無双転生ドラグレッダーちゃん 作:鹿俣
澄み渡る青い空を、一筋の赤い残影が輝いた。
終わりを告げる風が吹いている。現世の歪みである鏡の裏側──ミラーワールドに、終わりの刻が訪れようとしていた。
地上を覆い尽くすのは、無数の異形。昆虫とドラゴンの意匠を歪に混ぜ合わせた幼虫の群れ、レイドラグーン。その圧倒的な数の暴力の渦中で、一人の男が膝をついていた。
仮面ライダー龍騎。城戸真司。
胸を深く穿たれた男の身体から、赤黒い血が溢れ出している。息は荒く、視界は既に混濁しているはずだった。それでも、彼は戦いを止めなかった。命が潰えるその瞬間まで、他者の命を守るために、無謀なまでに一愚直に拳を振るい続けた。
そして今、その戦いは終わった。
男を抱きかかえるのは、黒い鎧を纏った男──仮面ライダーナイト、秋山蓮。
口論ばかりを繰り返し、互いの信念をぶつけ合い、時には刃を交えながらも、最期まで背中を預け合った唯一無二の相棒であり、ライバル。
「蓮、お前はなるべく、生きろ――」
消え入るような声で紡がれた言葉を最後に、城戸真司の手が力無く地面へと落ちる。
男の瞳から光が失われ、その命の灯火が完全に途絶えた。抱きしめる蓮の叫びが、虚無の空間に虚しくこだまする。
その光景を、遥か上空から見下ろす巨大な影があった。
全身を赤き甲冑のような鱗で覆い、金色に輝く髭と髭をなびかせ、背には烈火の如き翼を広げた巨大な龍。
無双龍、ドラグレッダー。
真司の右手首に嵌められていたドラグバイザーから契約の波動が消失し、絆を繋いでいた透明な鎖が砕け散る感覚が、ドラグレッダーの全身を駆け抜けた。
契約の終了。
即ち、解き放たれたことを意味していた。
ドラグレッダーにとって、かつて人間など、そして眼下に蠢く同類たるミラーモンスターや仮面ライダーなど、ただの肉塊に過ぎなかった。眼前に立ちふさがる者はすべて自身の腹を満たすための「餌」。ミラーワールドという弱肉強食の理に従い、強い者が弱い者を喰らう。それがドラグレッダーの存在理由であり、世界のすべてだった。
城戸真司という男と契約を結んだ当初も、考えは同じだった。
甘っちょろい理想を語り、戦うことを躊躇う愚かな人間。ただ、ドラグレッダーにとって都合が良かったのは、彼が戦うたびに、食いでがある強力なモンスターたちが次々と目の前に現れることだった。真司というカードを一枚噛ませるだけで、極上の獲物を片っ端から喰らい尽くすことができる。都合のいい飼い主──それが、最初の真司に対する評価だった。
だが。
数々の戦いを経て、何十、何百というモンスターを喰らい続けていく中で、ドラグレッダーの内に小さな異変が芽生え始めていた。
真司は、決して己の欲望のために戦わなかった。
誰かを守るため、戦いを止めるため、他人のために傷つき、泥を舐め、それでも立ち上がった。ドラグレッダーに餌を与えるためではなく、誰かの笑顔を守るという、本能と欲望しか持たないモンスターには到底理解できない愚行のために、その命を削り続けていた。
「……腹が減ったら喰う。それが普通だろ」
いつだったか、ミラーワールドの隙間から真司がドラグレッダーに向けた言葉。呆れたような、どこか愛おしむような真司の瞳。
その言葉の意味を、ドラグレッダーは理解できなかった。理解できるはずがなかった。
それなのに、いつしかドラグレッダーは、真司が
単なる「都合のいい餌やり」では説明がつかない、ドロリとした重く温かい感情らしきものが、龍の胸の奥底で蠢いていた。
そして、今。主人は死んだ。
契約は途切れた。もう誰の命に従う必要もない。己を縛るものは何一つ存在しない。
ドラグレッダーは大きく翼を羽ばたかせ、空へと登っていった。
眼下には、城戸真司という盾を失い、無防備に慌てふためく人間たちの街が広がっている。手を伸ばせば、いくらでも喰らい尽くせる無数の生命。
かつてのドラグレッダーであれば、歓喜の咆哮を上げながら地上へ舞い降り、血の宴を始めていただろう。
だが──どうでもよかった。
人間を喰らうことも、モンスターを殺すことも、生き残ることも、今のドラグレッダーにとっては等しく価値のないことに思えた。
ただ、無性に空を翔けていたかった。
赤く染まった雲を突き抜け、どこまでも、どこまでも高く。
胸の奥にこびりついた、この理由のわからない感覚、決して満たされることのないような空腹から逃れるように。
なぜ自分はこんなにも疾走しているのか。己の行動の理由すら、ドラグレッダー自身にも理解できていなかった。
あの男が、城戸真司が何を残し、自分に何を預けて去ったのか。
答えは出ない。風を切る音だけが、耳元で激しく鳴り響いていた。
視界が白く濁っていく。
ミラーワールドの境目が溶け出し、次元の歪みがドラグレッダーの巨大な身体を包み込んでいく。
それが世界の崩壊による消滅なのか、あるいは別の何かへの転生なのかすら、ドラグレッダーはどうでもよかった。
ただ静かに、瞳を閉じた。
力強い羽ばたきと共に、龍の意識は深い深い闇の中へと沈んでいった
◇ ◇ ◇
赤黒い空も、崩壊していくミラーワールドの歪みも、全ては遠い記憶の彼方へと没した。
次に訪れたのは、冷たいコンクリートの感触と、静寂だった。
「……」
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
視界に飛び込んできたのは、高く聳え立つ天井の破れ目と、そこから差し込む白っぽい光だった。周囲を見渡せば、崩れ落ちた壁、剥き出しになった鉄骨、そして一面に積もった厚い塵埃。どこかの建物の廃墟であった。
体を起こそうとして、直感的な違和感を覚える。
疾走させるための巨躯も、空を穿つ鋭い爪も、全身を包んでいた硬質の甲冑も存在しない。代わりにあったのは、二本の細い脚と、極めて小柄な肉体だった。
自身の手に視線を落とす。
皮膚は白く、関節は小さく脆い。指先を動かすと、思い通りには動くものの、絶対的な質量の欠落が体感を狂わせた。
鏡の破片を探し、足元に落ちていたガラス片を拾い上げる。そこには一人の少女の姿が映し出されていた。
髪は燃えるような赤をベースに、一筋の白いメッシュが流れていた。身長は概ね156センチメートル程度。骨格は細身であり、人間という種の標準的な雌の形態と一致している。そして、その顔つきの中で異彩を放っていたのは、冷徹な捕食者の名残をとどめた、鋭く光る金色の双眸であった。
かつて無双龍と呼ばれた存在の残骸は、完全に一機の人間型の肉体へと置換されていた。
即座に状況の分析へと移行する。
第一に、空間の属性。
呼吸によって肺に満ちる空気には、潮風と排気ガスの匂いが混じり合っている。ミラーワールド特有の、空間そのものが反転したような拒絶感や、一定時間ごとに存在を侵食していく摩耗の感覚は一切存在しない。ここは鏡の裏側ではなく、物理的な実体を持つ通常空間であると結論付けられた。
第二に、自己の能力値。
体内のエネルギー伝達系を走査する。ドラグバイザーとの接続リンクは途切れており、龍召機甲の展開プロトコルも応答しない。かつて口から放っていた高熱の火球、ドラグファイヤーを生成するための器官も削ぎ落とされている。生存に必要な物理的破壊力は、著しく低下していた。
第三に、生理的欲求。
腹部から、低く鈍い蠢動が響いた。
強烈な飢餓感。
それは、ミラーワールドで生存のために他者を喰らっていた頃の渇望とは似て非なるものだった。エネルギーの枯渇に伴う、肉体側からの物理的な要求。胃が収縮し、内臓が擦れ合うような痛みが全身の神経を刺激する。
喰わなければ動けない。
何を食うべきか。かつてのようにミラーモンスターのコアを喰らうことはできない。この肉体が要求しているのは、有機物の摂取による熱量の補給だった。
「……」
少女となった怪物は、言葉を発することなくガラス片を捨てた。
無機質な金色の瞳が、廃墟の出口と思われる闇に向けられる。
生存のための優先事項は明確だった。敵の把握でも、世界の特定でもない。
ただ、この燃費の悪い矮小な体を動かすための獲物――即ち「飯」を探すこと。
脚を踏み出す。崩れたコンクリートの破片を踏みつける靴音が、誰もいない廃墟に静かに響いた。