瞳に感じる痛みが、眠っていた貞夫の意識を覚醒させた。
目の奥を刺すような鋭い感覚には覚えがあった。
箱庭に飛ばされた時に感じた強烈な閃光だ。
痛みから逃れる様に強く閉じられていた瞼を無理やり開ける。
頭の上にある窓から差し込む朝日の光が、ベッドの上で寝ている顔の位置に降りそそいでいた。
カーテンを閉め忘れていたのか……。
起き上がってカーテンを閉め直し再びベッドに入るのが面倒だったので、貞夫はモゾモゾと布団の中に潜り込んでいった。
そのまま心地よい眠気に身を任せようとした所で、ドアをノックする音が聞こえてきた。
もうしばらく眠っていたい気分だったので無視したのだが、間を開けて再びドアが叩かれる。
それもスルーすると、今度は連続して延々とドアが叩かれ続けた。
「うるさいよ~!」
布団の中から呻くように声を上げ、外の人物に注意する。
ガチャリとドアが開かれた。
「開いてる」
ドアを開けたのは耀だった。
貞夫は昔から部屋に鍵をかける習慣が無かったので、箱庭でもドアに鍵をするという事をしなかった。別に盗まれて困るようなものがある訳でもなかったし、盗みをするような人間がいる訳でもなかったので不安は感じていない。
数人の足音が、貞夫が寝ているベッドの側まで歩いてくる。
「もう朝よ、起きなさい」
飛鳥が、母親の様な台詞を言った。
「あと5分……。いや50分……。せめて5時間……」
嘆願虚しく、耀に布団を引っぺがされてしまった。
まだ残っていた眠気が一瞬で消し飛ぶ。
貞夫は枕を掴むと、慌ててそれを頭上に押し付けた。
「……なにやってるの?」
飛鳥が不審なものを見るような目つきを向ける。
貞夫は防災頭巾のように、頭を覆うごとく枕で頭部を隠している。
「何でもない、気にするな」
枕が頭から離れないよう注意を払いながら、木製のハンガーに掛けられている帽子を取り、一瞬の早業で枕と取り換え頭に被った。
安心したように、ふぅとため息をつく。
「それで、皆してどうしたの?」
話を逸らす様に貞夫が訪ねた。
「あ、あの! 朝食の準備が出来ましたので、御呼びに上がりました!」
3人目の声の主である狐耳の少女、リリが緊張した様に答えた。
「冷めたら勿体ないと思って」
耀も付け加える。
「そりゃ、お気遣いどうも」
貞夫は、これからは部屋に鍵をかける様にしようと考えを改めた。
盗まれて困るものは無いが、見られて困る物はあったのだった。
リリが貞夫の目の前に1杯のティーカップを差し出す。
温かな湯気と共に、爽やかな匂いが鼻から入ってきた。
「菜園で採れた目覚めにいいハーブティーです。どうぞ」
受け取って一口すするとレモンに似た酸味が口中を刺激し、それに伴って意識をハッキリとさせた。
「ありがと、美味いなこれ」
その言葉にリリの2本の尻尾がパタパタと揺れる。
「あら、これは?」
飛鳥が、部屋の一角に設置されている机の上を指差した。
そこには数冊の本が2つの山になって置かれている。
何冊か手に取る。それらは全て神話を題材とした書物であった。
「ペルセウスみたいに神話を元にしたゲームがあった場合の対策として、そっち系の知識を持ってた方がいいっていう逆廻君の提案でね」
昨夜も遅くまで読書に耽っていたため、今朝なかなか起きれなかったのだ。
十六夜とジンも、ここ数日ノーネームの図書室に入り浸りとなっている。
貞夫は2人より読むペースが遅かったので、じっくり読み込むため自室に本を持ち込んでいるのだった。
ふいに奇妙な音が鳴った。
お互いの顔を見合って頭に?を浮かべると、耀が恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「お腹空いた……」
音の正体は耀の腹の虫だった。
女性陣を一旦部屋から出した貞夫は、寝間着を脱ぎ私服のセーターに着替える。
4人揃って食堂へ向かおうとした所で、貞夫はリリの服から1枚の紙切れが落ちたのに気付いた。
「何だこれ?」
拾い上げると、サウザンドアイズの紋章が入った青い封蝋が押されている手紙だった。
飛鳥と耀も覗き込み、それに気づいたリリがアタフタとしだした。
飛鳥が独断で封を切って中に入っていた手紙の内容を確認すると、耀と頷きあって十六夜のいる図書室へと向かって行った。
「十六夜君! 起きなさい!」
図書室で本棚にもたれかかる様にして眠っている十六夜を見つけた飛鳥は、叫びながら飛び膝蹴りを見舞った。十六夜は欠伸をしながら隣で眠っていたジンを持ち上げ、飛鳥の軌道上に差し出す。無情にもジンの額に飛鳥の膝が叩き込まれ、ジンはその場に崩れ落ちた。
「お嬢様、寝起きにシャイニングウィザードは命に関わるから止めた方が……」
「緊急事態よ! これを見て!」
飛鳥は十六夜に、先ほど読んだ手紙を差し出す。
「『火龍誕生祭』だぁ?」
手紙は北で行われる祭りへの招待状だった。
文面には、鬼種や精霊達が作った美術工芸品の展覧、品評会や様々なギフトゲームが行われると書かれている。
眠りを妨げられ不機嫌だった十六夜も、手紙の内容に一転して気分を高揚させた。
すでに行く気満々である。
「ジン君起きて! 皆さんが北側に行っちゃうよ!?」
ジンを介抱していたリリが慌てて体を揺り動かすと、気がついたジンが飛び起きる。
「北へ行くって、皆さん本気ですか!? そんな蓄えなんてありませんよ! それにどれほど距離があると思っているんですか! リリも大祭の事は皆さんに秘密にと……」
一気にまくしたてるジンの「秘密」という言葉に問題児達は即座に反応した。
「こんな面白そうなお祭りを秘密にされてたんだ」
「毎日コミュニティを盛り上げようと頑張ってるのに残念だわ」
「ここらで1つ黒ウサギ達には痛い目を見てもらうのも大事かもしれねぇな」
3人は、ぐすんと声を揃え、あからさまな棒読みで泣いたフリをする。
これで決まりだというように、勝ち誇ったような黒い微笑を浮かべた。
自分には手におえないと、ジンは貞夫にも助けを求めるが
「今回は僕も行ってみたかったり。美術品とか好きなんだよねぇ~」
期待には答えられなかった。
4対1の力の差には敵わず、北側行きに決定。
ジンは道案内として連行される事となった。
飛鳥は一応この事を手紙に書き残し、リリに黒ウサギに渡すよう託けた。
ついでにとある爆弾も設置したのだが、その事を貞夫は気付かなかった。
「それで、お祭りがある北側まではどうやって行けばいいのかしら?」
コミュニティを出発した一同は、ペリベット通りまで来ていた。
飛鳥が振り返り尋ねる。
「やっぱり、何も知らずに来ていたんですね……」
十六夜に引きずられているジンが溜め息交じりに言った。
「箱庭の表面積は恒星級なんです。箱庭はその最大規模の都市。そんな所を行き来するんですよ?」
一拍起き説明を続ける。
「ここから北までの距離──98万キロも歩くつもりですか!?」
その途方もない道のりに4人は、うわぉと声を揃えた。
「いくらなんでも遠すぎるでしょう!?」
「だから止めたじゃないですか!」
飛鳥とジンが声を荒げる。
貞夫のテレポートは例によって、行き先が分からないので使用できなかった。
例え分かっていたとしても、さすがに98万キロもの距離を移動できるとは思えなかったが。
「でも人が住んでるんだから、何かしらの交通手段はあるんじゃないの?」
貞夫はジンに尋ねた。
「外門と外門をつなぐ
ジンは泣きそうな声で説明する。
「今なら笑い話ですみます。もう戻りましょう」
諦めるよう進言するが
「黒ウサギ達にあんな手紙を残して今更引けるものですか!」
「おうよ! こうなったら招待状を送ってきたサウザンドアイズに責任とってもらうぞコラ!」
「貰うぞコラ!」
飛鳥、十六夜、耀はやる気を衰えさせるどころか、さらに力を漲らせ声を上げた。
北へ送って貰える手段を白夜叉に求め、5人は一旦サウザンドアイズに進路を変える。
道中飛鳥が2105380外門入口にある、かつてのフォレス・ガロの名の入った2頭の向かい合う虎の彫像について、悪趣味だの邪魔だの愚痴を漏らすのを聞きながら歩みを進め、一同はサウザンドアイズの支店に到着した。
店先では割烹着を着た女性定員が箒で道を掃いている。
店員は歩いてくるノーネーム一行に気づくと、掃除を止め一礼した。
「ようこそいらっしゃいました。お帰りください」
丁寧な態度から、にべもないお引き取りの言葉が何の遠慮も無く出てくる。
「私達そろそろ顔馴染と言ってもいいくらいなのだから、もう少し愛想良くしても良いのではなくて?」
「お金を落としてくださるお客様ならそうします」
ギフトゲームで得た品を換金するためサウザンドアイズとはそれなりの回数やり取りしているのだが、いくら交流を重ねても店員の態度は和らぐ事は無かった。
「一度でいいから見てみたい、店員さんが笑っている所」
貞夫はかつて聞いた落語の一席で延べられる口上を真似た。
無論冗談だったのだが、元ネタである落語を知らなければただ煽っているだけに聞こえるだろう。そしてこの世界にはその落語は存在していないだろうと思えた。
店員はむっとした様に口を結んで、射るような視線を貞夫に向けた。
しまったと口元を手で押さえるが時すでに遅し。
どうやって店員の機嫌を取り直すか考え始めた時、知っている声が聞こえてきた。
「おお、ようやく来おったか小僧共」
店の入り口からひょっこりと顔を出しているのは、目当ての人物である白夜叉だった。
彼女は待ちかねたとばかりに顔をほころばせ5人に歩み寄る。
「招待状ありがとう」
耀は誕生祭への手紙の礼を述べる。
「でも私達、北側へ行く手段が無いのよ」
飛鳥が続けて言った。
「つー訳で、さっさと連れてけやコラ」
十六夜が笑顔で脅迫まがいの発言をする。
「分かっておる。中へ入れ、話しておきたい事もあるしのう」
5人は手招きされるままに、白夜叉の後に続いて店内に入る。
「おんしは来んでもよいぞ」
振り返ると貞夫に言った。
次いで、5人の入店を不機嫌そうに眺めていた女性店員に視線を向ける。
「おんしも掃除はもういいから、しばらく休憩でもしておれ」
店員が聞き返す間もなく、白夜叉はさっさと店の奥に向かって行く。
十六夜達も白夜叉に続きその場を去ると、店の玄関には貞夫と女性店員の2人だけが取り残された。
「行っちゃいましたね……」
一同を見送った貞夫が独り言のように呟いた。
店員は白夜叉を呼び止めようとしたが、声を発する前に彼女は姿を消した。
白夜叉の背中に向けて伸ばした手が空中で行き場を失うが、それをどうする事も出来ず、石の様に静止している。やがて、溜息と共に力無くその手を下した。
しばしの沈黙の後、店員は仕方ないといった体で無言で箒を片づけると、貞夫の方を見ずに言った。
「ここにいても邪魔になります。私達も行きましょう」
貞夫の返事を待たず店員は、白夜叉達が向かったのとは別方向の店の奥に向かって歩き出した。
姿を見失う前に貞夫も慌てて後を追う。
「こちらで御待ちください」
通された一室は、客間にしては手狭な感じだった。従業員の休憩室だろうか。
貞夫が室内を眺めている間に店員はまた別の部屋に向かっていった。
部屋の隅に積まれていた座布団を一枚取って、適当な場所に座る。
店員はすぐに戻ってきた。手には御盆と、その上に急須や湯飲みが乗っている。
「あ、お構いなく」
胡坐をかいていたのを正座して姿勢を正す。
「一応礼儀ですから」
慣れた手つきで茶を注ぐと、自分と貞夫の前に2つ湯呑を置いた。
一口すすると、適度な渋みの奥から芳醇な香りが鼻に抜けた。
「美味ぁい。高そうな味だ」
今朝ノーネームで出されたのは西洋風のハーブティーだったが、こちらは純和風の緑茶。
お茶といえばコンビニのペットボトル飲料くらいしか飲んだ事がなかったが、この複雑な味と香りは普通の茶葉より頭1つも2つも飛び抜けていると感じる。
「ノーネームに出すには勿体ないですが、あいにくそれしかなかったので。よく味わってください」
そう言って店員も自分の湯飲みに口を付ける。
「……何です?」
貞夫は店員の事を、ニコニコとした表情で眺めていた。
それに対し店員は不振がった素振りで尋ねる。
「いやなに、様になってると思いましてね。お茶を汲む動作とか」
褒められて悪い気はしないようで、店員は照れたような風を見せた。
「茶化さないでください」
「あぁ、お茶だけに」
「違います」
何気ない短いやり取りだが、コミュニティで仲間達と過ごすのとはまた別の温かい気持ちに貞夫はなった。
持っていた湯呑を置いた店員は、一息置いて話し始める。
「それにしても、貴方がたのようなノーネームがペルセウスを打ち倒してしまうとは思いませんでした」
相変わらず平坦な抑揚の言葉だが、その中にわずかな驚きのようなものが感じられた。
「それもこれも、貴女が手紙を持って来てくれたおかげですよ」
貞夫は改めて感謝の意を込め頭を下げた。
店員は慌てて両手を上げ、それを止めさせる。
「よしてください。私はオーナーに言われた事をしただけですから」
そう言われ、貞夫は頭を上げた。
店員は照れからか、言いづらそうな感じで言葉を途切れさせながら話を続ける。
「その、怪我などは、しなかったですか……?」
「……もしかして、心配してくれてます?」
貞夫は意外そうな感じで言った。
「べ、別にそういう訳ではありませんが」
反射的に否定の言葉が店員の口から出る。
「クラーケンは楽勝でしたよ。ちょいと殴られはしたし、石にもされたけど、怪我っていう怪我はありません」
安心させるように微笑を浮かべながら貞夫は答える。
そうですか、と口では素気ない反応の店員だが、どことなく安堵した様な気配があった。
「何かお礼をしなけりゃなりませんね」
「私は大した事はしてませんから、御気持ちだけ受け取っておきます」
「僕と結婚する権利をやろう」
「何故上から目線なのですか!?」
冗談冗談、と声を荒げる店員を落ち着かせる。
その時、廊下の方から集団の歩いてくる足音が聞こえてきた。
外から障子を開けたのは白夜叉だった。
その後ろには十六夜達が全員揃っている。
「話し中すまんの。北側に着いたから呼びに来たんじゃが」
「はい?」
白夜叉の言葉に貞夫は首を傾げた。
サウザンドアイズに入店してから部屋の中で話をしていただけなのに、何をどうすれば北側に到着した事になるのか。
全員が店の外に向かったので、貞夫もその後に続いた。