目を覚まし、最初に飛び込んできた光景は"腕"を這う虫だった。
「っ!?……ぁ…っ…ぅ?」
慌てて手を払い、悲鳴にもならない反射的に出た声から喉と舌の不調を知る。
「―――ぅ…」
喉に手をやり、感触の違和に気が付くとともに嗅覚からの赤信号にも眉をしかめる――同時に全身の感覚に違和感を覚える。それを確かめる前に"腕"を這っていた黒光りした虫の行列の先頭が"脚"に接触していることに意識が向く。
(ここはこの虫の通り道なんだ。てか、人怖じしないんだなコイツら)
全身の感覚のズレに戸惑いつつも立ち上がり、虫の通っていない部屋の隅っこに向かい腰を降ろす。まるで自分の定位置のような座り心地に少し落ちつき、とりとめもない考えが溢れだす。
何処だよここ…汚い部屋だな…石造りとか…酷く臭いし色々五月蝿い…窓はあるけど埋ってる…牢屋かよ…臭い、五月蝿い…俺何でこんなとこいんの…昨日何してたっけ…臭、てかもう馴れた…天井に穴空いてんな…ネズミの死骸キモス…
思考の洪水で混乱状態を平常状態にすり替え、いい加減目に写り続ける最大の異常に意識を移す。
(これ、俺の身体、だよな)
彼の目には、自分の意思で動く"腕"や"脚"、それと""胴体"が写っている。身体を覆うものが見知らぬ襤褸切れ布下着一丁なのは、異常だらけの今大した問題ではない。
(どうやら、俺はいつの間にか即身仏になってしまったようだ)
彼の肉体は直近の記憶にある、成人前・一般的・黄色・東洋系のそれではなく、まるで映像で見た木乃伊のように変色して干からびたモノに変わり果ててしまっていた。身体全体もまるで枯れ木のような太さしかなく、特製ラバースキンやペイントなどでは断じてない。手による触診でも同様の結果。顔も同感触で眼窩には空洞が空いているようであり、慌てて指を抜く。
(ドッキリの線はなくなった)
表面上は平和な国で過ごしてきた彼は、漠然とした世界平和を願ったことは多少あれど、自身の犠牲をもって叶えようという気概は断じて持ち合わせていない。さらに、ドッキリにしても、学徒である彼はそんな事をされる立場ではなく、パンピーに仕掛ける大掛かりドッキリはメディアから姿を消して久しいという話を聞いている。
(ということは拉致・監禁)
鉄格子の一つ扉と石造りの不衛生な狭い部屋だ。それも人体改造ともなれば、実験体としての可能性が高いであろう――寒気がした。
(それとも……)
彼が、もう一つの馬鹿げた可能性に考えを巡らそうとした時だった。
ガツン
何かが牢屋に落ちてきた。それは木乃伊だ、彼と同じ。何処から――
「!?…ぁ…ぅ、あっ、ぇぇエェえ゛!!」
唯一光射し込む牢屋の天井穴。そこには確かに誰かがいた。フルフェイスのクロスヘルムに西洋甲冑を着込み盾を背負った御伽の騎士。それと目が合った。だがすぐに振り返り視線ははずされてしまう。彼は立ち上がり、手を伸ばし、待ってと声にならない叫びをあげるも、それは夢まぼろしのように姿を消してしまった。
(あれは、いったい……)
俺は何もかもが分からない現在の状況を改めて思い起こさせられた。
俺の名前は黒衣鋼太<<くろえこうた>>。趣味はゲーム。日本生まれ日本育ちの17歳で海外渡航経歴は一切なし。家族は俺を含め父母の3人。中肉中背黄色黒髪黒目、セミロングの髪型でしか識別出来ない判子顔のように特徴のない、何処にでもいる1高校生の筈だ。心臓付近にグロい紋様がはしっている木乃伊じゃ断じてない!
覚えてる限りの昨日は化学と世界史の課題を片付け、清潔で静かな木造の自室のフカフカベッドで寝ていた筈だ。こんな何者かの息遣いや虫の羽音、等間隔のドシンドシンという足音の協奏曲なんか初めて聴いたし、今の時代、不潔極まりない石造りの牢屋の藁の上で寝てる日本の高校生なんてゼッテェいねぇだろ!!
今日がいつなのかも。
此処がどこなのかも。
誰がこんなことをしたのかも。
何をするつもり・させるつもりなのかも。
何故標的が俺なのかも。
こんな大掛かりな事を起こした手段も。
なーんにも分からん、て事が分かった。唯一の手がかりかもしれない幻の騎士様は逃して……――
――いや、待てよ
俺の目の前には騎士が落としたであろう木乃伊が、白い靄をまとっていた。
(これ、何か意味あるんじゃね?)
てか、こいつ死んでるんだよな?とか、死体とか木乃伊とか今の俺自身を除いて初めて見たのに意外と何にも感じないんだなぁ…とか、死体とかよりあの白い靄がすっげぇ気になんだけど!、等々と思いつつも、俺は自らの好奇心に導かれるように白い靄に恐る恐る手を伸ばす。
(俺の勘が当たってたら…)
胸の中はワクワクどきどき。
(ここは…)
それは2つ目の可能性。
(いや、この世界はきっと……)
俺は、それこそを求めていた。
『地下牢の鍵』
考える事を放棄してまでも。
(――愛すべきゲームの世界だ)
―――――●―――――
指先が白い靄に触れた途端、
(ウオォーっ!キターーーー!!コレ!)
『地下牢の鍵』という表示が視界の端に写ると共に死体の靄は俺の左胸、丁度グロい紋様がある部分に吸い込まれていった。
(やっぱあれアイテムだよ!アイテム!)
俺はたったこれだけの事で、この世界がゲームであることを信じてしまい、全く疑わなかった。
(てっことは、メニューオープン!)
馬鹿な事を考えているとは微塵もおもっていない。そして行動を起こした分だけ結果は生まれると信じて疑わない。視界の右斜め上端に現れた4つのコマンドがそれを後押しする。
アイテム・装備・ステータス・HUD
(いやっふーーーぃ!!)
俺は当然全ての項目を確認した。
決別の黒水晶・霊体・ペンダント・ダークサイン・人間性・ソウル・篝火・地下牢の鍵・北の不死院・直剣の柄・右手左手武器スロット・防具スロット・アイテムスロット・飛び道具スロット・指輪スロット・誓約・ステータス各種・HPスタミナゲージ・人間性保有量ゲージ・ソウル取得量ゲージ。
その全てが心を奮わせた。
(多分、剣と魔法の世界でのOARPG。俺の好み直球ど真ん中どストライク!)
今は糞みたいな剣しか持ってないし、レベル6で11が並ぶ意味不なステだし、ちょくちょく訳の分からないワードはでてくるが、最早剣ではないが初めての実物の剣に感動し、まだ見ぬ冒険の果てに伝説級の装備一式を身に纏い扱いこなすカンストレベルの勇者クロエを夢想し、分からなくても厨二心を擽られる単語に満足だ。
知らないゲームだから良いんだ。何もかも知り尽くしたゲームの主人公になったってここまで胸は踊らない。
俺は、冒険がしたいんだ。
ただなんとなくそうおもった。
それを切っ掛けに、俺は長いか短いか分からん位留まっていた地下牢の扉を開けて、松明と橙色の光だけが暗い道を照らす通路に出た。
鍵の顕現は簡単でメニューバーを視界に表示するでもなしに、念じるだけで手に現れ、鉄格子の隙間から手を伸ばし、通路側の蝶番をもたもたとそれで外す。
しかし、それにしても…
(ザル過ぎんだろ)
牢屋にいたということは、俺は囚人なんだろう。
何の罪で囚われられたかも、牢内の拘束用の鎖は自分ではずしたのかも、どうして看守が近くにいないのかも全く全然分からん。
地下牢と名のつく位だから地上に通じるいずれかの地点に看守の待機所があるのかもしれない。
自身のバックボーンや立ちはだかるであろう敵の情報が全くないことに今更気付く。
(せめて、このゲームのプロローグだけでも見たかったな)
心中で愚痴をこぼす。
装備メニューから右手に装着した(剣の根元からぽっきり折れた)直剣の柄が酷く心許なく感じる。
でも今現在すがれるものはこれだけだ。直剣の柄(の柄)をギュッと握る。
……数値上の攻撃値がパンチと一緒なのは気にしない気にしない。
暗い通路はやはり牢屋と同じく石造りで、ユラユラと不気味に揺らめく松明と地面にある橙色の落書きのようなものだけが、その直線を奥まで照らしていた。
進路上には人影が全くなく、右前方すぐに鉄格子が、通路の突き当たりに昇りの階段が見えるだけだ。
左手の壁の松明は使えるだろうと左手に持ち、ふと地面の落書きを照らしてみる。
『右スティック:カメラ操作』
知らない筈の文字なのに、そう読み取れた。
ほらゲームだ。しかもチュートリアルだ。
俺は確証(と思い込んでるナニか)が増えた事に気を良くし、チュートリアル(以下略)に安堵する。
チュートリアル=簡単、楽勝、誰でもクリア出来る、の構図を思い浮かべ、視点を身体と松明ごと右に向け、先程から呻き声と気配がする鉄格子に向けた。
……最初から聞こえていた怪獣が歩き回るような音は気にしない(ry
牢屋の中を照らすと中には祷りを繰り返すような木乃伊の同属(?)さんがいた。
けれど俺の心はそんなどうでもいいものではなくてもう一つの、
(キターーーーっ!!)
その木乃伊のすぐ隣に鎮座するRPGお約束の木製宝箱に奪われていた。
まるでダソン並の吸収力で俺の思考はその宝箱に奪われ、松明も"直剣の柄"も投げ棄て、鉄格子の鍵を開けようとした俺は、
(………………ハぁ?)
何故か元々いた最初の牢屋に立ち尽くしていた。
《北の不死院》
ドゥーーーーッン!!!!