鐘の音が告げたゲーム開始の合図と共に、参加者達は街中へ散開する。
だが、一同の足を止めるように地面が鳴動しだすと、建物が入れ替わる様に辺りは古い街並みに変わっていく。
ペストが起動した『ハーメルンの魔書』の力によって、街一帯の構造が造り替えられてしまったのだ。
どよめく人々の中でジンは冷静に現状を把握していた。
これはハーメルンの街そのものを召喚したのだ、と。
ステンドグラスの捜索隊は混乱に陥った。
これではどこを探していいのかわからない。皆焦りの声を上げる。
ジンも内心では慌てていた。しかしこの場には助けを求められる十六夜の姿も無い。彼はヴェーザーと戦うため別行動をしているのだ。
「落ち着いてください!」
ジンは叫ぶ。それは自分に対しての言葉でもあった。
その声に皆の視線が集中する。
圧倒されかけるジンだが、頼れる者のいないこの場では自分がしっかりしなければと気合を入れる。
「まずは教会を探してください! ここがハーメルンの街なら、縁のある場所にステンドグラスが隠されているはずです!」
混乱に包まれていた参加者は、皆黙ってジンの言葉に耳を傾けている。
「僕達は僕達に出来る事でゲームクリアを目指しましょう」
その言葉に一同は頷き、再び勝利に向けての思いを一つにした。
地上を走り回る捜索隊の上では、黒ウサギ、耀、サンドラの3人がペストを相手に奮戦している。
サンドラが撃った幾つもの火球を、ペストは踊るような所作で難なくかわした。
上空からは耀がグリフォンの旋風を放つも、ペストの持つ黒い風でかき消される。
「サンドラ様、左右から挟み込みます」
「分かった」
屋根伝いに駆けていた黒ウサギとサンドラは二手に分かれ飛び上がる。
サンドラは炎の息吹を、黒ウサギは手にした金剛杵より雷撃を放つが、ペストは自身を包み込むように黒い風を球形に展開し、その全てを防いだ。
「もしかしてあなた達、学習しないタイプ?」
屋根の上の一点に降り立つ3人に対して、ペストは感情のこもらない声で言う。
「いい加減、無意味だと分からないの?」
かざした両手の袖口から、黒い風が蛇の様にうねり黒ウサギ達に向かって行く。
しかしそれは彼女達の下に達する前に、横から飛んで来た斬撃によって断ち切られ、空中に霧散した。
4人の視線が斬撃の放たれた方向に向かう。
「
そこにいたのは手刀を振り下ろしたまま決めポーズをとっている貞夫だった。
軽くジャンプすると、風に乗る様にフワリとした動きで黒ウサギ達の下に降り立つ。
「お待たせ」
デートの待ち合わせに到着したかの様に片手を上げる。
「貞夫さん、御体の方は大丈夫なのですか!?」
女性店員から事のあらましを聞かされていた黒ウサギは、心配するように声を上げた。
「おかげさんでね。それよりあっち」
指差す方には滞空するペスト。
呑気に話し込んでいる隙を狙わないのは余裕の表れか。
ペストと対峙するように貞夫達は向き直る。
「たかが1人加わった所で、何も変わらないわ」
気だるげに呟くペスト。
貞夫はニヤリと挑戦的な笑みを浮かべる。
「おじさんを舐めるんじゃないよ。中年童貞の底力、見せてくれるぜ」
言うが早いか、貞夫はテレポートでペストの背後に転移した。
ダルマ落としの様に横蹴りでペストの頭部を狙うが、体全体を寝かせる様にして彼女はそれをかわす。
貞夫はこの間にチャージしておいた魔力弾を構えるも、ペストが黒い風を放つ方が速かった。
上体を思いっきりのけ反らせる事で向かい来る風を避けた貞夫は、同時に魔力弾をペストに向けて撃ってみるも、きっちり狙いを付けられなかったせいでそれは彼女のすぐ横を通り過ぎていった。
しかし貞夫の攻撃はそこで終わらず、のけ反った勢いで宙を一回転し、その勢いを乗せた速度のまま魔力刃をもってしてペストに切りかかる。
この連続攻撃は読み切れ無かったのか、ペストは避ける間も無く胸を斜めに切り裂かれた。
「やったか!?」
サンドラが叫んだ。
「ダメだ、全然浅い」
一旦ペストから距離を取って離れつつ、手応えを感じなかった貞夫が言う。
ペストは痛みを感じていない様子だった。
切られた傷口の内側から黒い瘴気が滲み出る。
それが晴れた時には、最初から無かった様に傷口は消え、ご丁寧に裂かれた服までもが元通りに直っていた。
「あぁ、思い出した」
ポム、とペストは手を打った。
「あなた、シュトロムを倒した男よね」
「活躍したのに忘れられてたのか。哀しいなぁ」
新しい玩具を見つけた子供の様にペストは微笑んだ。
「いいわ、あなたも私の手駒にしてあげる」
「おじさんは子供に弄ばれる趣味は無い」
貞夫が構えると、同時に黒ウサギ達3人もそれぞれ戦闘態勢に入る。
しかし双方共になかなか動きだそうとしない。
貞夫達は無暗やたらと攻め込んでも勝ち目がある訳では無いし、ペストにとっては時間を稼ぐことが主眼であるため無理に戦闘に持ち込む必要はない。
とはいえ、このまま睨み合いが続いても得をするのは魔王の側だ。
「誰でもいいから、もう一度あの娘を攻撃してみてくれない?」
3人は貞夫の真意が分からないままお互いの顔を見合わせる。
目と目で伝え合った中で、黒ウサギが頭上に掲げた金剛杵から一筋の雷をペストに向けて放射した。しかし先ほどと同じ様に、ペストの体を包むように発生した黒い風に弾かれるに終わる。それを見た貞夫は、うんうんと頷いた。
「やはりか。しかし、だからこそ勝ち目が見えたぞ」
そう言って女性陣より数歩ほど後ろに下がる。
「悪いけど、時間稼ぎ頼めるかい?」
相変わらず何を考えているのか読み取れないが、策があるというのなら乗るしかないだろう。
黒ウサギ達は頷きあうと、効かないと分かっていても再びペストに対する攻撃を再開した。
女性陣達の奮闘を気にしない様、貞夫はあえて目を閉じ意識を集中する。
出来る事ならこの一発で勝負を決めてしまいたい。
失敗すれば他の作戦は思いつけそうに無かったからだ。
胸の位置に構えた両手の間に魔力エネルギーを集中する。
サッカーボール大に膨れ上がった物を、野球のボール程の大きさまで圧縮する。
それを3度くり返した高密度のエネルギーの塊は、小型の太陽の様な輝きを放っている。
目を開け戦闘の状況を眺め、タイミングを計る。
調度、黒ウサギ達は三角形の頂点に位置する場所から、中心点のペストに向け同時にそれぞれの攻撃を撃ち込んだ。
ペストはそれを、黒い風で自身を包み込んで防いでいる。
拮抗した力の静止状態こそ、貞夫の狙っていた瞬間だった。
テレポートを使えば圧縮した魔力弾が拡散するかもしれなかったので、加速魔法でペストに向かって飛び込んで行く。
魔力弾を構えた手を差し出すが、当然の様にそれは黒い風の壁に阻まれる。
「いくら攻撃の手を増やそうと、あなた達如きではこの風は打ち破れないわ」
ペストは嘲笑する。
「打ち破る必要なんて無いね」
貞夫の手が、黒い風の中に沈み込んだ。
「通り抜ける!」
透過魔法を発生させ、貞夫の両手は魔力弾ごと黒い風をすり抜ける。
ペストに対しては初めて見せるギフトであったため、彼女は虚を突かれた様に驚くばかりであった。今までどんな攻撃も跳ね返してきた鉄壁の防御を、まさか素通りする手段があるとは思わなかったのであろう。
盾となっていた風の内側から、貞夫は圧縮していたエネルギーを一気に解き放つ。
それは虫眼鏡で集積した太陽光が紙を焼き切る様に、ペストの腹部を難なく穿った。
ペストは驚愕を浮かべたまま、ゆっくりと後ろ向きに倒れはじめる。
力を失ったように、彼女の周囲を取り囲んでいた風が霧散する。
あまりにもあっさりすぎた。
貞夫が訝しんだのと同時に、ペストはその顔から驚きを消し、無表情に呟いた。
「……やるじゃない。ちょっぴり驚いちゃった。でもそれは、本当に最善の手だったのかしら……?」
ペストの言葉は負け惜しみに過ぎない。
そう思った黒ウサギは勝利を確信し、吹き飛んでいくペストから視線を外し貞夫の方を向く。それは耀とサンドラも同じであった。
貞夫は両手をつきだした姿勢のまま固まっていた。額から1つ2つと冷や汗が流れ始める。
「マズったな……。読み間違えた……」
言い終えると共に、貞夫の両手の各所に黒い斑点模様が浮かび、それが裂ける様に弾け飛んだ。血飛沫が周囲に飛散する。貞夫は痛みからその場に膝をついた。
黒ウサギ達はその光景に驚き、慌てて貞夫の下に駆け寄る。
「こ、これは一体……!?」
サンドラは何が起きたのか理解できないでいた。
黒ウサギと耀も同様であった。
2人はスカートのポケットから取り出したハンカチと、自身のコートを破って作った布きれを貞夫の両腕に巻き付け、硬く縛り出血を止めようとする。
「あの黒い風は……壁の様に膜状に張っていたんじゃなく、その内側も毒の霧で満たしていたんだ……!」
貞夫が痛みに耐える様に呻く。
「気づくのが遅かったわ」
その声を発したのはペストだった。
吹き飛ばされ倒れ伏した屋根の上で、空を見上げたまま呟く。
寝ころんだ姿勢のまま、不可思議な力でもって、板を立て掛ける様に微動だにしないまま起き上がる。
「結局あなたの作戦っていうのは、自分の首を絞めるだけの事だったわね」
ペストの腹部は魔力弾が通過した時のままだった。
上半身と下半身が千切れる寸前にまで開かれた空洞から向こう側の景色が覗いている。
「でも、私にここまでの傷を与えたのは、あなたが初めてよ。褒めてあげるわ」
ペストの口からゴボリと血の様な黒い液体が漏れた。
腹部の大穴を埋める様に滲み出た瘴気が渦を巻いている。
貞夫の方も、この間に魔力を治癒に回して血管を塞ぎ出血を止め、次いで裂けた肉を修復していた。
「これ程のギフト保持者が集まっても敵わないとは、流石は神霊ですね」
耀もサンドラも疲労し、貞夫も大きくダメージを負った現状では打つ手が無いと思った黒ウサギは、ペストが不要な攻撃に出ないと分かっていても間を繋ぐために語りかけた。
『神霊』という単語にサンドラは目を見開く。
それは種の持つ霊格を最高位にまで引き上げられた存在の事だ。
黒ウサギの言葉を肯定するようにペストは軽く微笑んだ。
「なるほどな、ハーメルンの130人殺しの功績の実体化にしては、異常なまでに強すぎると思ったが……」
裂傷を塞ぎ、さらに腕の痛覚を消し苦しみから脱した貞夫が立ち上がる。
「彼女の正体は14世紀から17世紀にかけて吹き荒れた黒死病の死者──8000万もの死の功績を持つ悪魔──」
ですよね?と黒ウサギは問いかける。
「そうね、時間稼ぎ程度に教えてあげる」
ペストの腹部の傷は、外周から徐々にではあるが塞がりつつあった。
「私は神霊化した黒死病では無いわ。黒死病は後の医学が対抗手段を得た事で、神霊に成り上がるための恐怖も信仰も足りないの」
「では、貴方は……!?」
「私は8000万の悪霊群──黒死病の死者達、その集まりよ」
130人の死の功績とは桁違いの数の差に一同戦慄が走る。
そして、彼女の中に数えきれないほど複数の存在を感じていた事に、貞夫は納得がいった。
「代表者である私には権利があった。死の時代を生きた全ての人の怨嗟を叶えるため、黒死病を蔓延させ飢餓や貧困を招いた諸悪の根源──怠惰な太陽に復讐する権利が……!!」
それまで感情を表す事の無かったペストは、この時初めてその怒りを露わにした。
彼女の周囲で、感情の昂ぶりに同調するかのように赤黒いオーラが蠢く。
それが呻きもがく無数の人の顔に見えるのは、はたして目の錯覚であろうか。
オーラが消えると、ペストはスイッチを切り替えたかの様に、それまで通りの素気ない態度に戻った。
「さ、ゲームを再開しましょ。タイムオーバーの瞬間まで、たっぷり遊んであげる」
大きく笑みを浮かべたペストの表情はおよそ少女らしくなく、虫の羽や手足をもいで楽しむ時の様な残酷なものであった。
クソ、結局弄ばれてるじゃないか。貞夫は内心で愚痴を吐いた。
せっかく決意を固めて店員さんと別れて来たのに、彼女から力を託されたのに、カッコよく駆けつけて活躍するはずだったのに、これでは無理を押して来た意味が無い。
とは言え相手は8000万もの死霊の群れだ。
相当に強力なギフトを持っているであろう黒ウサギとサンドラに加えて、耀がいても傷一つ加えられなかった相手に、貞夫が一撃与えられた事がすでに奇跡だったのだろう。これ以上のものは、ちょっと望めそうになかった。
「おい、黒ウサちゃん。何か策は無いの?」
貞夫はペストに聞こえない程の小さな声で問いかける。
「あるにはあるのですが……」
彼女の高性能レーダーの様なウサ耳には問題なく届いた様だった。
「まだその時ではありません。何とか十六夜さん達が合流して下されば……」
どうやら時間が必要なのはこちらも同じのようだ。
黒ウサギの考えている作戦が何なのか知る由もない事だが、彼女の声色からしてその内容には絶対の自信がある様に聞こえる。
いっそペストは無視してステンドグラスの確保に回ろうかと思ったが、その考えはすぐに捨てた。遊び感覚でこちらに
やはり現状を維持するのが最良か……。
その時、遠方の街の一角に3体の巨兵が降り立つのが見えた。
シュトロムである。
どうやらハーメルンの伝承とは無関係の悪魔であるらしく、その数も1体では無かったらしい。
「あそこにはジン達が!」
サンドラが焦りの声を上げる。
マズい事に捜索妨害の手を緩めている訳では無かったらしい。
貞夫はジンの側にレティシアの気配も感じたが、彼女1人で3体ものシュトロムを相手に凌げるだろうか。そう思っている間にも空からはさらに数体のシュトロムが降って来る。
ノーネーム、そしてサラマンドラはかつてない危機的状況に追い込まれつつあった。
しかし同時に、逆転の光明がすぐ側まで来ていた事には誰も気付かなかった。