ロードバイク戦記 U.C.0087   作:しろやま

3 / 6
第三話「ロックオン」

荒川サイクリングロード。

通称、荒サイ。

都心の北方から東京湾へと続く、長大な河川敷の航路。

その広大な空間には、今日も数多くの機体が集まっていた。

軽量性を追求したロード機。

長距離巡航を得意とするエアロロード。

太いタイヤと強靱な足回りを備えたグラベル機。

そして、純粋な速度を求めるタイムトライアル機。

それぞれ異なる設計思想を持つ機体が、同じ航路を行き交う。

時には互いの速度を競い、時には黙ってすれ違う。

そこは、パイロットたちが日々、自らの能力を試す戦場だった。

 

* * *

 

ワインレッドの機体が、荒川の堤防に沿って進んでいた。

 

RMS-117、ガルバルディβ。

 

極太のダウンチューブが風を切り、Lún HYPER R45のエアロリムが乾いた回転音を響かせる。

少佐は操縦桿を握り、前方に伸びる航路を見据えていた。

今日の任務は、新型可変機構B.T.B.S.の作動試験と、換装された次世代ホイールユニットの性能評価。

その両方を兼ねた試験航行だった。

速度計は、30km/hを超えている。

31。

32。

少佐は手元のシフトレバーを操作した。

カチンッ。

チェーンが一段、重いギアへと移る。

ペダルに力を加える。

車体がわずかに加速した。

33。

「……悪くない」

少佐は口元を緩めた。

以前装着していた軽量ホイールとは、明らかに異なる感触。

踏み出しの軽さだけではない。

速度が乗ってからの伸び。

高速域で車体が前へ進もうとする感覚。

それが、今回の改修で得られた新しい特性だった。

『少佐、各部の状態は良好です』

通信回線から、聞き慣れた女の声が届く。

「うむ」

『新型ホイールの感触はいかがですか?』

「いいぞ。高速域での安定感が増したようだ」

『それは何よりです。ですが、可変機構の試験については……』

「分かっておる」

『本当ですか?』

「……お前は毎回それだな」

『毎回、心配になることをなさるからです!』

少佐は小さく笑った。

そのときだった。

 

ピッ。

 

モニターの片隅に、小さな警告表示が現れた。

『後部レーダーに反応』

「……何?」

少佐は視線を落とした。

後方から接近する物体を示す、小さなマーカー。

だが、その表示には違和感があった。

「……待て。妙だな」

ここはサイクリングロードだ。

自動車が高速で接近してくるような場所ではない。

にもかかわらず、後部レーダーは明確な接近反応を示していた。

「誤検知か?」

少佐は左肩越しに振り向いた。

後方に続く長い直線。

堤防の緑。

遠くに見える建物。

……何もいない。

「…………」

少佐は再び前方へ視線を戻した。

 

ピッ。

 

『後方に反応あり!』

「何だ!?」

マーカーが再び現れる。

今度は先ほどよりも近い。

「どうなっている!?」

『接近目標を捕捉!』

「目標だと?」

少佐はもう一度、後方を確認しようとした。

その瞬間。

ビー! ビー! ビー!

警告音が連続して鳴り響いた。

『接近目標、相対速度上昇!』

「何だと!?」

モニターのマーカーが、信じられない速度で接近してくる。

『目標との距離、急速に縮まっています!』

「馬鹿な! こちらも巡航速度に乗っているんだぞ!」

速度計は33km/hを示していた。

決して低速ではない。

少佐は反射的に踏力を増した。

34km/h

だが、接近警報は止まらない。

 

ビー! ビー! ビー!!

 

「くっ……!」

『少佐! 接近速度が速すぎます!』

「分かっておる!!」

『目標、至近距離!』

「どこだ!?」

『少佐! 右舷です!!』

 

ゴォォォォッ!!

 

灰色の機影が視界を切り裂いた。

「……ッ!!」

少佐の右側を、一機の機体が猛烈な速度で通過していく。

その一瞬。

少佐は異様なシルエットを目撃した。

航空機を思わせる低い機首。

極限まで絞り込まれた前面投影面積。

長く前方へ伸びる操縦桿。

そして、後方へ向けて鋭く収束していく、独特の機体形状。

それは通常のロード機とは、明らかに異なる存在だった。

空気抵抗を減らすこと。

高速域で速度を維持すること。

その目的だけを徹底的に追求したかのような、恐ろしく合理的な造形。

灰色の装甲に、一瞬だけ白い文字が見えた。

 

Cervélo P5。

 

機体識別コード

ゼータプラスC-1。

 

「くっ……可変機かっっ!!」

少佐が声を上げたときには、すでに敵機は前方へ抜けていた。

その機体には、無駄な動きがなかった。

上体を低く構えたパイロットは、操縦桿に肘を預けたまま、淡々とペダルを回している。

力任せに踏み込んでいるようには見えない。

呼吸が乱れている様子もない。

ただ、速かった。

恐ろしく、速かった。

少佐は速度計を確認した。

34km/h。

自分も決して流しているわけではない。

むしろ、普段より強く踏んでいた。

それなのに。

目の前の灰色の機体は、あっという間に距離を広げていく。

「……何という速度だ」

 

ビー……。

 

ビー……。

 

やがて警報音が途切れた。

モニター上のマーカーが、前方へと遠ざかっていく。

少佐はしばらく、その後ろ姿を追っていた。

追撃しようという考えは浮かばなかった。

いや。

正確には、追撃などできるはずがなかった。

自分の機体も、高速巡航に特化した設計である。

フレームの空力性能。

新たに換装したHYPER R45。

独自の可変機構。

決して性能の低い機体ではない。

それでも、あの機体との間には、埋めようのない隔たりがあるように感じられた。

『……少佐?』

通信回線に整備兵の声が響いた。

少佐は答えなかった。

『少佐、応答してください。機体に異常はありませんか?』

「…………」

『少佐?』

「……ああ」

少佐は小さく息を吐いた。

「異常はない」

『……そうですか』

整備兵も、それ以上は何も言わなかった。

少佐は前方を見つめた。

灰色の機影は、すでに遠く、小さな点になりつつあった。

ほどなくして、それさえ見えなくなった。

長い直線航路に、再び静けさが戻る。

風切り音。

チェーンの回転音。

タイヤが路面を転がる、かすかな振動。

いつもと変わらない荒川の風景。

ただ、少佐の胸の内だけが、先ほどまでとは違っていた。

「…………」

少佐は、誰に聞かせるでもなく呟いた。

 

「……生かされたのか」

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。