アークナイツ×『桜の園』 作:第一偽ドミトリー
この作品は、Hypergryphさまが手がけるゲーム、『アークナイツ』と、
19世紀末、帝政末期ロシアのありのままを描いた素晴らしき劇作家、アントン・チェーホフさまによってうみだされた『桜の園』に感化されたものであることを明言します。
また、各作品にたいして、できうる限りの多大な尊重を持ったうえである程度の劇中設定を拝借させていただいております。ご了承ください。
加えて、拝借させていただいた内容物の展開とは一部異なるところがありますが、円滑に、より美しく作品を描くうえでの変更点であることもご理解いただけると幸いです。
また、ゲーム『アークナイツ』における世界観をできる限り損なわないよう、作中のシナリオ等を読み直してはおりますが、公式設定資料集である『テラを巡る旅』を残念ながらわたくしは所持しておりませんので、不備があった場合、こちらにて予め謝罪の旨を記しておくことを、ここに示します。
上記に関連することではありますが、非常に執筆スピードは緩やかです。書き溜めておくことはしておらず、また、わたくし個人の性格上、読了していても『アークナイツ』、『桜の園』の二作品に対しての理解度が浅いと思い次第、再度イベントストーリーやチェーホフ作品を読み直し、執筆途中でも白紙からやり直すことなどがあるため、不定期になります。申し訳ございません。
遠くの駅で源石燃料式の汽車が汽笛を鳴らして出発の合図を告げている。方角的には北西。首都サンクトグリファーブルクに繋がるインフラは、富裕層にしか利用することのできないもの。
ラネーフスカヤは帰ってきた。晩年、身体をこわしがちであった彼女は、寒国であるウルサスから離れ、故郷と比べていささか気候が温暖なリターニアのツヴィリングトルムへと暮らしをうつしていた。それでも、リターニアも冷える日はままあるのだが。
領地へと帰る道中に、ラネーフスカヤは数回ほどすすり泣いた。富裕層にしか利用できない汽車でありながら、まったくもって暖房のきかない座席に、味気のない道中の景色。ああ、リターニアの黄金はかくも美しかったのに! コンサートに足繁くかよっていた彼女にとっては、音楽のない旅程は苦痛でしかなかった。
しかしながら、屋敷の門をくぐり、手入れのほどこされた庭園を見るやいなや、彼女は生娘のようにはしゃいで手を叩いたのだった。なにしろ、ラネーフスカヤの曾祖父の代からの、由緒ある屋敷だ。思い出のつまった我が家を前にすれば、ここに来るまでの疲れなんて吹きとんだ。
その喜色満面のラネーフスカヤの後ろ、使用人のヤーシャが大荷物をかかえて近寄ってきた。ラネーフスカヤはあれもこれもと、生活に必要ではないものまで荷造りに加えたので、移動都市入国検閲に手間取った。絶えぬ疲労の理由の一つはそれだった。
「奥さま、荷物はここでいいですか」
革鞄の角や底が擦りむけることなど考えもせず、砂利で舗装された道ばたに荷物を強く落とすヤーシャ。大女のヤーシャは腕っぷしはあるが器用とはいえず、ずいぶんと雑把な従僕だった。ラネーフスカヤは不快を隠さず、ヤーシャの不手際をなじる。
「ヤーシャさん、ふつうはお屋敷のなかまで持っていくものですよ」
「……あ、そうなんですか。いけませんね、どうも」
「ああ、ヤーシャさんったらいけない。イベリアの出自というのはああもみんな気配りべたなのかしら……めまいがしそうだわ」
ヤーシャはラネーフスカヤが懇切丁寧に指摘してくれているものとおもい、ぶっきらぼうに頭を下げた。のろまに屋敷のなかへと荷解きをしにいくヤーシャの背中を見つめ、ため息をつくラネーフスカヤ。その彼女の視界の端、猟犬を鎖に繋いで歩かせているシャルロッタと、娘のゾフィが賑やかに庭園の剪定美について談笑している。
「この庭木、とてもきれいに整えられていますね。すごい」
「ふふ、これはね、わたくしが赤子のころからいたフィールス
「へえ」
よろこびに差し出がましい邪魔が入ったのもつかの間、ラネーフスカヤは屋敷を背にして笑うゾフィを見て、感極まるあまり目尻にたまる涙粒を自覚した。たしかにリターニアの生活は華美なものだった。ラネーフスカヤの身勝手な放蕩に付き合わせたゾフィには無理をさせてしまっていないかと、心を痛めていたからだ。
足取りかろやかに、ラネーフスカヤもゾフィたちの輪に入ってくすくすと笑いあう。シャルロッタだけは少し遠慮がちに、一歩引いた立場で会話を静観していた。他所者であることを理解した上でのシャルロッタの配慮を、無遠慮に、屈託のない微笑みで、ラネーフスカヤは自慢げに彼女に語りかける。
「どうかしら、ツヴィリングトルムに滞在していた際に言っていたとおりだったでしょう。先生?」
「……そうですね。ここはのどかで自然に満ちあふれている。それに、リターニアじゃ拝むことはかなわない、桜の木まであるときた」
「ちょっぴりざんねんなのは、五月だというのに肌寒さは衰えを知らないことかしら。 ああ、でも、でもお母さま。わたくし、ここに戻ってこられたなんて……ゆめのよう!」
ラネーフスカヤは勢いあまって、ゾフィの額にキスをする。愛しげに抱きしめ、しばらくそのままでいると、また感情豊かに涙を流した。
「ああ、私のいとしい子。ごめんなさいね、まだ私ったらこれがほんとうだって信じれないの。だって、まさかほんとうにここに帰ってこれるとは、思わなかったから……」
「そうよね、わたくしも今夜ぐっすりねむって、朝をむかえたら、リターニアのあの生活に戻ってしまうかもなんて今でもおもうわ。でも、これはげんじつよ! お母さま!」
仲睦まじい二人の様子を数分間ほど見届けて、静かに庭園内をまわることにして場を離れるシャルロッタ。荷解きを終えたヤーシャに
「……あれ。奥さまはどこに?」
「あ、ああ。今は娘さんとご一緒にウルサスへ無事帰ってこれたことを喜んでいらっしゃるようですよ。用件があれば、私が
「いえ、そこまで大層なことでもないので。荷解きを終えたので、暇乞いをばと奥さまに。あたしなんぞが家族団欒の輪に入っちゃあ興醒めでしょうから」
「それはそれは。ヤーシャさんはここら近辺の土地に詳しいのですか?」
「まったく。それでも、イベリアの塩海ほど道に迷うことはないでしょうね」
ラネーフスカヤに話したように、シャルロッタのここがのどかであることは本心からのことばだった。それとは別に、シャルロッタはウルサスの出自ではない。キャプリニーであり、リターニアにてゾフィの家庭教師として雇われた彼女にとって、このウルサスの辺境は馴染みがあるはずもない。
どうしようもない疎外感は、拭えなかった。
でも、おなじくウルサスが故郷ではない大女のヤーシャといくらか会話を交えたからか、背にのしかかるそれは軽くなったように思えた。それから、ヤーシャはラネーフスカヤを探しに、シャルロッタは浮ついた気分をおとなしくさせるためにか、庭園に留まることにした。
*
「ふむ。どうやら奥さま方がお帰りになられたようだ。丁重にお出迎えしなければいけないね」
二人の談笑を窓辺から窺い、身体を室内へと翻した執事のエピホードフが、部屋の左端から右端を急かしく歩いているメイド見習いのドゥニャーシャに告げた。
「も、もうそんなお時間ですか。 わたしったらずっと手がぶるぶると震えていて、気がおかしくなりそうでしたの」
事実、ドゥニャーシャはウルサスに舞い込む寒さだけでは説明のつかないほどに手を震わせて、顔を蒼白にしていた。そのことを、部屋のすみ、丸テーブルに空けたクワスの瓶を置き、小ぶりなソファに腰掛けて新聞紙を顔に覆い被せている男があざ笑った。
「貴族学校にかよっていそうな髪をしたって、田舎者は田舎者だね、ドゥニャーシャ。いや、似合ってないって言いたいわけじゃないさ。ただ、身のほどっていうのはある、いつの時代でもね」
「ロパーピンさん……わかってるんです。わたしだってこんな格好、はずかしいわ。けれど、奥さまとゾフィお嬢さまが帰ってくる日に野暮ったい身なりはできませんの」
今にもどうにかなりそうなドゥニャーシャを見かねて、エピホードフがわざとらしく革靴から鳴るまぬけな音をひびかせた。新聞紙の隙間から光るウルサス種の眼光に、肩をすくめつつも、おどけてみせるエピホードフ。
「どうですかね、わたしもですね、こんなめでたい日に使い古しの革靴などとおもい、備えて革靴を新調したというのに、サイズを間違えてしまったのです。どうもそれがいけないのか、廊下を歩くたび、格好のつかない音が鳴るもので……」
ため息をつき、新聞紙を四つ折りにして丸テーブルの上へと無造作にのせるロパーピン。シワの無い高級そうなスーツをまとい、ネクタイピンがアクセントとして目立っている。ここら地方ではわかりやすい、土地を売りさばいている者の身なりであった。
「もう十分だ。その話はやめてくれ」
「これだけではないんですよ? わたしはここ毎日なにかしら不幸せなことがおこって困っているんです。最近はもう馴れっこになりまして、むしろ楽しくって笑ってしまうくらいですよ」
「……はあ。ドゥニャーシャ、クワスを飲み干してしまった。おれにもう一本持ってきてくれないか」
「かしこまりました」
ロパーピンは足のつま先を小刻みに床に叩きつけ、拍をとって貧乏ゆすりをしている。エピホードフはにこやかな笑みをつとめて崩さない。
「おまえ、ドゥニャーシャに惚れてるな?」
「おや、お気づきで?」
「分かりやすいよ、今のはね。……でもそうだな、あの娘に惹かれてもらいたいなら、さっきのおれみたいに何かしら気を紛らわせることをやらせてやらねばね」
メイドとはいえ嫁入り前の年齢であるドゥニャーシャに不躾な態度を取り始めたのはロパーピンだったが、もっとも機微にも聡かったのは彼だった。自己嫌悪に陥りがちなドゥニャーシャは、ロパーピンが悪しざまに貶さなくとも自らで内罰していた。
「……身のほどっていうのはね、なにもドゥニャーシャだけに限った話じゃないんだ」
エピホードフは会話の流れから察するに、自らに対しての指摘だと思った。
「それはお恥ずかしいばかりです」
「いいや、おまえのことじゃないよ。エピホードフ。
……奥さまはすっかりリターニアに馴れて、さらにうつくしくなられたのだろうね。なにを隠そう、おれはね、ラネーフスカヤ奥さまを好ましくおもってる。忘れもしないさ、おれがまだ十五の頃だ。
親父は市民権を得てまもなくの、寂れた商店をかまえていたんだ。ああ、もちろん源石採掘場の鉱夫から。気に食わないことがありゃあすぐに手を上げるろくでなしだったが、おれが鉱石病に罹患しないために、おれの分まで採掘にいくようなやつだった。
察しのとおり、親父は鉱石病に罹ってた。ウルサスの感染者に対する差別はこんな地方でも変わりはしない。誰もが店の前を通り過ぎて、商売になりさえしなかった。
ある日、おれはこんなんじゃ鉱夫に逆戻りだと親父に言っちゃあいけないことを言っちまって、殴られたことがあった。鼻が右に折れて、血がぼとぼとと流れたよ。
痛みに耐えかねたのか、それとも親父に見せる顔がなくてなさけなかったのかは覚えてないが──気づけばおれはこの屋敷の前にうずくまっていてね。ラネーフスカヤの奥さまは……あの頃は若くって、白い肌に金の髪がよく似合う可憐なひとだった……おれを見るやいなや、屋敷の中にまで連れて、手当てをしてくださったんだ」
陶酔を顔に、喋りだすと止まらなくなったロパーピンを見て、エピホードフはいささか苦笑いを浮かべている。ロパーピンは三十近くの大柄な男性だが、この時ばかりは少年のような眼差しと、少年のような微笑みでもって、思い出に耽っていた。
ただし、エピホードフは彼を宥める気にはなれなかった。なぜならば、彼もまたかつての少年心に舞い戻るような、
「まさかまさか! 手当てだけで心奪われるような御方では、ありませんよね?」
「ふん、純心であることを恥ずかしがってちゃあ、だめだよ。しかしまあ、たしかにそれだけじゃなかった。
手当てをしているあいだ、奥さまはおれが泣いているのを見て、「どうか泣くのをおよしになって、ちっちゃな鉱夫さん」なんて声をかけてくださってね。
「婚礼までにはなくなりますから*1」とも……
……親父みたくなりたかないと、必死に稼いで稼いで、金はたんまりある。……あるが、身のほどさ、身のほど。おれはどこまでいっても薄汚い鉱夫の血が流れてるんだ」
「そんな卑下をなさるでない。あなたはこうしてこの地域では知らぬ人はいないほどの周旋屋として知れ渡っているではありませんか。努力の賜物でしょうに」
「そうとは思えないから、身のほどなのさ」
しばらくして、ドゥニャーシャがクワスと花束を持って部屋に戻ってきた。入れ替わるようにして、エピホードフは部屋を出る。その際、肩を扉にぶつけ、またおどけたように笑って「わがウルサスに栄光あれ!」と呟いて去っていった。
「……あの、ロパーピンさん。じつはね、ここ数日前のことなのだけど、彼……エピホードフからプロポーズをされてしまって」
「へえ!」
「こういうのは初めてで、わたし、どうしたらいいか……。気配りじょうずで、やさしい人なのだけど、おはなしをすると難しくってよくわからない。
わけのわからない様子のわたしなんかと居て、なにが楽しいのかしら。でも、わたしはあの人といて厭じゃありませんし、あの人がわたしに夢中なのも瞳を見ればよぉく理解できますの。
でも使用人たちの間では、彼のことを『二十二の不幸せ』って揶揄っていて、どうしたらいいか……」
応えを明かせぬまま、ロパーピンは玄関が開かれた音を耳にした。クワスを飲み干し、ドゥニャーシャが持ち寄った花束を手に取って、嬉々として部屋を出るロパーピン。
「……さあ、ほんとうに奥さまが帰られたようだ。おれの顔を覚えているかな? なにせ五年ぶりだ」
「奥さまとお嬢さまがお帰りに!? ああ、いけないわドゥニャーシャ……からだから血の気が引いていくよう!」
「だいじょうぶさ。そのために小綺麗にしたんだろう。きっと褒めてくださるよ」