって助かるんでしたっけ……)
焦りました。
私の原作知識は、前世の記憶を引き継いだだけの間接的なものにすぎません。細かな場面まで全て覚えているわけではないのです。
幸い、倒れていたネムさんが解毒剤を渡してくれたことで、どうにか事なきを得ました。
よかったです。
眼鏡に寄生しているだけの私は、石田さんが死んでしまったら非常に困ってしまいます。
そんな事情など知る由もない石田さんは、傷だらけの体を引きずりながら、懺罪宮へと向かって歩き始めました。
できれば休んで頂きたいところですが、そうもいかないのでしょう。
私も貝殻の中で、支ノ助さんを抱えたまま揺られていました。
ところが、です。
ちりん。
ちりん。
不意に、涼しげな音が聞こえてきました。
虫の音にも似た、耳心地の良い不思議な響きです。
(……この音)
聞き覚えがありました。
正確には、前世の記憶の中に、です。
(清虫……!)
東仙要さんの斬魄刀。
その音色を聞いた者を、意識の底へと沈めてしまう力です。
石田さんの体が、ぐらりと傾きました。
私もちょっと寝そうになりました。
そのまま、地面へと崩れ落ちます。
そうでした。
石田さんはこの後、東仙さんに捕まってしまうのでした。
ということは、当然私も一緒に連れていかれてしまいます。
(どう動いたものでしょう……)
石田さんは完全に意識を失っています。
そして、私は思い出しました。
宿狩が宿ることのできるもの。
それは、無機物や意識のない体。そして、本人の許可を得た体です。
目の前にあるのは、意識を失った石田さんの体。
(…………)
私は、少しだけ考えました。
殿方の寝込みを襲い勝手に体へ潜り込むなんて、いくらなんでもはしたないです。
支ノ助さんもまだ目覚めません。というか目覚めてくれるか分かりません。
なにせ体が透け透けです。息はしていても生きていると自信を持てる状態ではないのです。
原作の流れを考えれば、眼鏡は壊れても石田さんは死なないはず。
本人も寝ているし、少しくらいお邪魔しても、きっと気づかれないでしょう。
(……す、すみません。少しだけ、失礼します)
蚊の鳴くような声で断って、私は支ノ助さんを抱えたまま、眼鏡から石田さんの体へと滑り込みました。
そこは、夢の中のような場所でした。
辺り一面に白い霧が漂い、空も地面も、どこまで続いているのか分かりません。
私は殻から出した支ノ助さんを横たえ、ひとまず周囲の様子を確かめました。
石田さんの意識の中へ入り込むことには成功したようです。
なんとかなりました。
私もやればできるものなのですね。
「……誰だ?」
不意に声がしました。
振り返ると、石田雨竜さんが立っていました。
体はボロボロで寝ていても、精神世界の意識はご健在のようです。
まずいことになりました。
その時、私の傍らで眠っていた支ノ助さんが、小さく身じろぎしました。
「……ん、あれ……?」
ゆっくりと目を開け、寝ぼけ眼で周囲を見渡しています。
「支ノ助さん! 目が覚めたんですね!」
「……え? あ、うん。あの、君、誰……?」
よかった。
無事に目を覚ましてくれた事に、私は安堵で泣きそうになりました。
ですが、再会を喜んでいる場合ではありませんでした。
「夢……か?」
石田さんは周囲を見渡し、それから私達へ目を向けました。
「……君達は?」
「あ、あの、勝手にお、お邪魔してしまい、すみません、です。私、宿狩と申しまして、その、あの」
これはよくありません。慣れない殿方を前に私の舌と目線が舞い踊っております。
緊張で胸がバクバクして喉が干上がります。支ノ助さんの袖を掴む手に汗が滲みます。
「えっ、あ、俺、縁ノ下支ノ助です。よろしくお願いします」
支ノ助さんは完全に覚醒したようで、慌てて身を起こし、私につられるように正座して頭を下げました。礼儀正しくて良い主です。
「……って、あれ? ここ、どこだ? 俺は」
支ノ助さんは首を傾げ、それから自分の体を見下ろしました。
向こう側が透けています。
「えっ」
両手を持ち上げます。
やっぱり透けています。
「えっ!? ちょっと待って、何これ。あれ、俺、さっき、爆発して……」
しだいにあった事を思い出して顔を青くしていきました。
石田さんはそんな彼を暫く見つめていましたが、やがて眉間に指を当てました。
「……ああ、思い出した。君、あの時の爆発した死神か」
「はい。その木っ端みじんになった死神です」
「木っ端みじん!? 死んだ!?」
あ、つい言葉を選ばず答えてしまい、支ノ助さんにショックを与えてしまいました。
石田さんは冷静に虚空を眺め、一人納得するようにぼやきました。
「やはり夢だな。さっきの戦いが、よほど頭に残っていたらしい」
「夢か! そっか! 安心した!」
「支ノ助さん。他人の夢の中で騒がないでください。あなたが爆発したのはちゃんと現実です」
「夢じゃなかった……っ!」
支ノ助さんが打ちひしがれてしまいました。
私もできれば夢で済ませたいところなのですが。
「あの、支ノ助さん。一度落ち着いて聞いてください」
「う、うん」
「支ノ助さんの体は、先ほどの爆発で……その、残念ながら……」
「……うん」
「でも、魂魄の一部だけ、なんとか私の、刀の中にお連れすることができました」
支ノ助さんは、暫く黙っていました。
それから、もう一度、自分の透き通った手を見つめます。
「……つまり、君は俺の斬魄刀で、俺は、本当に死んじゃったって事なんだね」
「死んだ……と、はっきり言っていいものか分からない感じですね」
何と答えれば良いのでしょう。
私がこうして消滅せずお話しができている以上、息の根は止まってない気がするのですが。
体がなくなり、妙な事に幽霊の幽霊みたいな奇怪な存在になってしまった訳ですね。
私は精一杯、慣れないポジティブシンキングを絞り出して支ノ助さんへの言葉を選びました。
「肉体の方は、ええと、ちょっと手のつけようがない事になってしまいましたが、意識だけはこうして無事ですから。もしかしたら、何かの方法で元に戻れる可能性も……」
「本当!?」
「はい。たぶん、億が一くらいの可能性でなんとかならないかなと」
「うん! 無理って事だね!」
支ノ助さんの声が裏返りました。
「す、すみません! でも、ゼロではないと思いたいというか」
「いや、億が一って……」
支ノ助さんは頭を抱えました。
私なりの最大限のフォローは逆効果だったようです。万が一くらいにしておけば良かったかもしれません。
暫くの間、彼は何も言いませんでした。
私も、何も言えませんでした。
白い霧だけが、私達の間をゆっくり流れていきます。
やがて支ノ助さんは、ふっと息を吐きました。
「でも、ありがとう」
「……え?」
「いや、けっこう凹みはしたけど、元気つけようとしてくれてるんだよね? 助けてくれたんでしょ?」
驚きました。
その通りではあるのですが、思いの外立ち直りが早いご主人みたいです。へたくそなりにフォローが通じたようで、私も感極まりそうになってしまいました。
「死ぬ前にさ、女の子の声が聞こえたの。あれ、君だったんだね」
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられました。
あの時、確かに届いていたのです。
私が初めて、精一杯出した声が。
「……聞こえていたなら、もっと早く……」
思わず、そんな言葉が涙と共に漏れてしまいました。
「え?」
「もっと早く、気づいてくだされば……」
「えっ、あれ? 最後しか聞こえなかったけど。その前も何か言ってた?」
「…………」
私は黙ってしまいました。
あれだけ一生懸命に忠告したというのに。
……いえ、私の声が小さかったのですから、支ノ助さんは何も悪くありません。
悪くありませんが。
少しくらい、聞こえていてほしかったです。
「……ところで」
それまで黙っていた石田さんが、口を開きました。
「君達の話は、いつまで続くんだ?」
「あっ。す、すみません!」
「僕の夢の中とは思えないほど置いてきぼりで話が長いんだが」
反論できません。仮宿の主様に大変なご無礼でした。
支ノ助さんと話せた嬉しさで、ここへ来た本来の目的を忘れかけていました。
「と、とにかくですね。石田さん。実の所、これは夢とかではなくて……」
「そう言われてもな」
その時でした。
霧の向こうから、誰かの声が聞こえてきたのです。
石田さんを呼んでいるようでした。
「あっ」
嫌な予感がします。
石田さんの姿が、少しずつ薄くなり始めていました。
どうやら、目が覚めるようです。
私の能力は、意識のある器には穏便な形で収まることができません。
つまり、石田さんが目を覚ましたら。
「石田さん! ちょっと待ってください! 私達、まだここに……!」
「……何?……よく聞こえ」
「あ、あの、すぐ出ます! すぐに出ますので、もう少しだけ……!」
目覚めに近づくほど互いの距離が開いていく様子で、私の願いは届かず、石田さんは霧の向こうへと離れていってしまいました。
途端に、足元がぐらりと揺れました。
「うひゃっ!?」
「わわっ!」
貝殻が軋み、霧が渦を巻いて、周囲の景色がものすごい速さで流れ始めます。
これは、まずいです。
「支ノ助さん! 殻につかまってください!」
「何!? 今度は何なの!?」
「とにかく、つかまって……!」
次の瞬間。
私達は、すぽーんと白い霧の向こうへ盛大に吹っ飛ばされていました。