舞鶴の冬は早かった。十一月のはじめ、徐々に着込む量を増やしていくかいくまいか、のちの厳寒と相談するような難しい時節。その早朝はグッと気温が冷え込んだ。
「ねえ、雪ーっ!雪だよ雪が降ってる!」
我が家の窓を割らんとするほどの大声が窓越しに私の鼓膜を揺らしていた。のしかかるぬくもりと気だるさを払いのけて、私は体を起こした。時計を見やれば、まだ早朝の五時である。学校の始業時間は八時半、それまでに登校しなければならいとしても、些か早い時分だ。結露をたっぷりと身に纏った窓に手を掛ける。ひんやりと、棘のある感触が私を覚醒させる。キラキラと目を輝かせ、中空を見つめる学友に声をかける。
「深由ちゃんは早すぎます……」
深由はこちらに顔を向けて言う。
「この時期に雪だなんてなかなかないって、これを楽しまずとして何とする!」
「アハハ……」
力説する深由に押されて、私は出発の準備を始めることにした。
「おまたせ、深由ちゃん」
準備を終えて家を出た私は、門柱からはみ出て見えていた猫っ毛に声をかけた。
「おせーよ、雪。せっかくちらついてた雪も止んじゃったじゃん」
門柱に預けていた身体を起こして、そう口をすぼめたのは深由、長迫 深由(ながさこ みゆ)ちゃんだ。
「遅いって、これでも急いで来たんだからっ! 朝ごはんだって食べずにおにぎり握って貰ったし……」
「まっ、いいや。ちょうどいい時間になったしな。そろそろ、憂やしいらも家を出るころじゃないかな」
「あ、そっか。今日は……」
「忘れてたのか? フブキはおっちょこちょいだな。だから早く来たんじゃんか」
「その呼び方やめてってば……それにしたって早すぎよ」
フブキこと、吹坂 雪(ふきさか ゆき)は少し不機嫌そうに返して、続けた。
「今日は先生に朝早く来るよう言われてたんだったね」
「そう。私たち四人を、何故かな」
赤点は取ってないんだけどなあ……、それとも早弁したりしてるのバレたのかな……いやでも……と、ブツブツ邪推する深由を横目に、雪もまた考えていた。私と深由ちゃん、そしてしいらちゃんと憂ちゃんだけを朝早く呼びつける理由……。
「ん……、雪ちゃん」
「ひゃっ、憂ちゃん!」
ぼんやりと考え込んでいたところに、ボソリと声が飛び込んで来て、私は情けない声を出してしまった。
「おっ、憂じゃん!それにしいらも、おっはよ」
おさげ髪の姫野しいら(ひめの)ちゃんが丁寧に挨拶する一方で、長髪の初澤 憂(はつざわ うい)ちゃんは、んっとやる気のない声と共に手を上げたのみであった。
「おはようございます、雪さん。深由さん。お二人とも、思いつめたように考え込んでおられるようでしたので、少し声を掛けるのを躊躇ってしまいました」
「あー、悪いね。いや、何でセンセは私たちを呼んだのかなってちょっとね」深由ちゃんは軽く頭を掻きながら、斜めに視線を向けていた。
深由ちゃんがもっともらしい嘘をついたところで、私たちは再び学校への道を歩み始めた。
――――――――――
"彼女は、憔悴しきった顔で言った。"
『私はあの日のことを忘れない、いや忘れられないでしょう。あの日は皆が"人間"として過ごしていた、最後の一日でありました――』
"目には少し警戒の色が見える"
――――――――――
「えっ、舞鶴基地へ……ですか?」
ひっそりと静まり返った職員室に困惑の声が響いた。
「ええ。こんなに早くに呼び出してごめんなさいね。私も驚いたのだけれどね」
腰の辺りまで伸ばした艶やかな黒髪をかき分けて、先生――大戸 洋子(おおど ようこ)――が言う。
「なぜ、私たちを……?」
純粋な疑問であった。軍港のある街で育った私ではあったが、基地へは行ったことが無かったし、国防軍との関わりや関心も薄かった。大戸は言う。
「私も耳を疑ったの。だから、理由を尋ねてはみたのだけれど、うまく躱されるばかりで全く相手にされなかったわ」
「あたしらの洋子先生を邪険にして!」
深由がおどけると、憂が口を開いた。
「舞鶴基地……歩いて行くの」
言葉の節々に面倒さが滲み出ていた。そのアトモスフィアを断ち切るように大戸は手を軽く合わせた。
「そう、そのことなんだけれどね。軍の関係者の方が迎えの車を寄越してくれるそうよ」
「そりゃそうだよな、こんな寒いのに基地まで歩けるかっての!」と深由。
「大体のことはわかりました。とにかく、迎えの車に乗って基地に行けばいいのですね。して、どれくらいで来るのですか?」
「そろそろ、来る頃だと思うわ。よし、正門まで行きましょう」
大戸はそう言って、私たちを促した。
正門への道すがら、私はしいらちゃんの抜かりなさに感心していた。私といえば、進んでいく話の中で、不安に包まれながらただただぼんやりとしていただけだった。
正門には既に黒塗りのクラウンが横付けされていた。その車はぬらぬらとした光沢があり、少しいやな感じがあった。私たちが恐る恐る車両へ近づくと、フロントドアからぬっとスーツ姿の男が降りてきた。男はぐるりと車を回り込むと、車体からそう離れることなく敬礼したので、私たちは少し前へ足を動かすことになった。奇妙な動きに不釣合いながっしりした体躯に私たちは少したじろいだけれど、海軍式敬礼の後、笑顔で挨拶する姿にその印象はすぐに拭い去られていた。
「おはようございます。本日、皆さんを基地へとご案内させて頂く、田中と申します。どうかよろしくお願いします」
丁寧な挨拶に、おのおのが辞儀を返す。
「吹坂です」
「長迫です!」
「初澤……です」
「姫野、と申します」
そのつど田中はにこやかに頷く。感じの良さそうな人だと、私は思った。
「では、みなさん車にお乗りください。お連れ致します」
田中はそう言って、そそくさとリアドアを開け、しいら、深由、憂の三人を後部座席へ乗せる。私も乗りこもうとした瞬間、田中が口を挟んだ。
「あ、フブキさんは前の席へどうぞ。四人では窮屈でしょう」
「は、はい」
促されるままに車に乗り込む。社内はゆったりとしていて、シックな高級感に溢れていた。シートベルトを着用したところで、はたと気付く。田中はさっき、私のことをフブキと呼ばなかっただろうか? フブキという愛称――私は好きではないのだけれど――で私を呼ぶのは、親しい間柄、それも深由や憂などに限られてくる。田中は私たちの名前を知っているにしろ、プライベートな情報までは知りえない筈なのだ。しかし、どうして……。疑念が頭から溢れ、言葉へと変わっていった。
「あの、田中さん……」
田中はエンジンキーを回しながら、私を見やる。
「なんでしょう」
ザーという静かな重低音が車内に響き渡った。
「田中さん、さっき私のことを、あの、フブキと――」
そう言い掛けたところで、深由の大声が遮った。
「あーっ! 大戸先生に挨拶してない! 窓、窓開けてください田中さんっ!」
「――はい只今」
田中はしばしの沈黙ののち、手元のコンソールを操作した。助手席と後部座席の窓が開かれ、門に立つ大戸先生が近寄る。
「先生っ、午後の授業には戻るからさ!」
深由が乗り出しながらそういうと、先生は「あなた、いつ終わるのかまだわからないでしょう?」と笑いながら言った。続けて「田中さんよろしくお願いしますね」と運転席に声をかけた。
「はい、そのように」
田中はそう微笑んだ。私はそのとき、ほのかな違和が芽生えるのを感じた。
田中は窓を閉めると、ゆっくりと車を発進させる。バックミラーにはリアウインドーへ手を振る深由の姿があった。私はその先へ映る大戸先生の姿をじっと見つめながら、先生の思惑を思案していた。
――――――
『どうして……信じていたのに』
"<B>の手が微かに震えだす。語気も強まっているようだ。これ以上は危険であるかもしれない。"
――――――
私たちを乗せたクラウンは府道21号線を北上していた。日本海から漂う潮の香りと、府道沿いに生い茂る広大な森林の匂いがこの国を表している気がした。車どおりの無い緩やかな左カーブを直進したところで、クラウンは速度を落とした。
「みなさん、お待たせしました。こちらが旧海上防衛隊の舞鶴教育隊施設のあった、舞鶴研究所となります」
「研究所?」
私たちの頭の中でクエスチョンマークが共有されていたと思う。しいらが田中に質問する。
「田中さん、ずっと気になってはいたのですが、私たちは何をするのですか? 私たちだけを指定して、わざわざ呼んだのは軍であると聞いていますが」
田中はゆっくりと口を開いた。
「その質問にはお答えできかねます」
田中の言い放った言葉に、深由は体を乗り出して声を荒げた。
「お、おい。どういうことさ! これじゃあ、ただの拉致――」
そう言いかけたところで、その言葉は咳へと変わった。見れば、シューという空気音と共に、車内天井から白煙が噴き出している。しいらと憂は短く悲鳴をあげる。私はとっさに口と鼻を両手で押さえて、息を止めた。後部座席がパニック状態になる中、私は何が起こっているのかも理解できず、必死に田中を見ていた。田中は虚空を見つめてぼそぼそと何かを呟いていた。私は耳を済ませた。
「帝国防衛軍舞鶴研究所、到着確認。催眠ガス注入シーケンス、確認。ホログラムナヴィゲーションシステムAI-TA2411、アプリケーションを終了します――」
目を見開いた。黒スーツの男の姿が水色がかり、徐々に現実感を無くしている。スノーノイズめいたノイズが男を包み、そして消えた。そのとき、私は先ほど感じた違和をすべて理解した。やけに光沢を帯びた車のボディ、田中が車からそう離れずに挨拶しだしたこと、深由の話の割り込みに対するレスポンスに時間のかかった理由。今聞こえたことが真実であるなら、すべてに説明がつく。
車体の光沢や、田中の行動はおそらく、ホログラム投射のためのものだ。空間へのホログラム投射技術の研究に実用化のめどが立ったことは記憶に新しかった。この話をした深由が、"レイア姫だレイア姫だ"と連呼しながら、大昔に流行ったらしいSF長編映画のタイトルを言って、目じゃないと興奮していたのを覚えている。レスポンスの遅延はおそらく人工知能の言語処理によるものだろう。だが、ここまで技術が進んでいたなんて。
私は意識が混濁し始めるのを感じた。心地よい浮遊感と重苦しい倦怠感に襲われていた。フロントドアに体が沈んでいく。深由たちの安否を確認しようと首を向けようとするも、すさまじい倦怠感が唇を振るわせるのみにとどめてしまっていた。
私たちはどうなってしまうの……。先生――。私は目を閉じた。
数人の足音がバタバタとし、車の前で止まった。後部座席のドアが開く音がして、「被検体、全員確認しました」というくぐもった男の声がする。しばらくして、聞き覚えのある声が私の耳に入った。
「ごめんなさいねみんな。午後の授業は無かったの……フフ」
私は意識を失った。
はじめまして。Medalです。意欲に波があって遅筆なのですが、ぼちぼち書いていきたいと思います。