宇宙世紀0079年。
一年戦争末期。
宇宙要塞、ア・バオア・クー。
ジオン公国軍の最終防衛拠点であるこの巨大要塞には、連日、各戦線から撤収してきた部隊が集結していた。
損傷したモビルスーツ。
補給を待つ輸送艦。
整備の順番を待つ機体の列。
格納庫では昼夜を問わず作業が続けられ、溶接の火花が飛び散り、工具の音と整備兵たちの怒号が絶え間なく響いていた。
戦争は、終わろうとしていた。
だが、ここにいる誰もが、その結末を知っているわけではなかった。
* * *
「……これが、私の機体か」
一人の士官が、格納庫のデッキに立っていた。
ジオン公国軍、大尉。
これまで数々の汎用型モビルスーツを乗り継ぎ、戦場を生き延びてきた男だった。
特別な戦果を挙げたエースというわけではない。
しかし、幾度もの実戦経験と一定の技量を評価され、今回初めて専用機の支給を受けることになった。
支給配備。
それは、一定の戦果と操縦技量を認められたパイロットに対し、専用機を割り当てる制度である。
通常の機体配備とは異なり、パイロットには装備の選択や改修について、ある程度の裁量が与えられる。
本来、それは選ばれた者だけに許される栄誉だった。
もっとも、戦争末期の現在、その選考基準が以前ほど厳格ではなくなっていたことも否めない。
熟練パイロットの不足。
補充兵の増加。
そして、戦線を維持するための苦肉の策。
大尉自身、自分がそこまで優秀なパイロットであるとは思っていなかった。
それでも、専用機を与えられるという知らせには、多少なりとも期待していた。
だが。
目の前の機体を見上げ、大尉は小さく息を吐いた。
「…………」
MS-06R。
高機動型ザクII。
支給記録には、確かにそう記されていた。
しかし、その姿は大尉が思い描いていた高機動型ザクとは、いささか異なっていた。
本来、06Rの特徴である両脚の高出力スラスターユニット。
それがない。
脚部は通常型に近い構造のままだった。
大型のバックパックだけが高出力型へと換装され、駆動系と関節部には強化が施されている。
つまり、純粋な新造06Rではなく、既存機を改修したリビルド機だった。
それも、決して状態の良い機体とは言えない。
装甲には細かな傷が無数に走り、塗装はところどころ剥がれ落ちていた。
関節部には油汚れがこびりつき、一部のシール付近には潤滑油がにじんでいる。
長年酷使された機械特有の、くたびれた姿。
とても新規支給を喜べる状態ではなかった。
「……高機動型、か」
大尉は腕を組んだ。
脚部の強化スラスターすらないというのに、どういう理屈で06Rと呼ぶのだろう。
もっとも、今さら上層部に文句を言ったところで、より良い機体が回ってくるとも思えなかった。
この機体の姿こそ、追い詰められたジオン公国の現状を表しているのかもしれない。
「……やれやれ」
そのときだった。
「大尉!」
背後から、よく通る男の声がした。
大尉が振り返ると、油の染みついた作業服を着た整備兵が歩いてくるところだった。
四十代ほどだろうか。
無造作に着こなしたツナギ。
使い込まれた工具を収めた腰袋。
顔には幾筋もの皺が刻まれているが、その目は妙に生き生きとしていた。
男は大尉の前で足を止め、軽く敬礼した。
「大尉! これからこの機体の面倒を見る整備兵です。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む」
男は大尉の横に立ち、ザクを見上げた。
「……しかしまあ」
機体を上から下まで眺め、苦笑する。
「新規配備がこれですか」
「……そうらしい」
「まあ、こんな時期ですからねえ。偉い人も、まともな機体を揃えるのに苦労してるんでしょう」
男は油のにじんだ関節部を見て、肩をすくめた。
「ですが大尉、ザクのことなら隅々まで熟知してますんで、ご安心ください」
「頼もしいな。ありがたい」
「ただ……」
男は、もう一度機体を見上げた。
「こいつは少々、調べる必要がありそうですな」
「……ほう?」
「どこで使われて、誰がどう整備してきたのか。履歴がはっきりしないんですよ」
「それは困るな」
「ええ。素性の分からない機体に、命を預けるわけにはいかんでしょう」
大尉は男を見た。
整備兵は、冗談を言っている顔ではなかった。
「……確かにな」
その一言で、大尉の考えは決まった。
「よし。徹底的に調べよう」
「そうこなくっちゃ」
男は満足げに笑った。
そして、不意に後ろを振り返った。
「おい!」
五メートルほど離れたところに、一人の若い整備兵が立っていた。
「そんなところに突っ立ってねえで、こっちこい!」
「は、はいっ!」
小さな影が慌てて駆け寄ってくる。
金色の長い髪を後ろで束ね、まだ新しい深緑のツナギを着た、若い女だった。
年齢は十七歳。
その顔には、明らかな緊張が浮かんでいた。
彼女は大尉の前でぴたりと足を止め、背筋を伸ばした。
男が、その肩を軽く叩く。
「こいつぁ今年の新人でしてね。私と組んで仕事をさせていただきます」
「……ほう」
「こんなご時世ですから、デッキも人手不足なんですよ。まあ、私がしっかりフォローしますんで、機体の方はご安心ください」
少女は勢いよく敬礼した。
「大尉!」
その声は、少し大きすぎるほどだった。
「新規整備兵のステファニーと申します! 誠心誠意、整備させていただきます! よろしくお願いします!!」
「ああ、よろしく頼む」
大尉は頷いた。
ステファニーは、なおも直立不動のままだった。
「…………」
「……楽にしたまえ」
「は、はいっ!」
その返事に、ベテラン整備兵が笑った。
「ははは! そんなに緊張することはねえよ。大尉だって同じ人間なんだからな」
「で、ですが……!」
「ほら、肩の力抜けって」
大尉も小さく笑った。
「気にすることはない。私も専用機を支給されるのは初めてなのだ」
「……えっ?」
「お互い、初めて同士というわけだな」
ステファニーは目を丸くした。
そして、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「……はい!」
これが、大尉とステファニーの最初の出会いだった。
* * *
整備計画は、当初の予定よりも大掛かりなものになった。
機体の素性を確認するため、外装と主要装備を取り外す。
駆動部を分解し、損耗状態を調査する。
フレームの状態を確認し、必要な箇所には補修を施す。
そして、長年の汚れと傷んだ塗装を除去し、再塗装することになった。
大尉自身も、その作業に参加した。
「……大尉、本当にやるんですかい?」
ベテラン整備兵が、大尉の手にあるツナギを見て尋ねた。
「当然だ。自分の命を預ける機体だからな」
「いやぁ、士官殿が整備にまで参加するとは珍しい」
「操縦するだけがパイロットの仕事ではあるまい」
「……ははっ。気に入りましたよ、大尉」
大尉はツナギに袖を通した。
整備兵との意思疎通。
機体構造の理解。
整備上の問題点の把握。
それらもまた、パイロットにとって重要な職務である。
何より、自分の機体がどのような構造をしているのか、知っておきたかった。
機体は、少しずつ裸にされていった。
外装が取り外される。
駆動系が分解される。
古い部品が作業台に並べられる。
油汚れが洗い落とされ、長年隠れていたフレームの素地が現れ始めた。
ステファニーは、ベテラン整備兵の指示を受けながら作業を進めていた。
「ステファニー! その部品、左右で分けておけよ!」
「はいっ!」
「ボルトの長さも確認しろ! 同じに見えて違うものがあるからな!」
「はい!」
「外す前に写真を残せ! 組むときに困るぞ!」
「わ、分かりました!」
大尉は、その様子を横目で見ながら、別の部品を清掃していた。
慣れない手つきではあるが、少女は一つ一つの指示を懸命にこなしていた。
そして、作業開始からしばらく経った頃。
「……ん?」
ベテラン整備兵が、ある部分で手を止めた。
フレームから取り外された、前部支持構造。
男は表面を指でなぞり、軽く持ち上げた。
「……こいつは」
もう一度確認する。
そして、大きな声を上げた。
「大尉!」
「何だ?」
「ちょっと、こっち来てください!」
大尉は工具を置き、男のもとへ歩み寄った。
「どうした?」
「この機体……ちょっと特殊ですよ」
「……ほう?」
男は、取り外した部品を持ち上げた。
「見てください。フロントフォークがカーボン製なんです」
「カーボン?」
「ええ。通常の金属構造とは違います」
大尉は、その部品を受け取った。
「……軽いな」
「確かに軽いです。ただ、こいつを採用している理由は、それだけじゃなさそうでしてね」
「……というと?」
「しなりですよ」
男は嬉しそうに笑った。
「カーボンの弾性を利用して、路面からの細かな振動を吸収する。そういう狙いがあるんでしょう」
「……なるほど」
「もちろん、ただ柔らかけりゃいいってもんじゃありません。操縦に必要な剛性は残しながら、余計な振動を逃がすんです」
大尉はフォークを眺めた。
「軽量化と、乗り心地の両立か」
「そういうことです」
男は、今度はフレームの後部へ回った。
「それから……こっちも面白い」
「何だ?」
「ステファニー!」
「は、はいっ!」
「通常型の構造図、持ってこい!」
「はいっ!」
少女は奥の作業台から端末を取り上げ、小走りで戻ってきた。
「持ってまいりました!」
「よし、ここに表示してくれ」
端末に、一般的なアルミフレームの構造図が現れた。
男は画面を大尉へ向ける。
「大尉。こっちが通常機です」
「うむ」
「で、こっちが今回の機体」
二つの構造が並ぶ。
大尉は目を細めた。
「……シートステーが細いな」
「そうなんです」
「それに、弓なりに曲がっている」
「そうでしょう?」
大尉はフレームの後部を見た。
「……何かの衝撃で歪んだわけではないのか?」
男は声を上げて笑った。
「いやいや! これは壊れているんじゃありません!」
「……ほう?」
「最初から、こういう設計なんですよ」
男は細いシートステーを指した。
「この形状によって、後輪から伝わる振動をしなりで吸収するんです」
「……ふむ」
「それだけじゃありません。ここを見てください」
次に指したのは、チェーンステーだった。
「まるで押し潰されたように、断面が扁平してるでしょう?」
「……確かに」
「これも意図的な形状です。必要な方向の剛性を確保しながら、路面からの衝撃に対して適度に変形するよう考えられている」
男は両手を広げた。
「前のフォークと、後ろのステー。全部まとめて、振動を逃がそうとしてるんですな」
「……そうなのか」
「ええ。こいつは単に軽いだけの量産機じゃありませんよ」
男はフレームを軽く叩いた。
「Cannondale SAVEシステムです」
大尉は、その名前を繰り返した。
「……SAVE」
「そう。路面からの衝撃を減らし、長時間の運用でパイロットに蓄積する疲労を抑える。そのための設計思想です」
大尉は、改めて機体を見上げた。
薄汚れた外装。
傷んだ塗装。
油のにじんだ駆動部。
今まで、くたびれた中古機としか見ていなかった。
だが、その骨格には、明確な目的を持った設計が施されていた。
「……長距離運用に適した機体ということか」
「そういうことです!」
男の声が弾んだ。
「大尉。こりゃ、良い機体を引き当てたかもしれませんよ!」
「……本当か!」
大尉の表情が明るくなった。
「ええ。確かに、グレードで言えば量産機のエントリーモデルです」
男は続けた。
「ですがね、Cannondaleというメーカーは、軽量アルミフレームでは大御所なんです」
「……ほう」
「長年、アルミの加工技術を磨いてきたメーカーですよ。安いグレードだからって、設計まで手を抜いているとは限らない」
男はフレームの接合部へ視線を移した。
「それに……」
指先が止まる。
「……やっぱりな」
「何だ?」
「ここの溶接跡です」
大尉は身を乗り出した。
接合部は、一般的な溶接構造よりもなだらかに仕上げられていた。
「……随分と滑らかだな」
「でしょう?」
男は満足げに頷いた。
「最初に見たとき、もしやと思ってたんですよ」
そして、フレームに残る製造表示を確認した。
「……間違いありません」
男は顔を上げた。
「Handmade in USA。」
「……アメリカ製か?」
「ええ。アメリカの職人が、一台ずつ手を掛けて仕上げた時代の機体です」
男は溶接部を指でなぞった。
「このなだらかな仕上がりも特徴の一つです。見た目だけじゃなく、こういうところにメーカーの仕事ぶりが出るんですよ」
大尉は静かに頷いた。
「……良いではないか」
「でしょう?」
男は笑った。
「偉い人も、多少は気遣ってくれたのかもしれませんね」
「……ふっ。そうかもしれんな」
大尉は改めてフレームを眺めた。
最初に見たときとは、明らかに印象が違っていた。
見栄えのしない中古機。
あり合わせの改修機。
そう思っていたものが、今では違って見える。
誰かが考え、設計し、材料を選び、加工した機体。
そこには、確かに製作者の意図があった。
「……面白いな」
大尉は呟いた。
「外装を剥がして、初めて分かることもある」
「ええ。機械ってのは、そういうもんですよ」
男は笑った。
「見てくれだけで判断しちゃいけません」
少し離れたところで、ステファニーが二人の会話を聞いていた。
彼女は、手元の端末に視線を落とした。
SAVEシステム。
カーボンフォーク。
アルミフレーム。
溶接構造。
聞き慣れない言葉も多かった。
だが、一つだけ分かったことがある。
先ほどまで古びた機体を見て苦笑していたベテラン整備兵が、今は子供のように目を輝かせている。
そして、大尉もまた、同じ表情をしていた。
ステファニーは、二人を交互に見た。
「…………」
そのとき、ベテラン整備兵が振り返った。
「ステファニー!」
「は、はいっ!」
「何ぼさっとしてんだ! 今の説明、ちゃんと記録しとけよ!」
「は、はい!!」
慌てて端末に向かう。
男は笑った。
「ははは! まったく、忙しい奴だな」
その言葉に、大尉も小さく笑った。
* * *
改修作業は、その後も続いた。
損耗した部品を交換し、駆動系を再調整する。
各部の状態を確認し、必要な箇所には補修を施す。
不要な装備を取り外し、機体全体を徹底的に清掃した。
そして、外装の再塗装。
色を決めたのは、大尉だった。
「……青にしたい」
ベテラン整備兵が、顔を上げる。
「青ですか?」
「うむ」
「……ジオンの機体にしては珍しい色を選びますねえ」
「派手な青ではない」
大尉は塗装見本を取り出した。
「光の加減で、黒にも青にも見えるような色だ」
男は見本を手に取った。
「……ガンブルーですか」
「そうだ」
「……いいですねえ」
男は、にやりと笑った。
「少々渋すぎる気もしますが、大尉専用機には似合うでしょう」
「頼めるか?」
「もちろんです」
ステファニーも塗装準備に参加した。
下地を整え、マスキングを施し、部品ごとに作業を進める。
仕上がりを左右するのは、目立つ塗装作業だけではない。
その前にどれほど丁寧に下準備をしたか。
ベテラン整備兵は、何度もそれを教えた。
「ステファニー。ここ、まだ段差があるぞ」
「……あっ、本当です」
「塗っちまえば分からなくなると思ったか?」
「い、いえ!」
「ははっ。そう慌てるな」
男は作業面を指した。
「下地が悪けりゃ、どんなに良い塗料を使っても駄目だ。見えなくなるところほど、手を抜くんじゃねえぞ」
「……はい!」
少女は、もう一度作業をやり直した。
大尉もまた、黙々と手を動かしていた。
自分の機体だからこそ、妥協したくなかった。
そして数日後。
第三整備デッキ。
一機のザクが、静かに姿を現した。
深く落ち着いたガンブルー。
照明の当たり方によって、黒にも青にも表情を変える装甲。
フレームに大きく書かれ白く輝くcannondaleの文字。
滑らかに整えられたフレームの接合部。
清掃され、調整された駆動系。
細身の骨格には、かつての量産機とは異なる精悍さが宿っていた。
大尉は、その前で足を止めた。
「…………」
ベテラン整備兵が、隣に並ぶ。
「……どうです、大尉?」
大尉は答えなかった。
しばらく機体を見上げていた。
やがて、小さく笑った。
「……悪くない」
男も笑った。
「ははっ。それは良かった」
「いや……」
大尉は首を横に振った。
「……良い機体だ」
ベテラン整備兵の顔が、嬉しそうにほころんだ。
その後ろで、ステファニーが胸を張っていた。
まだ新人だった。
大した仕事ができたわけではない。
何度も注意され、作業をやり直した。
それでも。
自分の手で整備した機体が、こうして完成している。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
大尉は彼女に目を向けた。
「ステファニー」
「は、はいっ!」
「ご苦労だった」
「…………!」
少女は、一瞬だけ言葉を失った。
そして、勢いよく敬礼した。
「ありがとうございます!!」
ベテラン整備兵が、横から口を挟む。
「大尉、あんまり褒めると調子に乗りますよ」
「そ、そんなことありません!」
「ははは!」
格納庫に、三人の笑い声が響いた。
こうして、一機の旧式機が新たな姿でロールアウトした。
Cannondale Synapse Alloy。
機体識別番号、MS-06R 高機動型ザクⅡ
ガンブルーに塗り上げられた、大尉専用高機動型ザクII。
それは、彼が初めて自らの手で仕上げた専用機だった。
* * *
それからしばらくの時が過ぎた。
戦局は、日を追うごとに厳しさを増していた。
格納庫には、次々と損傷機が運び込まれる。
補給品は不足し、整備兵の数も足りない。
そんなある日。
ベテラン整備兵に、突然の転属命令が下った。
極秘の新型モビルスーツ開発部門。
最終防衛戦に向けて、急ピッチで整備が進められている特殊機の担当だった。
「……大尉」
男が、いつもの油汚れたツナギ姿で現れた。
「少し、お話がありましてね」
「何だ?」
「実は、転属が決まりました」
「……ほう?」
「新型機の整備主任だそうです」
「それは栄転ではないか」
「いやぁ、どうなんでしょうね」
男は苦笑した。
「こんな時期ですから。偉い人も、使える人間を片っ端からかき集めてるんでしょう」
大尉は頷いた。
「……そうか」
「で、今後のこの機体なんですが」
男はガンブルーのザクを振り返った。
その傍らに、ステファニーが立っていた。
「こいつに引き継がせようと思っています」
「……ステファニーに?」
「ええ」
少女の肩が、わずかに跳ねた。
「ま、まだ経験は浅いですが、こいつもずいぶん仕事を覚えました」
男は笑った。
「それに、この機体のことなら、最初の分解から全部見ていますからね」
「……なるほど」
大尉は、ステファニーを見た。
少女は緊張した表情で立っていた。
「……大丈夫か?」
大尉が尋ねた。
「……はい!」
返事は早かった。
だが、その声はわずかに震えていた。
ベテラン整備兵は、それを見逃さなかった。
「ステファニー」
「……はい」
「いいか。これからは、お前がこの機体を見るんだ」
「……はい」
「分からねえことは調べろ。判断できねえことは、勝手に決めるな」
「はい」
「それからな」
男は、いつになく真剣な顔になった。
「相手が大尉だからって、遠慮するんじゃねえぞ」
ステファニーは顔を上げた。
「……え?」
「機体に問題がありゃ、はっきり言え。無茶な要求には、無茶だと言え」
「…………」
「俺たち整備兵が黙っていたら、誰がパイロットの命を守るんだ?」
少女は、静かに頷いた。
「……はい」
「それと、もう一つ」
男は、ガンブルーのザクを見上げた。
「いい機械は、ちゃんと認めてやれ」
「…………」
「古いとか、安いとか、そういうことだけで判断するんじゃねえ」
男はフレームに手を置いた。
「どんな考えで設計されたのか。どんな仕事がされているのか。それを見ろ」
「……はい」
「そうすりゃ、お前にも分かるようになる」
男は笑った。
「……こいつが、なかなか良い機体だってことがな」
ステファニーは、まっすぐに敬礼した。
「……はい!」
大尉は、その様子を黙って見ていた。
やがて、男に向かって口を開いた。
「……世話になったな」
「いえいえ。こちらこそ」
「この機体を、ここまで仕上げてくれたことに感謝する」
男は少し照れくさそうに頭をかいた。
「いやぁ、私も楽しませてもらいましたから」
そして、軽く敬礼した。
「大尉。新しい担当を、よろしくお願いします」
「うむ」
男はステファニーに向き直った。
「頼んだぞ」
「……はいっ!」
それから、いつもの調子で笑った。
「いやぁ、それにしても妙な仕事を任されちまいましてね」
「……妙な仕事?」
大尉が聞き返す。
「ええ。機密なんで詳しくは申し上げられませんが……」
男は少しだけ声を落とした。
そして、困ったように笑った。
「担当する新型MS...脚がないんですよ」
「…………?」
大尉は眉を寄せた。
「……脚がない?」
「ええ。私も最初は驚きましたよ」
男は肩をすくめた。
「まあ、偉い人にもいろいろ考えがあるんでしょうな」
「……そういうものか」
「そういうものですよ」
男は笑った。
「それじゃ大尉。お達者で」
もう一度、軽く敬礼する。
そして、背を向けて歩き始めた。
ステファニーが声を上げた。
「……先輩!」
男が振り返る。
「何だ?」
「……ありがとうございました!」
その声は、初めて大尉に挨拶したときと同じくらい大きかった。
男は少しだけ目を細めた。
そして、片手を上げた。
「……しっかりやれよ!」
その背中が、格納庫の人波の中へと消えていく。
ステファニーは、しばらくその方向を見つめていた。
やがて、大尉が声をかけた。
「……ステファニー」
「……はい」
「これからは、お前が担当だな」
「……はい」
「よろしく頼む」
少女はゆっくりと振り返った。
そこには、もう先ほどまでの不安げな表情はなかった。
まだ経験は足りない。
知らないことも多い。
それでも、託されたものがある。
そして、自分を信じて機体を預けてくれるパイロットがいる。
ステファニーは背筋を伸ばした。
「大尉!」
力強く敬礼する。
「この機体の整備は、私にお任せください!」
大尉は、小さく頷いた。
「ああ。頼りにしている」
その背後では、ガンブルーのザクが静かに佇んでいた。
一機の古いモビルスーツ。
そして、一人のパイロットと、まだ若い整備兵。
彼らの長い物語は、ここから始まった