「
自身への頼み事に対し、そのように聞き返したのは、大洋王アトラスだ。
虚数潜航艇。
耳慣れない言葉ではあるが、しかしアトラスは訝しむでもなく、ただ単純に反響を返すかのように抑揚薄く復唱した。
そんな彼女の前に立つのは、ダ・ヴィンチとホームズだ。
「そう、これは極秘開発中でね。名前はシャドウ・ボーダー。……まだ仮称だけど」
「使われる事がないのを祈っているがね」
「―――なんて分かりやすいフラグを名探偵が立てているからね、きっと必要になるはずさ」
二人の掛け合いに頓着することなく、アトラスは端的に問う。
「なぜ
それに対し、まずダ・ヴィンチが説明する。
「そうだね、ただの潜水艇ならキミの助言を仰ぐまでもない。だけどシャドウ・ボーダーはあらゆる想定外・未知の危険を回避するため、特殊な空間移動法を搭載しようとしている。事象に干渉し、この世界の隙間に入りこみ、現実から完全に消失する―――」
その言葉をホームズが引き継ぐ。
「いわば“時の海”に沈む行為だ。……どうかなミス・アトラス、この説明で」
それでアトラスは疑問を返さず、頷いた。
「理解した。
「わかってもらえて良かった。実際にしてもらいたい事は単純だ。キミには専用に作ったシミュレーション装置で、シャドウ・ボーダーを航行してもらう。それが終わったら、キミが感じた事を何でも言ってもらいたい」
……と、このようにして、人もサーヴァントも寄り付かぬ倉庫の一角で極秘の計画が進められている最中のこと。
何の前触れも遠慮も、そして極秘という概念への一切の配慮もなく、その闖入者は現れた。
「ふははは! またぞろ面白そうな事を企てているな!」
金色の英雄王ギルガメッシュである。
「まさに雑種も雑種!
勝手に現れて勝手に許しを与えていく傲岸不遜の王様の登場に、ダ・ヴィンチは頭痛を抑えるように額へ手をやり、ホームズは苦笑し、アトラスはその闖入者を見つめる。
アトラスの深く沈んだ瞳からは、彼女が呆れているのか、それとも他の感情が込められているのかは分からない。
ダ・ヴィンチは軽い嘆息の後、言った。
「……まあ、このサーヴァント環境で“極秘”なんてムリとは分かっていたけどね」
「ハッハッ、千里眼で見通されては秘密の計画は成り立たない。ウルクやバビロニアの犯罪者は大変だっただろうね」
「その目線で言うなら、ロンドンの犯罪者も似たような気持ちじゃないか? それはさておき―――」
気を取り直したダ・ヴィンチはギルガメッシュに向き直る。
「この際、王様にも航行テストに参加してもらおう。元から、そのつもりで来たんだろうし」
「無論よ。他に何がある?」
―――こうしてアトラスとギルガメッシュをシミュレーションに繋げ、仮想空間内での虚数潜航試験が行われた。が……
『ゼロセイル、失敗だ! 何かが……何かが足りないんだ』
シャドウ・ボーダー内に響くダ・ヴィンチの通信音声。
そして鳴り渡る警報。
軋む船体。
そんな中で、泰然としたまま並び立つアトラスとギルガメッシュ。
「ふむ。大洋王、これをどう見る?」
「ダ・ヴィンチの言う通り、不足だ」
「ほう? この船には、何が不足している?」
その問いにアトラスが答えるよりも先に、その決定的な変化は訪れた。
船体に亀裂。
瞬間、荒れ狂う激流の侵入。
崩壊するシャドウ・ボーダーの中で、アトラスの体が船外に投げ出される。
シミュレーション内の出来事であるため、何も問題はない。
だがギルガメッシュの体は反射的に動いていた。
離れゆくアトラスに向けて、天の鎖を伸ばす―――
その鎖がアトラスの指に触れた瞬間、
何かが繋がり、そして、暗転した。
***
……暗闇の中。
一切の光が差さない完全な闇の中で、藤丸立香は目覚めた。
「ここは……?」
それに答える者がいる。
「
アトラスだった。
彼女は立香のすぐ傍に立っている。
それは、立香にとっては不思議な感覚だった。
周囲は真っ暗で光源がないのに、他人の姿がよく見える。
しかしこの奇妙さには覚えがある。
これは……
「夢の中だよ」
現れたのは白い男。
いかにも軽薄そうな風貌でありながら、満ち溢れる自信、尊大な威風を感じさせる立ち姿。
キングメーカーの代名詞。夢魔の混血。
魔術師マーリンである。
「ただの夢じゃない、ここはマスターであるキミとサーヴァントの夢が混ざった状態だ」
そんなマーリンの説明に立香は動じることなく、「なるほど」と受け入れる。
「うん、さすがの物わかりの早さだ。キミにとっては珍しい事ではないようだからね、夢の中でおかしな事に巻き込まれるのは」
「そのうち何割かはマーリン絡みだけど……」
「ははは、それは光栄だ」
立香のささやかな皮肉では、厚顔無恥の夢魔には通じないようだった。
「しかし許して欲しい。なにしろ私の本体はアヴァロンの幽閉塔だ。こうした夢の中くらいでしか関われないのでね」
彼の言う通り、通常、カルデアでマーリンを見かけることはない。代わりに、こんなふうに夢を介してコンタクトを取ってくるのであった。
彼は立香に説明を続ける。
「とはいえ、夢の中でも私は傍観者さ。しかしそれではつまらないので、今回は私の代わりに専門家を送り込んでおいたよ」
「専門家? 何の?」
立香の問いに、マーリンはうっかりという顔をする。
「おっと、順序が逆になってしまったね。この夢の中では、ちょっとしたトラブルが起きていてね。専門家というのは、それを解決するためのサポーターだと思ってくれていい」
「トラブルって……?」
そんな立香の呟きを受けて、マーリンの目がアトラスに流れる。
が、特に彼がアトラスに向かって何かを言及することはなかった。
「なあに、心配はいらない。カルデアの活動に支障が出るようなトラブルじゃないのは保証できる。だから夢から覚めるまで、気楽に過ごすといい」
「そっか、わかった」
マーリンの言葉に立香は安心し、そんな彼女を見てマーリンは役割を終えたと告げるかのように、その白い姿を暗闇に溶け込ませていく。
そうして完全に姿を消す直前、マーリンは言った。
「―――彼らには、まだこの世界は知られていないのだから」
その言葉を残して、夢魔の男は消えた。
意味深な言葉。
立香は振り向き、アトラスと顔を見合わせるが、胡乱な魔術師の真意など分かるはずもない。
「うーん……よくわからないけど、行こうか」
「汝が行くなら、ついて行く」
立香は頷いて軽く微笑み、闇の中を進んでいく。
根拠はないが、それで次の場所に行けると感じたからだ。
そうして直感の赴くまま夢の中を進み―――二人は出た。
闇を抜け、光が満ち、紺碧が広がるその場所へ。
立香の知らない島。
しかしアトラスにとっては、何よりもよく知る、その魂に刻まれた原風景。
アトランティス島。
かつて大西洋の何処かに存在したとされる、巨大な島。
青く広がる空と海に囲まれたその島は、実り豊かな自然と整然とした都市計画が同居し、高度に調和した美しい島だった。
都市の壁は青銅や錫のみならず、銀や金などの希少で煌びやかな素材がふんだんに使われる絢爛ぶり。
そうした都市の間を走る水路は荷を運ぶ小舟が行き交い、水路をまたぐ橋の上では買い物帰りの人々が微笑み、穏やかに談笑している。
何もかもが、アトラスの記憶そのままだった。
「ここは……」
普段は表情ひとつ変えないアトラスが、目を見開いて驚いている。
しかし彼女にとっての本当の驚きは、その後すぐに来た。
それは高らかな哄笑とともに現れた。
「ふはははは! よくぞ来たな丁稚どもよ! この
鎧を脱ぎ、いつもの逆立てた髪を下ろして