それはファラガットとウェストバージニアが「ラップウイング」の護衛をアラスカ達から交代してから数時間後のことだった。
「ん?」
搭載しているSC対空捜索レーダーに少し反応があった。索敵範囲ぎりぎりの所に反応。しかし、その反応はすぐに消えた。
ファラガットはすぐにノイズだろうと思ったが、一応ウェストバージニアにも同じ反応があったか聞いてみる。
「いえ、よくわかりませんでした。なにか映ったんですか?」
ウェストバージアにはファラガットの搭載している初期型SCレーダーよりも性能の高いCXAM対空捜索レーダーを搭載している。そのウェストバージニアがよく分からなかったというのだから、おそらくノイズだろう。ファラガットはそう思った。
空は朝から変わらず、雲の少ないいい天気だったが、海は波が高くなり始めていた。
――――――ヒト2、フネ1――――――
ヌ級が発艦させていた早期警戒機は簡潔に敵の数について電文を送ってきた。相手側もレーダーを使っているらしく、警戒機も長時間の索敵はせずにすぐに地球の裏側に隠れ、こんなに短い電文しか送れなかったわけだが、偵察艦隊にとってはそれだけでも十分だった。
偵察艦隊の旗艦であるリ級はにやりとした。
偵察艦隊の任務は威力偵察。艦娘だけではなく、普通の艦がいるこの状態は非常に都合が良い。
普通の艦には人間が大量にいる。1隻だから多くとも400人程度だろうが、その程度でも同類を大切にする人間達にとっては十分な数には違いない。沈めれば、きっと救援を出してくるはずだ。――――――いや、攻撃するだけでもノーフォークから救援が来るだろう。その数、能力を見極めることができれば偵察艦隊に与えられた任務は達成できる。うまくすれば一定の数の人間を生きたまま上に献上することもできるかもしれない。
しかし、艦娘が邪魔だった。
艦娘。深海棲艦からは自分たちと同じような存在とみられているが、明らかに敵対している存在だ。しかし、能力自体は深海棲艦のそれを大きく上回り、時には駆逐艦クラス1体に戦艦数体を沈められることすらある。逆に深海棲艦が艦娘を沈められた回数は数えるほどしかない。艦娘が出てきてからというもの、陸上に進行するどころか、深海棲艦はかなりの数を殺され、泊地を奪われている。
艦娘を宥和しようと使者を何度も送っている泊地も太平洋にはあるらしいが、毎回のごとく使者との連絡は途切れ、帰ってくることすらないらしい。
普通の艦よりも先に艦娘をどうにかしなければならない。
リ級は他の深海棲艦に命令を下した。
『敵艦を捉えました! その数3隻、11時方向、距離37㎞です!』
ウエストバージニアからの報告。その報告に「ラップウイング」CICは一瞬騒然とした。
敵。深海棲艦。
通常の艦艇では手も足も出なかった存在だ。それに処女航海で出くわしたのである。
もしかしたら沈められるかもしれない。そんな形のない不安が乗員を襲う。
「うろたえるな。各員戦闘配置および艦娘の発進準備」
艦長は他のCIC要員と比べて落ち着いていた。
十年ほど前の話になるが「ラップウイング」艦長は通常艦艇と深海棲艦の戦闘を経験している。そのときは艦娘のかの字もなかった頃で、艦長も一介の士官だった頃だ。砲弾を受け、爆発し、折れて沈んでいく現代艦艇。3インチ砲弾を弾く深海棲艦。海に浮かぶ死体。生きたまま食われる水兵。鉄のひしゃげる音。悲鳴と砲声と怒号。血と硝煙と磯の匂い。
そんな地獄をいくつか体験すればこのくらいのこと、深海棲艦が現れたくらいでは動じない。
「やはり、まだレーダーには映らないか……」
艦長は「ラップウイング」が搭載するAN/SPS-55対水上捜索・航法用レーダーの画面を見つめて呟く。深海棲艦は小型で、金属部分が少ないためか、レーダー反射面積がかなり小さい。レーダーに映るのはせいぜい10㎞を切ったくらいが相場だった。Mk.45 5インチ砲mod.4の射程37㎞は宝の持ち腐れではあるが、レーダーに映らない以上、射程距離内だとしても命中弾は期待ができない。
「ラップウインド」は建造目的の通り、艦娘の母艦になるしかなかった。
「カサレス一等水兵! アラスカとアトランタの所に行ってやれ!」
敵襲の際に発せられるサイレンが響き渡る艦後部に位置する整備場で整備班長の少尉が一番最年少のカサレス一等水兵に叫んだ。
「なぜです!?」
こちらもサイレンの中、怒鳴るような大声で聞き返す。すでに潜水艦ポンポンと空母モンテレーの艤装装着作業は始まっていた。人を別の所に行かせる暇なんてないはずだ。
「2人は寝ているかもしれん! 起こしてこい!」
「了解!」
カサレス一等水兵は艦娘の部屋に向かった。艦娘達の部屋がある区画は整備場の真下にある。ラッタルを駆け下りればすぐだった。
普通の水兵なら集団部屋であるが、艦娘達には狭い艦内であっても全員に個室が当てられている。
カサレス一等水兵は一番手前にあったアトランタの部屋に向かい、うかつにもノックの1つもせず、扉を開けた。
「アトランタさん! ……あっ」
「あ」
けたたましく鳴っているサイレン。脱ぎ散らかされた寝間着。乱れたベットとシーツ。石鹸と汗のほのかな匂い。
カサレス一等水兵が見たものは下着しか着ていないアトランタが慌てて十字のマークが入った黒いスカートを穿こうとしている姿だった。
「あ、あああ……失礼しました!」
カサレス一等水兵は慌てて扉を閉めた。
当然である。アトランタは夜間の護衛を終えて就寝していたのである。もちろん寝間着に着替えてからである。そして、突然の戦闘配置。もちろん寝間着のまま出撃するわけにはいかないので制服に着替えるのは当然だ。カサレス一等水兵がアトランタの部屋にやってきたのは敵襲のサイレンが鳴り始めてから約2分後のこと。まだ着替えていてもおかしくない。
「え、ええっと、あー、そうだ! アラスカさんは」
カサレス一等水兵は頭が真っ白になりながらも、少尉から与えられた命令を思い出し、アトランタの部屋の前からアラスカの部屋に向かった。アトランタは起きていたので問題ない。着替え終われば整備場に行くだろう。
アラスカの部屋はアトランタの部屋の3つ先だった。今度はちゃんとノックする。
「返事が……ない」
サイレンの音にかき消されているのか? カサレス一等水兵はもう一度ノックして扉に耳を付ける。
返事はなかった。もしや寝ているのかもしれない。
今は一刻を争う状況である。カサレス一等水兵は扉を開けた。
カサレス一等水兵は絶句した。声も出ない。
アラスカは裸で横向きになって寝ていた。
カサレス一等水兵は扉を開けっ放しにしたまま後ずさってしまう。
毛布は胴体辺りにしかかかっていないうえ、それも剥がれかけている。男の足と比べると圧倒的に細いが程よく引き締まっているおみ足。小さすぎも大きすぎやしない胸や細いくびれは毛布越しにもわかる。そして気持ちよさそうな寝顔である。
艦娘部屋にもスピーカーはあり、そこからサイレンは鳴り響いているが、アラスカの夢の世界には全く届いていないようだ。
ちなみにカサレス一等水兵の年齢は19歳。母と妹以外に女の人の裸を見たことはないし、あんなことやこんなことは今まで経験したことはない。
頭が完全に、塩素で漂白したように真っ白になってしまって、この状態をどうしたら良いのか、なんて思いつかなかった。
しばらくするとアトランタが着替え終わり、部屋から出てきた。そして顔を真っ赤にして突っ立っているカサレス一等水兵の様子を見て変だと思い、彼の目線の方向、アラスカの部屋の中を覗いた。
「あー…………」
裸のアラスカ。顔が真っ赤のカサレス一等水兵。アトランタは一瞬で察した。
「君名前は?」
カサレス一等水兵は答えない。顔を真っ赤にしたまま、硬直している。
「名前は!? 一等水兵!」
「はっ! 自分はケヴィン・カサレス一等水兵であります!」
「カサレス一等水兵、君はもう元の配置に戻れ。ご苦労だった。後は私が何とかする」
「は、はい、了解! ケヴィン・カサレス一等水兵、持ち場に戻ります!」
カサレス一等水兵は正気を取り戻したか、同化はアトランタの知るところではなかったが、逃げ出すように廊下を駆けていった。
アトランタはため息をつきながら、アラスカの部屋に踏み入った。
アラスカのアホみたいに深い眠りは今に始まったわけではないが、こんなサイレンがうるさいなかでも起きないとは。
アトランタはアラスカの耳を思いっきり引っ張った。
ウェストバージニアはSGレーダーと16インチ砲の長射程を活かして、一方的なアウトレンジ砲撃を行っていた。
しかし、当たらない。夾叉はしているが、全く当たらない。長距離砲撃は確率といってしまえば、それでお終いなのだが、とにかく当たらなかった。
モンテレーの先行して発艦させたTBF-1アヴェンジャーが敵艦隊の編成を無線で伝えてくる。
重巡リ級1隻、駆逐艦2隻。すべてが黄金のオーラを放つflagshipだった。
ウェストバージニアは自身の搭載機であるOC2Uキングフィッシャーの弾着観測も合わせながら、レーダー射撃を繰り出すのだが、命中弾は得られない。観測機からの報告によれば砲弾の弾道を読んで、当たるものだけを的確に避けているらしい。
一発の砲弾も当たらないうえ、じりじりと接近してきている。しかし、艦娘全員が出撃できるだけの時間は稼ぐことができた。
このままでは重巡リ級の射程距離内に「ラップウイング」が入ってしまうだろう。艦娘が迎撃するにしても、「ラップウイング」に近づけるわけにはいかない。リ級の砲は6インチクラス。当たり所にもよるだろうが、十数発食らうだけで排水量4000t級の「ラップウイング」は廃艦並みの損害を食らってしまう。
そのことに「ラップウイング」側も気を揉んだのだろう。モンテレー艦載機の援護の下、アラスカ、ファラガット、アトランタが接近するように命令がきた。この3名を選んだのはベテランだからである。モンテレーとウェストバージニアは艦娘になってからまだ日が浅いので「ラップウイング」の直衛。潜水艦のポンポンは敵の別働隊がいないか、周辺警戒をしており、この場にはいない。
『本艦は進路をこのまま、ノーフォークへと全力で向かう』
すでにノーフォークとの距離は76㎞。「ラップウイング」の全速力36ノットであれば1時間ほどで入港できる。
「了解、アラスカ以下3名は敵の殲滅に向かいます」
ほんの十数分前まで全裸で寝ていたアラスカは今は制服をきちんと着て、艦隊旗艦としての威厳を保っている。ただ、寝起きということもあって空色の髪の毛は簡単に整えたと入っても、乱れ気味なうえ、少々寝癖がついていた。
「よくも安眠の時間を邪魔して! ぶっ殺してやる!」
アラスカは無線を切ってからそう叫んだ。
――――――フネ増速、ヒトが6に増加。1つは潜水艦ですでに潜行。マイク4、艦載機発艦中。マイク1、5、6はアルファに接近中――――――
早期警戒機からの報告。偵察艦隊の旗艦リ級のある程度まで思惑通りにことは進んでいた。
しかし、旗艦のリ級にとって予想外だったのは艦娘の増加だった。2から6。全て同じ艦種ではないので、一概には言えないが、単純なかけ算をすれば戦力は3倍である。
通常の艦と艦娘を分離させるのが目的だったが、向かってくる艦娘は3体のみ。1体は潜水艦とのことなので伏兵になる。うまく潜水艦に補足されなかったとしても2体を相手することになる。
リ級は艦隊を2つから3つ、アルファ、ブラボー、チャーリーに分けることにした。
アルファは接近している艦娘3体を引きつけるのに重巡1隻と駆逐艦2隻。
ブラボーは通常艦を護衛している艦娘を引きつけるのに重巡1隻と軽空母1隻。
チャーリーは通常艦を強襲するのに駆逐艦2隻。
この編成ではチャーリーが心許ないが、致し方ない。
ファラガット達のSCレーダー、CXAMレーダーは敵艦隊の上空の十数機分の機影を映していた。おそらく敵の中には航空巡洋艦か、軽空母がいるのだろう。
一方、艦娘側の航空戦力はモンテレーの艦載機27機。従来型よりも武装とエンジンが強化されたF4F-3Aワイルドキャットが8機。小型爆弾やロケット弾のハードポイントを追加し、エンジンが強化されたTBF-3アヴェンジャーが12機。そして逆ガル翼が特徴的な新型戦闘機F4U-1コルセアの7機。
先制したのは「ラップウイング」からの電子援護がある艦娘側だった。
高速性が持ち前のF4U-1コルセア。防空網をすり抜けて胴体下の1000ポンド(453㎏)爆弾2発を緩降下で投下していく。
14発の爆弾はほとんど回避され、2発がリ級とイ級に命中した。
離脱するF4Uを深海棲艦航空機が追撃するが、F4F-3Aワイルドキャットがさせない。12.7㎜弾の雨が深海棲艦航空機を襲うが、急旋回で回避される。
エンジンが強化されたF4F-3Aと新式のF4Uだ。相手が白玉型といえども……とはいかないのが現実だ。奇襲によって優勢だったF4F-3AとF4Uだったが、ものの数分で形勢は均衡になった。
しかし、それだけでも十分。TBF-3アヴェンジャーが突入する隙を作ることはできた。
リ級1体とイ級2体が対空砲火で迎え撃つが、さすがのTBFである。優れた防弾性能を持つTBFは対空砲火をものともせず突き進んでいく。
そして魚雷を投下。12本のMk.13航空魚雷は青白い軌跡を残しながら敵艦に進んでいく。しかし、すべて回避される。
リ級は片目が蒼いflagship改。イ級2体もオタマジャクシみたいなの足が生え、黄金のオーラを持つ後期型flagship。そうそう当てさせてくれるような深海棲艦ではなかった。
上は飛行機雲が綾を作る空中戦。下は健在な深海棲艦。
「ものども、突撃ぃ! 奴らをぶっ殺せ!」
「ラップウイング」内で上品に振る舞っていたアラスカはどこに行ったのやら。端正な顔が今や鬼の形相である。
腹が立つのは分かるが、そんなに怒ることか?
ファラガットは横目でアラスカの様子を見ながら、そう思った。
男の社会に女の子が入り込むと……どうなるのだろうか。女性軍人が増えている現代軍はどうしているのでしょうね。そこらへんはちゃんと気をつけているのでしょうけれど。
ようやくF4Uコルセアの登場です。離艦時に甲板が見えんわ、着艦も難しいわ、初陣では零戦にぼこぼこにされるわ、大戦中はF4Uが開発失敗したときの保険として開発されたF6Fヘルキャットの方が人気だわ、と戦闘攻撃機としての真価を発揮するまでは評価の低い戦闘機でした(といっても速度性能は高く、期待の特徴をちゃんと理解し、一撃離脱を心がければ強い戦闘機だった)。
しかし、沖縄戦や朝鮮戦争では高いペイロードと速度性能で対地攻撃機として活躍し、MiG-15を初撃墜する、最後のレシプロ戦闘機同士の空戦に参加して勝利する、など最終的には非常に評価の高い戦闘機になりました。
余談ですが、戦中にまともな艦上戦闘機が作れない英国に供与され、「これは素晴らしい艦上戦闘機だ!」と評価されました。足がポキポキ折れるシーファイヤに比べたら、そりゃ当たり前だ。