ロードバイク戦記 U.C.0087   作:しろやま

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第四話「パイロットの資質」

ガルバルディβが基地へ帰還したのは、それから程なくしてのことだった。

機体に異常はなかった。

新型ホイールユニット、Lún HYPER R45。

可変機構、B.T.B.S.。

いずれも設計上の問題は認められず、各部の作動状態は良好だった。

整備兵からの問いかけにも、少佐は短く答えただけだった。

「……問題ない」

それ以上、何も話さなかった。

 

* * *

 

基地内、パイロット用ロッカールーム。

薄暗い室内には、換気設備の低い唸りだけが響いていた。

少佐は一人、ロッカーの前に立っていた。

身体には疲労が残っている。

気温の上昇とともに吹き出した汗が、深緑のパイロットスーツを肌に貼りつかせていた。

だが、不快なのはそれだけではなかった。

いつもの汗とは違う。

粘りつく。

まるで機械油を全身に塗りつけられたような、重く、どろどろとした感覚。

それはシャワーを浴びたところで、簡単に洗い流せるものではないように思えた。

少佐はロッカーに手をついた。

「…………」

脳裏に、あの光景が蘇る。

灰色の機体。

航空機を思わせる、鋭く研ぎ澄まされたシルエット。

そして、視界を切り裂いていった圧倒的な速度。

ゼータプラスC-1。

「……くっ」

少佐は奥歯を噛みしめた。

自分も決して流していたわけではない。

巡航速度は十分に上がっていた。

新型ホイールの性能を確かめながら、いつも以上に力強くペダルを踏み込んでいた。

それなのに。

あの機体は、まるで止まっている障害物を避けるかのように、ガルバルディβの横を通り抜けていった。

一瞬だった。

反応する暇すらなかった。

「……何なのだ、あれは」

誰に向けたものでもない問いが、室内に落ちた。

返事はない。

少佐は俯いた。

思い返せば、ここまで随分と手を加えてきた。

ロード運用のためのポジション変更。

専用ブラケットの設計と製作。

可変機構の開発。

操縦桿の変更。

ホイールの換装。

タイヤの選定。

数え切れないほどの調整と試走。

一つ問題を解決すれば、また次の問題が現れる。

そのたびに考えた。

寸法を測り、図面を引き、部品を作り、組み直した。

機体を少しでも自分の理想に近づけるために。

もっと速く。

もっと遠くへ。

ただ、そのために。

「…………」

なのに。

あの速度差は何だ。

機体の違いなのか。

パイロットの能力なのか。

あるいは、その両方なのか。

自分が積み重ねてきたものは、いったい何だったのだ。

少佐は拳を握った。

別に、エースになれるなどと思ってはいない。

そんなことは、最初から分かっている。

年齢も、体力も、これまでの経験も。

すべて承知の上だ。

それでも、少しずつ前へ進んできたつもりだった。

昨日より今日。

今日より明日。

たとえわずかでも、速くなれると信じていた。

しかし。

「……あまりにも」

少佐の唇が震えた。

「あまりにも、残酷ではないか……!」

あの灰色の機体に、敵意などなかったのかもしれない。

向こうはただ、自分の速度で走っていただけなのだろう。

それが、なおさら腹立たしかった。

こちらが必死に追い求めてきた速度を、何事もなかったかのように通り過ぎていく。

振り返ることさえなく。

ただ、遠ざかっていく。

追いつくこともできない。

競うことさえ許されない。

まるで、自分がそこに存在していなかったかのように。

「……ふざけるな」

少佐は低く呟いた。

「……ふざけるなよ……!」

胸の奥で、何かが煮え立っていた。

悔しさ。

怒り。

嫉妬。

そして、それらすべてを覆い尽くす、どうしようもない無力感。

何を変えればいい。

どこを改修すればいい。

あと何ワット必要なのだ。

どれほど軽量化すればいい。

どれほど身体を鍛えれば、あの背中に近づける。

分からない。

いつもなら自然と浮かんでくる改善の思考が、まるで凍りついてしまったようだった。

考えようとしても、答えが見つからない。

ただ、あの灰色の機影だけが、何度も何度も脳裏を横切っていく。

ゴォォォォッ!!

耳の奥に、あの風切り音が蘇る。

「……くそっ!」

少佐は手にしていたHJCのエアロヘルメットを強く握りしめた。

指先に力がこもる。

「何が次世代ユニットだ……!」

握った手が震える。

「何が可変機構だ……!」

歯を食いしばる。

「これだけやって……!」

肩が怒りに震えた。

「これだけやっても……!!」

そして。

「くそったれぇぇぇッ!!!」

少佐は渾身の力を込め、手にしたヘルメットを頭上へと大きく振り上げた!!

 

 

……だが投げない。

 

 

高価なのである。

軽量性と空力性能を両立させたHJCのエアロヘルメット。

しかも購入当時の新色で、今でも結構気に入っている。

少佐は振り上げた腕を、ゆっくりと下ろした。

「…………」

そして、ヘルメットをロッカーの棚へ丁寧に置いた。

「…………」

深い溜息が漏れた。

「……やはり、パイロットの資質なのか……」

少佐は自らの身体に目を落とした。

「…………」

実は、少佐は3キロ太っていた。

 

「……脂質か」

 

しばしの沈黙。

 

「認めたくないものだな……」

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