無双転生ドラグレッダーちゃん   作:鹿俣

2 / 2
第2話『屈辱、憤慨、決意』

 脚が重い。

 

 一歩を踏み出すたびに、太腿の筋肉が鈍く軋み、膝の関節へと不均衡な負荷がかかる。二本の脚で交互に地面を蹴り、重心を倒し込みながら前方へ進む──その二足歩行という極めて不安定な運動体感は、かつて大気を切り裂き、自在に空を蠢動していた記憶とあまりにも乖離していた。

 

 視界の端がかすかに明滅する。体内のエネルギー残量が危険域に達していることを、脳が機械的な信号として叩き込んできていた。低血糖、および脱水症状の初期段階。この燃費の悪い、あまりにも脆弱な肉体は、ただ生命活動を維持するためだけに絶えず外部から有機物を充填し続けねば動かない。

 

 非効率的だ。

 

 かつて存在していた領域において、捕食とは即ち強者の証であり、牙を研ぎ澄ますための手段に過ぎなかった。喰らえば満ち、喰らわねば乾く。だがそこには、このような胃袋が引きつるような粘着質で不快な激痛は存在しなかった。

 

 薄暗い廃墟の通路を歩み進めるにつれ、足元のコンクリートの質感が微妙に変化していく。

 

 壁面には幾重にも及ぶ太いケーブルの束が這い、崩れ落ちた天井からは高電圧標識の印字された金属プレートが垂れ下がっていた。かつて人間たちの都市で見かけた一般的な建造物の残骸とは、明らかに構造の思想が異なる。極めて高度な、しかしどこか人間的な情緒を完全に排した幾何学的な建造ライン。

 

 歩破する途上、幾つかの区画を通過した。

 分厚い耐圧隔壁が吹き飛んだと思われる大部屋。その中央には、円柱形の巨大な槽──何らかの演算ユニットか、あるいは大規模な育成プラントの土台のようなものが静かに鎮座していた。周囲に散乱しているのは、煤けた精密基板と、不可解な数式記号が刻印された装甲板の破片。

 

 そこには、どこか無機質な神性とでも呼ぶべき歪な拒絶感が漂っていた。

 装甲板の端に刻まれた、円と線を複雑に組み合わせたような幾何学的な紋様――深淵たる探求の徒が残した残滓であることなど、この世界の理を知らぬ存在に知る由もない。

 

 ただ、一つだけ明確な事実があった。

 ここには生命が存在しない。

 捕食すべき肉も、充填すべきエネルギーも、命の匂いすらも皆無だった。残されているのは、気の遠くなるような過去に打ち捨てられた鉄と珪素の冷ややかな死骸のみ。

 

 無言のまま視線を巡らせ、無益な捜索を切り上げる。

 生存に必要な優先事項は、過去の遺産の観察ではない。実利だ。

 

 通路の先、崩落した天井から眩い光が斜めに射し込んでいた。外部への出口。

 膝の痛みを無視し、傾斜したコンクリートの瓦礫を登り詰める。

 

 外の空気が肺を満たす。

 潮風の匂いは完全に消え去り、代わりに乾いた砂粒と、激しく加熱された大気の匂いが鼻腔を穿った。

 

 そこは、果てのない砂の海だった。

 

 廃墟を一歩踏み出すと、灼熱の砂漠が地平線の彼方まで広がっていた。頭上からは狂暴な太陽が照りつけ、歪んだ陽炎がはるか遠くの景色を揺らしている。

 かつて飛び回っていた赤黒い空とは真逆の、抜けるような、残酷なまでに鮮やかな青空。

 

 視界の端に、遠方の建造物群が映り込む。

 打ち捨てられ、半分砂に埋もれた高層ビル。干上がった巨木のように横たわる高速道路の脚線。世界そのものが、巨大な砂時計の底に沈んでいく最中であるかのような死景。

 

 腹が、再び引きつるように鳴る。激痛。

 

 左手で腹部を強く押し付け、痛みを物理的に押さえつける。

 無機質な金色の双眸が、砂漠の中を一直線に伸びる、風化したアスファルトの痕跡を捉えた。かつて道路と呼ばれたであろうそのラインは、地平線の先にある構造物へと繋がっている。

 

 獲物は、生命は、あの先にある。

 本能がそう告げていた。迷うことなく脚を踏み出す。

 

 熱風が赤い髪を激しく揺らし、一筋の白いメッシュが顔にかかる。

 砂を踏みつける感触。一歩進むごとに、体内の水分の数パーセントが蒸発していく。体温が上昇し、皮膚が焦げるような感覚を覚える。かつて硬質なる赤き甲冑に守られていた体は、今や外気の変化一つに脆弱な悲鳴を上げる塊と化していた。

 

 歩いた。

 ただ、機械のように脚を交互に前へと押し出し続けた。

 

 だが、その沈黙の行軍は、唐突に遮られることとなった。

 

 ザッ、と砂を蹴立てる複数の足音。

 道路の脇に乗り捨てられた大型車両の影から、数人の影が躍り出た。

 頭部にヘルメットやマスクを被り、手には使い古されたアサルトライフルを握り締めた少女たち──廃品回収を目的としてこの領域を徘徊していた、ヘルメット団のならず者たちだった。

 

「おいおい、見ろよ。こんな砂漠の真ん中でガキが一人で歩いてるぞ」

「どこの学校の生徒だ? 丸腰じゃねえか。おい、持ってるもん全部置いていきな。抵抗すると痛い目見るぞ」

 

 下品な嘲笑が風に乗って響く。相手の発する言語の意味など、どうでもよかった。

 金色の瞳が、冷たく据え置かれる。

 

 かつてなら、このような雑兵の一群など、空中からの炎一吹きの対象にすらならなかった。羽ばたきの風圧だけで叩き潰せる泡沫の存在。

 無言のまま間合いを詰め、先頭の少女の手首を目掛けて右手を一閃させた。素手での関節破壊──上位捕食者としての本能が弾き出した最短の無力化手順。

 

 だが。

 

 パシッ、と無機質な打撃音が響くだけだった。

 筋力と質量が決定的に足りない。相手の手首はわずかに逸れただけで、ダメージらしいダメージすら通っていない。

 

 目の奥で絶句が奔る。放たれた攻撃があまりにも威力に欠け、相手の肉体を揺るがすことすらできなかったという事実に。

 

「あ? なんだこのガキ、抵抗する気かよ!」

「生意気なんだよ!!」

 

 次の瞬間、耳を刺すような乾いた重金属音が連続して炸裂した。

 

 バババババンッ!! 

 

 アサルトライフルの銃口から放たれた物理弾の群れ。

 間合いが近すぎた。肉体の回避性能も鈍直を極めている。小柄な身体に無数の弾丸が叩きつけられた。

 

 凄まじい衝撃。肉を削ぎ、骨を叩くような激痛が身体を駆け巡る。

 本来なら即死レベルの着弾。しかし、この世界の人間としての耐久力がギリギリのところで致死傷を免れさせていた。とはいえ、衝撃と激痛、そして極度の飢餓が重なり、膝が折れる。視界が急速に黒く染まり、意識の糸が今にも切れそうに揺らぐ。

 

 地面に膝をつき、砂を掴む。

 血の味が口内に広がる。視線の先で、ヘルメット団の少女たちが勝ち誇ったように銃口を向け直す姿が見えた。

 

「へっ、口ほどにもねえな! 終わりだ!」

 

 この存在が、かつて空を統べた龍が、このような羽虫同然の連中に地を這わされ、見下されている。

 胸の奥底から、ドロリとした熱い塊が爆発的に湧き上がった。それは、捕食者としての矜持を無残に踏みにじられた激痛と、圧倒的な屈辱だった。

 

 ふと、脳裏の断片に、あの男の姿が過る。

 

 城戸真司。

 契約を結んだ当初の、あのあまりにも頼りなく、無様に地面を転がっていた愚かな主人。

 ブランク体の折れた刀を握り締め、蜘蛛のモンスターに無謀にも立ち向かい、ボロボロになりながら泥を舐めていた姿。

 

 初期の真司は、本当に弱かった。弱くて、甘くて、見ていられないほど無様だった。

 だが──あの男は、そこからあり得ない速度で強くなった。

 泥を舐めるたび、傷を負うたび、誰かを守るという一心だけで天性の戦闘センスを覚醒させ、凄惨な戦いを生き抜く強者へと変貌していった。

 

 あの泥臭い男以下の無様を晒すなど、到底許容できるはずがない。

 

「ルガアアアアアアッ!!!」

 

 人間のものではない、獣じみた短い咆哮を上げ、弾かれたように跳ね起きた。

 意識が途切れかける死線の中で、脳内の全神経が暴力の解体へと集中する。

 

 一番手前で油断していた少女の銃身を、下から素手で跳ね上げる。跳ね上がった銃口が少女自身のヘルメットを強打し、体制が崩れた瞬間、その懐へと滑り込んだ。

 爪のない拳。足りない筋力。ならば、骨の硬度と相手の運動エネルギーをそのまま利用する。少女のアゴ下へ、頭突きを叩きつける。

 

 ゴキッ! という鈍い音と共に、一人目が泡を吹いて転倒。

 

「ひッ、な、なに──!?」

 

 二人目の照準が定まる前に、先ほど奪った一人目の身体を盾として押し当て、力任せに突進した。

 質量と質量の衝突。砂煙が舞う中、二人目の足を払って地面へと叩きつけ、その顔面へ容赦なく膝蹴りを叩き込む。

 

「くそっ、撃て! 撃ち殺──」

 

 三人目が動揺して叫び、発砲しようとするが、金色の双眸が鋭く射殺した。

 野生の捕食者としてのプレッシャーが、少女の手指を凍りつかせる。その一瞬の隙を見逃さず、転がっていたアサルトライフルの床尾板を拾い上げ、三人目の側頭部へとフルスイングで叩きつけた。

 

 鈍い打撃音が響き、三人目が砂の上に崩れ落ちる。

 

 静寂が戻った。

 

 膝を折り、肩を激しく上下させる。

 全身の傷口が熱く痛み、視界は依然として赤くブレている。だが、ヘルメット団の少女たちは全員、頭上のヘイローを弱々しく明滅させながら気絶し、沈黙していた。

 

 無様に勝利した。

 龍の力ではなく、弱く脆い人間の体を死線で泥臭く振り回すことで、かろうじて生き残った。

 

 ペッ、と口内の血を砂地に吐き捨てる。

 屈辱で全身が震えていた。

 龍としての絶対的な力は、もうここにはない。いくら過去の栄光に誇りを抱こうとも、この肉体である以上、かつてのように上空からすべてを見下ろす捕食者には戻れないのだ。

 

 ならば──。

 

 無言で倒れた少女たちのサックを暴き、中にあった粗末な合成肉の缶詰とボトルの水を奪い取る。

 缶詰の蓋を素手で引きちぎり、中身を口の中へと流し込む。喉を鳴らして呑み込み、死にかけていた細胞に無理やりエネルギーを充填する。

 

 腹の奥底に熱が戻ってくるのを感じながら、空を見上げた。

 

 城戸真司。

 あの男は、この脆弱で無ざまな体の仕組みと心で、あの地獄のような戦いを生き抜き、最後まで戦い抜いたのだ。

 

 龍の戦い方は捨てた。

 これからは、この脆く不便な肉体を極限まで使い潰す、人間の泥臭い戦い方を模索し、己のものとしていく。

 

 金色の瞳に、捕食者の冷徹さと、一輪の執念の炎が宿る。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 太陽が傾き始め、澄み渡っていた青空が緩やかに茜色へと染まりゆく頃。

 幾度目かの体温調節機能の不全を乗り越え、足は巨大な防壁の残骸の前で止まった。

 

 砂に半ば埋もれた鉄格子と、崩壊した校門らしき構造物。

 見上げれば、歪んだ金属プレートに刻まれた文字が、西日を受けて影を作っていた。

 

『アビドス高等学校』

 

 かつては広大な敷地を誇っていたであろうその場所は、今や押し寄せる砂海によって大部分が飲み込まれ、校舎の半分以上が砂の山へと化していた。寂寥という言葉すら生ぬるい、見捨てられた領域。

 

 だが。

 

 鋭敏な感覚が、微かな振動を捉えた。

 

 空気の揺らぎ。

 砂塵の混じる風に乗って運ばれてくる、微弱な生命の匂い。

 それは無機質な廃墟にも、見渡す限りの砂漠にも存在しなかった、温かみを持った生の脈動だった。

 

 崩れた校門の脇を抜け、校庭であったろう広大な砂地へと足を踏み入れる。

 風が吹き抜け、砂利が擦れ合う音が響く。

 

 奪い取ったアサルトライフルを低く構え、傷ついた身体を引きずりながら歩む。

 かつて弱肉強食の世界で頂点に君臨していた龍は、今や矮小な姿となり、屈辱と激痛を噛み締めながら、未知の戦場──「キヴォトス」の土を踏みしめていた。

 

 生きるために、食う。

 己を維持するために、奪う。

 そして、あの男が示してみせた人間の強さを、この身で証明するために。

 

 金色の瞳が、夕闇に包まれつつある校舎の影を、静かに、そして鋭く見つめていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。