雪の駆逐艦-違う世界、同じ海-   作:ベトナム帽子

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第2話「太平洋を越えて」その2

 上昇中の瑞星。その客室で吹雪はH・G・ウェルズの宇宙戦争を読んでいた。飛行中の暇つぶしに持ち込んだ私物である。日向に渡された瑞雲の妖精も吹雪の右肩にちょこんと座って宇宙戦争を読んでいる。

「吹雪ちゃん、慣れた?」

 隣に座る白雪が吹雪の席の方に乗り出して聞いた。

「慣れたって?」

「エンジン音」

 ああ、エンジン音。もちろんうるさい。瑞星の強力なターボプロップエンジンが生み出す爆音は機内にも轟とどろいている。

「慣れてないよ。とってもうるさい」

 他の人はどうだろうと思って、吹雪は機内を見回す。席は横6席、縦6列の36席。1列目を吹雪達、吹雪は一番右。2列目横2席が吹雪達の艦娘艤装整備員。残りの席は艦娘建造部の技術者達だ。案外、みんな平気な顔をしている。深雪を除いて。

「気持ち悪い……」

 深雪は飛行機酔いで前かがみになって、辛そうな顔をしていた。深雪は気圧の変化にものすごく弱かったらしい。ミッドウェーに行く際には寝ていて、そんなことはなかったのだが、今回は深海棲艦の迎撃を避けるためにも急上昇しているので、気圧の変化が激しいのだろう。隣の初雪が「大丈夫?」と声をかけながら背中をさすり、後ろの席に座っていた艦娘艤装整備員の清水が立ち上がって「吐いたら楽になるぞ」と言っている。

 吹雪は「外を見たら?」と言おうとして、思いとどまった。

 乗客席に窓はないのである。防弾上の理由だ。飛行機旅行ってもっと優雅なものだと思っていたのに。吹雪はため息を吐いて、別の言葉をかける。

「トイレ行く?」

 呼びかけに深雪は縦に首を振った。

 

 高度8000m。雲の遙か上、成層圏すれすれの所を瑞星は艦娘の搭載機である烈風30機と飛行している。

 烈風は高高度戦闘機ではないので、8000mにもなるとエンジンの性能低下が起こるが、瑞星はターボプロップエンジンで巨大な機体。むしろ空気が薄い方が空気抵抗が減って性能は良くなる。なので直援の烈風が瑞星について行くのにいっぱいいっぱい。護衛される瑞星が烈風に合わせているような状態だった。

「もうちょっと高度上げたいですね」

「まあな。だが、烈風が付いて来れなくなる」

 操縦桿を握っている副操縦士が呟きに機長が答えた。

 瑞星の最高速度は高度1万mで834㎞/h。一方、烈風の高度1万mでの最高速度は500㎞/h程度。言ってしまえば、烈風は足手まといでしかない。しかし、烈風が瑞星の直援機として付いたのは、護衛なしでは不安だ、という声が強かったからだ。他にも烈風隊が瑞星の囮をすることも必要だったためでもある。

 瑞星は所詮輸送機であり、自衛火器は機体尾部の12.7㎜6連装機銃だけ。補足されれば撃墜される可能性もある。少しでも瑞星を深海棲艦の目からそらさせる必要があるのだ。

「深海棲艦の奴ら、来ないと嬉しいんですけどね」

「まさか。奴らは絶対に来るさ。たぶんもう見つかってる」

 機長がそう言った直後、レーダー士が敵機確認の報告をしてきた。

「ほらな、来たろ。ミッドウェー基地に通報! 敵機確認、4時方向、距離35000、高度3000」

 通信士が機長の言葉を復唱し、敵機確認をミッドウェーに伝える。

「スロットル全開、高度1万2千まで上昇」

 副操縦士がスロットルレバーをいっぱいまで上げ、操縦桿を引く。

 窓の外を見ると、1機の烈風がそばに寄ってきていている。コックピット内の妖精が敬礼する。機長も敬礼を返す。

 烈風の妖精は満足げな顔をすると、バンクを振って降下していった。後続の烈風も降下していく。

 戦闘の始まりだ。

 

 客席に敵機発見のアナウンスが行われたのはちょうど、深雪と吹雪がトイレから出てきた時だった。深雪の飛行機酔いは幾分かましになったようだが、気持ち悪げな表情はあまり変わっていない。

『あーあー、本機のレーダーが敵編隊を捉えました』

 機内がざわめく……ことはなかった。深海棲艦の迎撃は最初から予想していたことである。むしろ、遅かったな、と思った者が多かった。

『直援機が迎撃に向かいましたが、迎撃をすり抜けた敵機が攻撃してくる恐れがあります。急激な回避運動などを行う可能性が十二分にございますので、皆様は着席し、シートベルトをしっかりとお閉めください』

 吹雪は深雪を急いで座らせた。隣の初雪が立ち上がり、深雪のシートベルトを締める。吹雪は初雪に任せて自分の席に戻った。

「すまないなぁ……本当……」

「困った時のお互い様……」

 初雪は深雪のシートベルトを締め終わると、急いで自分の席に座った。

 

 瑞星の遙か下。高度4000m辺りで烈風と深海棲艦航空機の激しい空戦が繰り広げられていた。

 当初高い高度から降りてきた烈風隊が優勢だったが、深海棲艦航空機は自らの数を活かして、烈風隊と互角の戦闘を繰り広げている。

 飛び交う曳光弾。尾を引く細い飛行機雲。黒煙を吐き、ばらばらになって落ちていく翼。

 そんな空域から南に100キロメートル、高度500メートルを瑞鶴所属の彩雲が飛んでいた。敵戦闘機を発艦させた敵空母の発見をする為だ。この彩雲だけではない。他の彩雲と13式双発偵察機も含め、25機の偵察機が海上を捜索していた。

 彩雲の妖精はコックピットの中で、この海域にいるであろう敵空母を見逃すまいと、ぶんぶん首を振って探す。

 空母同士の戦いでは先に敵を見つけた方が勝ちだ。ヲ級やヌ級は頭の帽子に大穴を開けてしまえば、艦載機の発艦は不可能になる。敵空母を発見次第、母艦に待機している彗星28機が攻撃する予定だ。

 妖精は東の海を違和感を感じた。波の光り方が変な場所がある。双眼鏡で確認する。

 見えるのは太平洋のおだやかな波。そして――――いた。ヲ級だ。赤いオーラを纏っているelite。4隻。

 勝ったな。妖精は笑みを浮かべた。通信手に通報させようと声を出そうとした瞬間、異様な物を見た。

 ヲ級じゃない。ヌ級でもない。双眼鏡のピントをきっちりと合わせ、その姿を鮮明にする。

 長いウェーブのかかった白髪。いくつかの砲塔。左右に2つの飛行甲板らしきもの。

 ――――あいつだ。去年の秋、パラオを襲った空母水鬼だ。

 

「空母水鬼……ハワイ周辺じゃあれが哨戒しているの……ハワイって恐ろしいところね」

 飛鷹がため息を吐く。空母水鬼は2014年秋に行われた渾作戦で確認された深海棲艦である。能力的には空母棲姫を全体的に上回る。

「周りにはヲ級のelite4隻か。烈風全て投入しても制空権取れるか怪しいな」

「幸い、こっちはまだ見つかっていないわ。全艦、攻撃隊用意!」

 空母戦は先に見つけた方が勝ち。飛行甲板を破壊してしまえば敵機は発艦できず、着艦もできない。これは空母戦の鉄則。翔鶴達は彗星艦爆を用意する。

「『渡り鳥』は絶対アメリカに行かせるわ。皆さん、艦爆隊、発艦です!」

 矢が、式神が彗星に変身して大空に飛び立つ。

 

 4基のエンジンはすべて快調に回り続けている。特徴的なエンジン音も相変わらずだ。

「現在、時速790㎞。どんな敵機だろうと、振り切れますよ」

 深海棲艦航空機の最大速度はせいぜい650㎞/h程度。深海棲艦航空機がどんな飛行機関で飛んでいるのかは不明なのだが、少なくとも今の「瑞星」に追い付ける速度ではない。だが、

「12時方向に敵影! 距離150000! 同高度!」

 レーダー手が新たな敵影を伝える。

敵機は「瑞星」に反航している。お互いに近づく形だ。1分ほどで接敵する。

 航空戦で反航戦というのは、撃墜する側にとって「瑞星」は動かない当てやすい目標になる。そして一番当たりやすいのはコックピットだ。それはさけなければならない。

「右旋回! フルスロットル! 増槽(増加燃料タンク)落とせ!」

「了解! 右旋回! フルスロットル! 増槽落とします!」

 副操縦士が増加燃料タンクの落下レバーを下ろした。両翼にぶら下がっていた紡錘型の増加燃料タンクが外れて落ちる。軽くなった分だけ、速度が上昇する。

 窓の向こうでいくつもの光点。曳光弾が機体をかすめる。 

「フルスロットル! フルスロットルだ! エンジン吹かせ!」

「やってます!」

 副操縦士はスロットルレバーをもう押し込めないのに押し続ける。敵機がぎりぎりまで近接。敵弾が命中し、着弾の衝撃が瑞星を振るわせる。

 気づくと、敵弾は止んでいた。衝撃も止んでいた。誰もの顔に汗がにじんでいた。

「しのげたか……」

 機長は安堵してゆっくり息を吐く。そして各員に損害状況の報告を求める。

「航法装置、損害なし!」

「操縦装置、異常なし!」

「尾部銃座異常なし!」

「エンジン出力、異常なし!」

「レーダー、異常なし!」

「無線機に異常発生!」

「与圧、異常なし!」

 やられたのは無線機のみ。飛行に支障はない。損害としてはかなり良い方だ。

 機長はレーダー手に敵影の有無を尋ねる。

「近くにはありません。いまだ、直衛隊と深海棲艦は交戦中の模様。さっきの敵は追撃しないようです」

 現在の飛行速度は830㎞/h。高度は1万1000m。深海棲艦航空機では追いつくことはできない。

「損害があったのは無線機だな? どうなっている?」

「どうも、主無線装置が送信ができません。受信はできます」

「副は?」

「駄目です。送信も受信もできません」

 無線機は受信のみ。これは痛い。護衛の第五航空戦隊に連絡が取れないし、アメリカ本土に着いてから連絡が取れない。

「修理に全力を尽くせ」

「了解です」

 機長は副操縦士の隣にどかっと座った。疲れた。一服つきたい。胸ポケットの煙草を探る。ない。

「禁煙中だった」

 『健康に悪いから吸うの辞めなさい。かっこうわるいし』と嫁にさんざん言われて、禁煙を始めたのを東は忘れていた。機長としては煙草を吸っている飛行士というのはかっこいいと思っているのだが。しかし、禁煙中でないにしても、機内で煙草を吸うのは御法度だった。与圧している飛行機の中は同じ空気が循環しているのだ。空気が悪くなるどころの話じゃない。

「乗客室には被害なし。飛行機酔いが1人」

 乗客室の損害を確かめに行った機銃手が戻ってきた。機長はそうか、良かった。と返事をする。

 瑞星作戦の肝は客席にいる艦娘と技術者達なのだ。機体を操作する自分達が無事でも艦娘と技術者が全員死亡なんてなったら笑えないどころの話じゃない。

 彼らも窓のない客室で不安に怯えて疲れただろうし、何か、疲れの取れる物を出さなければ。そう、機長は思った。

 煙草は論外。機内食はちょっと早い。

 疲労回復と言えば、甘い物だ。甘い物と言えば、アイスクリームだ。

 瑞星にはアイスクリーム製造器がある。家庭用の小型で簡単なものだが。日本海軍輸送機の中では最長の距離を飛ぶ瑞星には疲労回復のためにアイスクリーム製造器が搭載されているのである。他の飛行機にはない備品だ。

 そうだ、そうだ、アイスクリームだ。作ろう。乗客の分も作ろう。おもてなしだ。

 東は勢いよく、椅子から立ち上がり、乗客席へ続く扉に向かう。アイスクリーム製造器はギャレー(機内調理場)にあるのだ。

「アイスクリーム作るけれど、みんないるか?」

 予想はつくのだが、一応コックピットの全員にも聞いておいた。

 返答は予想通り、全員がYesだった。


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