結局きちんと眠れたのはどれ程だったろう。1時間か、それともそれ以下か。
窓から差し込む朝日を、貞夫は頭から布団を被って防ぐ。そのままウトウトし始めた所で、部屋のドアが叩かれた。
返事の代わりにうめき声を上げると、ゆっくりとドアが開かれ何者かの気配がベッドの横に来るのが分かった。
「あ、あのぉ……」
気配の主はしばしの間の後、恐る恐るといった感じで貞夫に声をかけた。
気だるげに布団から顔を出し声の主の方を向くと、そこには頭に狐のような耳を生やした少女が立っていた。
「ん……なに……?」
目ヤニで塞がった瞼を瞬かせる。
少女は、皆とっくに起きていて、貞夫が来るのを待っている所だと言う。
寝過ごしてしまったようだ。わざわざ起しに来てくれた少女に礼を告げると、重い体を無理に引き起こして顔を洗い部屋を出た。
「さあ、出陣よ!」
ノーネーム本拠の正面玄関に全員が揃うと、飛鳥の言葉を合図に出発した。
途中、今回の発端であるガルドと揉めたカフェの前で、猫耳の店員が声をかけてきた。
彼女のコミュニティもフォレス・ガロには迷惑を被っていたらしく、声援を送られる。
2105380外門では相当好き勝手にやっていたようで、色々な所から恨みを買っているようだった。
さらに猫耳店員は、ある情報を教えてくれた。
今回フォレス・ガロは、ゲーム専用の舞台区画を使用せず、居住区画を用いるという。
おまけに傘下のコミュニティや仲間は加わらず、ガルド単身でゲームに挑むと。
「昨日あんな目に会ったというのに? 確かにおかしな話ね」
飛鳥が疑問の声を上げる。
ガルドは飛鳥の言うがまま自らの悪事を白状させられ、耀には軽く押さえつけられただけで身動きが取れなくさせられた。少女2人に手も足も出なかったのに、今回はさらに貞夫とジンの男手が2人も加わるのだ。
ますますもって勝ち目が低くなったというのに、なぜ自身の戦力を増強しないのか……。
疑問もそこそこに、猫耳店員に礼を述べると再びフォレス・ガロへ足を進めた。
しばらく歩き続けフォレス・ガロの居住区にたどり着いたのだが、そこはただの森であった。
申し訳程度に建物の屋根のあたりが木々の上から除き見えている。
ガルドは虎に変化する能力を持っていた。ならば虎としての本能から森に生息しても不思議ではないのかと思うが、ジンによれば元は普通の居住区であったらしい。
「しかし妙な森だな」
貞夫が周囲を見渡しながら言った。ただの植物とは違う気配を感じる。
それが何かは分からないが、今まで感じた事のない生物のオーラだった。
飛鳥が壁に貼られた
参加者は飛鳥、耀、貞夫、ジンの4人。クリア条件は本拠に潜むガルドの討伐。
その方法は、
これでは飛鳥の威光で降伏を強制する事も、耀や貞夫の
こちらに有利な状況だったが、自分の命と引き換えに一転して互角に持ち込むとは、ガルドという男を侮っていたかもしれない。
ジンが事前にルールを決めておかなかった事を悔やむ。
十六夜は見応えがある内容になったと喜ぶが、貞夫は若干の不安を感じていた。
指定されている以上何らかのヒントはある筈だと飛鳥が前向きな意見を述べる。
「大丈夫、私も頑張る」
「こうなりゃ、やるっきゃないよな」
落ち込むジンを励ますように耀は声をかける。
貞夫も不安を拭い去るように気合を込めて声を上げると、4人は揃って門を抜ける。
敷地内に入ると後ろの方で門が閉じられ、さらに退路を断つかのように木々の枝が門に絡みつく。
死角になっている木々の陰から襲撃を受けるかもしれないと、飛鳥とジンは周囲を警戒しながら進んでいくが、犬の嗅覚で臭いを探知した耀は周囲に誰もいない事を2人に伝えた。
4人は問題の指定武具を探すが、ここまでの道中で武器が隠されていそうな所は見つからなかった。
「もしかすると、武器はガルド自身が持っているのかもしれないな」
貞夫が顎に手をやり呟く。自分の命を危険にさらす物をそこら辺に置いておくとも思えない。方針を変え、ガルドの方を探す事にした。
耀が再び臭いを探るが、建物の中に隠れているのか感じる事が出来ない。
木の上に飛び上がり、高所から目視による探索を行うと、本拠の屋敷の2階に人影を発見した。4人は一路本拠を目指す。
豪華な造りのその建物も、例に漏れず木々が侵食しボロボロの有様だった。
「この奇妙な舞台は本当に彼が作ったの?」
飛鳥が疑問を浮かべる。一度しか対面しなかったが、ガルドはかなり自己顕示欲の強い男に思える。それが自らの力を象徴するために造ったコミュニティを、追い込まれたといえこうまで滅茶苦茶にするものだろうか。
ジンによれば、舞台を造る事は代理を頼んで行う事も出来るというが、それにしても罠が一つも用意されていなかったのは不思議だった。
「だが、ここから先はさらに気を付けなければ」
貞夫が屋敷の扉を注意深く開ける。その先は広間のような開けた空間だった。
やはり罠や襲撃といったものは無い。4人は中央に集まると、2手に別れ屋敷内を捜索するという事になったが、それを貞夫が制止した。
「敵の本拠だ、何があるか分からないから僕だけで行く」
貞夫はその場に座り込むと、胡坐をかき瞑想のようなポーズをとった。
「何をするの?」
「意識だけ体から飛ばして、幽体で屋敷内を見てくる」
この際肉体は完全な無防備状態となるため、体の事を3人に任せると意識体を体から抜け出させ、フワフワと屋敷内部を捜索に向かった。しかし10数分ほど調べ周った結果、結局何も見つける事はできなかった。やはり指定武具はガルドと共にあるのだろう。
2階へ向かう前に、飛鳥はジンに1階に残るよう言った。
ジンは反発するが、退路を守っていて欲しいという飛鳥の言葉に渋々ながら納得する。
3人は揃って階段を上り、耀がガルドを見たという部屋の前まで来た。
「用意はいいね?」
ノブに手をかけたまま貞夫が問いかける。飛鳥と耀は無言で頷いた。
勢いよく開かれたドアの向こうには、1頭の大きな虎がいた。その虎からガルドと同じ気配を感じる。以前のカフェでは、半獣半人といった形態には変化したが、ここまで完全に虎の姿になれるとは……。
感じる力は以前より増大しているが、その見た目は退化しているように思える。
予想外の事に3人は驚き、しばし動きを止めてしまう。
ガルドは咆哮と共に一足でこちらに飛び掛かって来た。
耀がその突進を止めようと1歩前に出るが、それよりも前に貞夫が飛び出す。
右腕を前に突出し魔力を込め、エネルギーの防御壁を展開させる。
壁に阻まれガルドは動きを止めるが、腕を振り上げ勢いよく降ろしてきた。
その一撃も防御壁で難なく受け止めるが、問題は貞夫が自身の足場を地面に固定していなかった事だった。ガルドの剛腕に押される形で貞夫は防御壁ごと後ろに大きく吹き飛ばされる。ドアを抜け、廊下を通り、手摺を乗り越え、そのまま吹き抜けから1階まで落下した。
硬い床に強かに背中を打ち付け呼吸が出来ない。
とんだ失態だ。初めての戦闘で、自分自身に浮遊魔法をかけて降下速度を和らげるという事に気が回らなかった。ジンが慌てて駆け付けると心配そうに声をかけるが、それに答える事も出来ない。
背中の痛みは残るが徐々に呼吸が回復してきた所で、2階から飛鳥が階段を駆け下りてきた。
「逃げるわよ!」
「で、でも耀さんと貞夫さんが……!」
踏み止まろうとするジン。そこに、2階からの階段をガルドがゆっくりと降りてきた。
獲物を見つけたように3人に視線を送るガルド。
低い唸り声が地の底から響いてくるように思えた。
「鬼、それも吸血種……やっぱり彼女が」
ガルドの変わり果てた姿を見たジンが何か呟く。
飛鳥がガルドに止まるよう
背の痛みに鞭打って無理やり上体を起こした貞夫が、膝に手をやり痛みを刺激しないよう残る下半身をゆっくりと立ち上がらせた。
ガルドは完全に1階に降り立ち、あと数歩で飛び掛かられる範囲にまで迫っていた。
「春日部ちゃんは?」
ガルドから視線は逸らさず飛鳥に問うが、自分を逃がすためガルドに向かっていった所までしか分からないという。何てことだ、死んだとは考えたくないが、無傷で済ませてくれる相手とも思えない。それは今の自分たちに対してもだ。
「僕が奴を抑えるから、2人は逃げろ」
この状況で戦いを続けても事態は好転しないだろう。一旦態勢を立て直した方がいい。
ジンは自分も
「ジンくん、逃げるわよ!」
咄嗟にジンに対して
ジンはその言葉に従い、飛鳥を抱きかかえると一目散に駈け出していった。
去っていく2人を見送る間もなく、動きに反応した様にガルドが飛び掛かっていく。
「どりゃあっ!!」
動きを止めるより方向を逸らした方が効果的だと判断した貞夫は、右手に魔力を込めてガルドの腹を思いきり殴りつけた。ガルドは突進の勢いも加わって、ジンたちがいた位置よりも1メートル程逸れた場所に、床板をぶち抜いて頭から突っ込んでいった。
それでしばらく足は止まると考えた貞夫も、2人の後を追って館を飛び出す。
気配の位置を把握していたのですぐに合流できた。
そこでジンが飛鳥と貞夫に、ガルドが虎に変化していたのは吸血鬼の手によるものだと説明した。元々ガルドは、人、虎、悪魔の3つのギフトを持っていて、それがさらに吸血鬼によって人の部分を鬼種に変えられたのだと。
ガルドだけではなく今いる森も共に鬼種化しており、この舞台を造った者とガルドに手を貸した者は同一人物だろうとジンは推測する。
急に背後の草むらが揺れた。3人は驚き振り向くと、そこに銀の十字剣を手にした耀が現れた。それも腹部が血に染まった状態で。
飛鳥が駆け寄ると、耀は剣にすがる様にして地面に膝をついた。
ガルドの部屋を開けた時、背後に十字剣が刺さっていたのを見つけた耀はこれが指定武具だと気づき、飛鳥を逃がした後で剣を確保。さらにガルドを倒すべく単独で挑んだが、力及ばず攻撃を受け何とかここまで逃げてきたと説明した。
気が抜けたのか血を流し過ぎたためか、耀はそのまま気絶してしまう。
魔法で傷を塞ごうと貞夫が手を伸ばしかけた所で、飛鳥は剣を取ると1人で森の奥へ向かって行った。
耀でさえ手傷を負ったのに、威光が通じない飛鳥ではただの少女でしかない。
貞夫も後を追おうとするが、耀の怪我も一刻を争う。しかしこれほどの怪我を治した事のない貞夫では手間取って、治療に時間を割けばその間に飛鳥がガルドと出会ってしまう。
どちらを優先すべきか悩む貞夫の横で、ジンがローブを裂いて包帯の代わりに耀に巻き付け応急処置を始めていた。
それを見た貞夫はジンに、この場は任せたと言い残すと急いで飛鳥を追いかけて行った。
飛鳥の気配はすでに館の中にある。貞夫がたどり着いた時には、館のあちこちから火の手が上がっていた。
「何だこれ、どういう事態だ?」
驚く貞夫の前に、蝋燭台を手にした飛鳥が館から駆けだしてきた。
蝋台を投げ捨てると、そのまま貞夫の手を取り、止まらずに森の奥へと走る。
後ろを振り向くと、館から炎にまかれたガルドが飛び出してきた。
「状況説明、簡潔によろしく」
「この先の一本道でガルドを迎え撃ちます」
ガルド自身に威光は効かないが、鬼化した植物なら操れる。
それを利用し、周囲の木々を使ってガルドの体を物理的に拘束、その隙に剣で止めを刺すという作戦らしい。
貞夫は、この短時間でよく思いついたなと感心する。
「だが、止めの一撃は僕がやる」
「美味しい所だけ持っていくつもりかしら?」
飛鳥は不機嫌そうに顔をしかめた。
「そうじゃない。このゲームのクリア条件はガルドを討つ事。
それってつまり、殺すって事なんじゃないのか?」
「私にその覚悟が無いと言いたいの?」
「君がする必要が無いって事だよ」
2人は行き止まりにたどり着いた。振り返るとガルドも数メートル先にいて、いつでも飛び掛かれるような体制をとっている。
「あの男は何人もの子供を殺めてきた。その報いは受けさせなければいけないわ」
それに関しては貞夫も否定する気は無かった。
だが飛鳥も貞夫から見れば十分に子供だ。そんな相手の手を汚させる気にはなれない。
「ここがどこで相手が誰であっても、人を殺せば君の魂は呪われたものになる」
いつになく真剣な表情で飛鳥の瞳を見据えると、剣を持つ手に自分の手を添える。
手袋越しに伝わってくる温もりは、自身の事を思いやっているように飛鳥には感じられた。
ガルドが咆哮を上げた。声に気を取られた飛鳥の手から貞夫は剣を奪い取ると、ガルドに向かって数歩前に歩み出る。飛鳥の非難するような声が聞こえるが無視した。
掌を通して剣に魔力を纏わせる。刀身が徐々に光を帯びて輝き始める。
怖いな、と貞夫はぼんやりと思う。凶暴な獣と相対している事や、これからその命を奪わねばならない事全てひっくるめての感情だった。
「この期に及んで怖気づくな、しっかりしろ」
自分にしか聞こえない声で呟く。
剣を構えるのと同時にガルドは貞夫に飛び掛かってきた。意識が加速し景色がゆっくりに見えるが、予想外だったのはガルドのスピードが思っていたより速い事だった。噛み付かれるだろうが、その勢いを利用して眉間に剣を突き立て相討ちを覚悟する。だが……。
「拘束なさい!」
後ろから飛鳥が
「今よ!」
「南無三!」
飛鳥がガルドの動きを止めてくれた。この隙に貞夫は地面を蹴り一跳びでガルドに接近すると、勢いよく剣を振り下ろした。豆腐を切るように何の抵抗もなく剣はガルドの首を切断する。
首は地面に落ちる前に灰と化し、残す体も共に崩れ落ちた。
ギフトゲーム『ハンティング』は終了した。
貞夫と飛鳥は一息つく間もなく、ジンと耀の元へ駆けて行く。十六夜と黒ウサギも同時にやって来た。
「大至急コミュニティの工房に運びます。あそこは治療用のギフトが揃っていますから」
黒ウサギは耀を抱き上げると急ぎ走り出そうとするが、その前に貞夫がウサ耳を引っ掴んで静止させた。
何をするのかと怒鳴る黒ウサギをスルーして、貞夫は耀の怪我を魔法で治していく。いくら黒ウサギの足が速いといっても、コミュニティに帰るまで耀の命が持つか不安だったためだ。もうゲームは終わったため、力を出し惜しみせず注ぎ込む。
「傷は塞いどいた。でも流れ出た血までは戻せないから、輸血だけは頼むよ」
そう言って地面に腰を下ろす。項垂れるような姿勢のまま、肺の中の空気を全て吐き出すように深く息を吐いた。
「結局僕は、何もできずじまいでした……」
去っていく黒ウサギを見ながら憂鬱な表情のジン。
「そうでもないよ」
項垂れた姿勢のままの貞夫が顔を上げずに話しかける。
「君が春日部ちゃんの手当てをしてなければ、僕は久遠ちゃんの所へは行けなかった。
帰ってくるまで彼女の命があったのも、ジンくんの処置がちゃんとしてたからだよ」
「ですが……」
やはり浮かない表情のジン。十六夜がその頭に手をやる。
「お前らが勝ったって事は、おチビにも何かしらの要因があったって事だろ。それでいいんじゃねぇの?」
「……昨夜の作戦、僕を担ぎ上げてやっていけるのでしょうか」
不安げなジンに、嫌なら止めると十六夜は言う。
「いえ、やります。僕の名前が前面に出ていれば、万が一の時みんなの被害を軽減できるかもしれませんから」
十六夜は満足げな笑みを浮かべると、ジンの肩を抱いて、集まって来たフォレス・ガロの傘下のメンバーの元へ歩いていった。奪われていた彼らの名と旗印を返還するために。
その喧噪をよそに、貞夫は先ほどから動かず座り続けていた。
飛鳥もその横に座ると、わずかに沈黙したのち口を開いた。
「あの男の事は気にしないで、とは軽々しく言えないけれど、誰かが倒さなければいけなかった。
それを貴方は代わりにやってくれたわ。私も含めて……」
慰めようとするが、うまい言葉が見つからずそれ以上続かない。貞夫は顔を上げ空を見上げる。
「ちゃんと割り切るさ、僕は大人だからな。そうでなければ、これからが辛くなる」
「これから?」
首をかしげる飛鳥。その顔を、手をフラフラと動かしながら指をさす。
「君たちの戦いは危なっかしい。回復要員が必要ないとは言わせないぞ?」
貞夫は箱庭に残る事を選択した。
永住するという訳では無いが、同郷の人間、それも子供がこれから危険な目に会うかもしれないというのに、自分だけ安全な場所に帰るのも気が咎めたためだ。
それにサウザンドアイズの店員の事もある。彼女とはもう少しお近づきになっておきたかった。
ノーネームとジンの存在を宣伝し終えた十六夜たちが戻ってきた。
「僕らも帰ろう」
沈んだ気持ちを振り払うように勢いをつけて立つ。飛鳥に手を差し伸べると、微笑と共に手を取り立ち上がった。
夕暮れの中を4人は並んで帰路につく。
肉体的よりも精神的な疲労があったが、それでも誰かの肩を借りる事も無く、貞夫はノーネームの本館までたどり着く事が出来た。