昼食を食べた後、初雪は駆逐艦ショーにショートモント基地を案内していた。
ショーとファラガットの基地案内は誰がするのか。
吹雪は演習後で疲れている。深雪は戦闘日誌の当番。そして白雪と初雪の2人が何もなかった。なので、じゃんけんで案内役を決めることになった。
じゃんけんの結果、初雪は負け、ショーとファラガットの2人を案内することになったのだが、ファラガットは着任関係書類の中で自分が書かなければならないものがあったので、ショーだけを案内することになった。
「よろしく、ハツユキ」
「うん」
初雪は正直気が進まなかった。面倒くさいのもあったが、記憶的には2年前まで戦っていた敵である。
あの戦争は、違う世界で、もう終わってしまった話。
もう敵対することはない。初雪はそう思っていた。しかし、意識の奥底では、アメリカを敵と思っていることを昨日の戦闘で気づいてしまった。初雪としてはアメリカ艦娘は避けたかったのだが、仕方ない。
初雪はまず、司令部に案内する。
建ててから1ヶ月もたっていないショートモント司令部庁舎はぴかぴかで、灰色の壁タイルも、アメリカ国旗を掲げるポールも光り輝いている。
「ここで作戦会議したり、書類出したり、まあ、お役所仕事の所。もちろん作戦指揮もするけど。ウンダー司令もいる」
「そういえば、午前中、ウンダー司令に挨拶しに行ったんだけど、中将なのにやけに若かった。どういうこと?」
普通、将軍になる妥当な年齢は50代過ぎなのだが、ディロン・K・ウンダーは43歳で中将だ。中将としてはあまりにも若すぎるといえる。
「深海棲艦との戦いでアメリカ海軍は壊滅して、将軍や佐官もたくさん戦死したそうだから、スピード昇進したらしいよ。あまり語らないけど」
アメリカ海軍は当初こそ深海棲艦に果敢に抵抗したが、レーダーに映りにくく、火力も高い、膨大な数の深海棲艦に敗退を続けた。アメリカの近海防衛を担っていた第2艦隊、第3艦隊、第4艦隊はアメリカ東海岸防衛の第2艦隊を残して壊滅。残った第2艦隊もかなり消耗しており、残っているのはセントローレンス川を遡上できたミサイル艇や掃海艇などの小型艦のみ。地中海に展開していた第6艦隊は十数隻生き残っているが、深海棲艦が跳梁する大西洋を横断し、アメリカに帰還することなどできるはずもなく、イギリス海軍に編入された。
階級の高い低い限らず、多くの将兵が深海棲艦の餌となった。それで開いた穴を埋めるべく、若い将兵が階級を繰り上げられたのだ。ディロンは大佐から中将に2階級昇進している。
「そうか、そうよね。サンフランシスコとノーフォークが深海棲艦に占領されているんだもの。当然よね」
ショーは悲嘆の表情を浮かべる。世界最大規模を誇ったアメリカ海軍がこの世界では壊滅しているというのは、アメリカ海軍の艦として辛いことなのだろう。
「まあ、私達艦娘が使う部屋はブリーフィングルームくらい。次行こう」
2人は司令部庁舎を離れ、艦娘艤装整備棟に向かう。
艦娘艤装整備棟の大部分の外壁は波板スレートであり、司令部庁舎と比べると古くさく見える。古くさく見えるだけで、実際には司令部庁舎と同じく、築1ヶ月の新築である。
名前の通り、艦娘艤装整備棟は艦娘艤装の整備や修理を行うところで、艦娘の出撃時には砲弾や燃料の補給、艤装の装着なども請け負っている。
2人は整備棟の入り口に回る。そこでショーは変なバケツを見た。
だいたい工場などで見かけるバケツと言ったら、トタンか灰色プラスチックのものだろう。しかし、ショーの目の前にあったのは、子供が砂遊びで使うような明るい緑のプラスチック製バケツだった。それが5つほど重ねられておかれている。
ショーはあまりの異様さに指さしまでして、初雪に正体を尋ねた。
「何、このバケツ」
「高速修理材のバケツ」
「はい?」
高速修理材とはなんぞ? ショーは首をかしげる。
「高速修理材ってのは――
艦娘用艤装にかければ、損傷部位が瞬時に修復される液体のことである。艦娘自体にも効果はあり、傷などを治してしまう。
保存容器はプラスチックの断熱特殊容器であり、見た目はバケツにしか見えないため、関係者からは「バケツ」と呼ばれる。
瞬間修復については機密が多く、詳細は明らかになっていない。そのため、宗教的なまじないをかけた聖水だとか、ナノサイズの妖精が集まったものだとか噂されている。
しかし、人工製造される高速修理材も存在することから成分や製造方法などは解明されているらしい。艦娘が登場した当初は天然産出品のみだったが、現在では人工製造品が多く供給されている。
「――と、いう感じ」
「なんか、すごく眉唾」
「実際に見れば分かる」
いや、見ても信じれないような話である。高速修理材がかけられ、鋼の艤装がうにょうにょ元に戻っていく様子を実際に見れば自分の目の方を疑う。伝聞だけでは想像も付かないだろう。昨日の戦闘で大破した深雪の艤装も高速修理材によって修理され、今朝の護衛に参加している。治っていく深雪の艤装を見たウルヴァリンとセーブルは目を丸くしていた。
「そんな便利な高速修理材があるのなら、艤装整備員は必要ないんじゃないの?」
「いや、必要」
高速修理材は人工製造品があると言っても生産量は多くはない。少しの損傷で修理材を使用するのはもったいないし、条件によっては部品を手作業で交換する方が早い場合もある。
そして何より、艦娘達自身が高速修理材をあまり信用していない。元々艦だったからか、人の手による整備の方が信用することができるのだ。なので大規模に使用するのは大規模攻勢や防衛戦をする時に限られる。
「まあ、中に――」
中に入ろう、と初雪が言い終わる前に整備棟から爆発音。整備棟北側の壁の一部が吹っ飛んだ。
「え、なになに!?」
2人が整備棟の中を覗くと、硝煙のにおいが鼻についた。
中では気絶し、床にひっくり返ったウルヴァリンと呆然としたセーブル、整備員達数名がいた。整備員の中には東海もいる。
初雪達は整備棟の中に入って、右手を頭に当て、うなだれている東海に事情を聞く。
「何があったんです?」
「えっとな、これだよ、これ。うん、これ」
東海は左手で作業台の上を指さした。作業台の上には艦娘艤装の対空兵器が何種類も並べられている。八九式12.7㎝連装高角砲、駆逐艦娘用の八九式12.7㎝高角連装砲後期型、九八式長10㎝連装高角砲、さらには九八式8㎝高角砲や12㎝30連装噴進砲まである。
床で伸びてるウルヴァリンを見る。龍驤と同じような高角砲砲台が腰回りに装着されている。昨日まではこんな艤装なかったはずだ。
「つまり?」
「このアホが撃っちまったんだよ。空包で、撃ったのが壁だったから良かったにしろ、このアホとセーブルには教育が必要だな」
どうもウルヴァリンが高角砲を装備して、暴発させてしまったらしい。ウルヴァリンとセーブルは元々は火砲を装備していなかったらしいので、撃つ感覚が分からなかったのだろう。高角砲の砲身にぶら下がっている妖精が「アホー、アホー」と繰り返す。
ショーは壁に暴発で開いた穴を見る。直径2メートルほどの大きな穴だ。
空包は人や物に撃っても安全と思われがちだが、それは間違いである。空包であっても高速高温の燃焼ガスは発生し、ワッズという木製、プラスチック製の栓が実包の弾丸と同じ速度で飛ぶのだ。近距離であれば死亡事故にも繋がる。
ちなみに艦娘が水上で最大の能力を発揮する。陸上では砲の性能や身体能力は大幅に低下し、艦娘は砲撃時の反動を押さえきれない。ウルヴァリンが床にひっくり返っているのはこのためだ。
「なんで高角砲を?」
初雪が東海に聞いた。しかし、東海ではなく、セーブルか答える。
「昨日の戦いじゃ、足が遅すぎて、リ級相手に逃げれなかったからな。これからは航空戦も確実にあるし、自衛火器が必要だと思ったんだ」
なるほど。初雪は胸の内で納得する。空母艦娘の中には自衛砲熕兵装を装備しない艦娘も多いが、ウルヴァリンとセーブルの足の遅さを考えると必要かもしれない。実際、低速の空母艦娘は高角砲などの砲熕兵装を持っているものは多い。
「そういえば見たことない砲だけど……?」
「Mk.22 3インチ砲ね。護衛駆逐艦なんかに積んでた砲よ」
「開発はされたが、建造中の艦娘で適合する艦娘がないらしくてな。こっちに回されたんだ」
ショーが3インチ砲のそばにいた妖精の頭をなでる。3インチは㎝に直すと7.62㎝になる。阿賀野型などに搭載されている九八式8㎝高角砲(実際の口径は7.62㎝)と同じ口径だ。九八式は機構が複雑で生産数は少ないが、このMk.22はどうなのだろう?
「この砲の性能ってどうなの?」
「使ったことないから分からないけど、これを搭載したバックレイ級は154隻も造られてるから、まあ良いんじゃない?」
「154……隻?」
聞き間違えだろうか?
「うん、154隻」
聞き間違えではないらしい。
「154……154……154……ねぇ」
日本とは桁が違った。艦娘になってから、日本が戦争に負けたという話を聞いたが、確かにアメリカに負けるのも分かる話だ。補助艦艇でそれだけの数なのだから、主力艦もかなりの数を建造したに違いない。これがアメリカの底力か。
しかし、初雪はまだ知らない。バックレイ級以外にも護衛駆逐艦を160隻以上、駆逐艦では250隻以上をほぼバックレイ級とほぼ同時期の3年間で建造するアメリカの力を、初雪はまだ知らない。
「あ、」
東海が思い出したように呟く。
「そういえば、ショーとファラガットを呼ぼうと思ってたんだよ。ファラガットはどこだ?」
「着任の書類関係で走り回ってます。そのうち終わると思います」
「そうか、まあ今はいいや。ファラガットが落ち着いたらここに来るよう言っといてくれ。ショーも来るんだぞ」
整備棟を出ると、隣にあるシャワー棟に入った。
軍事基地で男性が多いとはいえ、艦娘や女性軍人もいることからシャワー室は男女別に別れている。
「ここで体に付いた海水とか、塗料とか落とすわけか」
なるほど、なるほど。ショーは呟きながら、男性シャワー室に入っていこうとする。その動きには躊躇らしきものは輪片すら感じられない。
「ちょっと!」
「えっ」
初雪が声を荒げて呼び止める。すでにドアノブに手をかけていたショーは懐疑的な表情で振り返った。
「どうしたの」
「なんで、そっちに行こうとする、の?」
初雪が指さす。指した方向には男性を意味するピクトグラム。そのピクトグラムの下には「men only」とまで書いてある。
「そりゃだって…………ん、ん? あ、ああ。そうね」
「気をつけて……ね」
「うん。気をつけとく」
艦娘は艦の乗組員達の習慣が影響しているのか、気を抜いていたり、ぼーっとしていると男性トイレに入ったり、さっきのショーのように男湯に入ろうとしたりすることがある。
艦娘としての第一歩は自分が艦娘ということを自覚することである。
最後の案内は自分達が寝起きする宿舎だ。案内するのは、ショーとファラガットの部屋とトイレくらいである。
ショーとファラガットが入る予定の部屋に入る。建造されたばかりの2人には私物などはないのでダンボールの類いはなく、ただ化粧台と机、ベットがあるだけだ。
ショーは閉められていたカーテンと窓を開けた。太陽の光が部屋を照らす。
「そういえば、ハツユキは終戦まで生き残ったの? 沈んだの?」
ショーが思いついたように突然言った。
「1943年のブインで沈んだ。ショーは?」
「46年の10月に解体。終戦後だよ」
「終戦後……か」
初雪は1945年までには沈んでいるから、終戦の詔書は聞いていない。この世界で太平洋戦争が起こっていない上、時代も大幅に違う以上、太平洋戦争は終戦前に沈没した艦娘にとっても終結している。しかし、初雪にとって、太平洋戦争はうやむやになっただけで、終わってはいない。
「ハツユキは太平洋戦争のアメリカ軍についてどう思ってる?」
「それ、アメリカ軍の何を答えればいいの?」
初雪はショーの質問意図がいまいち分からなかった。ただ単に強かった弱かったという話なのか、アメリカ軍に対しての感情なのか。
「それは考えてなかったなぁ。まあ、なんでもいいよ。思ってること言ってちょうだい」
「私は……」
口が勝手に動き始めた。ショーが初雪の目を見つめる。
「私はあなた達、」
待て、正直のそのままを言うつもりなのか。どうなるか分かってるのか。
頭の中では分かっている。しかし、口は動き続ける。
「アメリカ海軍が憎い」
ショーは軽く目を見開いたのちに目を細めた。
「そう」
ショーはただそれだけを言って、目をつむった。一方、初雪は枷が外れたように言葉が出た。
「ソロモンで吹雪と叢雲は沈んで、ラバウル航空隊は次々やられて、ガダルカナルへの輸送はできなくて、どれだけの兵が飢え死にして、ビスマルク海では白雪や他のみんなも沈んで、機銃掃射で殺して、ブインで私も皐月も夕凪も沈んで、一体何人死んだっていうの……。そして、生まれ変わって、聞いてみれば日本は敗北。納得いかない、納得できない!」
ゆっくり、ショーは目を開けた。
「お互い様でしょ、ハツユキ。ハツユキも私もたくさん殺した。そして、戦争は終わったんだよ、ハツユキ」
「でも!」
「終わったんだ」
ショーは静かに、しかし強く言い切る。
「違う世界にまでそれを持ち込む気?」
そう、この世界は第二次大戦も太平洋戦争もなかった。初雪達の世界でいう第一次大戦が起こっただけだ。それに所々の地名も違う。
艦船としての日本海軍駆逐艦「初雪」、アメリカ海軍駆逐艦「ショー」がいた世界とは全く違う世界なのだ。
「でも……でも、私の、私の中の戦争は、まだ終わってない!」
初雪はいつの間にか涙を流していた。ショーはそれに驚いたり、狼狽えたりしない。
「それなら、ハツユキは私に砲口を向けるの?」
「それは……」
「もし、砲口を向けるのならば、ハツユキ。私は君を沈める。再び、アメリカに仇成す敵になるというのなら」
初雪はショーの目を見る。ショーの青い瞳には憎悪などではない、ただ純粋な愛国心が見えた。
ショーも初雪の目を見て話す。私の瞳には何が映っているのだろう。
「ハツユキ、君は今のアメリカにとって重要な存在。もちろん私も。沈めるなんて、そんなことはしたくない。今の話はなかったことにしよう。私以外のアメリカ艦娘にあんなこと言わないように。これはハツユキのためでもある」
初雪はショーから目線を外し、うつむいた。手はいつの間にか強く握りしめている。
ショーが正論だ。太平洋戦争は存在しない。敵は深海棲艦。味方同士で争っている場合ではないのだ。
「今日は、案内は終わり……自分の部屋に戻る」
初雪はショーに背中を向ける。
「さっきはああ言ったけど、初雪の気持ち分からなくはないから。私に相談してもいいから」
「…………ありがとう」
北大西洋、雲の遙か上を黒鳥が飛んでいた。
U-2ドラゴンレディ。アメリカ空軍が保有する高高度偵察機である。
深海棲艦航空機の上昇限度はせいぜい高度12000メートル。23000メートルを飛行するU-2は深海棲艦航空機の攻撃を受けることもなく、悠々と瑠璃色の空を飛び続ける。
水平線上に点が現れた。島だ。
「こちら、レイブン3。バミューダ諸島を確認」
『了解、レイブン3。偵察行動を開始せよ』
パイロットは偵察用の電子/光学センサーを操作し、HUDにカメラ映像がバミューダ諸島の映し出す。
「艦娘が、ねぇ」
狭いコックピット、与圧スーツの中でパイロットは1人呟いた。
4月になって生活環境が大きく変わり、投稿が遅くなってしまいました。申し訳ない。
一応この作品には妖精さんはいます。ただし、妖精さんが活躍している場は主に装備開発と艦娘建造です。艦娘艤装(砲や魚雷)の操作は艦娘達が無意識に(私達が手足を動かすのと同じ)動かしています。
艦娘艤装・装備を最終的に製造するのは人間なんですが、そのあたりもまたいつか、書きましょう。
次回は一話の頃に「吹雪型が選出された理由」の1つで出た艦娘支援装備と戦車が出ます。
今後登場するアメリカ艦娘と並行して、この作品に登場する陸軍・空軍の通常兵器についても募集しています。以下のURL先にどしどしご応募ください。
http://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=67657&uid=85043